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第七章 始まりの日常と思惑

 I


 理世が兄妹の元に来て、ようやく一日が経過した。

 長い一日があったからか、来た当日はすぐに眠りについた。普段よりも特に深く眠った感じがした。

 だが、兄妹の元に来て翌日の朝、理世はすでに我が家が恋しくて仕方がなかった。

 起きて早々、目の前の光景についゲンナリとしてしまう。

「リゼ様、おはようございます。本日より貴方様のお世話を担当させていただくことに――」

 うんたらかんたら、とまだ続く長い挨拶をメイドの一人から聞きながら、理世は早々に後悔した。

 ……昨日のうちに、あの二人に伝えておくべきだった。

 自分にお手伝いなどと不要だ。そんな身分でもないし、第一落ち着かないことこの上ない。

 前日に伝えておかなかったことを早々に後悔しつつ、兄妹の顔を思い浮かべる。だが、脳内に浮かんだ彼らの顔はニヤリとしていて、してやったりと言わんばかりの顔しか思い浮かぶことはなかった。

 自分にとって弟や妹のように思っていた、幼かった兄妹。自分よりも歳下で守ってやらなければと勝手に思っていた節があった。

 だというのに、再会したらあっさりと成長していて、兄に関しては自分よりも歳上になってしまったという始末。しかも、貴族だという身分の違い。そう簡単に受け入れられる現実ではなかった。

 だが、目の前でずらりと自分一人の世話に対して何人ものメイドが並んでいる光景や、豪奢な建物の部屋を見ていれば現実を痛いほど叩きつけられてしまう。それと同時に、昨日一日の濃い内容が頭の中に蘇る。

 やれやれ、とりあえずこれは拒否しても良い、よな……。

 さてどう告げたものか、そう悩んでいればそこに文字通りバーンと突撃してきた者がいて。扉のほうを見てみれば、勢いよく扉を開けたサフィラが突撃してきていた。

「リゼさん、おはよう!」

 そのまま、身体を起こした状態でベッドに座っている理世へとドーンとぶつかってくる。器用にぶつかりに来たようで、衝撃もそうなく、しっかりと理世の腰の辺りに抱きついた。足元に乗り上げて理世のお腹辺りに顔を埋めるサフィラを見て、理世は苦笑した。

「おはよう、サフィラ。朝から元気だな。それにしても、突撃してきたら危ないだろう?」

「大丈夫だよ、加減してるし。えへへ……、それにリゼさんがいるって思ったら早く起きて会いたくなっちゃって」

「随分と早起きしたようだな、良い子」

 理世はサフィラの頭を優しく撫でながら告げる。

 理世が起きた時刻ですら、午前六時だ。自身でもだいぶ早かったと思うのに、サフィラはすでに綺麗に身支度すら整えている。相当早くに起きたようだ。優しく褒めつつ理世が笑いかければ、サフィラはさらにえへへと笑った。

 そして、気がつくのは周囲から向けられる生温かい視線で。理世が周囲に視線を向ければ、メイドたちがニコニコと微笑んでいるではないか。

 忘れていた、そう思いつつ、困ったと眉を下げる。

 それから、いまだに抱きついたままのサフィラに声をかけた。

「悪いんだが、サフィラ。彼女たちには他の仕事をやってもらうように伝えて貰えないか?」

「え? どうして? リゼさんのお手伝いしてくれるよ? しかも、リゼさんのお手伝いしたいって人ばかりだし」

「どういうことだ。……いや、性に合わないんだよ。俺の家のことは知ってるだろう? 家事なんかも一人でやっていたし、落ち着かねえんだよ」

 一般家庭で育った理世からしたら、お手伝いの人がいるという時点で慣れない。畏まってしまうのだ。豪奢な家自体慣れないものだが、自分のことぐらい自分でしたいとは思っている。彼女たちがどうして自分の世話をしたいのかはよく分からないが、兎にも角にも願い下げたい。

「まあ、その、だからな――」

 言いづらい、そう思っていれば、サフィラは何かひらめいたようで。

「そっか、そういうことなんだね!」

 サフィラは納得してくれたらしい。両手を勢いよく叩いて声を上げる。

 良かった、理解して貰えたか……。

 理世はほっと胸を撫で下ろした。これで安心だろう、そう思ったがその思いは一瞬にして砕かれる。

「みんなー、リゼさんのことは私が世話をするから任せて! 全部私が行うから、ほかのお仕事お願いね!」

「違う、そうじゃない」

 サフィラが理世から離れて宣言する中、聞き捨てならない言葉に理世は間髪入れずに否定した。頭を抱えて盛大にため息をついてしまったことは許して欲しい。頼んだことと正反対な、むしろ予想外の展開に進んでしまったのだ、無理もないだろう。

 理世はじとっとサフィラを見つめる。

「サフィラ、そんなことはお願いしていないだろう? 勝手に物事を捻じ曲げるんじゃない」

 すると、サフィラは「えー」と口を尖らせる。だが、すぐにニコリと微笑んで。

「私、本当にリゼさんの手伝いなら何でもしたいよ? 着替えもお風呂も任せてね」

「変態じみたこと言ってんじゃねえよ、サフィラ」

 急にバンと先ほどサフィラが入ってきた時よりも勢いよく扉が開いて、第三者の声が介入する。見れば、そこには身支度をしっかりと整えたシリウスが立っていて。問答無用でズカズカと部屋の中に足を踏み入れた。

 それに目くじらを立てたのはサフィラで。

「もう、兄さん! リゼさんの部屋に許可もなしにズカズカと! しかも、ノックもなしなんて! リゼさん、女性なんだからそれぐらいのマナーは守ってよね!」

「……サフィラもそのまま突撃してきていなかったか?」

「私は良いの!」

 サフィラの言葉に、思わず理世は疑問を口にするものの、良いように言いくるめられてしまった。

 良い、のか……? まあ、女性同士、という点では良いのか……?

 理世が若干疑問を抱いている中、サフィラがぷんすこと怒っているのを見てシリウスが顔を歪める。

「変態じみたこと言ってやがるてめえには言われたくねえわ。ったく、いつからこんな妹になっちまったんだか」

「兄さんに言われたくないわよ。知らない間に柄が悪くなっちゃって」

「ああ゛? 変態よりマシだろうが」

「変態じゃないわよ」

 またすぐに勃発してしまった喧嘩を見ながら、理世はため息をつく。

 そして――。

「……兄妹喧嘩は外でやれ」

 理世のデコピンが兄妹に向かって火を噴いたのであった。




 Ⅱ


 理世は顔をヒクつかせた。

 用意されていた衣服も、現在目の前に出されている食事も、一目見て高級だと分かる。衣服は手触りがまったく違っていたし、着心地も良い。食事はどこの高級レストランだとツッコミたくなるぐらいに輝いていた。

 聞けば、食事に関しては彼らに専属のシェフがいて、毎日この高級感漂う食事が用意されるのだという。完全にイタリア料理やらフランス料理やら、そんな状態で。食器もフォークやナイフが何本も用意されているのを見て、理世はつい遠い目をしてしまう。一日しか経過していないというのに、すでに箸が恋しく思うし、米や味噌汁が食べたいと願っしまう。

 ……そう考えれば、日本って贅沢な国だったんだなあ。

 理世は何十年と住んでいた国のことを、今さらながらにありがたく思う。

 国自体は小さなものだった。それでも綺麗で住みやすく、食事も種類が豊富だった。もとよりある和食に加え、洋食も中華も食べられた。食べたいものをその日の気分で食べられたし、なんと言っても日本の主食の米は本当に美味しかった。醤油や味噌などの調味料も豊富だったし、万能で味付けも何種類も選べた。

 今頃になって、ありがたみが分かるとはな。

 しみじみと思いながら、それと同時に現実を叩きつけられる。

 ……こんなところでも、自分の国とは違うのだと思い知らされるとはな。

 理世は何度目か分からないため息をつく。

 すると、それに気がついたサフィラが食事の手を止めて尋ねてきた。心配そうな表情で、理世を見つめたまま。

「リゼさん、大丈夫? もしかして気分じゃなかった?」

「いや、そうじゃないから気にするな」

 理世は食事を口に運ぶ。本当なら身についた「いただきます」はしたかったものの、シリウスやサフィラはしていなかった。この国自体にそういう文化はないのかもしれない。そのため、心の中で呟くだけに留めておく。

 食事は確かに美味しい。こんなに美味しいものは食べたことがなかったかと思うぐらいだった。

 まあ、高級品なんて食べる機会もなかったが……。

 ゆっくり咀嚼しつつ、食事を進めれば、サフィラに美味しいかと尋ねられる。

 理世は飲み込んでから肯定した。

「ああ、美味いな」

「無理に食わなくても良い。シェフに他のものを作ってもらえ」

「食べ物を無駄にするな。……そうじゃねえよ。ちょっと、故郷のことを思い出しただけだ」

 シリウスの言葉は一蹴して、理世は考えていたことを告げる。思わず口元が緩んだのは、懐かしさもあってなのだろう。まだ一日しか経っていないというのに、懐かしいというのも変な感じではあるが。

 心配させたいわけじゃない。

 気を遣ってほしいわけでもない。

 ましてや、彼らにわがままを言いたいわけでもなかった。

 ……ただ、つい思い出しちまっただけなんだよ、日本食が食べたいって。

 長く身についてしまった感覚は、そう簡単には拭いきれない。ただ、この世界では難しいだろう。すでに見た街並みや建物だけでもヨーロッパを思い出させるものだった。料理もフレンチだろうと推測する。となれば、米どころか箸すらも夢のまた夢かもしれない。

 その時、ふと思い出した。

 ……そういや、サフィラもシリウスも、箸のことは知らなかったっけか。

 つい最近のことだというのに、すでにその出来事を忘れてしまっていた。

 この世界に来てからというもの、二人との思い出を忘れていないつもりが忘れていたことに気がつく。こんなことがあった、忘れていた、そう思うのと同時に懐かしさに表情が緩む。


 思い出したのは、まだ彼らが来てすぐの頃のことだ。食事を出した時に、箸をシリウスに出したことがあったのだ。サフィラは幼かったのもあって、最初からフォークやスプーンを出していたが、シリウスぐらいの歳なら使えるだろうと思ったのである。

 だが、シリウスは怪訝そうな表情で箸を睨んでいた。

 兄の前に用意されていた箸を見て、サフィラも不思議そうに眺めていたのである。

 理世は何事かと確認してみれば、どうやら二人は箸が初見だったようで。初心者どころか見たことがないと知って、理世は慌ててシリウスの前にフォークやスプーンを出したのであった。


 食事を始めて理世は当然箸で食べていたのだが、兄妹が不思議そうに眺めていたのは懐かしい思い出だ。あんなものでどう掴むのか、二人の表情がそう物語っていて、笑いそうになったのを堪えていた記憶もある。

 そうか、そう考えれば俺が慣れるしかないんだろうなあ……。

 対して理世はレストランのマナーなどに疎い。スプーンやフォークを家で単体で使っていたことはあるものの、しっかりとしたマナーがあるレストランなどに行く機会はなかった。チェーン店などで済んでいたからというのもあるが、本格的なところに行こうと思ったこともなかった。

 マナーなんて俺は知らないし、普通に食って良いのか……?

 理世は食べ始めたものの、今さらながらに手が止まってしまう。困惑というのもあるが、これが後に二人に迷惑をかけることになると思えば気が重くなってしまった。

 今はまだ二人の前で食べているだけだから良いだろう。とは言っても、傍に立っている執事やらメイドやらの目はあるのだが。

 だが、もしこの世界で今後生活していくとなれば、視線はここにいる者たちだけではなくなってくる。それどころか、その視線はシリウスやサフィラの品定めにも関わってくるかもしれない。

 貴族だと言っていた。なら、きっと他の奴らからしたら口うるさいだろう……。

 もし、自分のせいで二人の評価を下げてしまったら。

 彼らに迷惑がかかって、陰口や馬鹿にされたり、酷い扱いをされるようなことになってしまったりしたら。

 それを考えるだけで恐ろしくなる。

 自分が何かを言われることは一向にかまわない。好きに言っておけ、そう思うだけだ。

 だが、それが兄妹のことに関してとなるなら話は別だ。聞き捨てならないし、自分が発端だとしたら気にする。

 理世がそう考えて背中に重たいものを感じていれば、急に耳に届いたのは。

「大丈夫だよ」

 安心させる優しい声だった。




 Ⅲ


 理世はハッとして顔を上げる。知らぬ間に俯いていたようだ。

 顔を上げれば飛び込んできたのは、サフィラの微笑んでいる顔で。そこには安心感が満ち溢れていた。

「リゼさんのことを何か言う人はここにはいないし、私たちも言われることはないから安心して」

「サフィラ……」

 サフィラが成長している。

 理世はそのことに心がじーんときて。親心が芽生えたのか、つい感動してしまう。

 子どもの成長は早いとはいうが、これのことか。

 理世がそう思っていれば、次いでサフィラがニコリと微笑む。

「それに、もし言われたとしても大丈夫だよ」

 サフィラの言葉に首を傾げれば、サフィラの口から出てきた言葉は。

「私は何を言われても気にしないけど、リゼさんのことを馬鹿にしたり、悪く言ったりしたら、その人に二度と朝日を拝めないようにしてあげるから」

「……俺の感動した心を返してくれ」

 良い笑顔でそう告げるサフィラに、理世は頭を抱えてしまった。

 まさかサフィラの口からそんな物騒な言葉が出てくる日が来ようとは。

 そんなこと、誰が予想しているというのだろうか。

 違う方向へと成長してしまったような気がするなあ……。

 そんなことを思っていれば、ふとサフィラの言葉に引っかかる。聞き捨てならないことが聞こえたのを、今さらながらに思い出したのだ。

「いや、ちょっと待て。俺のことより、サフィラやシリウスが悪く言われるほうが問題だろう」

 そうである。理世からしたら二人が悪く言われるほうが問題なのだ。自分が言われるのは良いとしても、二人の名前や位に傷がつくことは避けたい。いや、何としてでも避けなければならない。

 俺のせいで、二人に迷惑をかけられない。

 理世がギュッとフォークを握る手に力を込めれば、それを見透かしたのか今まで黙っていたシリウスが口を開く。すでに食事を終えたシリウスは、やけにゆったりと水を飲んでいた。

「俺たちのことは気にするな。それに、迷惑だとも思ってねえよ。もし、仮にそうなったとしても思うことはねえ、絶対にな」

「いや、だがな……」

 理世は食い下がる。

 だが、シリウスはグラスを机に置くと、フンと鼻を鳴らして黙らせた。

「大体にして、お互い様だろうが。俺たちだってリゼに迷惑をかけていた。世話になっていたんだからな。今はその立場が逆になっただけだ。俺たちはあの時の恩を返しているだけだろうが」

 シリウスの言い分はおそらく正しいのだろう。ただ、理世からしたら大したことはしていなかった。

 ただ目の前に二人がいて、帰る場所が分からなくて、分かるまで自分の家に置いていただけだ。何も大したことはしていないのだ。

 それすらもシリウスは見透かして。

「どうせ大したことはしてねえとか思っているんだろうけどな。てめえが思っている以上に大したことをしているということを自覚しろ。俺たちが今ここにいられるのは、リゼ、てめえがいたからだ。てめえと出会っていなかったら、俺たちはここにいねえんだよ」

「だねー。すべてリゼさんのおかげなんだよ、私たちからしたら。……けど、リゼさん、無自覚だもんねー。ああ、どうしよう、外に出したら何人もの人がリゼさんに惚れ込むんだろうなあ。私、心配」

 シリウスの言葉に続いて、サフィラも告げる。

 だが、理世はサフィラの言葉の意味がよく分かっていなくて。

「……? 何を言っているんだ?」

 首を傾げるだけだった。

 それでも、今の言葉で兄妹の優しさに触れた理世はストンと何かが心に落ちていく。

 そうか、そうなのかもな……。

 いつまでも自分が遠慮しているのもおかしいのかもしれない。彼らは彼らなりに、理世がしてもらったことに感謝していて、それを返しているだけなのだ。

 ならば、自分も少しは受け入れるように心がけてみよう、理世はそう思い直すのであった。


 ――そのため、理世の耳は兄妹がひっそりと会話していた内容を聞き逃してしまっていた。


「……兄さん、リゼさんがもし今後外に出て誰かに取られそうになったら、」

「力ずくでも監禁する」

「異議なし」


 この、物騒すぎる会話の内容を――。




 Ⅳ


 食事を終えた理世は急に手持ち無沙汰になる。やることもないため、おもむろに屋敷内を散策することにした。

 念のため、シルバーに許可は貰っておいた。気にせずに歩き回って良いと言われたが、多少で良いと断っておいた。

 食事を終えた際に、シリウスもサフィラも仕事があるからと名残惜しそうに離れて行った。

 理世はその背中をただ見送るだけだったが。

 そういえば、二人の仕事、か……。

 今さらながらに正確に何をしているのかは聞いていなかった。理世が現在知っていることといえば、シリウスが団長と呼ばれていたことぐらいだ。

 理世はしばらく考えて、そしてふむと頷いて。

 屋敷内を散策してから、意図を持ってシルバーの元へと足を運ぶのであった。

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