第五部 第10話 声
「中将・・・ベル、ヤーズ・エイトはもう大丈夫だろうが、スマン、オレはやることが出来た。ここでキミを降ろす」
本来ならこのまま、ベルルーイの同意を得てから彼女の上官と交渉しようかとさえ思っていたフロイトだったが、あの声を聞かされたらそれどころではない。あれは間違いなくディミトリー中将の声だ。だが、フロイトの知っているディミトリーが話したとは思えない内容だった。
フロイトの知るディミトリーと、今見えている見慣れないMhwに乗っているだろうディミトリーでは、根本的且つ決定的な違いがある。前者は自らの意志で他者を巻き込むようなことはしない。それを、後者のディミトリーは前提条件かのように言い放った。一般市民をこの戦争に巻き込むような、煽るような物言いだった。
「少佐?どちらへ?」
「いや、少し確かめなきゃならんことが出来てね。その対象が去ってしまいそうだから、行くよ」
Attisの手にベルルーイを乗せ、地上すれすれまでその手を下げる。しっかりとAttisの親指を両手で掴み、自分の身体を安定させながら、ベルルーイはコクピットの方へ顔を向けた。
「少佐ぁっ!!ちゃぁんと戻ってきてくださいねっ!お礼したいですからっ!!約束ですよっ!!」
ベルルーイを取り巻く環境が起こす騒音は、確かに声を張り上げる必要が有りそうなほどの喧騒だった。だが、Mhwの指先には、こうした救助などを想定した小型マイクが親指に内蔵されている。知らなかったとはいえ、ベルルーイはそのマイクに向かって至近距離で大声を張り上げたことになる。当然、コクピットの内部ではベルルーイの声が反響し続ける。
「ベ、ベル?Mhwの親指にはマイクというモノが有ってだな・・・いや、解った。オレもベルにお願いしたいこともあるしな。待っててくれ」
それまでコクピットに視線を向けていたベルルーイだったが、自分が掴んでいる親指をじっと見つめている。おそらく恥ずかしさがあるのだろう。
「しょ、少佐、そういうことは早く言ってください・・・」
そう言うと、ベルルーイは親指を基点にしたまま、Attisの掌から飛び降りた。振り返って見上げたAttisの向こうに太陽がある。ベルルーイはその眩しさから逃れようと、Attisが作り出している影の中へ入れるよう、2歩横に移動した。
Attisが立ち上がり、反転してその場を離れていく。せっかく影に入ったベルルーイだったが、すぐにまた日差しの中へ取り残された。片手で日差しを遮るようにし、Attisの背中を見送った。数歩離れて周囲に人が居ないことを確認したのだろうAttisが、スラスターを開いてジャンプするようにその移動速度を速めていく。やがてその姿は、ヤーズ・エイトの街なみに隠れて見えなくなった。
「うーん、ベル、美人だったなぁ・・・でも10ぐらい歳、離れてそうだしなぁ・・・いや、まてまて、ベルにだって彼氏ぐらいいるだろ」
Attisのコクピット内で、フロイトはホンキで悩んでいた。本来なら、これから相対しようとしているディミトリーに集中せずとも頭が一杯になりそうなものだが、フロイトにとってベルルーイという女性はそれ以上に魅力を感じる相手だったようだ。
基本的にフロイトは独立した遊撃部隊であり、以前にAttisを含む5機のMhwによるチーム編成だったが、ディミトリー直轄となって以降は単機編成となっていた。それは、その方が効率がいい上に、フロイト自身も動きやすく、ディミトリーとしても指示が出しやすいという利点があったからだ。以降、各戦場からの要請に応じる形で、Attisとフロイトは各地に送り込まれていた。
ディミトリーが姿を消して以降、その指揮下にあった多くの部隊は混乱を極めた。ディミトリーはNoah’s-Ark内にあって中将の立場だった人物だ。他の中将と比べ、ディミトリーは現場色が色濃い。もちろん直接Mhwに乗ることは無いが、ほとんどの場合、旗艦に搭乗し戦場で指揮を執る。当然、ディミトリーを慕うMhwパイロットは数多い。そしてそのほとんどは、彼がMhwパイロットであったことを知っている。
フロイトがMhwパイロットなったのはディミトリーが小隊長を務める部隊だった。以来、ディミトリーがMhwを降り、指揮に専念するようになるまで、ディミトリーの乗るMhwの隣には必ずフロイトの乗るMhwがあった。〝無敗のディミトリー〟と〝不敗のフロイト〟そして〝必勝の第2小隊〟の名は、Noah’s-Ark内で今も語られる通り名だ。実際、ディミトリーの第2小隊内で戦死者は1人も居ない。これは1人の小隊長という括りで見た場合、ディミトリー以外に誰も成し得ていない偉業だ。
第2小隊は5機から成る小隊だった。初期の頃にはディミトリーがeS・Customに、フロイトはeS・改を乗機に、中期以降はディミトリーの乗機がsksⅡへと変わり、フロイトの乗機はsksへと変わっていた。そして、必勝を誇った第2小隊を支えたのは、配備される高性能Mhwが理由ではなく、ディミトリーの卓越した戦術、戦闘指揮とフロイトの圧倒的な突破力にあった。
要するに、フロイトのMhwパイロットとしての技量は、ディミトリーに鍛え上げられたと言っていい。その結果、フロイトはNoah’s-Ark内はおろか、StareGazer内でもその名を知られるほどのMhwパイロットとして成熟した。そんなフロイトが、ディミトリーに絶対的信頼を置くことになって不思議は無く、その逆もまた同様だったことは、反物質の件を知っていたのがフロイトだけであったことが示している。
フロイトがもっとも問いたいと思っていることは、「なぜ自分には何も言わずに、軍から姿を消したのか」だった。その返答次第では、「なら、なぜ自分をADaMaSへ連れて行った?」と問い詰めることになりそうだとも思う。だが、その問答になるかどうか、ディミトリーが世界に向けて放った言葉を聞く限り、それまで知っていたディミトリーではなくなったような印象を受けている以上、〝人が変わった〟というのならば成立するのか疑わしい。
「へっ・・・まるで一方的に別れを告げられた恋人みたいだな・・・今も、街中で偶然見かけた元恋人を追いかけてるってか?・・・我ながら気持ち悪いこった」
Attisが3機のMhwを追いかけていることを、3機のMhwは、ディミトリーはすでに把握しているはずだ。あの白いMhwのパイロットがディミトリーならば、Attisのパイロットがヴォルフゲン・フロイトであることも、当然ながら知っている。それでも尚、3機のMhwは歩く速度を落とさず、こちらを見ることも無い(Mhwには後部カメラもあるのだから、振り返る必要はないだろうが)。
「知ってて無視する元恋人?それとも、元恋人を装っている別人?アンタはどっちだ?」
Attisに敵機が使用する専用回線チャンネルをハッキングする機能があったことを、これほど感謝する日が来るとは思っていなかった。そうでなければ、直接あの白いMhwの肩を掴んで〝グイッ〟とこちらへ振り向かせなければならないところだ。そうなっていたとしたら、少なくとも他の2機が黙っていないだろう。コンタクトを取ることも叶わずに、即戦闘開始だって十分あり得た。
落下する資源衛星を消し去ったのは間違いなく〝反物質〟だろうし、それを放ったのは白いMhwで間違いないだろう。見る限りでは、青い機体は近接格闘型で、紫の機体は射撃戦主体だ。専用回線ハッキングの距離に入ったとしても、注意を向ける相手は紫の機体1機で済む(反物質を撃たれたら万事休すだが)。
コンソールに〝CONNECT〟の文字が表示された瞬間、その部分を指で軽く、そして素早く触れると、枠組みもろとも赤く点灯し、前方で背中を向けて歩いて行く3機と通信が可能になったことを知らせた。
「そこのMhw3機っ!戦闘の意志はこちらに無い。話がしたい・・・パイロットの1人は・・・ディミトリー中将で間違いないかっ!?」
言い終えたと同時に、そこでAttisは動きを止めたのに対し、3機のMhwは行動に変化が見られない。
「・・・それ以上近付けば攻撃を仕掛ける。攻撃の意志が無いと言うのなら、そのまま引き返すことをお勧めする。以上だ」
僅かな沈黙の後に返って来たその声は、確かにディミトリーのものだった。




