第五部 第8話 時間の狭間
「ウテナ・・・アレ」
ウテナが日中にオフィス側に居ることは珍しい。何らかの理由で呼び出されての場合ならば当然そこに居ることはあるが、今回は誰に呼び出されたでもなく、何か用事があったわけでもない。ただ何となくオフィスに顔を出したに過ぎなかったが、ADaMaSがどう動くかを確かめに(と言っても公にはしていなかったが)来ていたミシェルと雑談を交わしている合間に、目的もなく映っていたテレビが戦闘の開始されたヤーズ・エイトの様子を見せていた。
「ああ、反物質・・・ディミトリーだ。姿を現したか」
戦闘行動そのものにウテナは興味を抱かない。だが、偶然にもカメラが映し出す映像の中にAttisの姿があった。強い日差しを受け、真紅に輝くその機体は他のどの機体よりも動きが滑らかで美しい。誰の眼にもそう見えていたが、「右脚足首の動きがヘンだ。たぶん、シリンダーが数ミリ歪んでるな」とウテナは指摘する。テレビから(しかも望遠撮影で)それが解るのかと驚きたいところだが、ADaMaSでのウテナはこういうモノだと誰も無反応だった。
映像の中の戦場は、あるタイミングで突如その流れが変わったように見えた。ウテナ、ローズ、ナナクル、ミハエルの4人はすでにミシェルから聞かされていて知っていたが、カメラが空を映した時、すでに資源衛星はそこにあった。わずかな時間の合間にも、ソレの姿は目に見えて大きくなっていく。
資源衛星が反物質と対消滅を起こすころには、マドカ、マギー、クルーガン、ヒュートもそこに加わっていた。
「局長?自分の目で見ても理解が追い付かないんスけど、結局のところ、どうなってんです?・・・アレ」
「そうよね・・・あんな大きさのものが一瞬で消えるなんて・・・こんなの映画か何かでしか目にすることはないわ」
すでに業界でも卓越した技術力を持つクルーガンにも理解できないことが、マギーたちに分かるはずもない。マギーが顔を見合わせたマドカも、「さっぱり」と顔が代弁している。
「事象だけ言えば〝風化〟だよ。ま、少し解るように説明しようか。前に食堂で話したエネルギーの安定を覚えているか?」
ウテナはディミトリーが訪れたあの日、食堂で主要メンバーにも同じ説明をしていた。板2枚と鉛筆で表現して見せたアレだ。そこに居る全員が頷いて見せる。
「以前は運動エネルギーで例えたけれど、この事象の根幹はソコじゃない。それを説明するには、そうだな・・・そもそも〝安定状態〟って何だい?」
それぞれが口々に思いつくことを言うが、そのどれに対しても、ウテナは首を縦に振らない。次第に全員の頭上に〝???〟が並びだしたころ、ハッとした表情を見せる人物が現れた。ミシェルだ。
「貴方さっき、〝風化〟って言ったわよね?風化は時間の経過でわずかでも必ず進行するもの。それを逆手に考えれば・・・もしかして、貴方の言う安定状態って、時間が停止した状態のことじゃない?」
ウテナの左目がピクリと反応を示した。口元に僅かな笑みが見える。
「そのとおり。だからこそ、本当の安定状態ってのは実在するけど、存在できない」
「ごめん、お兄ちゃん・・・言ってるコトが解らないのは私だけじゃないと思うんだけど?」
時間というものは止まることがない。ビデオカメラで例えれば分かりやすいが、一時停止をかけた場合、その映像は文字通り〝止まる〟ことになる。その状態が〝安定状態〟であり、現実の世界で一時停止は存在しない。例えばカメラで収めることができるように、停止したその瞬間は確かに存在するが、時間は流れる。つまりは、〝維持〟ができない。ビデオカメラで言うならば、一時停止を使わずに映像を止めろと言ってることになる。
「あー・・・そりゃムリだな。けど、まだ話が見えてこないな・・・」
ナナクルは腕組みをしたまま困った表情を浮かべ続けている。
「安定状態ってのが本当は何なのかはいいね?なら、この世界に存在する全ては安定状態を無限に重ね続けていると考えられるだろ?パラパラ漫画だと思えば分かりやすいかな?そんな物質の対局に居るのが反物質だ・・・反物質はその安定を覆す物質だよ?そして、時間の最小って何だい?」
目を見開き、驚愕といった風な表情をウテナに向ける者が居た。ウテナの予測外だったのは、その人物がマギーだったことだ。
この世に存在する全てに当てはまることの1つに、「最小は存在しない」というものがある。今議論に上がっている時間で言うのならば、最も短い時間とは何だろうか?理論上、小数点以下に0を並べ立てれば、その時間は際限なく短くなる。その理論から見れば、言葉でいう「一瞬」ですら未来永劫続くかのような長さになってしまうだろう。
問題は、そのどこまでも続く最小時間であったとしても、維持できないとは言え、安定状態が実在しているという事実だ。その安定が覆るということは、停止した時間が動くことを意味する。動き出した時間の中にも当然、安定状態は存在するが、それが再び覆る理論上際限のない最小時間の中でこれが繰り返されるということをどう表現すればいいのだろうか。
それができないことは、マギーの表情が物語っている。
「敢えて言葉にするなら、〝一瞬の中に永劫を生み出す〟これが対消滅の仕組みだよ」
「なるほどね・・・だから〝風化〟なのね。実際にあの資源衛星が風化して消滅に至るまでの何億光年かかるかしれないほどの時間をあの一瞬と表現するには長すぎるほどの瞬間で過ごした・・・」
「触れれば自分の時間だけが無制限に加速する・・・か。もしも人が触れたら、その人物は何を感じるんだろうな?」
ミシェルの表現は的確で、ナナクルの疑問は聞く者に恐怖を与える。もしも自分がソレに触れたなら、自分から見える風景は全てが停止して見えるはずだ。そして、誰も、何も動かない、自分の身体すらも動かせない中で、寿命を全うするだけの人生という長い時間、長寿のものなら100年間を微動だにすることなく生きることを体感するのだろうか。それはどんなことよりも苦痛だ。
誰もがそのことに気付き、何かを言葉にすることもできない。重い空気が流れる。
「貴方もとんでもないモノを創ったわね。ま、創らせたのは私だけど」
それは場の雰囲気を変えたいと願ったミシェルの精一杯だった。しかし、ウテナはそれを救い上げるような性格ではない。
「僕が造ったのはアレじゃないよ。アレは僕が造った反物質〝が〟精製した反物質だよ」
ミシェルの狙いどおり、だが違う意味で場の雰囲気が一変した。それはそうだ。あのトンデモない物質を創れるのはウテナぐらいだろうと誰もが思っていたが、ウテナが創ったのはアレを生み出すモノだと言う。
「ちょ、ちょっとまってくれるかしら?・・・ウテナ?なら、ウテナの創ったモノっていったいなんなワケ?」
半ば呆れた様子でローズが問いかけるが、ウテナはウテナであっさりと答えた。
「反物質生成装置だけど?」
「ねぇ、お兄ちゃん?対消滅は理解できなくても解ったし、お兄ちゃんが創ったモノも分かったけど、結局のところ、お兄ちゃんが創った反物質って・・・ナニ?」
マドカの疑問は全ての核心をついている。それが解ったところで、何かが変わるとは思えないが、ADaMaSで生きる者の将来に対して変わらないとも言い切れない。そこに居る誰もが、今最も知りたいことなのは間違いない。
「反物質って物質じゃないモノのことだよ。この世界で存在が認められるソレは1つしかないよ」
「だからソレをハッキリ言ってほしいワケなのだけれど?」
「僕は〝意志〟だと思ってる。精製装置に組み込んだBrain-Deviceを介して反物質は生まれたんだよ・・・物質としてね」