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第九章 兄との食事

 I


 理世はシリウスが昼休憩に入ってから並んで街を歩いた。シリウスの仕事にキリがついて、ちょうど良く昼休憩に入ったらしい。理世は半ば無理やり連れられるようにして外に出たのである。

 数分前のことを思い出してみれば、シリウスはエルにしばらく外に出ることを告げると、理世の腰を抱いてそのまま歩き始めた。

 理世は振り返り、エルの様子を確認するも、エルはにこりと微笑んで見送っているだけであった。

 礼の一つも言えずに出てきちまったな……。

 あれだけ世話になったというのに何も言わずに去ったのが申し訳ない。次はいつ会えるだろうか、その時には礼が言いたいものだ。理世はそう思いつつ、歩きにくさについ顔を顰める。シリウスの手の力が緩むことはなく、腰は抱かれたままだ。さすがに振り払うこともできず、理世は自分より上にあるシリウスの顔を見上げる。自分よりもはるかに目線の高い男は、ただ前を向いて歩いているだけだ。目的の場所をよく知っているのか、迷う素振りもなく、しっかりとした足取りで進んでいくだけで。

 理世はどこに向かって進んで行っているのか、いまだによく分かっていない。シリウスの手が緩むこともないため、ただついて行くだけであった。

 それにしてもである。

「……シリウス、わざわざ外に出て食べることもなかったんじゃないのか?」

「……あ?」

 理世が尋ねれば、ようやくシリウスの瞳が理世を捉えた。ペリドットが不服だと文句を告げるように細められる。歩みが止まることはないものの、視線で「何が言いてえんだ」と問い詰めてきていた。

 理世は肩を落とす。

「確かに、勝手に来た俺が悪いんだが、わざわざ外で食べることもないだろう。その分、金銭を使うわけだし。シリウスの元に一度は辿り着いているわけだし、シルバーから貰った地図もある。一人でお前たちの屋敷に戻ることぐらいは何ともないさ。他に行くところもそうあるわけではないし」

 理世が行くところなら一応まだある。だが、その場所は限られているし、しかもそれについてもシルバーに地図を貰った。しかも、自分は子どもでもないのだ。慣れていない場所ではあるものの、迷うことはないはずだ。

 それにしても、と理世は思う。

 ……なんか、やはり過保護になっている気がするんだよなあ。

 理世はシリウスたちと再会してから彼らがやたらと過保護になったと、薄々勘づいていた。

 確かに、理世からしたら慣れない土地だ。まだ右も左も分からないと言っても過言ではない世界。知っている者自体も少ないのも確かではある。この世界がどんな世界なのかも認識していないのも理解している。

 それでも、理世は幼い子どもではないのだ。誰かに道を尋ねることだってできるわけで、調べようと思えば調べる手段もいくつかは思いつく。それこそ、シルバーに頼めば文献ぐらいは見つけてきてくれるだろう。

 とは言っても、文字が読めるかは分からねえけど。

 理世はそう思った瞬間、今さらながらにはたと気がついた。

 今の今まで、シルバーの文字を読めていたことに。

 何も考えずに読んでいたが、それすらも本当はおかしいのではないだろうか。

 文字が一緒かなんて確認もしていなかったが……よく考えてみればそうだ……。

 会話も難なくできていたし、何も怪しんでいなかったが、本来それだっておかしな話だ。理世がいた世界、いや、国とはまったく違うのだ。ならば、言語が一緒だなんてこと、可能性が限りなく低いだろう。

 すごく今さらではあるが、どうして――。

 そこまで考えていれば、ふと視界に影が差す。気がついて見上げれば、シリウスが顔を近づけていた。そして、ゆっくりと見えた動作の後、何かが髪に触れる。小さなリップ音が聞こえて、理世は目を瞬いた。何をされたのかよく分からずに、思考が停止する。

 そんな中、シリウスはようやく足を止めて、ペロリと唇を舐めた。

「俺といる時に考えごととは、上等じゃねえか、リゼ」

「シ、リウス……。今、何、を――?」

 理世が戸惑いながらも言葉を紡ぐ中、シリウスは聞こうとはせずに至近距離で理世と視線を合わせて。

「まじでそろそろ自覚しとけよ、リゼ。でねえと――」

 シリウスは理世をしっかりと見つめてから、口元を理世の耳元に移動させて。

「――喰うからな」

 低く唸るように囁いた。

 理世はその声音に、ゾクリと背中に何かが走るのを感じた。思わず足の力が抜けそうになる。わけが分からないまま、崩れ落ちないようにと縋るようにシリウスの服を掴んだ。

「シリウス……っ」

「ふん、少しは可愛いところもあるじゃねえか」

 理世には何が何だか分からなかったが、どうやらシリウスの機嫌は良くなったらしい。

 理世の思考はまだまとまらない。ぐるぐると分からないまま、目を回しそうだということだけを理解していた。

 シリウスは目の前でニヤリと笑う。

「こっちは一〇年も待ったんだ、今さら逃がさねえからな」

「……はっ、?」

「ついでに言えば、外で食ったほうが周囲にはいい牽制になんだろ。ほら、行くぞ」

 シリウスは理世を促す。

 理世は足がもつれそうになりながらも、無理やり動かした。前へと必死に進みながら、心の中で悪態をつく。

 こ、いつ……、可愛くねえ……!

 幼子だった兄は、本当にいなくなってしまったらしい。

 理世は上にある青年の顔を恨めしげに睨みつけることしかできなかったのであった。




 Ⅱ


 シリウスにほぼ無理やり連れてこられた場所は、一目見て高級だと分かるレストランで。

「……シリウス?」

 理世が恨めしそうに名前を呼べば、シリウスはケロッとしていた。

「あ? 普通だろうが」

「てめえの感覚と一緒にするな」

 先ほどのこともあり、理世は怒りが湧き起こってくる。

 ったく、からかいやがって……!

 幼子だった兄は、妙に意地が悪くなってしまったらしい。まさか、自分にあんな()()をするようになるとは。

 好きな女にでもしとけよ……!

 あの感覚はしばらく思い出したくもない。理世はそう思いつつ、視線を鋭くする。

 だが、今はそれよりも目の前にある高級レストランをどうにかするほうが先であった。

 この中で食う、って……、すごいプレッシャーなんだが……。

 マナーやルールのことを考えながら食べるのは苦痛すぎる。他人の目も刺さるわけで、視線を気にしながらというのも居心地が悪すぎるだろう。その中で食べるなんて、食事が喉を通らない気がして仕方がなかった。せっかくの高級レストランなのに、味が分からなかったら余計に悲しい。

 だが、シリウスは有無を言わさずに理世を捕まえるとさっさと中に足を踏み入れてしまって。エントランスにいたスタッフに、サラリと人数を伝えてしまう。

「二人だ」

 シリウスがそう告げれば、常連なのか、顔パスの勢いで案内されてしまう。個室に通され、理世がキョロキョロと周囲を見渡す中、シリウスは慣れたようにエスコートして椅子まで引いてくれ、理世を流れるように座らせた。そして、向かい合うように向かいの席に腰を下ろしている。

 理世はぱちくりと目を瞬いて。

「……慣れているな」

 思わず言葉を零していた。

 シリウスはふんとそっぽを向いて。

「面倒だが、ナメられねえようにするためだ。自分の武器は増やしておくに限るからな」

 シリウスは淡々と答えてから理世へと話を振った。

「で? リゼは腹減ってんのか?」

「まあ、それなりには」

「適当に頼むぞ。それと、個室だから気にするな。好きに食え。細けえことは気にするな」

「とりあえず、高くないので頼む」

「遠慮すんな」

 理世が気にすると理解していたのか、用意してもらったのは個室だ。理世とシリウスしかいない。

 こういうところの個室は高そうだ、と理世は気が引けてしまう。せめて料理だけは高くないものを、そう思って言うものの、シリウスには一蹴されてしまって。

 遠慮、しているとかではないのだが……。

 理世からしたら高いものに慣れていないだけだ。多少、遠慮は確かにあったが、金額のことを考えてしまえば普段通りではいられない。

 そんな理世の思いとは裏腹に、シリウスはさっさとウエイターに注文をしてしまった。何を頼んだのかは、理世にはよく分からなかった。

 ウエイターが姿を消せば、シリウスが口を開く。

「気にすんなよ、リゼ。俺が普段から個室は使ってんだよ」

「そう、なのか……?」

 気にしていたのバレていたのか……。

 理世がそう思いつつ聞き返せば、シリウスは頷いて。

「人目があるのは好きじゃねえ。それにわざわざ近づいて来る女どもがいるから面倒なんだよ。仕事の休憩時ぐらい静かに食いてえだろ?」

「まあ、確かに……?」

 シリウスの言葉には一理ある。だが、だからといって個室まで用意してもらうのは庶民と思考回路が違う気がする。そう思うものの、理世はとりあえず頷くだけに留めた。

 シリウスはさらに続ける。

「社交なんて面倒だ。仕事の時ぐらいは忘れてえんだよ」

 シリウスは気怠そうに告げる。よほど面倒なのだろう、声音にも疲れがにじみ出ていた。

 まあ、確かに人間関係は面倒なところもあるが……。

 理世も仕事をしていたし、それなりには理解できるところもある。ただ、貴族同士の関係となれば、それは理世の想像では乏しい。何が必要で、何を会話しているのかなんて、理解できない境地だ。

 ……それにしても、シリウスも考えて動いているんだな。

 先ほど、シリウスは「自分の武器を増やしておいたほうが良い」と言っていた。それは社交界で通用していくためもあるのだろう。自分の立場を守るために、考えて行動してきた結果なのだ。

 理世は彼の成長をかいま見て嬉しくなった。子どもの成長を見ると嬉しいという親心に似ているのかもしれない、そう頭の片隅で思う。

 すると、目の前のシリウスが顔を顰めた。

「……何笑ってんだよ、リゼ」

 どうやら知らずに口元が緩んでいたらしい。不服そうに言うシリウスを見て、つい笑ってしまう。

「いや、別に」

 誤魔化したが、シリウスはそれに納得がいかなかったらしい。不満そうに舌打ちをした。

 理世はクスリと笑う。そして、軽く感想を述べた。

「……お前が慕われているのが、誇らしくなっただけだ」

「……あ?」

 シリウスはなんのことだと首を傾げている。

 理世は今日見た光景を思い出しながら語った。

「あのシリウスが自分の仕事をこなしていて、社交のこととか考えているのを見ていれば、な。成長しているのを直で見たんだ、誇らしいと思うものだろう?」

「……子ども扱いしてんじゃねえよ」

 シリウスはそっぽを向いてしまう。だが、微かに耳が赤くなっていたのを、理世は見逃さなかった。

 そんな中、食事が運ばれてきて、二人は各々食事を開始することにしたのであった。




 Ⅲ


 戸惑いながらも食事に手をつけ、理世はチラリと視線をシリウスに向けた。食事している様を見ながら、ふむと思う。

 ……こいつ、仕事している時も思ったが、結構所作が綺麗なんだよなあ。

 理世はふとシリウスの仕事をしている時を思い出す。

 文字を書きながら下を向いているだけで様になっていたシリウスだが、一つ一つの所作が精錬されていることにも気がついていた。文字をチラリと見た時も、達筆だなあと思いつつ、調べ物をしている時に本をめくるだけの仕草も丁寧だったことは記憶に新しい。

 現在、目の前で食事をしている姿も丁寧で見栄えしていて、惚れ惚れするほどに所作に無駄がなかった。

 これが、磨いた武器、なんだろうな……。

 理世は手を止めて呆然と見つめる。

 自分の元に来た時は、そんなことを気にしたことがなかった。おそらく、その時はまだ覚束なかったというか、子どもらしさが出ていたのだろう。だが、こちらの世界に戻ってきて、自分たちの立場を守るためにも一つ一つ確実に習得していったことが目に浮かぶ。

 それはきっとここにいないサフィラも同様なのだろう。

 俺の世界とは違うんだろうなあ……。何が自分の武器となって、何が自分の生きる糧となるのかは。

 シリウスたちが必要だと思って磨き上げた武器を、目の前で見ることになって理世はふと寂しくなる。

 本当に、幼子だなんて言えなくなってしまったな……。

 あれだけ自分に向かって威嚇することしかできなかった少年は、立派に仕事をこなして生きる術を磨き上げた青年へと成長している。

 なら、俺はこいつらに何をしてやれる……?

 自分の家にいた時とは状況が違う。

 年齢や身分もではあるが、それ以前に自分が今は世話になっている身だ。

 なら、彼らに何を与えてやれると言うのだろう。

 何を返してやれるのだろう。

 どうしたら、彼らに応えてやれる――。

「妙に熱い視線を送ってくるじゃねえか」

 急に耳に届く言葉にハッとする。思考の海に潜っていた理世はまったく気がついていなかった、いつの間にかシリウスが自分に視線を送っていたことに。

 理世はその視線に思わず息を呑んだ。

「ようやく、俺に惚れたか? リゼ」

 理世はその言葉に、ため息をつく。

「……バカを言うな。ただ、綺麗だと思っただけだ」

「あ?」

 シリウスが手を止める。

 理世は淡々と答えた。

「シリウスの所作が、だよ」

 理世がそう告げれば、シリウスは目を瞬いて。だが、それから愛おしそうに目を細めながらクスリと笑った。

「そういうことにしといてやる」

 理世はその言葉に少しだけムッとする。

 なんか、いっぱい食わされたような気がする……。

 多少、どころか結構納得がいかない。そうは思うものの、理世はシリウスに食事を促されて思考を停止させる。

 止めていた手を動かせば、食事がいっそう美味しく感じるようになった気がした。




 IV


「で? リゼはこれからサフィラのところに行くんだろ?」

 食事を終えたシリウスに言い当てられ、理世は目を瞬く。まさか見抜かれていたとは思ってもみなかったのである。

「よく分かったな」

 素直に感想を述べれば、シリウスは肩を竦めた。

「想像つくだろうが。俺のところに来てるんだからよ。同じ理由でサフィラのところに向かってもおかしくはねえだろうが」

 それもそうか、と理世はふむと頷く。

 もともと、シリウスの元に着いたあと、サフィラの元へと向かうつもりだった。シルバーにも事前に場所は聞いてある。長居するつもりもなかったし、二人の元を回ってすぐに帰ろうと考えていたのだ。

 予想外の食事とはなってしまったが……。

 それにしても、と思う。

 そんなに分かりやすかっただろうか。

 想像がつくとは言われたが、もともと話すらしていなかったのだ。考えれば思いつくのかもしれないが、的中しすぎではないだろうか。

 シリウスは椅子から立ち上がる。

「送っていく」

「いや、大丈夫だ。ここまで一人で来れているわけだし。それに、シリウスもまだ仕事があるだろう」

「本来それが危ねえんだよ。いいから送られとけ」

 シリウスは素っ気なく言ってからウエイターを呼んだ。さっさと支払いを済ませて店を後にする。

 理世はシリウスの後をついて店から出た。すると、シリウスが振り返って、耳元で話しかけてくる。

「また来ような、リゼ」

「っ……、そう、だな」

 理世は驚きながらもとりあえず頷く。それから、次いで「耳元で言うな」と言い返した。

 先に行こうとする理世の後ろ姿を見ながら、シリウスは意地悪くニヤリと笑う。そして、理世に聞こえないように呟いたのであった。


「今のうちに感度高めとけよ、リゼ。……今はまだ、手を出さねえでいてやるからよ」

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