第十四部 第8話 強い意志を持った者
「戦場で会ったなら何とする?」
すでに日は傾き、室内の光源を人工的な光に頼らなければならなくなったころ、それでもまだ明かりの点されていない室内には芳醇な紅茶の香りが立ち込めている。伝統と格式を重んじるその男は〝貴族〟というものに憧れを強く抱いていた。
グリット・ワイアーン。その男の軍服に飾られている階級章は、ルインズと同じ大将であることを示しているが、Noah's-Arkの官僚である彼が戦場に出ることはなく、軍人でありながら実戦経験というものは持ち合わせていない。それでもこうして軍最高位に就き、実際に軍に対して影響力を持ち得ているあたり、個人の思惑や派閥がそこに介在していることが分かる。
彼のオフィスは広い。そこには見るからに高級だと分かる調度品が数を揃え、果たして本当に軍人なのかと疑いたくなるような見目の女性が数名控えている。どうやらそのうちの1人が紅茶を用意しているらしい。室内にはその他にも数名、こちらはボディーガードだろうか?屈強な男がワイアーンの前にあるディスクの両角と、部屋への入り口にも数名、腕を後ろ手に組んだまま直立している。
「2人だけならばまだ会話の余地はあるでしょうが、そう成るとは思えません。ですので、高い確率で攻撃対象であると判断します」
そう答えた男もまた、ワイアーンとは横に長いディスクを挟んだ対面で、腕を後ろ手にしたまま直立していた。姿の見えない太陽の残光がわずかに浮かび上がらせるその顔は、かつてFAUABWSのパイロットであったベクスター・マイネルであった。
「確か2人のうち1人は親友、もう1人は婚約者だったのではないのかね?」
「おっしゃるとおりです。ですが今大将閣下の言われたとおり、その関係性は過去のものですし、もしもそれがすでに家族であったとしても、何でしたら自分の子供だったとしても、StarGazerであるのならば、敵です」
淡々と口にするベクスターの表情に変化は見られない。それどころか、確固たる意志さえ感じるその様子に、ワイアーンは内面で燃え盛る〝憎しみ〟を確かに感じた。
「なるほど・・・ところでマイネルくん。キミはこの地球をどう考えているかね?」
「ハ、自分に大きなコトは言えませんが、少なくとも地球からStarGazerは1人残らず排除するべきだと考えます。自分はそう思うからこそ、Noah's-Arkに属したのです」
人事部からベクスターの情報を得ているとはいえ、こうもアッサリと「排除」を口にできるあたり、ワイアーンの考えていた以上に、ベクスターの抱えるStarGazerへの憎しみは大きいようだ。だが、ワイアーンはそんなベクスターよりもさらに先へ進んでいる。
「うむ・・・私はね?マイネルくん。排除すべきは彼らだけではないと考えている。増えすぎた人間はこの星をただ汚すだけなのだよ。地球を美しく保つため、ここに住む人類は限られた者だけであるべきだ。人類はそれを可能にする技術をすでに持っているのだからね」
グリット・ワイアーンの属する派閥は、Noah's-Arkの中にあって〝地球至上主義〟と呼ばれている。広い宇宙の中で、地球ほど美しい惑星は存在せず、その美しさは保たれなければならない。端的に言ってソレを成すためには、〝地球上で〟人類は増えてはならない。地球が自らを美しく保てる許容範囲というものが、人類に対しても存在するという考え方である。
すでに歪となってしまった生態系のピラミッドを、地球という限定的な場所でのみ正しい形に戻す。本来は弱肉強食によって維持されるピラミッドを、人為的に、そして捕食ではなく〝移住〟という形で形成する。そして地球に留まる人類は、宇宙に出る人類より上位でなければならない。地球圏は地球が支配すべきであり、中心である地球が宇宙に至るまでを支配する。
「限られた者ですか?それがNoah’s-Arkであると?」
「それは正確ではない。支配者と成るべきはさらにその上層、官僚であるべきなのだよ。Noah's-Arkは地球に存在する国家のとりまとめ役でもあるのだからね」
Noah's-Arkの官僚とその家族、そしてその家族が不自由なく生活するために必要となる人材。そこまで絞ったとするならばおそらく、地球上に生活する人類の総数は多くても1000人程度でしかないだろう。現実を見たとすれば、地球の大きさから防衛的な意味合いで地球に住む人類はもっと多いだろうが、例えばそれを〝駐留〟という形式で定住させないということも考えられる。
「Noah's-Arkの官僚による地球圏の支配・・・ですか?ソレが本気なのでしたら、自分はソレを容認出来かねます。私は軍人ですので、結果的に自らStarGazerとなるようなマネは死んでもゴメンですから・・・どうやら方向性が違うようですので、これで・・・」
ベクスターからすればワイアーンは紛れもない上官だ。本来なら敬礼、そうでなくとも会釈の1つぐらいすべきだが、「Noah's-Ark官僚以外は漏れなく宙へ」という言葉が、ベクスターにそれらの所作を取らせることを拒んだ。
「キミには私の家族の護衛官として地球に定住させるとしたなら、どうするかね?」
見方によってはワイアーンを警護する護衛官に取り囲まれている。見るからに屈強そうな男数人は言わずもがな、給仕に控えている見目麗しい女性たちも場合によってはそうした訓練を受けた者である可能性もある。できる限り憤りが表情に出ないよう無表情を作り、その部屋の出口へ向かおうとするベクスターの背中に向かって、ワイアーンの言葉がまるで一振りの槍であるかのように突き刺さった。
「取引・・・ですか?」
「君たちのような生粋の軍人は、そういう類は嫌いだろう。とは言え、取引と捉えられることを承知であえて言うのだがね?これは私からの〝お願い〟だよ。キミのような強い意志を持った者を探していてね」
部屋の中央あたりでピタリと動きを止めたベクスターに対し、周囲の護衛官人物たちに動きは見られない。給仕の女性はと視線を流せば、紅茶と一緒に出すのであろうケーキをトレーに乗せているところだ。
ベクスターは再び踵を返し、ワイアーンに向かって歩を進めた。1歩目。護衛官に動きは見られない。2歩目。やはり動きは無い。警戒すべきはスーツ姿の男の胸元への手の動きだ。スーツの前はボタンが留められていない。ソレはホルスターから素早く銃を抜くためだと言うことを聞いたことがある。3歩目。先ほどまで自らが直立していた場所にまで戻った。
4歩目。スーツの男たちは微動だにしていない。まるで呼吸すらしていない人形ではないかと思うほどだ。だが、ベクスターの喉元にはナイフがわずかに触れ、金属特融の冷たさをわずかながらに皮膚に伝えている。そして目の前には、それだと分からないほど眼球の近くにフォークの先端があった。
「うむ、なかなかに反応がいい。あと少しでも重心が前に移動していれば、左目と声を失っていただろうね。・・・シーラ、そのナイフとフォークとは別のモノを用意してくれたまえよ?・・・構わない。下がりなさい」
「承知いたしました」
そう言葉だけを残し、シーラと呼ばれた人物は、目の前にあったフォークを喉に当てられたナイフと共に視界から消えた。動きが見えなかったとは言え、おそらくその女性は先ほどまでケーキを用意していた見目麗しい女性だったのだろう。恐怖や畏怖はなく、ただ黙ってワイアーンを見据える。
「彼女はシーラ・ルーベン大尉だ。小さなころから対人戦闘訓練を受けているメイドでね。怒らせると怖い。キミの返事次第ではキミと組むことに成る。気を付けたまえ」
ワイアーンがそう言い終わるよりも早く、シーラと呼ばれたメイドは新しいナイフとフォークを添えたティーセットをワイアーンに給仕していた。




