第11話:とある清掃員の消えない記憶
「すっ、すみません……! 忘れ物しちゃったので取りに行っていいですか……?」
「はぁ、忘れ物? 帰社まであんまり時間ないから10分で戻って来てよ?」
「はいぃ……!」
私は、この上司があまり好きではなかった。気だるげで、私をいやらしい目で見てきて、怒りっぽい。とにかく怖い。
気弱な人間が、いちばん苦手とする相手だと思う。
でも今は感謝しないといけない。
UNAZI日本支部の清掃業務を委任されている有座田清掃の名に泥を塗りかねないというのに、それを許してくれたのだから。
……正直、よくわからない。なぜそれで泥を塗ることになるのか、まったく。でもそうらしい。
落ちこぼれでダメダメで、何にも出来ない私を拾ってくれたから、文句はあんまり言いたくないけど、でも、この厳しい雰囲気はどこか異常だとずっと思ってる。
「はぁ……はぁ……!」
仕事人は《《観客》》に影すら見せない――上司が朝礼で毎回言うセリフ。
それが何を意味するかと言えば、車が支所から遠いところに止めてあるということだ。息も切れ切れで、たどたどしい足取りになるくらいには遠い。
「はぁ……いき……整えないと……」
既に受付には職員の人が立っている。そこでこんなみっともない姿を見せては印象が最悪になってしまうかもしれない。
そうしたら、私の首は……
「だ、だめ。考えちゃ……だめ」
湧き上がる仄暗い感情の濁流を抑え、少し深呼吸。
そろそろ、だいじょうぶ。
「……っ!?」
ちょっと覗いてみると、中に、人がいた。
心なしか、見覚えがあるような気もする。例の忘れ物――母の形見のロケット――に入れた命の恩人に。
そして、胸の中で恐怖と好奇心がせめぎ合って、戦って、好奇心が勝った。僅差の勝負だった。
ゆっくり、音を立てないように扉を開ける。
「――!?」
息が詰まった。窓からでは見えなかったものが見えてしまった。
銃。あるいはリボルバー。
たぶん、そう呼ばれているものを持っていた。
「(あの人は私を助けてくれた。こんなことする人じゃ、ない)」
呪文のように、心で呟いてみる。でも、疾走する鼓動のスピードは落ちない。
「言っておくが、俺だって魔術師なんだぜ? 障壁だって展開してる。銃弾如きじゃ貫けない」
「関係ねぇ。これは魔術を超越してる」
職員の人は右手に魔法陣を展開している。あれは防御術式だ。魔力量からして上級。そこそこ、といったところ。銃弾は防げそう。
でも、あの少年は迷わず引き金を引いた。
「……あと一拍遅れていたら魔術が発動していたな」
違う。魔術は既に発動していた。ただ、銃弾がそれを貫通していってしまっただけだ。
それ以外にも違和感がある。
銃を撃ったとは思えない音色、吹き出ない血、魔力に似た何かのエネルギー……いっぱいの「おかしい」が、そこに散乱してる。
「よし、終わり。ほら、試験場に案内して」
私が呆然としていると、少年はそう言った。
次の瞬間には職員が盲目的に動き出し、不自然な様子で歩いていく。
あの動きは、まるで洗脳とかそういう類の魔術に似ていた。
確か、有座田清掃には精神術式を担当する専門の部署があるとか聞いたことがある。私と関わりがない部署なので詳しくは知らないけど。
「……あっ!」
ふと、本来の目的を思い出す。
そうだよ。私は、あの王子様みたいな、恩人のロケットペンダントを取りに来たんだ。
「今がチャンス……!」
◇
全く。あの上司がアクセサリー禁止にするからポケットに入れてただけなのに。ちょっとチェーンが飛び出てただけなのに。まさか置いたまま忘れるとは。探すのに数十分かかってしまったし。大変だった。
しかも、それであんな謎の状況に遭遇する羽目になった。上司はいつか殺す。
「なっ……に、これ!」
突如全身を襲う、強烈で濃厚な魔力。
吐き気がするくらいに漂うそれを、私は反射的に追いかけていた。
「嘘……」
そこで見つけたのは、意味の分からないくらい綺麗で、幻想的で、この世にあっちゃいけないものだった。
そこで虹色にキラキラ輝いてるのは、魔力石という名前の石だ。
魔力を流し込むと、一つから五つくらいの色の線が魔力の多さに応じて伸びていく。それでD〜Sとランク付けがされる。
――そう。最大で五つ。
あれは、それどころではない。ざっと百はある。色も鮮やかだ。
……ありえない。
「そろそろ配信も始めなきゃだし……」
今度はリボルバーの回転するところを回し、撃った。
職員がふらふら揺れて、数秒して沈黙する。
「AI、よろしく」
そんな言葉が聞こえ、彼は消えた。
「……消えた?」
瞬間移動。転移。そんな感じの魔術だろうか。それにしては魔法陣が、術式が見えなかった。
「……あははっ」
私の常識が、全部崩れる音がした。
ふいに、手元に握ったロケットの写真を見る。
安心を求めての行動なのかもしれない。
でも、ダメだった。
さっきから見えていた横顔が、どうしようもなくこの手の中にいる“彼”
と似ている。
まるで、一縷の希望に影を落とされた気分だ。
「あ、れ、私、泣いて……?」
――そこからの事はほとんど記憶にない。
感覚的には、涙がまぶたから落ちて地面を湿らせる程度の時間だと思った。でもたぶんそうじゃない。あの距離を走って、車を見つけて、半眼の上司に泣くほど怒られた。
「なぁ、お前何分かけてきた? 40分だぞ? 30分もオーバーしてるんだぞ!? なぁ!?」
「ひぐっ……す、すみっ、すみません……!」
この苛立ちをどう解消しようか……脳内ではずっとそれが渦巻いていた。
そして思いついた、素晴らしい案。
彼の正体も分かるし、正義も果たせる方法。
私の労力が少ない、簡単な方法。
きっと、彼の常識外れな能力に影響されて感覚がおかしくなったから考えつく方法。
――そうだ。あの少年をUNAZIに通報しよう。