第7話:帰ってきちゃったよ
「ん……朝か」
寝ぼけた頭でそんなことを言ったが、別に今が朝かどうかは関係ない。宇宙で昼夜を判別する方法とかないしな。
追放されてからきっと規則正しく生活してるはず……だから日本の朝は僕の朝なのだ。
『おはようございますマスター。地球・日本の時刻は現在7時です』
「おぉ、さすが僕。完璧だな。健康生活半年間してた甲斐があったというもんだ」
『えぇ、午後7時ですので完璧に昼夜逆転しております』
「なんでやねん!!!!」
ったく、AIのせいでまどろみが一気に消し飛んだ。折角ふかふかのベッドだったのに! バッチリ覚醒だよこんちくしょう!
『さてマスター、これから配信に向けて用意すべきことが沢山です。忙しくなりますよ』
「それじゃあ、まずは荷物の確認だな」
『そうですね。足りないものがあってはいけませんので』
そう言って、枕元に置いておいた手のひらサイズのカプセルを開く。それは一瞬で棚のように拡張され、様々な道具が並んでいる。
一見何に使うか分からないようなそれらは、トーキたちにもらった最新鋭の科学の結晶だ。たぶん。
「えーっと、なんだっけ?」
『左から、記憶操作デバイス、高速移動用ガジェット、事象の地平面生成装置――』
それからしばらく言葉の波状攻撃を浴び続け、耳にタコが10個くらい出来るほどの時間の後、用意に取り掛かった。
段取りはもちろん、装備や服装などの持ち物も確認する。
なんだか小学生の時に行った遠足を思い出すが、内容が平和の真逆を進んでいるので全然懐かしい気分に浸れない。
時に笑い、時に不満を垂れながら、僕は迫る初配信に思いを馳せ続ける。
「カメラは……大丈夫そうだな」
『電子の目も問題なく動作しています』
とか、
「この武器はまだ僕には扱えないかなぁ」
『そもそも残存エーテル貯蔵量がこれには心もとないので』
「ちょっとそれ詳しく」
とかのやり取りを繰り返し――気づけば、数時間が経過していた。
日本時間で午前4時。夜明け前のまだ暗い時間。
僕はブリッジの中央、高座に座していた。前方は全面モニターであり、船に取り付けられているであろうカメラの映像が映し出されていた。
「AI、発進用意」
『ステータスチェック――オールグリーン。発進します』
今まで動いていなかったこの船が、ついに動き出す。
歴史を、宇宙を変えるために、重い腰を上げたのだ。
――ゴウン、と重低音が響くと、船全体が細かく振動し始めた。
『地球に向かって前進開始。10秒後に突入します』
「うむ。……は? 10秒!?」
僕の混乱の叫びを無視し、船は信じられない速度で加速を始める。
星が流れる線になるほどの速さ。そしてすぐ、窓は真っ赤な炎に包まれる。どう考えても大気圏だか成層圏だかだ。
『3,2,1――日本の推定首都上空に到達。速度を減少』
刹那、窓の外にはビルの原生林が広がっていた。
まるで血管みたいに電気の光が生い茂っている。
さすがは眠らない街、東京だな。
「……1年ぶり、か」
幽閉され、追放され、帰って来る。
そんなことに1年もかかってしまった。
妹は元気にしているだろうか。もしかしたらまだ意識を失ってたり――なんて、考えたくもないな。今はすやすや眠っている頃のはず。
身長は伸びたかな。頭は賢くなったかな。友達は増えたかな。
きっと、あの頃とは何もかも違う。人は変わり続ける。
『マスター、タオルをどうぞ』
「タオル……?」
横のテーブルにいきなり白いタオルが現れ、それを適当に手に持ってみる。
すると、不思議なことに、勝手に湿っていくのだ。ポツ、ポツ……と、まるで雨でも降っているかのように。
そういえば、妙に目元が濡れている。タオルで拭うも、全然取れない。というか、視界も見えづらい。指も震えている。
「……あれ、泣いて、る?」
『妹さんがいたのでしたね。会いたいですか?』
会いたい――そうか、僕は帰って来たんだから会えるんだ。
今なら、出来るんだ!
「――会い、たい!」
『では折角ですし向かいましょうか。アシストモードで操縦権を譲渡します』
「ナイス!」
目の前にある操縦桿を勢いよく握り、妹――紬が眠る病院へと、船を動かしていく。
景色が流れ、涙が流れ。
僕は紬との思い出を思い出していた。
初めて料理を振る舞ってくれた日。
初めて誕生日を祝ってくれた日。
初めて小指の約束を結んだ日。
それらが無数に現れ、反響し、消えること無く木霊し続ける。
「病院は……あそこか。停止して、っと」
少し弄くれば、勝手に操縦桿が動いて船が止まる。
『転移座標を思考――』
ふと、一つだけ窓が開いた病室を見つけた。
窓の奥が見通せないせいで、深淵とすら言える闇が渦巻いているみたいだ。明るい月光の陰になっているような、非現実感を覚える。
『……なるほど。そういうことですか』
「ん? どうした?」
『いえ。ただ、“マスターの旧い相棒”はお優しいものだと思いまして。では、転移座標を確定――転移』
その発言を飲み込みきれないまま、微かな浮遊感と共に視界は切り替わる。
——青白い月の光が差し込む白い部屋。その中心にあるベッドの上に、黒髪の少女が横たわっていた。安らかな表情で、小さく胸を上下させている。
「紬……」
そよ風にカーテンがなびく。
光が遮られ明滅する。
だが、反射して煌めくものはなかった。ひたすらに深淵が鎮座しているだけだ。
そっと紬の頭を撫でる。相変わらずサラサラな髪は、あの日から変わっていない。まるで、ずっとそのままで放置されていたかのように思える。
ふいに、いつものように肩を揺さぶって起こしてあげようかという思考がよぎる。意味がないのは分かっていた。現代の医療技術でも治せない呪いだ。更に言えば、宇宙の技術ですらも。
けれど――これ以上触れていると、僕はもうダメになってしまう気がしてならない。ここから動けなくなってしまいそうなのだ。
それに、何も出来ない僕がここに来る資格なんか、本当はない。呪いという罪の意識が消えることはない。
だから。
「また、来るよ」
呪いが治せるようになったのなら。もっと強くなったのなら。
僕は、再びこの部屋に足を運ぼう。
『午前5時――そろそろ戻ることを推奨します。どうしますか?』
「分かった。戻してくれ」
『了解。転移』
最後に瞬きをした次の瞬間、紬の顔は操縦桿に置き換わっていた。優しい夜風が去っていった。
僕は遠く、遠く離れてしまった。
『さて、これより1時間後に探索者協会へ到着します。それまで配信の最終確認をお願いします』
「……探索者として成り上がって、強くなって、人脈を広げて紬を助ける。そうだったな」
あぁそうだ。ここで立ち止まってなんかいられないんだ!
世界よ、刮目せよ!
このグレイムが、どんな敵も宇宙の光で全て消し飛ばし、そして未来を掴み取るのだ――!