第七部 第6話 ハーブティーは美味しくなりそうもない
「んじゃ、今後の計画としてはコレでいいな。各自、準備を進めてくれ」
この日、ADaMaS主要メンバーの集まりは夜遅くまで続いた。これから直面するであろう事態とは裏腹に、その雰囲気は明るく、まるで学園祭の打合せを熱心にしている学生の集まりのようですらあった。
「それと最後にな?個人的に渡してもよかったんだが、ウテナ?手紙の山の中に一通、こんなのが紛れてたぜ?」
そう言いながらナナクルが取り出した封筒には見慣れないマークが入っている。表書きの面を見る限り差出人の名前は無く、宛名には〝親愛なるウテナ・ヒジリキ様〟とわざわざ書かれている。ウテナは受け取った直後、裏を返してみたが、やはり差出人の名前は無い。
「ファンレターでも混じってたか?」
「ああ、あながち間違いじゃないね」
冗談のつもりで言ったウテナに対し、ナナクルの表情は深刻そうだ。今回のように個人宛でADaMaSに届いた郵便物等を、ナナクルやローズが勝手に開封することはない。もちろん、今回無数に届いた書簡(脅迫状)に紛れていたことが開封を促したことは否めないが、それ以前に、ナナクルはその封筒にそこはかとない畏怖を感じたことが開封に至った最大の原因だった。
「すまんな、中は見た。どーにもその封筒・・・というよりそのマークがかな?封筒に恐怖するなんて、人生初経験だったぜ」
そのマークは、丸い円の中に2本の線が縦に入っている。ただし真っ直ぐではなく、下に向かって緩やかに、そして広がるように曲線を描いている。その2本の線の間に螺旋のようにも見える右肩上がりの線が3本、緩い曲線をもって2本の縦線を繋いでいる。円の内側にたった5本の線で描かれているそのマークを始めて目にしたとき、ナナクルにはそれが〝塔〟を表しているように見えた。タロットカードにおいて〝塔〟は〝避けられないトラブル〟や〝事故・災害〟を暗示している。
「コレは・・・うん、みんなにも知っておいてもらった方がいいか」
「だろ?」
封筒から取り出されたのは3つに折られた1枚の用紙だ。そこに多くは書かれていない。
「こんにちは、尊敬するウテナ局長。
お互いに知ってはいるけど、初めまして。
近いうちにディミトリーを誘ってお茶でもどうかな?
そこのハーブティーは美味しいらしいね。
いい返事を待ってるよ」
ウテナはそこに書かれているたった5行の差出人の〝言葉〟をそのままみんなに告げた。誰もそれだけで終わりだと認識していなかったのだろう。次にウテナの口から出て来る言葉があると信じて疑わない間が生じた。
「・・・終わり?って言うか、ダレ?」
マドカが怪訝そうな表情をウテナに向ける。マドカだけではない。そのほとんどは同じような表情を浮かべているが、その手紙を持ってきたナナクルと、reefの代表でもあるミシェルだけは、表現するなら怖い表情をしている。どうやら差出人に確信的心当たりがあるようだ。再び訪れたほんのわずかな間を打ち破るため、ミシェルは思い当たっているその人物の名を口にした。
「ミリアーク・ローエングラムね?」
「ああ、そうだと思うよ。明確に名乗ってはいないけれどね。この文章で一番の問題は、どっちがディミトリーを誘うのかってことだね」
「いや、チガウでしょ」
いろいろとガマン出来なかったローズが間髪入れずにツッコミを入れた。
まるで友達か何かのような軽いノリの文章にしか見えないが、その3者会談は〝異様〟なことだ。IHCの実質的最高責任者であるミリアークと、元Noah’s-Ark中将であるディミトリーに面識があったとしても不思議はない。ディミトリーとウテナの間にも面識はあるのだから、接点としては成立する。だがそもそも、世界がADaMaSを〝敵〟と認識しようという今、そのADaMaSの人物、それも主要どころか要とさえ言える人物と会談を設けるには、それ相応の理由があるはずだ。
「その理由が分からないわ。それにそもそも、ここが攻撃目標となったことぐらいIHCの幹部なら知ってるでしょうに・・・それでも会談の場所にココを選ぶなんて、正気とは思えないわ」
「ミリアークはIHCとしてソレ、送って来たワケじゃないぜ?おい、ウテナ・・・その文面、みんなにも見せてやれよ」
「見せるのか?まぁ、ミリアークが正気じゃない証明にはなるかな?」
両手で持っていたその紙を左手だけに持ち替え、みんなの方へくるりと反転させると、ボールペンか何かで手書きされたと分かる5行の文章の下に、文面の存在を無かったモノにしてしまいそうなほどの存在感を示す〝キスマーク〟があった。その色はイメージに反して薄いピンク色だ。
「局長・・・ソレ、ホントはホントにファンレターなんじゃないっスか?」
「だったとしたら、キスマーク付きのファンレターなんて、コワいだろうよ?」
「お兄ちゃん、キモぃ・・・」
そのたった1枚にたった5行だけが手書きされた紙きれには、どうやら恐ろしいほどの魔力が封じられているようだ。ただその手紙の受取人であったがばかりに、実の妹にすら「気持ち悪い」とさえ言われたウテナは、「僕って本来、被害者だよな?」と心中で自問した。
「ねぇねぇ?ところでソレ、返事どうするの?」
さっきの「キモぃ」が冗談だということは、そのわざとらしい表情が物語っていたが、反面、マドカの質問は肝心なモノであることを、やはり表情が物語っている。
「そりゃ受けるさ。むしろ願っても無いぐらいだよ」
「えっ!?受けるの?」
驚くほどに冷静で静かなウテナの返事に対し、ローズの反応は驚きを隠せなかったようだ。辺りを見渡せばローズ1人ではないその反応を他所に、ウテナの視線は誰とも交わることなく、あらぬ方向へ向けられたままだ。
この申し出を受ける最大の理由は、〝ディミトリー〟の名前があることだ。ウテナはディミトリーへの連絡手段が無い事に困っていたが、どうやらミリアークにはソレがあるらしい。たとえキスマークを付けて手紙を送って来るような女であっても、〝今〟ディミトリーと会う事ができるのなら、それが最優先事項だ。
「もしも本当にその3人で顔を合わせることができるのなら、最高の結果としては戦争を即座に終わらせられるかもしれない。そうでなくとも、最悪でも、気にしなきゃならない2つの勢力・・・いや、2人と言った方が正しいかな・・・何考えてるかは解るからね」
「最高の結果は有り得る話ね。ウチに入った情報だと、ミリアークは13DやGMを筆頭に、いくつかの兵器開発企業TOPと会談してるみたいなのよね。彼女なら、業界そのものを牛耳る可能性はあるわ」
そう言いながら、ミシェルはテーブルに置かれていた封筒に記された、これまで見たことの無いマークを指さした。もしもそのマークが、ミシェルの言う会談が行われている組織のマークだったのなら、ソレを用いて封書を寄越したミリアークはそのTOPだと考えても差し支えは無い。
「はぁ・・・どう転んでも、ハーブティーは美味しくなりそうもないわね・・・」
ローズの深いため息を他所に、マドカがキョトンとした顔をウテナに向けている。その表情に気付いたウテナは、「どうぞ」と言う代わりに、左手をマドカに差し出した。
「そうじゃなくてさ?返事するのはいーけど、送り先、判んないじゃん」




