第四部 第1話 好奇心
「ようやく準備が整ったわ」
その女性は美しく、際立ったスタイルを誇っている。彼女と対面した男性が容易にたじろぐほどの美しさは、誰しもが気安く話しかけることを許さない雰囲気を纏っている。どこか触ることを許さないほどの気品は、黒髪のストレートヘアがさらに彼女のシルエットを引き締めていた。
彼女の出生を詳しく知る者は居ない。別に秘密主義や、知られたくない過去を持つわけではなかったが、彼女の放つオーラが他者からの詮索を自然と拒絶した。ソレは彼女が望んで身につけた雰囲気ではない。年齢が二桁になるころにはすでに身に付いていたソレを、しかし彼女も拒むことをしなかった。
学生であったころ、同学年はもとより、先輩ですらも幼く見えた。彼女は何か特別な教育を受けたわけでも、受けるような家庭環境に育っても居ない。ごく一般的な、いわゆる〝普通の家庭〟に生まれた子だった。それでも、彼女の中にある頭脳は、学生としての学業に難しさを感じることも無く、ただただ、義務で受けなければならない退屈なものと認識した。
学業において優秀であったのなら、少なからず世間から彼女個人を認識されていたはずだが、彼女を知る者は少ない。それは、彼女の性格を知らないといったものではなく、彼女の存在そのものを知られていないという意味だ。ただただ、学業が〝退屈〟であったがために、彼女は自らの優秀さを他に示すことが無かった。
彼女は極めて優秀な女性だった。そして運動神経もアスリートと比較できるほどの能力を持っている。加えて世の男性がたじろぐほどの容姿。本来ならば、学園内でも知らぬ者が居ないほどに広く認知されるべき資質を持ち合わせているにも関わらず、その存在は烏合に飲まれ続けていた。世界がつまらなく見えた彼女にとって、自身の存在もまた同様であって、冷めきった感情が彼女を陰に隠し続けた。
彼女が表舞台に立つのは、大学を卒業する間際だ。彼女は卒業間際に論文を発表する。その時期、戦争という時代において、NEXTと呼ばれる者たちが重要視され始めた時期と一致する。両軍に複数名、Mhwのエースパイロットとされる者の中でも群を抜いて有能なパイロットが認識され始めた時代だ。彼女は、そんなNEXTに興味を抱いた。世に出た論文、「NEXTとMhwの相互補完」は、軍関係者に留まらず、広く世界がソレを受け入れた。その瞬間が彼女の人生を変えた。
彼女は自らの意志でIRVINE-Holding-Company(IHC)の門を叩いた。当然、彼女の発表した論文を認識していた面接官が、彼女の採用を見送る要素はどこにも無かった。それ以降、彼女はNEXTたちに魅せられていく。人の持つ様々な能力のいずれであっても、他者に劣ったと認識したことが無い彼女は、ある特定の分野において自分よりも優位に立つ者の存在を知り、それは彼女にとって〝喜び〟をもたらした。そして研究の帰結として、NEXTが最もその能力を発揮できる場所が戦場であると説いた。
着実にIHC内で立場を確立させていく彼女は、一部の者から疎まれる存在でもあった。そんな者たちの手が回っていたのかもしれない。そもそも未知であるNEXTの研究が、遅々として結果を示さないと断罪する声が聞こえだした。彼女自身がその声に反応することは無かったが、IHC幹部会は彼女の研究に対する拠出を縮小する決定を下した。これが彼女にとっての2つ目の転機と成った。
彼女は野心家でも何でもない。単純に、〝好奇心を満たす〟という欲求が全てに優先する。彼女の持つ〝NEXTの解明〟という欲求を止めるには、資金拠出の停止程度では到底足りない。そして彼女は考えた。
「自分が決定権のある立場になれば、今までよりもさらに研究できるってことね」
ここで彼女は、Mhwの概念を変えてしまうほどの〝発明〟を成す。
それまでのMhwは、外骨格であり、装甲も骨格とみなし機体を支える一部として機能していた。これは、生産コストの低減にこそ寄与していたが、運用効率という面に課題残っていた。この概念を打ち破ったものこそが、現在のMhw全てが採用していると言っていい”Variable-Frameだった。
Variable-Frameは骨格と外装を別物とし、内骨格をフレームで構成することで、運動性、生産性、整備性の向上がもたらされた。この技術は直ぐに国際的な基準となり、彼女の存在はMhw製造において欠かすことのできない存在へと変化させた。当然、IHCにこれまで以上の莫大な利益をもたらした彼女は、以降の実績と相まって、瞬く間にIHC幹部の1人へと昇格する。これにより、本来の目的を達成するための基盤を彼女は手に入れた。
純粋にNEXTを研究していた彼女は、NEXTが持つその特異な能力に魅せられた。NEXTの中に限定的であっても自分を上回る能力を持つ者が存在することは、彼女に驚きという感情を芽生えさせた。よりNEXTを理解したいという彼女の欲求が深まる。
ナゼNEXTたちは自分より秀でた能力を持っているのか?NEXTではない者の中にも、何かしらの能力が秀でた者は存在する。では、NEXTとそうでない者の境界線はどこにあるのか?能力の獲得は生まれた瞬間に決まるのか?後天的に獲得することはできるのか?能力は人と人を渡ることはあるのか?人間だけが持つのか?知りたいことは多く、彼女の好奇心がその答えを求め続けた。
幸いなことに、IHCはNoah’s-Ark、StareGazerの両軍にMhwを供給している。NEXTが集まりやすい(見つかりやすい)軍との関係が深いことは彼女にとって幸運だった。戦闘におけるNEXTの有用性が高いことで、それぞれの軍でNEXTの研究所が設立されていることに目を付けた彼女は、それぞれ別に協力を持ちかけた。Variable-Frameを筆頭に、各軍でも彼女の優秀さを理解していた軍が、その申出を断る理由は無い。彼女はいとも容易く、数多くの研究対象(悪く言えばモルモット)を入手した。
自身によるIHC内での研究データに加え、各軍に属するNEXT研究所のデータまでも入手することのできる彼女は、自身の好奇心が満たされる快感を知った。それは、彼女にとって初めて明確に認識することのできた〝喜び〟という感情だった。
人は感情の生き物だ。彼女ももちろん人だ。しかし、他者と比較したときに自分が優位であり続けた彼女は、両親を含む他者との接触に感情が起き上がることなく、優位であることが当たり前、それが普通のことであった彼女の中で、感情が育まれることは無かった。
人は他者に勝る優越を知ることで、負けることの悔しさを知る。困難を克服する達成感を知ることで、できないときの悔しさを知る。優位であることが常である彼女が、それを経験することも、知ることも無い。彼女の心は海でも川でも、湖でもない。感情というものを持ち合わせてはいたものの、起伏が全く発生しない静かな水面だった。
彼女は精神と人格が十分な成長を遂げた後に、大きな感情の起伏に襲われたことになる。その事実が人格に及ぼす影響は誰も、本人ですらも予測することはできなかった。それは彼女の中に大きな変化をもたらした。自分が喜びを感じる対象となったNEXT。好奇心や欲求を満たすためにNEXTの研究を進めれば進めるほど、自分がNEXTではないことが解る。やがて、NEXTに対する感情は〝憧れ〟に変わり、憧れは〝悔しさ〟に変わっていく。そこからそれほど時間を必要とせず、悔しさは〝憎しみ〟を生み出し、やがて憎しみが〝拒絶〟を引き起こした。
彼女は目的を達成できなかったことが無い。だから今度も、達成するためにNEXTを徹底的に解明する。そして把握し、NEXTを超える概念を探し出す。それが自分であれば良し。そうでないならば、自分がそうなるための方法を見つけ出し、成る。それが今の彼女の目的だ。
NEXTは人類の新しい存在であり、今後、人類の行く末を担うべき人材だと語られて随分と時が過ぎた。その願いは成就されることなく、戦争という時代が能力を持つ者を、旧時代で言う〝撃墜王〟と同義にした。やがて彼女は人類の行く末の担い手にNEXTがまだ成れていないのではなく、NEXTがソレではなく、NEXTを扱う存在こそが〝行く末の担い手〟だと帰結した。NEXTの上に立つ者。自らがソレに成る。これこそが、彼女の目指す目的だ。
彼女の名は〝ミリアーク・ローエングラム〟IHC最高幹部の1人だ。




