第18話:独壇場
「国破れて山河もなし——初めてこのダンジョンを攻略した探索者の言葉だよ。中々ユーモアがある人だと思わない?」
「ダンジョンなんだし山河はないと思うが……」
「そーゆーのは言っちゃいけないと思うな?」
そう言って、なんだか可笑しくなって、二人で笑い合う。
けれども、この灰色の都市に虚しく反響していくだけだった。
『敵性反応を検知。数、およそ50体。殲滅可能です』
「来るぞ」
「えっ、マジで? なんで分かるの?」
奔放なる死神を構え、じっと敵が現れるのを待つ。
「――っ!?」
しかし、姿を現したのは魔物ではなく、無数の炎の球だった。
僕はすぐさま足に力を込め、迂回するように走り始める。
ただでさえ都市という遮蔽物が多い場所なのだ、賢い敵は素早く潰さないといけない。
「うわ本当に敵いるじゃん! 私は一人でも大丈夫! だから思い切り暴れてこーい!」
遠くから聞こえた鈴波の声。それと同時に、走る速度を上げた。
「次はどんな奴が出てくるんだろうなぁ?」
エーテルを込めていく。
目の前で再び生まれた純白の太陽は、次第に大きく膨らみ、やがて空気を歪ませるほどの熱を放ち始めた。
僕の存在に気づいたのか、炎球がこちらにも飛んでくる。だが、当たったところで痛くも痒くもない。
すると、何体かローブをまとった骸骨が姿を現した。
手に持った長い杖から炎球が生成され、放たれている。
「追いかけっこでもするか?」
白炎を保ったまま、僕はビル群へと跳躍する。
邪魔な壁は白炎で消し飛ばし、縦横無尽に駆けて行く。
軽く振り返れば、骸骨たちがローブをなびかせながら付いてきていた――炎球もおまけで。
「かははっ! おもしれぇ!」
少しすると、その数はだんだんと増えていき、気づけば周囲は骸骨の魔術師だらけになった。
道路を走り、壁をジャンプし、終わらない鬼ごっこが続く。
炎球を何発も何発も撃たれ、しかし何も感じない。
『損傷は軽微。戦闘は続行可能です』
けれど――なんだか気に入らない。それどころか、ウザくなってくる頃だ。
「いいからこの都市ごと滅べッ!」
一番高いビルの頂上へ、全速力で駆け上がり、空中に飛び立つ。
灰の都市めがけ、指揮棒のように奔放なる死神を振り下ろす。
そして――眼下に広がっていた世界は滅んだ。
……そう思わせるほどの爆音と爆風が吹き付けてくる。
ビルはガラスの如く光る欠片を煌めかせながら、粉々に破壊されていく。
骸骨の魔術師は、その影響で吹き飛んだ。壁に打ち付けられ、あるいは太陽に呑み込まれて動きを止める。
「よし。一丁上がり」
「うっひゃぁ……こ、こんなに強いとは思ってなかったよぉ」
鈴波の元に帰ると、彼女は呆然とした表情で滅びゆく街を眺めていた。まるで他人事みたいだな。
直後、つんとした匂いが鼻を刺激した。
「あ、こっちも終わったよっ」
辺りには、痙攣して無力化されたゾンビや、黒焦げになった骸骨が散乱していた。その真ん中で、キャピッ☆と笑顔でいられるのだからAランクとは怖いものだと思う。
「おぉ……これはまた……」
「それじゃ、行こっか。次は最後、下層だーっ!」
――と、それが十数分前の話。
僕たちは今、なにもない空間をさまよい歩いていた。
本来ボスがわんさかいるらしい大きな講堂の中に、足音がコツ、コツと遠くまで反響していく。
「『こんな静かな下層見たこと無い』『ありえん』『どうなってるの……?』いやほんとそうだよね。私もこんなイレギュラー始めてで……だ、大丈夫かなぁ?」
「なんでリンが心配してるんだ。僕のセリフだろうそれは」
「うぅ、この状況が恐ろしくないグレイムくんが羨ましい!」
にしては、なんとものんびりしている。警戒心なんかこれっぽっちもないんじゃないかな。
一つ気にかかるとすれば、やけに空気が重く感じることくらいか。空間が歪んでいるとすら思えるほどの「圧」を感じる。
『マスター! 敵です! 避けてください!』
「……は?」
刹那――咄嗟に回避した僕の目の前に、巨大な塊が落ちてきた。
「な、なにこれ!?」
『該当生命体の戦闘力は35万と推定。殲滅可能範囲ですが、危険を伴います』
「リン、下がってくれ。これはマズい」
ぬるり、と塊が動く。
それは、骨と肉の集合体だった。
骨が見えているというより、骨と肉がごちゃごちゃにくっつけられているような、不気味で異質な感覚を覚える存在。
だが、確かに目と四肢はあり、そして僕に濃密な殺意の濁流を浴びせてきている。
「身長は3メートルくらいか。とんだ化け物だな……」
「間違いなくイレギュラー! グレイムくん! 逃げないと!」
『恐らくマスターの逃走は不可能かと。標的にされています』
瞬きをする。目の前に、太い腕が迫っている。
「くっ……!」
「グレイムくんっ!」
痛みは少ない。
だが重い。とにかく重い。一瞬で身体が大きく吹っ飛ばされてしまう。
それに動きも早い。これは奔放なる死神なんか使ってる暇ないぞ?
「――」
「これでっ、どうだ!?」
咄嗟に武器をエーテルブレイドに持ち替える。
エーテルの刃が化け物の腕に食い込み――けれどそこから先には進まない。硬い壁があるかのようにびくともしない。
「おいおいマジかよ……!?」
後方に跳躍し、距離を取った。
限界まで瞬きをしないように耐え、脳を全力で動かしていく。
『行動予測――次の攻撃時、マスターの左側が攻撃される可能性が高いです』
瞬きの直後、視界の左側に大きな影が落ちる。
すぐさま身体をひねって右腕を滑り込ませ、エーテルブレイドでそれを受け止めた。
「なんつー力だよっ……!」
不意に乾いた笑みが零れる。
腕一本で出していい力ではない。ビル一本がのしかかってるとすら思える。こっちは両腕を使ってやっとだというのに。
「……っ!」
ニヤリと、化け物が口角を上げたような気がした。
それが確信に変わったのは、大きく振りかぶられた左腕が見えた瞬間だった。
「グレイムから離れてッ!」
鈴波を見ると、周囲に幾重もの放電する魔法陣を展開していた。
髪の毛は逆立ち、身体には稲妻をまとっている。
それはまるで——落雷の予兆。
刹那——耳をつんざく轟音がして、無数の雷撃が化け物を穿った。
「——!!」
「早くッ! その腕をッ! 退けてッ!」
声を荒げる度に、雷は勢いと速度を増していく。
一方、化け物の表情は読み取れない。だが、少しだけ——眉をひそめたような気がした。
ふと、腕が軽くなる。
「リンっ!」
化け物は、僕ではなく鈴波をターゲットにしたらしい。
彼女の青ざめた顔が目に映る。
『マスター。動くのですか? 人類に情けはかけないと言ったあなたが』
……突然、世界が停滞した。
思考でも加速しているのか、全てがゆっくり動いている。
それを作り出したであろうAIは、僕に問いかける。
「……これは慈悲じゃない。僕の為に必要なことだ」
『その理由は?』
「僕は英雄になる。僕を信じてくれる人の為の英雄に。それが僕の為になる」
『あなたなら、その答えを引き出してくれると信じていました』
引き伸ばされた時空が戻っていく。白昼夢だったかと思うほど、自然に。
「っ——!」
全力で踏み込み、最高速度で突っ込む。
どこに? と聞かれれば、こう答えるしか無い。
「くはっ——!」
「なっ、何してんの……!?」
『……』
化け物とリンの間、と。
あぁ……とんでもないわ、これ。
ぶっとい腕が身体を貫通してるよ。ドクドクと漆黒の液体が流れ出してるし。ははっ、こりゃダメだ。
「ちょっ、グレイムくんの血で魔法陣が出来てるんだけど!?」
血で魔法陣? またまた、そんな冗談は——
「やばっ……魔力……濃密すぎ……!」
——少し目を落とす。
下の方が、光っている。
妖しげな、深遠なる闇のような黒い光が、魔法陣から漏れ出している。
『エーテル濃度上昇。魔力換算10億です。さすがマスター、あなたに秘められていた神秘は恐ろしいほどに強大だ』
刹那——漆黒が這い上がってきた。それも尋常でない速度で。
“それ”に僕も化け物も飲み込まれ、視界は黒で塗りつぶされる。
「(なんだ……これ……なんか、安心するような)」
一言で表すのなら、ここは「宇宙」だった。
生と死の怨嗟が冷たく去来する、僕のよく知る空間。
それに、よく似ている。
«宿主よ。貴方は、我が守る»
——お前は……誰だ?
«今は気にせずとも良い。ただ——魔神と»
宇宙の残響のような声が薄れ、視界が開けた。
それと同時に、身体が軽くなる。見れば、腹に空いていたはずの大きな穴は完全に塞がっていた。それどころか、原因である化け物も、片腕だけを残してどこかに消え去っていた。
「……な、なにが、起こって‥…?」
「それは私のセリフだよ!!! いきなり腕で貫かれて、黒い血で魔法陣が出来て、黒い濁流がばーって上に吹き出して、気づいたらあの化け物がいなくなってて……!」
それで——この黒い桜が咲いていたんだよ!
リンは、僕の目を見て、涙を浮かべながら一息にまくしたてた。
金色の髪がゆらゆら揺れている。
天井も空間も破壊して、どこまでも伸びる黒い桜——その黒い花びらが、そっと舞う。
「あぁ……つっかれたぁ……!」
「グレイムくん!?」
ダメだ、意識が保たない。眠いとかの次元じゃない。
「おやす……み——」
『マスターの性質がまた一つ分かったような気がします。ふふっ、本当にマスターは面白いですね』
僕は――輝いていたのだろうか。
そんな事を思いつつ、僕は心地よい深淵に身を委ねた。
『おや、見つかってしまいましたか。これはミスですね』