第一二章 過去の語り
I
あれからどれだけの日数が経過したのだろうか。
理世はあまり気にしていなかったものの、だいぶ日数が経過しているだろうということだけは把握していた。そもそもカレンダーを見ていなかったし、最初のうちは何日経ったと記憶していたものの、それもだんだんどっちでも良くなってしまって数えることを途中からやめてしまった。
だが、そんなことは些末なことだ。どんな理由であれ、理世があの兄妹たちと時間を共にできていることのほうが重要だった。非日常の出来事が発端だったにせよ、起こってしまったことはどうしようもないのだ。現在を満喫したほうが良いだろう。
そして、理世は外に出た次の日からというもの、兄妹の屋敷に留まって図書室に籠っていた。
先に言っておくと、兄妹に屋敷にいてくれと頼まれたわけではないし、屋敷から出ることを禁じられたわけでもなかった。
ただ、理世は外に出たあの日から、自分なりにこの世界のことを調べようと考えたのだ。自分の力で調べるとなれば、書物を漁るほうが性に合うし、理解しやすい。
理世は善は急げとばかりに、そのことをシルバーに相談した。すると、屋敷内には図書館があると教えて貰えたのである。早速とばかりに案内してもらえば、膨大な書物の数で。理世がおいおいと冷や汗をかいたことは記憶に新しい。
壁という壁に備えられた棚、その棚に少しの隙間すら残さないとばかりに詰められた書物の背表紙、一階に留まらず二階まであるし、なんなら高いところの書物を取るために梯子まで用意されている始末。
理世は唖然としたものの、とりあえずとばかりに手をつけ始めることにした。シルバーに礼を言って、まずはと手前の何冊かを抱え込む。骨が折れそうだと思いつつも、本を読むこと自体は嫌いではない。地道に読んでいこうと、一つ一つ丁寧に読み始めたのである。
理世が考えたのは、知識の収集だった。特に、この世界に関して理世が知っていること自体は極わずか。歩き回って見ることも考えたのだが、また兄妹に迷惑がかかるかもしれないし、何より彼らは自分が外に出ようとすると何故か口うるさくなる。
ならば、屋敷内で行えること、しかも知識が増やせることと言えば、本を読むことしか思いつかなかった。そして、自分なりに調べて知識を増やすことが先決だろうとも考えたのである。
それに、と理世は思った。
なぜ俺がこちらの世界の言語を難なく理解できているのか、それも突き止めておきたいしな……。
理世はこの世界に来て日が浅い。だが、何も勉強することもなく、それどころか来て初日から兄妹や彼らの知人と会話を不自由なく行えていたのだ。
ただ、それに気がついたのは偶然と言っても過言ではない。
……不自由がねえと、何も気にしねえもんなんだな。
理世は書物に目を通しながら、頭の片隅でそう思った。
書物も誰に何かを教えてもらうわけでもなく、難なく読み進めている。何も困ることもなく、言語を調べることもなかった。
まるで、自国の言語を目にしているかのようであった。
ただ、読み始めて思ったことがある。
文章、というよりは、勝手に頭の中に内容が入ってくる感覚に近いのか。言葉を耳にしている時とも感覚が違う。脳が勝手に処理を行っているとでも言うのだろうか……。
理世は読む手を止めることなく、ふむと頷く。初めての感覚だった。納得がいっているわけではない。だが、この世界に来て納得のいかないことも目にしてきた。あり得ないと断言するのは簡単だが、そうとも言いきれない状況であることは自分がよく理解していた。
黙々と、時折思考を巡らせながらも理世が読み進めていれば、久しぶりに耳が音を拾う。それは図書室の扉を誰かがノックする音だった。理世が短く返事をすれば、中に入ってきたのはシルバーで。
「もうお昼ですよ。一度休憩なされては」
「そんな時間か」
理世は言われてキョロキョロと時計を探す。確かに、時刻を確認してみれば、昼をとうに過ぎていた。あまりにも図書室から出てこないからシルバーが痺れを切らして呼びに来たのだろう。
理世は一度本に栞を挟み込む。栞は妹が貸してくれたものだ。本を読んでいるのを見て、使ってと渡してくれたものだった。
理世が本を置いてから立ち上がれば、図書室内にいい香りが漂っていることにようやく気がついたのであった。
Ⅱ
シルバーの元に歩み寄れば、準備された昼ご飯が綺麗に並べられていた。
「毎回悪いな、作ってもらって。しかも、ここまで持ってきてもらってさ」
「いいえ、お気になさらず。むしろ、本望でございます」
「? ああ」
理世はよく分からないものの、とりあえずシルバーの言葉に頷いておくことにした。そして、席についてシルバーが持ってきてくれたサンドウィッチと紅茶を有難くいただくことにする。
図書室の端には休憩スペースが用意されている。机と椅子が置いてあるだけだが、軽く食事ができるように用意してあるようだった。
理世は最初戸惑い、図書室なのに良いのかと尋ねたのだが、返ってきたのは公共の場じゃないから良いのだというなんとも短いもので。
これが貴族の力というものか、そんな的外れなことを考えるものの口にすることはなかった。
それからというもの、理世はその言葉に甘えるようにして、ひと時の休憩をこのスペースで過ごし、食事をした後にまた本の世界に浸るという時間を繰り返していた。つい時間を忘れてしまうというのも理由の一つではあったが。
見かねたシルバーが毎回持ってきてくれるご飯は、簡単に食べられるものが多い。おそらく、シェフに片手で食べられそうなものとかをお願いしてくれているのだろう。簡単に食べられるし、マナーとかを気にせずに食べられるものが多いので、理世としてもありがたかった。かと言って、読みながら食べるということは絶対にしなかったが。
「進んでおりますか」
理世が食事を進めている中で、シルバーが優しく尋ねる。理世は手を止めて、苦笑した。
「進んでいるのかはよく分からない。だが、知識が増えていくのは意外と楽しいと思うな」
理世はそう告げてサンドウィッチにかぶりつく。ここのシェフは相当な腕前の持ち主だと毎回思う。簡単なものでもこれだけ美味しいのだ、あの兄妹たちは恵まれているなと理世自身安心するところがあった。
そんな中、シルバーが静かに問いかける。
「……以前から、気になっておりましたが、」
シルバーはそれだけ言うと、言葉を濁らせた。言いにくいことなのだろうか、何か悩んでいるようにも見えた。
理世はその言葉の続きをただ待つことにした。じっとシルバーを見つめて、時折サンドウィッチを口に頬張る。
珍しいな、シルバーがこんなに言いにくそうにしているの。
理世は咀嚼しながら、不思議だった。
基本、シルバーはハッキリと言うタイプだと、理世は認識していた。それは相手が理世だったとしても、シリウスやサフィラだったとしても、だ。立場とかを気にせずに、物怖じせずに言うところをよく見ているし、長年の経験とかもあるのだろうと思っていた。
だが、そのシルバーが言い淀んでいる。
理世はただ待つだけで、シルバーの言葉を催促するようなことはしなかった。彼が次の言葉を発するのを待つだけ。
静かな図書室に静寂が訪れる。時折、理世が咀嚼する音や紅茶を口にして食器が奏でる音が聞こえるぐらいだった。
ようやくシルバーは意を決したのか口を開いた。
「……リゼ様は、なぜお二人を救ってくださったのでしょうか」
理世はその言葉に目を見開いた。シルバーからまさかそんな質問が飛んでくるとは思わなかったのである。予想外の質問に、思わず動きが止まった。
おそらく、二人がいると聞き辛かった、とかそんな理由なんだろうが……。
理世はふむと頷いて、ティーカップを手にする。そして、その中に満たされている紅茶をじっと見つめた。何から話せば良いのか、よく分からずにいる。その判断に迷っていれば、シルバーが何か勘違いをしたらしい。頭を下げて謝罪をしてきた。
「出過ぎたことを申し上げました。申し訳ございません。先の発言は聞き流していただいて――」
「悪い、そういうことじゃないんだ。違うから気にしなくて良い。ただ……」
「ただ?」
シルバーは言葉を繰り返す。
理世はシルバーを見つめる。
「ただ、どこから話せば良いのか、少し迷ったんだ」
理世は困ったように笑って、シルバーから視線を外した。そして、またティーカップに視線を落とした。
「……そうだな。最初は、ただ俺の前に二人が現れたからだと思っていた。それ以外の理由は特になくて、放っておくわけにもいかないだろうと思っていたんだ」
理世はゆっくりと語り始める。
理世が語るのを、シルバーは静かに見守っているだけであった。無言で理世の語りを真剣に聞いているようだった。
理世は思い返しながら語る。そして、今さらながらに気がついたこともたくさんあった。
「だが、多分違ったんだ。本当は――」
今さらながらに気がついたことに、自分でも少し呆れてしまう。だが、それを隠してシルバーへと視線を向けて告げた。
「――本当は、俺と境遇が似ているから、どうにかしてやりたいと思ったんだと思う」
Ⅲ
「……境遇、ですか?」
シルバーが繰り返すのを、理世は頷くだけで肯定する。
言葉にすると、自分が本当にそうだったのだと自覚する。どこか胸の中で不思議だったことがストンと胸の奥に落ちてきて、ああ、そうだったのだと自分のことだというのに酷く腑に落ちると他人事のように思ってしまった。
理世はティーカップをソーサーに置いて、椅子に深く座り直す。そして、天井を見上げた。
「……俺も、両親を早くに亡くした。その時、絶望っていうのを散々味わったんだ。それこそ、子どもだからって認めて貰えねえ辛さを、な」
理世の言葉に、シルバーが息を呑んだのを理解した。だが、理世はそれを気にすることなく、辛く思い出したくない記憶の蓋を開放する。
理世がまだ幼い頃に、両親は亡くなってしまった。
数少ない思い出が詰まった実家、理世はそれを絶対に手放したくなかった、そう思っていたのを幼いながらにも痛く記憶していた。
物がどれだけあろうと、一番残したかったのはその場所だ。その場所に記憶されている思い出が、理世にとっては重要だった。
だが、それを全否定したのは周囲の大人たち――、理世の親戚たちだった。
言われた言葉は数しれず、それでも特に記憶に残っていることがいくつかある。
――子どもに何ができる。
――一人で生活ができるわけないでしょう、幼いのに。
――大人の力が必要なんだ、子どもには。
だが、中でも腹が立ったのは、親戚の男――理世からしたら叔父に当たる人だった。
理世はそれを思い出しながら、肩を竦める。
「多分、昔からそういう性格だったのもあるし、そういう環境で生きてきたのもあるのだろう。女がどうこうって、とにかく口うるさい人だった。特に、女に対して強く当たる人だったんだと思う。男尊女卑、の思考が強いと言う感じだろうか。女が一人は良くない、女は男に頼るしかない、女は男を立てろ、そんなことばっかり言っていたな」
理世はその時の記憶を思い出す。
理世が女だったから、特に否定してくる叔父だった。親戚の女性たちは顔を曇らせて、言い返したくても剣幕がすごくて言い返せない雰囲気があった。
だが、理世はそれが納得いかなかった。
女だから何だって、強く思っていた。
そして、その想いが爆発してしまった。
「そしたら、知らねえうちに言い返していたんだよな。だったら、女なんて捨ててやる、って」
シルバーが目を見開いた。口を開いて、でも何を言って良いのか分からないらしく、また閉じてしまう。
理世は苦笑した。
「そしたら、叔父はぽかんと口開けてさ。親戚たちも何言ってんだって顔してたっけ。けど、そういう話もあって、今の俺がいるんだよ。……まあ、何が言いたいのかって言うとさ、似てたんだよ、その時の俺にシリウスとサフィラが」
理世は思い返す。当初、自分の目の前に現れた幼子の姿を。
絶望に浸る顔が。
すべてを敵だと睨みつける瞳が。
気軽に近付くなと威嚇する口が。
縋りたいのに、縋って良いのか分からなくて距離感を図る姿が。
大人は信用できないと、子どもの自分を否定するなと語る気配が。
――すべてが、懐かしくも苦い頃の自分になんだか似ていて。
理世は口元を緩める。
「あの頃の俺によく似ているなあって、今さらながらに思うんだ。きっと、知らずにそれを思って、同じ思いをさせてやりたくないって思ったんだろうなあ」
理世はクツリと喉奥で笑う。自分のことだというのに、まったく気がついていなかった自分が滑稽だと思った。
大人が信用できない。その気持ちはよく分かる。特に、子どもの目線からすれば大人に囲まれる状況は自分にとって不利だと感じた。
ならば、同じような境遇を味わったことのある自分が、彼らに何かしてやることはできないのだろうか。
本当はそれが一番の理由だったのだろう。だが、彼らが来た当初はそんなことに気がつくことはなかった。自分がそんなことを思っていたことを、知る機会すらなかった。
理世は紅茶に口をつける。そして、その良い香りに自分を少し落ち着かせて。
「……わざわざあいつらに言うことでもねえし、自分でも今気がついているからどうかと思うんだけどよ。俺は多分、あいつらとよく似ているんだろうな、境遇だけじゃなくて思考が、な」
理世はクスリと笑う。言葉にしてしまえば、それがなんだか嬉しくて。家族が似るもの、っていうのを少しばかり感じた気もして、勝手に家族の一員になれた感じがあって。
ついつい口元が綻ぶ理世を、シルバーは見守るだけであった。
IV
「で? 納得したのか?」
理世が語り終えて問かければ、シルバーは口元を緩め。
「……ええ。シリウス様とサフィラ様が出会った方が、リゼ様で良かったと再認識いたしました」
シルバーはそう言って満足そうに微笑んでいた。
理世は「そうか」と頷いた。シルバーの言葉が自分の心を温かくしてくれる。
そう言って貰えると、俺も自信を持てるかもな……。
そう思っていれば、シルバーが「ただ、」と何かを続けようとしていた。
「ただ、一つだけお聞きしておきたいことがございます」
理世はその言葉に首を傾げた。シルバーが次に何を言うのか予想ができない中、目の前でシルバーは深く息をついて。
「……リゼ様に失礼なことを言った輩は、今どちらに?」
「は?」
「すでに息の根は止まっているのでしょうか? そうでなければ、このシルバー、僭越ながらお礼参りに行かせていただく所存です」
「……怖ぇよ、シルバー」
理世はシルバーを見て、多少、いや、かなり引いていた。
シルバーはどこから出したのか、どうやって準備していたのか、指の隙間からナイフを何本か出している。指と指の間、何本かの銀が光って強く主張していた。ついでに殺気がこれでもかとばかりに放たれている。
なぜこうも過激なやつが多いんだろうなあ……。
理世はそう思いつつ、手を合わせてから席を立つ。そして、ヒラヒラと手を振った。
「余計なことはしなくて良い。あんたの手を汚したいわけでもねえしな」
ついでに言えば、ここには叔父もいねえし、しかも生きているのかすら知らねえし。
幼い頃の一件から、理世は親戚たちと連絡を取り合っていない。連絡をしようとも思わなかったし、関わりたいとも思わなかった。今、あの頃の親戚が全員無事なのかすら、理世自身でも分かっていないのだ。シルバーに聞かれたところで、答えられなかった。
だが、シルバーは食い下がる。
「しかし……」
「それと、このことはあいつらには黙っておけよ。ややこしくなるだろうから」
理世はシルバーに口止めさせてから本の元へと足を進めようとする。だが、すぐに足を止めて振り返った。
少しばかり不満そうなシルバーが、理世に視線を寄越す。
理世はフッと笑って。
「あんたが入れる紅茶、毎回美味いから好きなんだよ。その手を俺のせいで汚すことなんてさせたくはねえだろ?」
「……っ!」
「今日も美味かった、ご馳走さん。シェフにもよろしくな」
理世はそう言って片手を上げてから本当に後にする。
シルバーはその後ろ姿を見ながら丁寧にナイフをしまい、それから深々と頭を下げたのであった。
「恐れ入ります」
シルバーが理世に紅茶が美味いと褒められたと軽く自慢したことにより、屋敷内で騒ぎが起きて理世が兄妹から問い詰められるまで、あと――。




