第8話:道を開けろ
探索者協会――正式名称、国連異常領域調査局《U N A Z I》。
それは、国連が立ち上げた下部組織の一つ。
主に世界各国にある協会支部の統括・管理を行い、ダンジョンに関する情報などはここに集約され、様々な決定が下される。
「協会……初めて来たから緊張するな……」
そして、僕はその日本支部、文京区第二支所に来ていた。
いやはや長い。二度とフルネームで呼ぶものか。
さて、本題に戻ろうか。
協会支所は国連の下部組織であるがゆえに、かなり綺麗な内装をしていた。ここが建ってからかれこれ20年は経過しているはずだが、床も壁も汚れていない。役所を思い出すような作りだ。
黒い石のフローリングは光があまり反射しておらず落ち着いた雰囲気を醸し出し、緊張を少し和らげてくれるような感じがした。
数人の清掃員が片付けをしているのか、水の跳ねる音が静かな支所に響く。
『心拍数の上昇を確認。1分に150回はかなり緊張している状態です。無理に落ち着こうとせず、緊張していることを認識してください』
「……うん、なんか収まった気がする」
『それに加え、マスターにとって人間は何であるかを思い出してみてください』
突飛な質問に少し戸惑ったが、配信準備の傍らにしていた雑談でそんな事を話したような気がする。
人間――残念ながら、この心にそれらを慈しむ感情はない。
信頼出来る人間など、妹くらいしかいないのだ。他に関わっていたのはいじめっ子かドミナジオンの職員だしな。
うーむ、まともな「ヒト」と最後に会話したのはいつだったっけ。妹を搬送した救急隊くらいか? 2年くらい前になるな。
「確かに、そう思えばどうでもいいか」
『マスターの種族は、銀河臣民たちからして下等生物未満です。いずれマスターは銀河中で活躍するのですから、その視点を持っていて損はありません』
「だな。僕としても容赦する理由がない」
ふぅ、と深呼吸を一つ。
次にポケットに手を入れ、中に入れておいた空間収納を開き、とあるデバイスをこっそり取り出す。
「文京区第二支所へようこそ。本日はどのようなご要件でしょうか」
{探索者登録を}
「えっと……外国の方ですかね?」
{……ん?}
おかしい。僕は日本語が母語のはずだ。
幽閉されているときだって日本語で話していたんだぞ? まぁ、職員が皆日本語話者ばかりではなかったけども。
『すみませんマスター、言語の切り替えミスです』
{切り替えミス?}
『えぇ。宇宙では共通銀河語で会話されます。その言語情報が脳に直接ダウンロードされており、私がそれを切り替えていたのです』
{そういうのは先に説明しておけよ!}
とんでもない事を聞かされた……まさか、今まで日本語で話していなかっただなんて。勝手に話す言語を操作されていたなんて……
『失礼。ともかく修正しましたので、どうぞもう一度』
少しばかり恐怖が背筋を伝ったが、目的のためだと言い聞かせ同じ言葉を復唱する。
「探索者登録を」
「登録ですね。少々お待ち下さい」
そう言って、困惑から柔和な笑みに表情を変えた壮年の男性は、近くの棚から数枚の書類を出してくる。
「身分証明書……マイナンバーカードとかパスポートとかあれば楽なんですけど、あったりします?」
こちらを外国人か何かだと思ったのだろう、職員の対応が変わった。
別にそんな気遣いしなくたってよかったのに。今から自分の脳が弄られるなんて予想だにしていないはず。
「英語なら通じるかな……Do you speak Japanese?」
ついには流暢に英語まで話し始めた。
奇しくも、その瞬間にやっと清掃員がいなくなった。
残念ながら、《《それ》》を待っていたんだよ。
「僕は日本人だっての」
「なん、だ――!?」
この右手に握られているのは、端的に言ってしまえばリボルバーだ。
銀色の、無骨で機械感溢れる、6つのスロットを持つそれを、職員に突きつけている。
「言っておくが、俺だって魔術師なんだぜ? 障壁だって展開してる。銃弾如きじゃ貫けない」
「関係ねぇ。これは魔術を超越してる」
刹那――素早く引き金を引いた。
脳に響くような透き通った音色が鳴り、職員の瞳が点滅する。
すると、彼の瞳は灰色に染まった。
魔法陣が手に展開されていたが、それは消え失せ、虚ろに立ち尽くしている。
「……あと一拍遅れていたら魔術が発動していたな」
攻撃魔術なら防げるが、誰かに助けを求める類だとマズい。躊躇っている暇なんかなかった。にしてもよく動いたもんだと思うけど。
『確認。穿脳弾の効果は発動しています』
{いやはや、弾丸一発で自我の停止、無事成功。いや良かったぁ、灰目が殺傷性の武器じゃなくて。朝っぱらからグロテスクなもの見ずに済んだよ}
灰目。新たな獲物の一つだ。
エーテルブラスターと違って攻撃はできない分、技術に重きを置いた超次元な性能をしている。効果は意識や記憶に関していろいろと、ね。
『魔術――魔力を用いた障壁は、上位概念であるエーテルに通用しません。哀れですね、人間という生き物は』
{エーテルって便利だねぇ……}
『はい。これこそ技術の賜物です。便利なエネルギーに頼るのではなく、利用する。臣民と人間の差ですよ』
おっとまずい。AIちゃんの毒舌が止まらなくなってきてしまった。
恨みでもあるのだろうか……いや、こいつなら『マスターを害した生命体ですから』という返答が返ってくるのは想像に難くないな。
「こほん。ともかく、さっさと始めるとするか」
デスクに置かれたペンを取り、「探索者登録確認書類」と見出しがついたA4の紙につらつらと文字を書いていく。
内容は主に個人情報や危険さの注意書きなど。もちろん本当のことを書くはずはない。ドミナジオンは闇に生きている。違法な手段なんか普通に使うだろう。
だから、架空の新人探索者をでっち上げることにした。
「名前は不知火司。年齢16のバカ高校生」
一つ言い忘れていた。司くんはあくまで架空の新人探索者であり、架空の人物ではない。
何を隠そう、幼少期の僕の骨を何本も折りやがったクソガキである。
彼に迷惑をかけまくって復讐を――というのも嘘ではないが、正直に言えば名前を考えるのが面倒だったってのが大きい。グレイムもトーキとルトがメインで考えてたしな。
「よし、終わり。ほら、試験場に案内して」
「……」
……自我を無くした職員についていく。
朝だからか開いていない扉が多いが、カードキーでピッ、ピッ、ピッ――と小気味よいリズムを奏でながら勝手に開く。
数分後、明らかに金属で作られた広い部屋に到着した。船にあるのとはまた違う機械類が様々置かれていて、興味の視線が忙しなく移動してしまう。
『……最先端の技術をマスターはいつも見ているというのに、まさか浮気ですか!?』
「違うって! 逆に少し古い技術とかのがかっこよかったりするの。浮気じゃないから落ち着いて!」
やれやれ。またよくわかんないセリフを重ねちまったぜ。
『それでマスター、どうやって試験を行うのですか?』
「筆記と実技の2つがあるんだけど……筆記はいいよね、別に。今度データあげるから」
『データですか! 久しぶりの食事がやってきた気分です』
「AIにとってデータは食べ物なのか……」
言われてみればそうかもしれない。人間に食料が必要なように、AIは知識がないといけない。
いやそうじゃなくてだな?
「実技試験を始めて」
「……」
彼が指さしたのは、2メートルはありそうな半透明の石だった。
水晶というにはどこか異世界を感じるのは、僕の感覚がSFに触れすぎて慣れてきたからか。
記憶を思い起こし、この石に触れることが試験の一つだという結論に辿り着く。
そして、そっと触れてみる。
「おぉ……!」
触れた瞬間、水晶の中で極彩色の光が無数に現れ、屈折し、幾何学的な模様をいくつも描いていく。それは、まるで祝福のように、祝いの紙吹雪が舞うようにも見えた。
ふと、脳裏にプリズムという言葉が浮上した。理科の教科書で見かけたそれにずいぶんと似ている。
「美しいな……」
ファンタジー。幻想。でも、現実。間違いなく目の前にそれがある。
「ま、これでいっか」
なんだか一つの大きな美術品でも完成させたかのような感情が渦巻く。
そうなってしまったらもう試験なんてやりたいと思えない。
「僕の探索者カード作って」
「……」
すると、彼は無言で部屋を出ていってしまった。
「しばらく芸術鑑賞と洒落込むか」
なんて呟き、水晶の下に表示された「999999」の数字に気がつくこともなく、彼を待ち続けた。
◇
それから30分。彼は一枚のカードを持って戻ってきた。
そこには、
名前:不知火 司
年齢:16
認定級:D
能力級:S
とあった。名前もその他もバッチリだ。
能力のとこがSなのは……なんでだろうか。武器がなければ一般人なんだけどな、僕。
まぁ、高く評価される分にはいいだろう。
なにせ、夢への永続切符がついに手に入ったのだから!
覚めやらぬ興奮を抑えるように丁重にポケットに突っ込んで、再び灰目を取り出す。
「そろそろ配信も始めなきゃだし……」
灰目のスロットを3回くらい回し、職員に向かって撃つ。そして、鼓動を逆再生したような音が数回聞こえた。
これで彼の精神はもとに戻り、ついでに過去3時間の記憶も消える。
「AI、よろしく」
『承知。転移』
自我を取り戻す前に……と急いで転移し、目的地――郊外にあるCランクダンジョン、【肉の行森】――へと向かった。