第六部 第7話 ヘルメスの杖
「〝聖なる力を伝える者が携える呪力を持った杖〟だそうだ」
アン・ハートレイとユウ・ハートレイそれぞれの前にはMhwがそれぞれ立っている。製造はあのADaMaSだ。アンの機体はeSに似ている。大きく目立つのは膝のアーマーが異様に長いことと、両前腕に何かの兵装らしきものが存在することぐらいだろうか。そのMhwは「kerukeion」と言った。
ユウの機体はeSの発展機eS改の外観を持っている。こちらの機体は脚部前面が二重装甲になっているようだ。そして、背部バックパックの形状がeS系のものとは大きく異なっている。右前腕にのみ兵装と思われるものが存在するこの機体をADaMaSは「caduceus」と名付けた。
「kerukeionもcaduceusも言語が違うだけで、同じですよね?確か・・・神話に出て来るヘルメスが持ってる杖だったような?」
「へぇ・・・アン、よく知ってるな」
ヘルメスとは神話に登場する神であり、その権能は多岐に渡るトリックスター(悪戯好きだと思えばいい)的存在だ。だが、ヘルメスが持つその杖は、完全性を作る力の象徴とされ、対立物(例えば〝天と地〟や〝太陽と月〟〝男性と女性〟など)を統合して完全性を作り出す。図柄で用いられることが多いのは、翼のある杖と絡みつく2匹の蛇だ。
アンは神話を好んだ。そこに登場する神々は皆、超常的な力を持つ。神話の中でその力は何度も行使されるが、行使するに至る理由が何とも人間的なところに面白味を感じている。そしてそれは、今でこそNEXTという総称がある自分たちに重ねることも度々あった。
「私、神話って好きだもん。それにしても、コレがマドカちゃんのトコで作ってくれたMhwかぁ・・・」
「2人とも、これからこの2機の稼働試験をやるよ?・・・アン少尉、キミはこれから初めて、1人で宇宙空間に出るんだ。シミュレーターでは良好だったから基本的には問題ないだろうけど、ムリはダメだ。いいね?」
2人は背後に立っているセウの方へ向き直ると、揃って「了解しました」と返答した。
これまでに何度もシミュレーターで訓練をしてきた。ユウについてはフロイトから聞いていたとおり、申し分ない結果を見せていた。予想外だったのはアンだ。ユウと同程度、射撃精度などのいくつかの項目では上回る結果を叩き出していた。
それぞれのMhwに搭乗するため、無重力の中を床からコクピットに向かって飛び上がる2人を見送りながら、セウは呟く。
「シミュレーターの敵に心は無いんだ。問題はこれからだ」
Kerukeion、caduceusの両機とも、流石にADaMaS製Mhwだと実感させられる。初可動試験だというにも関わらず、その機動力には目を見張るものがある。こと宇宙空間においては、無重力空間であるが故に上下左右の認識や、遠近の把握が困難になる場合がある。特に初めて宇宙に出た者にとっては、自分の位置や向きといったものを見失いがちだが、この2人にとってそれは稀有なことだったようだ。
「2人ともこのポイントへ向かってくれないか?」
2人はそろって「了解」と返答すると、セウがレーダー上で示したポイントへ向かった。そこは大小多数のデブリが存在する空間の手前に位置していた。
「2人とも、その空間を上手く抜けられるかい?速度は落してかまわないよ」
宇宙空間に限らず、Mhwの移動はパイロットの操作にコンピューターの補佐が加わる。オートバランスはその最たる例だ。このプログラムとはつまり、例えば右脚を上げようとした場合に左側に倒れてしまわないように体全体を使ってバランスを取るといったことだ。これは人間ならば普段から当たり前に、無意識に行っている。こうした基本的なことを別として、パイロットの技量が上がれば上がるほど、意図的にコンピューターの介入割合を減らすことが多い。これは格闘戦を得意とするパイロットに多く、例えばAttisを駆るフロイトや伊邪那岐のアキラに至っては、コンピューター補佐を完全にカットしている。
宇宙空間においての補正は、デブリなどの回避がオートで行われるよう初期設定されている。例えばデブリの数や密度が一定以上であった場合、そこへの突入そのものを回避するように設定されていたりする。これに抗う行動をパイロットが取った場合、可能な範囲で補佐を行うが、特にデブリの密集度が高ければ補佐しきれず衝突することがほとんどだ。
「セウ中佐?行きますけど・・・コレぶつかったら怒られます?」
「行けと言ったのは僕だよ?怒りはしないさ。もちろん、ぶつからないに越したことはないけどね」
「安心しました。では・・・行きますっ!」
セウが思っていたよりもアンの様子は前向きなようだ。戻ってから少し小言を上から言われたが、ADaMaSで過ごした時間が功を奏したのだろうと思う。とりわけ、マドカたちとの出会いは特にアンにとって良い要素となったようだ。
驚いたことに、kerukeionはデブリを縫って進む最中にも、その速度を上げている。同時にデブリ群に突入したcaduceusは初速から高い速度を維持したままだ。セウは2機の機動データとプログラムデータにサッと目を向ける。
「なんて子たちだ・・・コンピューター補正が2人とも30%以下だなんて・・・しかもコレは・・・ADaMaSはMhwの性能だけじゃないってコトか」
セウがそれぞれのデータから読み取ったものは、2人のパイロットとしての技量だけではなかった。セウの知る機体制御プログラムであれば、初動の時、意図的に介入率を下げない限り、(周囲に敵機が無ければ)デブリ群への突入は避けるはずだ。
2機に搭載されている機体制御プログラムもADaMaS製だ。それは2人の操作に対して、最小限の介入しか行っていない。ADaMaS製Mhwに搭乗するパイロットはエース級の者がほとんどなのだから、これは初期設定だろう。凄まじいのは、その介入速度とタイミングだ。秒単位で繰り返し行われている微細な補正は、言葉にするほど簡単なものではない。正直なところ、ソレがどうなっているのかはさっぱり解らないが、ADaMaSというところが、Mhwに関わる全てに一級の技術者が居ることは確かだ。
「よし、それじゃあ今日のメインイベント、行ってみようか」
「ソレ、待ってました。アン、準備はいいか?」
「うん、大丈夫。私が開始させるね・・・integrity!」
アンの言葉に反応し、コンソールにintegrityの文字が浮かび上がる。音声入力だ。アンの乗るkerukeionが大きくその姿を変えていく。腕部が肩から引き出され、肘の関節が伸びるかのように腕そのものが延長される。マニュピレーターは前腕内部に沈み、左右の腕にあった兵装らしきモノが手のあった場所に被るように移動してくる。脚部には大型のビームライフルが隠れていた。長いと思われた膝はそのバレルであり、その全長は脹脛から突き出ていたスラスターに見えた箇所まであった。Mhwの時、足であった部分は、背後に移動している。頭部が胴体内に沈むと、コクピット部分が頭部であった場所に回って来た。
一方、caduceusの方はそれほど大掛かりではない。背部バックパックが腰部リアアーマーの辺りに下がったぐらいだが、その背中には大きな窪みがある。その背中に向かって、kerukeionが接近したかと思うと、そのままドッキングした。Kerukeionの脚部だった大型ビームライフルは、脇の辺りから斜め下に向かって伸びている。実際に使用する場合、脇から前方に展開することが解る。そして腕部であった箇所は、前腕先端あたりにグリップが展開している。それを握ると同時に、左からは戦艦ですら両断しそうなほどの大型ビームサーベルが生成され、右には二枚の板が開きレールビームガンがその姿を現した。
「お兄ちゃん、お待たせ」
ユウの背後、全周囲モニターの一部が開くと、そこにはkerukeionのコクピットハッチがあり、アンがハッチオープンによって姿を現した。