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第一一章 帰路と主張

 I


 店長の猛攻撃もといスカウトを流しまくって、理世とサフィラは帰路を辿っていた。サフィラが呼べば馬車で迎えに来ることもできるらしいが、サフィラはそれをせずに歩いて帰っているという。

「ほら、馬車を呼んじゃうと人目に付くでしょ、すっごく目立つし。目立ちたいわけでもないし、お店に迷惑かかるかもしれないから、歩くようにしているの。歩くのが嫌なわけでもないからね」

「なるほどな」

 理世はサフィラの話を聞きながら納得する。貴族なら歩くのを嫌がりそうなものだが、サフィラはそうではないようで。

 そういえば、とふと思い出す。

 シリウスも歩いていたな……。

 今日の昼頃のこと。シリウスとともに並んで歩いていたのは記憶に新しい。何せ数時間前のことだ、忘れようにも忘れるわけがなかった。そして、そんなシリウスのことを思い出しても、シリウス自身馬車を呼ぶ素振りはなかったし、歩くことが嫌そうでもなかった。

 そんなに深く考えてはいなかったが、貴族という立場のことを考えるなら珍しいのかもしれない。

 休憩中は静かに過ごしたいと言っていたし、それも理由としてあるのかもな。あるいは、仕事中は割り切って使わないようにしている、とか。いや、仕事中のが使う場面は多そうか……。

 理世がふむと考えていれば、サフィラの笑いが零れる。その声音はとても楽しそうで、何がそんなに楽しいのか、理世には理解できなかった。

 何事かと目を瞬いている理世に対して、サフィラは可笑しそうにくすくすと笑って。

「やっぱり気がついていなかった。リゼさん、私たちに歩く楽しさを教えてくれたのはリゼさんなんだよ?」

 その言葉に理世はぱちくりと目を瞬いて。

「……何も、してないと思うんだが」

 と首を傾げる。

 俺が、発端……?

 理世は本気で分からなかった。どちらかと言えば、この兄妹の面倒を自分の世界で見ていただけだったし、何回か外に連れ出したことは確かだが基本的に見守るだけに留めていた。連れ出すだけ連れ出して、遊ぶ時間を作っていただけに過ぎないと、理世の中では思っていたのだ。

 何か特別なことをしたわけではない。

 頭を悩ませている理世に、サフィラはふふっと笑う。そして、理世の顔を覗き込んで尋ねた。

「リゼさん、私と兄さんを散歩がてらって言いながら買い物に連れてってくれたことあったでしょ? あと、公園? だっけ?」

「? ああ、そうだな」

 理世はサフィラに尋ねられて記憶を手繰り寄せる。


 それは、兄妹が理世に対してようやく懐いた頃。懐いてきたことによって、理世の近くに兄妹がいることが多くなったわけだが、如何せん理世は平日仕事があった。テレワークが使えてありがたかったものの、そうしていれば何かと視界に入って嫌でも気がつくことがあった。

 もとより物が少ない家だったため、兄妹がだんだんと暇を持て余していることに気がついたのである。

 理世も構ってやれる時間が限られていて、仕事をこなしていれば自然と構ってやれる時間が少なかった。

 退屈な時間というものは、思った以上に酷なものだ。テレビはあったものの、子ども向けの玩具なんてほとんどなかったし、以前買った本も読み飽きてしまったのだろう。理世が仕事中の時にわがままを言うことはなかったものの、それでも暇そうだと言うのは理世が見ていても明らかであった。

 理世は悩んだ末に、自分が傍にいれば良いだろうと考え、休日は兄妹を連れて歩くことにしたのだ。自分に懐いてきていたこともあり、勝手にどこかへと行くことはないだろうと考えたのである。さすがに二人だけで出歩くのは危ないと考え、必ず理世が一緒にいることを前提にと言い聞かせてはいたが。


 だが、それを思い出した理世からしても、特別なことをしている自覚はなかった。ただ、家の中にずっといるのは暇だろうと、外に連れ出しただけだったのである。

 理世はふむと頷いて。

「……確かに連れて行ってはいたが。だからと言って俺が教えたことに繋がるか?」

「繋がるの!」

 サフィラは強く肯定してから、「もうっ!」と口を尖らせた。だが、それは一瞬のことで、すぐに顔を綻ばせて語る。

「……私も、兄さんも、屋敷の中だけがすべてだったの。外の世界には社交界を連れられただけだったし、それも建物の中だけだった。遊ぶのは庭園だったしね」

 理世はそれもそうかと納得する。

 あれだけ、広い庭があればそうなるか……。

 しかも、貴族という身分の者だ。社交の場に出ることはあっても、それ以外の外の世界はなかなか出させて貰えないだろう。何かあってはまずいと、彼らを守ることを優先するはずだ。

 ということは、二人にとって俺のところで初めて外に出たってことになるわけか……。

 一瞬だけ、なんだか籠に囚われた小鳥のようだと思ってしまった。

 だが、サフィラに言われて納得した。二人を初めて外に連れ出した時、彼らはたいそう喜んでいたのだ。瞳をキラキラと宝石のように輝かせ、何事にも興味を持って、理世にこれは何だ、あれは何だと何度も何度も尋ねてきた。教えてやれば歓声が上がり、次から次へとねだられたものだ。

 そんなに外に出たのが嬉しかったのか、とその時は深く考えていなかったが、彼らにとってはもっと大きな意味があったらしい。

 理世はしまったなと、したくもない後悔をしてしまった。

 何で喜んでいたのか、何が楽しかったのか、聞くことすらしてなかったなんて……。

 後悔したくない、そう思っているはずなのに、どこかで何かを忘れている自分に腹が立つ。

 だが、その思いを振り切ろうと、理世は首を振った。自分のダメなところを、腹の立つ部分を見返したって仕方がない。

 逆に今から彼らの求めていることを聞くことができるはずだ。

 すると、理世が難しく考えていることを察したのか、サフィラが慌てて告げる。

「あ、リゼさんが知らなくても無理ないからね! 私たちも言わなかったわけだし! ……けどね、リゼさんが外に出してくれて、外の世界に触れさせてくれて、こんなに楽しいものが世界には溢れているだって幼いながらに思ったの」

「サフィラ……」

「屋敷の中が当たり前だった。なのに、初めて見る景色がこんなにたくさんあるんだって楽しくて。リゼさんと歩いて話してくれて、教えてくれるだけで、私たちのことを見守ってくれるだけで、すごく嬉しかったんだあ……!」

 サフィラは本当に幸せそうに語っていた。嘘偽りのない、楽しかった思い出を彼女自身の言葉で語ってくれている。

 理世は呆然としていたが、やがてじわじわと胸の内に込み上げてくるものがあるのを理解して。

 そうか……。俺は、二人に何かを与えてやれていたのか……。

 そんな些細なことがすごく嬉しかった。

 生活費を出してやることぐらいしか、食事や寝床を与えてやることぐらいしかできていないと思っていたが、もっと違うところで二人に教えてやることができていた――。

 理世の口元が勝手に緩んでくる。思わずクスリと笑っていれば、サフィラが満面の笑みで理世に向かって手を差し出していて。

「帰ろう、リゼさん! 私、お腹すいてきちゃった!」

「……そうだな」

 理世は妹のような存在の手をしっかりと握る。そして、二人は並んでまた歩き出した。

 夕日から伸びる影は、以前よりも仲良く、そして寄り添っているように見えたのだった。




 Ⅱ


 帰ってきたシリウスから、あの事件を起こした男について報告を聞いた。どうやら、働き口も見つからず、生活費もなく、心が折れかけていたらしい。身分などの理由も確かにあったらしいが、前職が解雇されたという理由もあって、次の職場が一向に見つからなかったのだという。そして、ストレス発散も兼ねて計画を実行した、とのことだった。

「まあ、自分で会社の金に手をつけていた、という話だから自業自得ではあるんだけどよ」

「そうか……。それにしても、俺も余計なことを言ったかもな。難しいものだ」

 理世は肩を落とす。

 男の事情を知らなかったとはいえ、傷口に塩を塗るような行為だったわけだ。相手からしたら傷ついたに違いない。

 自分の中ではそう思っていても、相手からしたらそうではないことだってある。難しいものだな……。

 すべてが上手くいくわけではない。そんなことはよく知っているはずなのに。

 理世は天井を見上げる。

「一言、謝っておくべきだったな……」

 またしたくもない後悔をしてしまう。

 それに、だ。

 蹴飛ばしてしまったしなあ……。

 とは言っても、理世は怪我をさせてしまったこと自体に関しては謝罪を述べていた。力技過ぎただろう、そう思って別れる前に告げたのである。ただ、何故か男からは「ご褒美です!」と息荒く言われてしまったため、さすがに聞き返してしまったのは仕方がないことだろう。

 すると、シリウスが不機嫌だという表情で告げる。眉間の皺がかなり深くなっていた。

「チッ……。あの変態、やはりシバいておくべきだったか」

「やめろ。おおかた、俺に言われて多少正気に戻ったとかそんな理由だろう」

「マジで自覚しろや!」

 シリウスが怒りを露わにする中、理世はそれを手でなだめる。意味はよく分からないものの、怒っているのをそのままにはできないと思ったためだ。

 理世は一つ息をついて。

「あの人、変われれば良いな……」

 せっかくの自分の人生を無駄にしないで欲しい。それは理世の身勝手な思いだが、やはり人の時間は短いもの。せっかくなら自分らしく、自分の生き様を貫いて欲しい。そう思うのだ。

 まあ、自分らしく、なんて俺自身分かってねえけどなあ……。

 理世が思いに馳せていれば、シリウスがムスッとして。

「んな男のこと、さっさと忘れちまえ」

 と吐き捨てるように告げた。

 理世は首を傾げて。

「機嫌悪いな」

 そう言えば、シリウスはさらに顔を顰めた。

「誰のせいだと思ってやがる」

 シリウスはぐるんと転がって向きを変えた。シリウスが理世のほうを向く中、理世はそれを見てやれやれと首を振るだけであった。

 重い。それと、本当に猫みたいだな……。

 理世はつい口元を緩めて、そのままシリウスの頭に手を伸ばす。サラリとした髪が、指からすり抜けて行った。

 すると、バーンと扉を壊す勢いで突撃してきた者がいて。

「ちょっと、何やっているの、兄さん!」

「あ?」

 風呂を終えたサフィラが勢いよく部屋の中に入ってきたのである。

 シリウスがギロリと横目で睨みつけるものの、妹のサフィラはまったく気にすることなく。ズカズカと部屋の中に足を踏み入れ、兄へとビシッと指を突きつけた。

「ずるい、リゼさんの膝枕!」

「サフィラ、勝手に乗られただけだぞ」

 理世が一応訂正するものの、サフィラにはその言葉が届くことはなく。サフィラははい、はいと勢いよく手を上げた。

「私も、私もやって!」

「その前に髪を拭け」

「うるせえぞ、サフィラ。邪魔すんじゃねえよ」

 会話になっているのか怪しい三者三様の言葉が飛び交う。

 理世は目の前で喧嘩する兄妹をよそに、数十分前のことを思い出した。


 最初は理世とサフィラが屋敷に帰ってきたのだ。たまたま理世が一番風呂を貰えることになり、サフィラが一緒に入ろうと言い始めたのを丁重にお断りした。そして、一人ゆっくりと風呂に浸かった理世と交代で、サフィラが風呂に向かったのである。

 そして、しばらくすればシリウスが帰ってきた。理世がソファに座って寛いでいるのを見れば、了承を得ることもなく、シリウスは理世の膝の上に頭を乗せてゴロりと寝転がってしまったのだ。理世がぱちくりと目を瞬いている中、シリウスは問答無用で事の経緯を説明し始めてしまった。


 そして、今に至る――。


 一応、俺も不可抗力なんだが……。

 気がついた時にはすでに膝に重みがあって、理世は思考が停止していた。髪を乾かしている最中だったのに、シリウスが今回のことを報告し始めてしまって止めるタイミングを失ってしまったため、何も知らないサフィラが驚くのも無理はない。

 無理はない、のだが。

 そんなに、騒ぐことか……?

 理世が呆然としている中、いまだに言い合いは続いている。

「兄さん、何でもかんでも最初を取らないでよ! リゼさんの初めてが!」

「言い方やべえだろ、サフィラ。だが、だったら隙を見せるんじゃねえよ」

「お前ら、毎回毎回、顔を合わせるたびに喧嘩するの、いい加減やめろよな」

「誰のせいだよ」

「誰のせいだと思っているの」

 ……なんでそういうところだけ息が合うんだ。

 理世の言葉に口を揃えて反論する兄妹。

 理世はやれやれと言わんばかりに、深くため息をつくのであった。




 Ⅲ


「それにしても、惜しいことをしたかもな」

 理世は今さらながらにふと思い出す。

 いまだに理世の膝に頭を預けるシリウスと、理世の右隣を占領しているサフィラが揃って理世をじっと見つめた。どうやら、次の言葉を待っているらしい。

 理世はふむと頷いて。

「いや、店長のさ――」

「「却下」」

 理世がまだ序文しか述べていないというのに、二人からは否定の言葉が返ってきた。有無を言わせない物言いだ。

 理世はさすがに「おい」と告げてから。

「まだ全部言ってねえだろうが」

 と文句を告げる。

 だが、シリウスはフンと鼻を鳴らしてから横目であっさりと理世が言おうとしていたことを言い当てた。

「言いてえことなんざ、嫌でも分かるわ。どうせ店長の誘いに乗って、働き口を確保しておけば良かったとか抜かすんだろうが」

 シリウスが吐き捨てるように告げるのを聞いて、理世は目を瞬いた。

「……何故分かったんだ?」

 当然の疑問を口にすれば、シリウスはけっと悪態をついて。

「てめえのことが分からねえわけねえだろ、リゼ」

「はあ、リゼさん、絶対言うと思った……。私たちのお金のこととか気にして、なんでしょ?」

 ため息混じりに告げるサフィラもドンピシャに内容を当ててくる。

 理世はさすがに少し引いた。

「……エスパーかよ」

 あまりにもドンピシャで言い当ててくるため、さすがに怖くなってしまった。これには引いてしまっても仕方がないと思いたい。

 それにしても、と思う。

 何故そこまで嫌がる……?

 兄妹の顔を見る限り、明らかに納得のいっていない顔だ。

 生活費は多いに越したことはない。いくら貴族だろうと、自分の分まで出していれば今までよりもその分追加で減っていくことになる。ならば、自分も稼ぎ頭となったほうが良いはずだ。しかも、働ける年齢であるのだ。何も問題はない。

 問題があるとすれば、この世界の人間じゃあないってことか……。

 そんなことを考えていれば、サフィラが手を挙げて主張してくる。

「多分、リゼさんが今考えているのことは見当違いなことだと思うから訂正しておくね」

「もう怖すぎるだろ、お前ら」

「そりゃあ、店長の申し出に乗れば、リゼさんと働く時間も一緒だし、同じ職場とか考えるだけでテンション上がっちゃうし、いろんなシチュエーションとか考えちゃうけど」

「いや、話聞けよ。というか、シチュエーションって何の?」

「……サフィラ。お前、本当に変態っぽいぞ」

 理世がツッコミ混じりで、シリウスが引き気味に口を挟むも、サフィラは聞こえていないのか、はたまた聞こうとしていないのか、どちらにせよ勝手に話を進めるだけであった。

「これ以上、リゼさんの人気が爆上がりになることだけは絶対避けなくちゃいけないの!」

「……はあ?」

「それには同意しておくぜ」

 サフィラの主張に素っ頓狂な声を上げる理世と、全肯定しているシリウス。

 理世は意味が分からない、そう思うしかなかった。

 サフィラはさらに主張を続ける。

「考えてもみてよ! 今回だけでどれだけのリゼさんのファンができたと思っているの!?」

「できてねえ」

 理世は即効否定するも、それすらも聞き入れて貰えなかった。

「これ以上増えたら本当に良くない、良くないよ、リゼさん! だって……、だって、リゼさんは私のものでしょ!?」

「初耳だな」

「おい、こら、待てや。勝手にてめえのにすんな、サフィラ」

「兄さんは黙ってて! 大事な話をしているんだからっ!」

「黙っていられるわけねえだろうが! 何サラッと自分のものにしてやがる!」

「だから、すぐに喧嘩するなって」

 理世は一応止めに入るものの、この兄妹は頭に血が上りやすいらしい。

 まったく、誰に似たんだか……。

 理世は頭を抱えるも、止めることはそうそうに諦めることにしたのであった。




 IV


 それからシリウスを風呂に追いやったり、サフィラの髪を乾かしてやったり。なんやかんやと過ごしていれば、時間なんてあっという間に過ぎていった。

 理世は与えてもらった部屋で一人就寝するためにベッドに寝転がる。大きすぎるベットは、一人では有り余るほどで。広すぎるのも落ち着かないということに、今さらながらに気がついてしまった。

 それにしても、と思う。

 こんなに濃い生活を送っているというのに、まだ二日目が終わる頃だとは……。

 兄妹と再開したことすら遠い昔のように感じてしまう。それぐらいに怒涛でいろんなことが起こりすぎた、濃い内容であった。

 天井を見つめる。見慣れない天井だ。

 いろんなところを歩き回って、見聞きして、自分がいた世界とは違うということを嫌というほどに分からされたはずなのに。まだ見慣れないなあと思ってしまうのは、どこか自分が余所者だと理解しているからなのかもしれない。

 あの兄妹はすでに自分を家族のように扱ってくれている。

 だが――。

 ……俺は、この世界にどれだけいられるのだろうか。

 兄妹たちが来た時のように、そんなに長くはないのかもしれない。

 もしかしたら、予想以上に長いのかもしれない。


 それでも――。


「……それでも、あいつらの隣にいられるだけ、いてやりたいよなあ」

 そんな取り留めもなく、答えのでないことを考えて、理世は思考を停止させる。

 考えたって仕方がないのだ。今は目の前でできることを、自分が行うだけ。

 ゆっくりと瞳を閉じる。

 理世は今日の幸せな時間の余韻に浸ることにして、眠りにつくのであった。

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