第一〇章 妹の仕事場
I
結局、理世は食事を終えるとシリウスに送ってもらうこととなった。サフィラの仕事場まで送るとシリウスは言うが、理世はそれに不安を覚えた。
何せ、シリウスは貴重な仕事の昼休みを削って、しかも仕事を後回しにして自分の面倒を見てくれているのだ。いくら本人がそれで良いと言えども、理世からしたら気になって仕方がなかった。
「……本当に良いのか? 仕事は大丈夫なのかよ?」
すると、シリウスは何事もないかのようにあっけらかんと答えて。
「問題ねえよ。ついでに巡回していくからな」
「巡回?」
理世が聞き慣れずに言葉を繰り返せば、シリウスは短く返事をしてから。
「まあ、簡単に言えば見回りだな。見えてねえだけで怪しい奴はどこにでも潜んでいるもんだ。俺たちの仕事は王国に反旗を翻す奴をとっちめること。事前に防げるのであれば、防いでおきてえっていうのが本音だ」
シリウスは前を見ながらそう説明した。その顔は険しく、苦虫を噛み潰したような表情だった。疲労もあるのだろうが、何か嫌なものを目の前に突きつけられている、そういった表情に見えたのである。
国に反旗、か……。
理世の国では想像もつかないことであった。
シリウスの言葉は、国の転覆を企てる者、ということなのだろう。そのような話は、理世からしたら映画やアニメなどの創造物の中の話でしかなかった。
だが、シリウスたちの世界は違う。彼らからしたらこれが普通で、当たり前で、常識だなんて言えることなのだろう。シリウスも疲労感は漂っているものの、反旗を翻すこと自体はありえないと思っていないようだった。
あまり、口うるさく言いたいわけではないが……。
理世はシリウスの言葉を聞いて、少し考え込む。自分の胸に宿った思いを、彼に伝えて良いものなのか、非常に迷っていた。
シリウスからしたら、重たい感情なのかもしれない。
余計なお世話だと感じられるかもしれない。
それでも、理世の中では伝えておきたいと、伝えておかないといけないと、思ってしまった。
「リゼ?」
考え込んでいた理世に、シリウスが名を呼ぶ。
理世は足を止め、そしてシリウスを見上げた。
少し前までは見下ろしていたはずの身長差だったのに、今では見上げるほどに成長してしまっている。だからこそ、彼に言うべきではないかもしれない、そう思ったのものの、理世は自分が言いたいと思ったことを伝えることにした。
「シリウス……。無茶だけはするなよ」
「……っ!」
理世の言葉に、シリウスが息を呑む。理世は感情が揺らぐものの、それでもしっかりと幼子だった青年を見つめて告げた。
「忠実と無茶は違う。仕事上そうはいかないかもしれない。それでも……、それでも俺は絶対にお前の帰りを待っている」
幼子だった少年はもういない。目の前にいるのは立派に成長した青年だと、来てからの時間で痛いほど理解した。
それでも――。
それでも、勝手に心配するぐらい、許してくれよ。
心配することにバタが当たるというのなら、いくらでも受けてやろう。
心配して何が悪いというのだ。大事な家族や友人を心配しないことなど、本来少ないはずだろうに。
もしそれが彼にとっていらないことだとしても、彼から余計なお世話だと言われたとしても、自分がしたいことに嘘をつきたくはない。
そして、その思いすらも伝えたいと思ってしまったのだ。
……絶対、後悔なんてしたくねえ。
自分が伝えなかったことで、言葉を飲み込んだことで、後で伝えておけば良かったと思うことなんてしたくない。
たらればの話を今さらしたって、そんな言葉は絶対に吐きたくなかった。
今、自分がやれることはやる。ただそれだけだ、そう思いながら理世はじっとシリウスを見る。
すると、シリウスはクスリと笑った。そこにはどこか自信が満ち溢れているようで。
「……俺が、負けると思うか?」
そう静かに問いかけてくる。
理世は強めに言い返す。
「そういうこと言ってるんじゃねえよ」
すると、シリウスは笑った。
「知っている。ただ――」
シリウスはそう言いながらゆっくりと理世を抱き締める。腕の中にしっかりと閉じ込めて、それから囁くように告げた。その声音には決意が宿っていて。
「リゼがいるのに、置いていくわけねえだろ」
安心させるかのように、シリウスは力強く理世を抱き締める。誰が手放すか、そう言われているように理世は感じた。
体温が伝わってこれば、どこか安心してきて。
それと同時に今さらながらにシリウスの腕の中にいることに気がついた。はたと気がついて、ゆっくりと脳内で処理を行っていけば、だんだんと顔に熱が集まっていくのが分かった。
理世は慌てて身じろぐ。
「――っ、ば、バカ、離せ!」
「誰が離すか」
シリウスが力をいっそう強くしながら、ベーと舌を出す。
理世は顔をカーッと赤くして。
「〜っ、道端で何しているんだって言ってるんだっ!」
理世は問答無用でシリウスの額に今までで一番強いデコピンを食らわせたのであった。
Ⅱ
ようやく離れたシリウスに案内され、理世やっとサフィラの仕事場に辿り着くことができた。その建物をじっと見ていれば、どうやら洋菓子店のようで。
「……ここか?」
「……ああ」
理世が戸惑いながら問いかければ、シリウスの不機嫌そうな声が返ってきた。
シリウスはデコピンを食らったからか、妙に大人しくそして不機嫌であった。ぶすくれているのが一目見て分かるほどである。
理世は一つ息をつく。
……あれは道端であんなことするお前が悪いだろうが。
そうは思うものの、理世がそれを口にすることはない。元はと言えば、自分が心配したことが始まりだった。それは確かなこと。だが、誰が抱き締めることまで想定するというのだろうか。
それにしても、と思う。
なんか、振り回されている気がするんだよなあ……。
この世界に来て、今さらながらに兄妹に良いように振り回されている気がする、そう思うのだ。そう思うだけで実際は違うのかもしれないが、どうにもそうとしか思えなかった。
……まあ、俺が発端か。
理世は自分が大人気なかったと反省する。思ったらすぐに行動したくて、シリウスに歩み寄るとそっと右手で彼の頬に触れた。
シリウスが視線を寄越して。
「……リゼ?」
「……悪かったよ。すまん」
シリウスの頭を撫でるのは、昨日気がついたがなかなかにキツかった。身長が高くなりすぎていて屈んでもらわないとなかなか届かないのである。爪先立ちでギリギリといったところか。
だから、頭は諦めて、頬に手を伸ばした。するりと撫でれば、自然とシリウスがその手に擦り寄ってくる。
猫、みたいだな……。
理世は咄嗟にそんなことを思う。
すると、シリウスから「気にしてねえよ」と言葉が返ってきた。声音が普段通りになっている。
そのことに安堵していれば、遠くから大きな声が飛んできた。
「あー!! 何してるの、兄さん!」
振り返れば仕事着なのだろう、可愛らしいワンピースで身を包み、その上にフリルのついたエプロンを身につけたサフィラが駆け寄ってきていた。店の前に理世たちがいたから気がついたのだろう、慌てて仕事場から抜けてきたようだった。
すると、シリウスが何を思ったのか、理世を後ろから抱き寄せて。
「決まってんだろ、デートだよ」
と、ニヤリと笑って楽しそうに告げる。
これに驚いたのは理世だ。「……は?」と言葉が零れ落ちていった。
何言ってるんだ、こいつは……。
内心呆れていれば、それをまともに受け入れたサフィラがまた大声を上げて。
「何それ!? 聞いてない、というか、兄さん、仕事は!?」
「休憩とったわ」
「……いや、ただの休憩時間だろ、シリウス」
「もう、兄さん、ずるい!」
「サフィラ、落ち着け。シリウスの話をまともに聞き入れなくて良いから」
ギャーギャーと目の前で騒ぐサフィラに対して、シリウスはニヤニヤと笑うだけで。
理世はため息をついた。シリウスがからかっているのだとすぐに理解する。
なんでややこしくするだよ……。
理世は頭を抱えながら、サフィラに声をかける。
「サフィラ、あのな――」
事情を簡単に、だが誤解のないように説明をすればサフィラはようやく納得したようで。ホッと胸を撫で下ろしてやっと笑顔を見せた。そして、嬉しそうに告げる。
「なーんだ、そういうことね! 良かったあ、てっきりリゼさんが兄さんに食べられちゃったのかと思って、焦っちゃった!」
「……は? 食べられ……?」
シリウスが俺を食べる、ってなんだ……?
理世が疑問符を浮かべる中、シリウスは淡々と答える。
「まだ食わねえよ、まだな」
シリウスの意味深な物言いに、理世は一瞬寒気がした気がした。それから、シリウスを冷たく見つめて。
「お前、いつから人喰いに……」
「そこで天然発揮すんなよ、リゼ」
「全然分かってないリゼさん可愛い。けど、今まで本当に無事だったことが奇跡だと思うよ」
「同感だ」
「……?」
サフィラの言葉に、シリウスが何度も頷いて同意を示している。
だが、理世は何を話しているのかまったく理解できていない。この兄妹は何を言っているんだ、そうとしか思っていなかった。だが、そろそろ会話にキリをつけなくてはいけない頃だろう。
「ほら、シリウス。そろそろ仕事に戻れ。いつまでも休憩じゃねえだろうが」
「チッ、わーったよ」
「送ってくれてありがとな。……サフィラも、俺が邪魔しているなら帰るから。仕事に戻れ。悪かったな、途中で抜けさせて」
「邪魔じゃないもん。大丈夫、ちょっと抜けて良いか聞いてきたし。それと、リゼさん終わるまで待っててよ。一緒に帰ろう?」
「いや、だかな――」
自分から来たわけではあるが、ずっと仕事場にお邪魔するのは申し訳ないと思う。理世が迷う中、シリウスが後押しをする。
「リゼ、サフィラと一緒に帰って来い」
「シリウスまで……」
「一人で帰るほうが危ねぇだろうが。サフィラも、リゼもだ。一緒に帰って来い、一人より二人のほうがまだ良い」
「俺は仕事場に戻る」とシリウスは続けて告げて、そのまま踵を返した。
理世はその背中に慌てて声をかける。
「シリウス、助かった! ありがとな! 仕事、頑張れよ!」
その言葉が聞こえたようで、シリウスは片手をひらりと上げて去っていく。
静かに見送っていたが、やがてサフィラがグイッと理世の腕を引いたことによって我に返った。
「リゼさん、行こう! 店長にも話をしておくから、ね!」
「……分かった」
理世は苦笑しつつ頷いた。
二人は並んで店に向かって歩き出したのであった。
Ⅲ
サフィラは洋菓子店で店員として働いているらしい。どうやら、裏方の仕事が多いようで、今は厨房にいた。フロアに出ることもあるらしい。
だが、理世はそれに疑問を覚えていた。
「貴族って働く必要があるのか?」
「ええっと……、あるかないかだと、ない、かな?」
サフィラは理世の問いかけに困ったように笑った。
ならば、何故働くのか。理世の問いかける視線に気がついたのか、サフィラは笑う。
「あのね、自分の目で見て感じたかったんだ」
「……?」
理世が首を傾げる中、サフィラは手を動かしながら語っていく。
「リゼさんのところでリゼさんが働いているのを見て、働くことがあるってことを知ったんだ。今までそんなこと分かっていなかったけど、知ったら自分の目でも見たくなったの。自分の世界って、自分の目で見れば見るほど広がる気がするから。だから知りたくなって、周りの反対を押し切って、成長してからバイトを始めたの。最初は店長にもすごく激しく断られたんだけど」
「……目に浮かぶな」
先ほど見た感じ、店長は人当たりの良さそうな者だった。きっと、貴族であるサフィラを雇うなんて恐れ多いと思ったのだろう。指導にだって尚更気を遣うはずだ。いろんなことを想定して、さすがに断ろうと思ったに違いない。
だが、サフィラは諦めなかった。
「お菓子も好きだし、何より人とたくさんかかわれると思ったから。……貴族だから、とかじゃなくて、ただ人とかかわりたいと思ったの。社交界の会話とは違う、普段の会話っていうのを」
「……そうか」
「それに、兄さんだって騎士団に入ったし! 私だって何かしてみたいと思って!」
サフィラが楽しそうに語るのを、理世は眦を柔らかくして聞いていた。
サフィラの成長を直で見た。シリウスだけでなく、サフィラも自分の思う道を歩んでいた。
理世はそれがすごく嬉しくて誇らしかった。あんなにも幼かった妹が、成長して自分がしたいことに進んで行っていることが。そして、そのきっかけが自分であったことが。
理世は邪魔にならないように気をつけながら、サフィラの頭を撫でる。サフィラが見上げてくるのを受けとめながら、口元を緩ませた。
「大きくなったな、サフィラ。立派に成長した。俺は誇らしいよ」
「……えへへっ、リゼさんに褒めてもらえてすごく嬉しいっ」
サフィラは照れくさそうに笑った。
その時だ。
突如、店の中が騒がしくなった。厨房にいる理世たちの耳にも届くほど、大きな悲鳴が飛んでくる。
「なんだ……?」
「私、見てくる!」
「サフィラ!」
サフィラが我先にとフロアに駆けて行く中、理世は慌ててその後を追いかける。
フロアに出てみれば、レジ付近で男が一人暴れているようだった。どうやら、強盗のようで「金を出せ!」と騒ぎながら、手にしたナイフを振り回していた。
この世界でも強盗なんてあるのか……!
理世は周囲を見渡す。怪我をしている者が何人かいるものの、ナイフを受けた者はいないようだ。出血している光景は見当たらない。
そんな中、サフィラが店員を庇うように前に出たのが見えた。激高している男はナイフを向けようとしていて。理世はキッと睨みつけてから足に力を入れて跳躍する。そして、迷わずに男へと飛び蹴りを食らわした。
「え、り、リゼさん……?」
「下がっていろ」
サフィラが戸惑う中、理世は容赦なく言い切った。ピシャリと強めの口調に、誰もが何も言えずに息を呑んで見守るだけであった。
理世は怒っていた。ようやく妹のような存在のサフィラの成長を見られたのに、それをぶち壊そうとしている存在に。
そして、くだらないことをしている存在に。
この際、棚や商品は許してもらおう。そう思いつつ、理世は男の前に立ちはだかる。
蹴飛ばしたことによって、棚の中に埋もれていた男を冷たく見下ろしながら、理世は首をゴキリと鳴らした。
……ったく、あんまりこんなところサフィラに見せたくはなかったんだが。
今まで鍛え上げた喧嘩が役に立ってしまう時が来たようだ――。
理世は冷ややかに告げる。
「よう、よくも人の家族の店に手え出しやがって」
「て、てめえに関係、ねえだろうが……」
起き上がりながらそう告げる男は、理世を睨みつける。手からナイフは離れていて、男よりも理世に近いところで転がっていた。
理世は男の言葉に強く言い返す。
「あ? 言っただろうが、俺の家族がいるんだよ。関係大ありだろうが。……つーか、強盗なんてアホやってねえで、真面目に働け」
理世がそう言えば、男は怒りを顕にした。
「てめえに何が分かるっ!」
「分からねえよ」
理世は冷静にバッサリと切り捨てた。男が一瞬呆けたように見えた。理世は気にせずに続ける。
「分からねえが、てめえの人生、それで良いのかよ」
「――っ!」
「一度きりの人生だ。選択権は他でもねえ、てめえにある。今選択したことに本当に悔いがねえって言うなら、俺は止めねえよ。ただ、家族に手を出すって言うなら止めるけどよ」
男は黙って聞いている。理世は気にすることなく続けた。
「だが、その選択に後で悔いることが分かっているというのなら、今すぐに引き返せ。まだ戻れるだろうが。……人生の後悔なんて、少ねえほうが良いだろうが。てめえの一度きりの人生、ここぞって自分の人生を胸張れるように生きてみろ」
理世はそう言いながら、男を見つめる。男の動きはなかった。
理世は一つ息をついて、それから断言する。
「それでも、まだここで暴れるって言うなら、俺が全力で止めてやる」
理世がボキボキと指を鳴らして見下ろせば、男はチラリと理世の足元を見た。転がっているナイフを見ている。理世はそれを理解した。
だが、男はやがて項垂れるだけであった。
「……俺は、あんたみたいにカッコ良く生きられねえよ」
「? 別にかっこよくはねえだろ」
男の言葉に、理世はあっけらかんと告げた。
男も、サフィラも、周囲にいた客や店員たちもあんぐりと口を開ける。
「な、何言って――」
男が戸惑う中、理世はまた淡々と告げる。
「特段何もしていねえし。ただ――」
そう、俺は別に格好良いわけではない。
理世は男の前にしゃがみこんで、そしてふっと笑って。
「もし、俺がかっこよく見えるなら、それは俺が後悔したくねえからだろうな?」
理世はどこか楽しそうに告げる。
自分の生き様が誰かの目に格好良く映る、それを聞いたからだと自覚する。
……ま、それは悪い気しねえよな。
理世の言葉に男は呆然として。背中を向けて立ち上がった理世はそのまま周囲に歩み寄る。怪我の具合を確認しようと思ったのだ。
その後ろ姿を見た男は、やがて項垂れて泣く姿へと変えていったのであった。
そんな理世を見ていたサフィラといえば――。
「ああ、もう! リゼさんのかっこ良いところ、こんなに早くに知れ渡っちゃうなんて……!」
一人、この場で後悔しているのであった。
IV
「リゼッ! てめえ……!」
「よう、シリウス」
「よう、じゃねえんだわ!」
話を聞きつけたシリウスが、再度サフィラの店に来店する。おそらく、男を拘束しに来たのだろう。
片手を上げてケロッとしている理世にシリウスは掴みかかって。
「あれほど……っ、あれほど、人を惹きつけるなって……!」
「……何の話だ。それより、シリウス。店の修理代と商品の代金払いたいんだけどよ。店長さんは別にいいって言い張るけど、さすがに俺が原因だからなあ」
「んなもん、いくらでも払ってやるわ! それどころじゃねえだろうが!」
「……兄さん、たぶん、手遅れだよ」
店の人間どころか、件の男や客たちもが理世と会話しようと必死だったのは、まだつい先ほどのこと。
この後、店長が理世をスカウトしようとして、兄妹が食ってかかるのは、もうすぐのこと――。




