第七部 第3話 かのシャーロック・ホームズはそう言った
「ミシェル姐ぇ?ココみたいな町を作ってあるって、ビックリなんだけど?で、そこに移るっつーのはオケなんだけど、もう一方は?」
相変わらず、マギーの話し方に緊張感は微塵も無い。だがそれが彼女が不真面目であることにはならないことを、ADaMaSの全員が知っている。
「それがもしかしたら、今回の話のメインになるかもしれないわよ」
マギーにウィンクしながら軽快に応えたミシェルは、そこで初めて、空になっていたグラスをテーブルに戻した。わざとらしく、〝間〟を作っている。
「ウテナはディミトリーを止めることを決意したわ。でもその前に、今のディミトリーと反物質について説明する必要があるの。ウテナ、ここはお願い」
反物質とはそもそも何なのか?その問いに答えるのはそれほど難しいことではない。物質ではないがしっかりと存在が確認されているモノ。それは人の意志だ。そしてBrain-Deviceという金属は、人の意志を電気信号で捉え、内側に〝記憶〟する性質を持っている。そんなバカなと考えたいところだが、単純に〝電気を蓄える性質のある金属〟と考えれば、有り得る話だ。
技術進化の結果として生み出された〝反物質精製装置〟とは、人が思考することで生じる極微弱な電気信号を記録し、集積したソレを1つの物質として顕現させる装置であり、〝反物質〟とは人の意志の集合体だということだ。
では、その仮説が正しいとして、どうしてソレが接触した物質は消滅するのだろうか?具体的な消滅の理由は(やはり仮説だが)説明ができている。問題は〝ナゼそれが出来るのか?〟だが、精製された反物質が放出したあの黒い光の玉には時間軸が存在しないと推測される。
意志とは人個人が持つ固有のものだ。そしてこの意志というモノは不思議なもので、時間の経過によってその性質を左右されることはない。意志は意志のまま永続し続けるということだ。変化はあっても消失はしない。消失したと感じることはあっても、実際には別の意志であったり、意志を持たないという意志に変わっていたりする。「意志が無い」=「意志を持たないという意志」であり、意志そのものが0になるわけではないという意味だ。そして驚くことに、この固有の意志は他者に影響を及ぼす。
影響は個人の意志が他者の意志に対して発現する。では意志が〝反物質〟という〝物質〟となった場合、影響を及ぼす対象はどうなる?
「なるほどな、対象も意志から物質に変化する・・・だから反物質は物質に対して影響を及ぼす・・・リクツとしては通るな。でも、まだ話は半分・・・だよな?」
「そのとおりだナナクル。では続きを話そうか」
反物質が物質に影響を及ぼす理由は仮説が立った。ではなぜ〝固有時間の超過速〟という影響になるのか?この問いも、実はそれほど難しいものではない。反物質が放出した黒光球の正体は〝物質化した意志〟であり、意志には〝時間軸が存在しない〟からだ。
時間という存在は万物に対して必ず影響を及ぼす。その影響下にない〝物質〟は存在しない。だが意志は物質ではない。時間の経過とともに、意志の内容が変化することはあっても、意志という存在そのものが変化することはない。
面白いことに、この意志という存在は、その保有者が死亡しても影響を受けない。つまり消えない。「故人の意志を継ぐ」ということがあるが、それこそが意志に時間軸が存在しないことを表している。
反物質とは時間からの制約が無効なモノであり、その影響を受けた物質は時間から開放される。しかしその物質が存在する世界は、時間の制約を受けたままなため、そこに乖離が生じ、内側の無限と外側の制約が現象を引き起こす。その現象を説明する言葉が〝固有時間の超過速〟である。
「全ての不可能を除外して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実となる。かのシャーロック・ホームズはそう言ったわ」
いつの間にか、ミシェルの手にはカクテルのスクリュードライバーが握られている。
「そうね、姉さん。資源衛星の消失っていう事実だけは、確実に目の前で起こった現実ですものね・・・でも、とりあえず反物質のコトは解ったと仮定して、まだ話が見えない・・・というかつながらない気がするんだけど?」
どちらが手配したのかは定かでないが、ローズの前にもカクテルのマリブサーフが置かれていた。
「反物質のことが理解できたのなら、次にいけるわ。ここは私が」
手にしているスクリュードライバーを数回喉に送り込んだミシェルは、みんなの表情を読み取った。次の話に移っても問題はなさそうだ。
反物質そのもののコトは説明が出来たとして、それを生み出した精製装置に使用されているBrain-Deviceが記憶した意志とは誰のモノだったのだろうか。装置の製造にかかりきりだったのはウテナだ。BDに最も近く、最も長く接していたのもウテナだ。ならばBDが記憶した意志の持ち主はウテナなのだろうか?もしくは、ADaMaSに存在する人々全てなのだろうか?
おそらく違う。これは結果論になるが、ウテナやADaMaSの住人であったならば、ディミトリーの人格が変わることはなかったはずだ。
「ディミトリーの人格だって?話が急に変わらなかったか?」
「いいえ、順番が前後するだけよ。まぁ、聞きなさい、ナナクル」
ディミトリーの人格が変わってしまったと感じることに、彼と接したことのある者は異論ないだろう。ディミトリーは強固な意志、人格の持ち主だったはずで、それを変えるにはよほどのことが無い限り、不可能なことのはずだ。それでも変わったと〝感じる〟のはなぜか?変わったのではなく、乗っ取られたのだとしたらどうだろうか。
反物質は意志の集合体だ。そしてそれは、他の物質に影響を及ぼす。では、反物質そのものに意志はあるのだろうか?おそらく反物質が固有する意志ではないのだろうが、ソレはある。ならば反物質に内在する意志が影響を及ぼす対象は、反物質が影響を及ぼす対象に内在する意志だったのではないか。
ウテナにとっては幸、ディミトリーにとっては不幸だったのだろう。反物質を目にしたとき、ウテナはその光を「禍々しい」と感じ、ディミトリーは「美しい」と感じた。それはそのまま、反物質という存在への「否定」と「肯定」だった。そして〝肯定〟は〝共感〟を生み出し、〝共感〟は〝浸透〟を容易にする。
「じゃあ何か?今のディミトリーは反物質が人体を持った姿だって言うのか?」
「そのとおりよ。ま、あくまで仮説だけれど、私とウテナは結論をそう導き出した。ちなみに私、かの名探偵、好きよ?」
2人が導き出した仮説が正しいのだとすれば、BDが記憶した意志も仮説が成り立つ。ウテナであろうとなかろうと、ADaMaSの人間が戦火を悪戯に拡大するような意志はない。おそらくBDが記憶したのは、〝意志〟ではなく〝遺志〟。意志に無いのは時間軸だけじゃない。〝空間〟も無関係だ。そして今の地球上には、たくさんの恐怖を抱えたままの〝遺志〟が無数に存在する。自分だけが不幸であることが許せず、自分をそうさせた〝戦争〟という世界を憎む。生きている者たちを妬み、死ななかった者たちを恨む。要するにその正体は〝戦死者の魂〟だ。
「私、その仮説信じるわ。中将には直接会ったことないけど、この仮説で私の知ってる事実全部、説明がついちゃうんだもの」
セシルは少し身体を震わせながら、ミハエルに寄りかかる。
「局長、それが彼を止める理由か・・・でも、保証や確証は無いだろ?」
セシルの身体をしっかりと抱きとめ、顔をウテナの方へ向ける。当のウテナはミシェルが説明している間中、ずっと瞳を閉じたまま、微動だにしていなかった。
「ああ、無い。でも完全に消えたって証拠も無い。それが出来れば、まだ取り戻せるかもしれないんだ」
ゆっくりと開いた瞳には、(ウテナにしては珍しく)強い意志が宿っている。たぶんそれを一番解っているのはマドカだろう。
「お兄ちゃん、やるのはディミトリーさんの(意志の)救出よね?なら、取り戻すって、何を?」
マドカはきっとその問いの答えを知っている。いいや、マドカだけじゃない。そこに居る全員が解っているだろう。それでもあえて、ウテナ自身の口から聞きたいこともある。ウテナは立上り、左手をテーブルの上に置いた。
「世界だよ」