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第一三章 不可解

 I


「エル、これなんだが……」

「あー、これっすね。これは――」

「……そういうことか、なるほどな。エル、分かりやすいな。書籍をいくつか探したんだが、なかなか理解できなくてな」

「いや、これが理解できるリゼさんが単純に凄いんすよ。普通は本を読んだぐらいじゃ――」

「おい、」

 理世とエルは口々に話しながら一冊の本に視線を向けている。肩が触れ合いそうなほどに本を覗き込み、時折理世が紙にペンを走らせながらメモをしていた。

 エルの解説は分かりやすかった。理世の質問を聞いてきちんと欲しい答えを教えてくれる。理世としてはありがたい以外の何物でもなかった。

 ちなみに、エルの敬語は人前だけのようで、親しい間柄になると多少敬語が崩れることが判明した。理世としては、それぐらいのほうがちょうど良い。むしろ、敬語なんてなくて良いのだが、それは毎回「団長に怒られますって!」と却下されてしまう。

 俺は役職も何もないんだがなあ……。

 正直に言えば、不服だ。ただ、それは理世の個人的な意見なので心に留めて置くだけにする。

 書籍の文字を追うだけでもためになっていたが、やはり人に解説してもらうほうが断然分かりやすい。

「エル、それとこれも教えて欲しいんだが」

「あー、これはっすねー……」

「おいって言ってんだろうが!」

 エルの言葉を遮って吠えたのは、この場所の責任者でもあり理世が世話になっている当主のシリウスでもあった。不機嫌な表情を隠すこともなく、唸り声を上げる番犬のごとく睨みつけている。

 理世は本から視線を外してため息をつく。そして、以前は幼子だった兄を見つめた。

「おいじゃねえだろう、シリウス。大体にして俺をここに連れてきたのはお前だぞ」

「呼んだのは確かだが、どうしてそれがこうなるんだよっ!」

 理世の言葉にシリウスは再度吠える。

 理世とエルは顔を見合せた。そして、二人揃って「どうしてってなあ……」と声を揃えて。エルが先に口を開く。

「そんなの、団長が一番よく分かっていることじゃないっすかあ。それこそ、俺やリゼさんを怒ってもどうにもならないっすよ」

「元はと言えば、シリウス、お前が俺を連れてくることを決めたんだろう? エルにも俺にも非はないはずだし、怒られるのは筋違いなはずだ」

 エルと理世が口々にキッパリと告げれば、さすがにシリウスも言葉に詰まったらしい。グッと零してから、黙りこくってしまう。

 それでも、シリウスはいまだに不機嫌続行中で。

 何をそんなに怒っているんだか……。

 理世は不思議とばかりに首を傾げた。シリウスが怒る場面など、今の今までなかったはずだと思っている。

 もとより、シリウスはこの場の団長という役職のつくほど偉い立場だ。仕事が多いことは重々承知しているし、自分の勉強もとい自己学習で時間を取りたくはなかった。一人で時間潰しにと思っていたところ、仕事に一区切りついたエルが自分の面倒を買って出てくれただけである。エルの言葉に甘えたことは記憶しているが、それ以外はしていないはずだった。

 理世の中では特段特別なことをしているわけでもなく、普段通り過ごしているだけ。何がシリウスの逆鱗に触れたのかはよく分からない。

 そうやって思考を巡らせていれば、何かを察したエルが理世の肩をぽんと叩いて。

「リゼさん……、本当に罪なお人っすね……」

「? 何の話だ?」

「団長の苦労が見て取れるっす……」

 すると、その会話を聞いていたシリウスがぽつりと零す。

「エル、昇給させてやる」

「マジっすか!?」

「いや、ダメだろ。それ、職権乱用じゃねえか……」

 一種のコントとなりつつある会話に耳を傾けながら視線を向けてみれば、シリウスが不貞腐れているのが見て取れた。なんとも分かりやすい機嫌に、理世はやれやれと思うと同時に、幼子の姿と重なって可愛らしく思える。

 そういうところは、まだ子どもなんだな。

 口元を緩めて立ち上がり、そしてシリウスの目の前まで来ると大きくなった兄の頭に優しく手を置く。机に向き合っているシリウスは、自然と自分よりも頭の位置が低い。頭を撫でるのも難なくできた。

 シリウスは無意識にか頭を撫でる手に擦り寄るように頭を上げる。犬か猫を相手にしているかのようであった。

 理世は手を止めることなく、言葉を紡ぐ。

「何かよく分かんねえけど、機嫌直せって。お前の機嫌が良くないのは俺も困るんだよ」

「……困ることねえだろ」

 ぶすっと不貞腐れたまま、シリウスが告げる。

 理世は呆れたように見下ろして。

「んなわけねえだろ。自分の大事な弟分が機嫌悪いんじゃあ気になるだろうが」

 その言葉にシリウスがピクリと反応を示して。

「……弟じゃあ、満足できねえんだわ」

 不服そうな言葉に、理世は首を傾げる。

 弟じゃ、ダメなのか……。

 理世はふむと頷いて。自分の中ではまだ弟のような感じしかしない。確かに、シリウスからしたら自分より大人になっているわけで。そしたら下に見られるのは不服なのかもしれない。

 そう思って、理世は言い直す。

「じゃあ、家族だな」

 すると、それを聞いていたエルが困ったような、呆れたような顔をしていた。

「リゼさん、それ、団長はまだ納得いかないっすよ……」

「? 何でだよ?」

「だって、それは元からの家族っすよね……? 男とか女とか、そういうので見てないっすよね……? というか、あっさりすぎる……」

「じゃあ、どうしろってんだよ」

 理世が今度は不服を唱える中、エルがニヤリと笑った。

「そりゃあ、まずは交際から――」

「エル、てめえ減給」

「ちょっ、なんでっすかあ!?」

 今度はエルが何か反感を買ったらしい。シリウスが辛辣なことを言う中、エルが泣きそうになりながら文句を告げる。

 それを見ていた理世といえば――。

 ……職権乱用、というかエルは何を言おうとしたんだ?

 呑気に二人の会話を眺めているだけであった。




 Ⅱ


「それにしても、いつまで待たせるんだ?」

 理世が今度は不満を口にした。理世が来てからかれこれ二時間は経過しているはずだ。待ち時間が長すぎて理世は手持ち無沙汰であった。だからこそ、待ち時間を利用して勉強をしていたわけで、さらに幸いなことにエルに疑問点を解消してもらっていたことによって時間を潰せていたわけである。

 だが、さすがに長い。待ち時間の長いことに疑問も生じてくる。

 そして、理世がようやくそのことに触れれば、シリウスが苦虫を噛み潰したような表情をして。どうやら、聞かれたくなかったようだ。

 理世がじっと答えを待っていれば、シリウスはようやく重たい口を開いて。

「……リゼと話がしてえって言った奴が、興奮してぶっ倒れちまってよ」

「……は?」

 理世はシリウスの言葉の意味を理解できなかった。思わず思考が停止する中、目の前にいるシリウスがご大層に盛大な舌打ちをする。

「あの野郎……、人の女に何考えてやがる……!」

「団長ー、まだ団長のものではないでーす」

「エル、減給」

「今のは事実っすよねえ!?」

 シリウスの言葉に口を挟んだエルはさらに減給を食らってしまったらしい。

 理世はハッと我に返って。

「確か……、今回呼んだ相手って、前に俺が捕まえた奴、だったよな……」

 呼ばれた内容を思い返してみる。そんな中、理世の耳に届いたのは、エルの半泣きな声で。

「リゼさーん、お、俺の、減給……」

「シリウス、やめてやれ」

 理世はやんわりと止めつつ、また思考の海へと潜っていく。


 シリウスに理世が呼ばれてきたのは一つの理由があった。


 以前、サフィラが働いている店を襲撃した男。その男は今シリウスたち騎士団の管理下で牢獄へと入れられている。

 だが、どうやらこの男、あの一件以来理世の教徒もとい大ファンとなったらしく、何度ももう一度理世に会わせてくれと懇願していたらしい。

 シリウスは最初のうちは断っていたらしいが、あまりにもしつこくうるさいため、渋々要求を飲んだという。ただ、あくまでも理世の意思を尊重するとしてこの要望を持ち帰ってきたということだった。

 シリウスが渋々その話を持ちかけてきた時、理世はあっけらかんと了承した。

 理世は今日そのためにこうして出向いたわけであったが――。

「……なぜ倒れるんだ?」

 単純に疑問に思ったことを口にすれば、目の前の二人がピシリと固まって。

「……リゼ、本気で言ってんのかよ」

「リゼさんの熱狂的なファンっすからね! 無理もないっす!」

「……は?」

 呆れるシリウスに対して、エルはフォローを入れるかのように言葉を紡いだ。

 結局、意味が分からず理世は言葉を零すだけで首を傾げてしまう。

 ただ、これだけは言える。

 納得がいかねえ……。

 遺憾である。意味も分からないが、とりあえず自分に非があるように感じてしまった。

 俺、何にもしてねえんだけどなあ。

 しかし、事情があるにせよ、こうも時間が空いてしまっては勿体なさすぎる。そろそろ理世が持ってきた書籍も底を尽きそうだ。となれば、さらに時間が潰せなくなって、余計に勿体なく感じるはずである。

 理世はふむと考えて、すぐに「よし」と結論付けた。そして、そのまま扉に向かって歩き始める。

 その姿を見て、シリウスが待ったをかけた。

「どこに行く気だ、リゼ」

 有無を言わせないその言い方に、他の者なら多少なりとも怯えたことだろう。

 ただ、理世は何ともなく足だけ止めて振り返り。

「決まってんだろ、これ以上待っていられないからな、直接このまま出向いてやる」

「……は」

 シリウスが言葉を零してぽかんとしている中、理世はケロッとしていて。

「『時は金なり』って言うぐらいなんだ。貴重な時間は有意義に過ごしたいだろ?」

 理世は「俺としても、お前たちに対しても、な」と続けてから口角を上げてさっさと扉から出て行った。

 数秒後、我に返ったシリウスが怒号を上げながら追いかけたのは言うまでもない。




 Ⅲ


 理世は開始早々帰りたくなった。

 自分から動いて何なのだが、目の前の光景には目を点にする他なかった。というよりも、理解できずにいたのである。

 目を何度もぱちくりと瞬くものの、光景が変わることはなく。

 横に立っているシリウスが何度目か分からない舌打ちをした。素行が悪いと窘めてやらねば、そう思うものの、今は目の前の光景をどうにかせねばと考える。


 理世の目の前では――(くだん)の男が理世に向かって拝んでいたからである。


 しかも、それだけでかれこれ三〇分は経過したはずだ。拝んで、ひれ伏してを繰り返している。お経みたいな何かを呟いていることはこの際聞き流すことにした。

 理世は驚いて思考を停止させてしまっていたが、ようやく我に返った。

 なんだか今日はこんなことばかりだな……。時は金なり、なんて偉そうなことを言っておいて圧倒されてしまうとは……。情けねえ。

 男が復活していたのはせめてもの救いであったが、それにしても毎度毎度何かしらに時間をかける男なのかもしれない。起きていてもこの圧倒される光景になるとは、誰が想像できたであろうか。

 そもそもである。

 ……何故、俺に向かって拝んでいるんだ?

 何に対して、何のために、何故……、理世の中で次々と浮上してくる疑問が解消できずに溜まる一方だ。

 素直に問いかけても良いのだろうか。はたまた触れないほうが良いのだろうか。

 しかし、どうしても気になって仕方がないのだ。

 理世はいろいろと考えた末に、口を開いた。

「とりあえず、顔を上げてもらっても良いか? 話が進まなくなる」

「はっ!」

「いや、そんなかしこまらないでくれよ……。俺、一般人なんだし、話しにくいんだが……」

 階級もなく、役職もなく、しかもこの世界の人間ですらない。だというのに、目の前の男は国の王の前にでもいるかのようにかしこまって跪いている。

 忙しいな……。

 理世が頭を悩ませていれば、横にいるシリウスが不機嫌そうに口を開く。唸る獣のようであった。

「おい、てめえがどうしてもってうるせえからリゼに来てもらったが、本来そう会えるわけじゃねえからな。ったく……、俺もサフィラも会わせたくなかったっていうのによお、リゼが了承しちまうし……」

「なんで、シリウスにそんな権利があるんだよ。俺が会うか会わねえかって話だけだろうが」

「ありがたき幸せ」

「勝手に話進めるんじゃねえ。俺は一般人なんだよ」

 理世がシリウスに文句を言えば、男は勝手に褒賞を貰ったかのように告げる。それに対しても文句を告げれば、今度は件の男がキリッと顔を引き締めて。

「リゼ様は我らが神でございます」

「何言ってんだ。勝手に神聖化するな、信教を作るな、俺は願い下げだ」

「てめえ……、分かっているじゃねえか」

「おい、シリウス」

 何かわけの分からない方向へと話が突き進んでいる。先ほどまで怒っていたはずのシリウスですら、納得したように空気が和らいでいた。

 何故か二人の意思が通じ、理世は置いていかれている。

 ただ、これ以上話がややこしくなることだけは避けたかった理世は強硬手段を取ることにした。

「……そのくだらねえ話を今すぐやめねえと、俺は問答無用で帰るからな」

 しかもである。

 こいつらが何言っているのか、本当に分からねえ……。

 これなら書籍を読んで自己学習を進めているほうが幾万倍もマシであった。

 悪いが、シリウスの話もよく分かんねえし、人の話を聞かねえし、男に関しては的外れなことばかり言いやがる……。放っておくほうが良さそうだ。

 理世が早々に結論を出せば、これに焦ったのはシリウスと男だ。

 理世は帰ると言ったら即帰る、それをシリウスはよく理解しているからだろう。件の男も、先日の一件以来何となく想像がついているらしい。むしろ、そう長くなかったあの会話だけで想像がつくこともおかしいのだが、この際そこには触れずにいたほうが懸命だろう。

 男は慌てて自分に用意されていた椅子に座った。

 やれやれ……。

 理世はそう思いつつ、ようやく室内をゆっくりの観察することができた。

 理世がいた世界で言えば、警察の面会場所を彷彿とさせる造り。違うことと言えば、建物がレンガで造られていること、だろうか。

 理世は実際に警察に足を運んだことがないから想定の域にしか達しないが、チラと見た刑事ドラマではこんな造りだったはずだ。

 さてと、前置きが長かったが、ようやくこれで本題に入れそうだな……。

 理世は一つ息をついて、気を取り直して男とか向き合うことにするのであった。




 IV


 結論から言えば、話はすべて含んで三時間以上かかった。

 話自体はなんてことないもの。そんな大それた話をするわけでもなく、雑談と呼べるようなものばかりであった。

 そう、話は普通だった。というのにだ、男が必ずどこかしらで発作を起こして倒れたのである。理世は何度かシリウスを見て確認したものの、シリウスは呆れたように「毎度のことだから放っておけ」と告げるだけで。誰かを呼ぶこともなく、時が過ぎるのを待つしかなかった。

 話をして、時折インターバルがあっての繰り返し。そりゃあ自然と時間はかかるというもの。

 だが、男の要望の中に何度も足を運んで欲しいやら、自分の目標にしたいから詳しい個人の情報を教えて欲しいやら、そんなものが出てきた時にはキッパリと断りを入れた。

 確実に犯罪予備軍である。いや、すでにいくつか罪を犯しているのではあるが、これ以上罪を犯さないようにさせるためにも、理世は断るところはきっちりと断ってそれから話を進めて会話をした。

 それだけでも相手は十分満足してくれたらしい。

 帰り際、理世が部屋から出る直前まで拝んでいたのを目にしたので「それはやめろ」と釘を刺すことも忘れなかった。

 部屋を出た理世はシリウスと並んで歩く。相も変わらず不機嫌なシリウスの横顔を見て、理世は肩を竦めた。

「お前がそこまで怒ることじゃねえだろう、シリウス」

「……帰ったら覚えておけよ」

 シリウスは足を速めてさっさと進んでしまった。抜き去っていく背中を見て、少しだけ寂しさを感じる。

 それと同時に。

 ……まったく、そういうところは子どものようだな、

 まだどこかしらに幼さを感じる部分を見て、少しだけ微笑ましく思ったのは心にしまっておくことにした理世であった。

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