第十四部 第4話 柔らかくなり過ぎ
「もともと反物質の移動に時間は要らなーい・・・って言うかぁ・・・そもそもアッチからしたら、時間ってナニ??ってコト?」
マギーの動く口に合わせて、含んでいたロリポップキャンディーがカラコロと音を立てている。クルーガンからすれば、「解っているのか、いないのか」と訝しみつつも、結論的には正しい認識だということに少々驚く。
「コラ、マギー・・・アナタ、アタマいいのにメンドくさがりすぎよ?ちゃんと理解できてるんだから、ショートカットしないの」
「アチャー・・・バレた?」
やはりという気持ちとまぁまぁという気持ちが同居しつつも、表面上は「まぁまぁ」を表に出してクルーガンは先を続けた。
「根本的に時間軸が違うと言うか・・・そうっすね・・・見方によっちゃ、止まった時間の中を進むようなモンっすね。見えているモノと事実が異なるって、理解できないっしょ?」
人は自らの眼で見たものは〝事実〟として認識する。例えば幽霊。これを見た(と認識している)人にとっては、その存在は事実だが、見たことのない者からすれば、それは虚構である。信じる、信じないとはまた別の意味で、だ。
世界の多くは、映像で反物質が飛ぶ姿をヤーズ・エイトで見た。放たれた瞬間こそ映せてはいなかったが、Plurielから発射されたソレが資源衛星に衝突するまで、その2つの間には距離があり時間があった。それが時間軸のある世界に住む人間が見た事実だ。
これを反物質の視点から考えてみよう。反物質には時間というモノが無い。その存在そのものが、常に00秒を引き延ばした中にある。人間からは、仮に発射から着弾まで5秒かかったと認識していても、反物質にしてみれば発射と着弾は同時なのだ。
「まぁ、〝同時〟ってのも人間だけの認識なんすけどね」
「・・・ゴメン。ちょっとナニ言ってるのかワカンナイ。いや、ホントに」
マギーはハナから理解する気が無いように見える(実際は驚くほど理解できている)が、理解を試みているミシェルであったとしても、クルーガンの説明でナットクには到底至らない。おそらく人間である以上、ソレを納得し、理解できる者など居ないのだろう。それはそうだ、人間は時間の中に生きている。
「うーん、でもコレ以上説明する方法が無いんすよねー・・・そういうモノだと認識してもらう他無いっすね。なので、結論から言うと、例えば地球から月まで反物質に包まれたまま時速300キロで進めば、本来の認識としては1266時間かかると〝知っている〟んすから、そうだと頭で認識していても、〝事実〟としては一瞬と表現しても長すぎるほどで到着するっす」
何故かクルーガンには得意げな表情が見えているが、ソレを見てもミシェルは怪訝な表情を浮かべる他は呆れるぐらいしか表現方法を知らないらしい。おそらくミシェルと同様になる者がほとんどだろうが。
「なーなー、クルーガーン・・・ワカラナイんだけどさ?ほしたら反物質から出たときってどうなっちゃうわけ?方や約2か月後に月にたどり着いた人を見ても、本人は一瞬でしょ?イミ分かんなくない?もしもっと距離が遠かったら・・・出た瞬間、一気にフケるとか?」
相変わらずカラコロとロリポップが音を立てているが、1266時間をあっさり約2か月と認識しているあたり、マギーのアタマも回る時には回るようだ。
「いーや?・・・説明するとしたら・・・そうっすね、52日経過したって認識だけが残るって感じっすかね。もう少しアタマを柔らかくして時間って概念を忘れちゃえば、そんな疑問すら出ないっしょ?合わせるのは向こうじゃなくてコッチってとこっすね」
「・・・まぁ、解ったわ」
「おっ!さっすがミシェルさん!」
ミシェルの顔に呆れが色濃く残っているにも関わらず、「解った」という言葉だけに反応したクルーガンを見たミシェルは、これ以上呆れられないと思っていた自分を後悔していた。
「チガウわよ・・・アナタたちのアタマって柔らかくなり過ぎて、そこらの穴から流れ出ちゃった後だって理解したのよ!」
「そんな的確に表現しなくてもいいじゃないっすか・・・」
ミシェルからすればクルーガンにその自覚があったことは驚きだ・・・と思ったが、様子がなにやらヘンだ。どことなく恥ずかしそうにしている。
「クルーガン?褒められて無いゾ~?」
「え?そうなの?・・・ま、いいや」
どちらかと言えばイジられることの多いクルーガンにしてみれば、それほど気にするようなことでも無いらしい。おもむろに手近にあったA4用紙を引き寄せたかと思うと、ボールペンで左上と右下隅にグリグリと●を描いた。
「まぁ、見た方が早いっすね。こっちがスタートでコッチがゴール。この最短距離は?」
左上、右下と順にボールペンで指しながらクルーガンは問題を提示した。だがこれはむしろ〝なぞなぞ〟と表現する方が正しいようで、すぐに反応したのはマギーだった。
「あ~、そーいうコトね。ちょっと貸して~」
マギーはクルーガンからボールペンを奪うと、2つの点の間に直線を描いた。定規を使ったワケでもないのに、妙に直線だ。
「普通なら直線だけど~」
ボールペンをクルーガンに戻したマギーは、丁度●のある2カ所を指で摘まんで用紙を持ち上げると、2つの●を重ね合わせるように摘まみ直した。
「答えはこう!これが最短だよね~」
「即答とか・・・ツマランっす。けど、正解っすね。ソレが反物質で、直線が人間。それぞれの考え方が同じ用紙に存在するっすけど、1つの用紙の上での話で結果は同じ。僕たちはコレを目にするってワケっすね」
クルーガンはマギーから用紙を奪い返し、みんなみに見えるように開いて見せた。反物質が移動するということは、●をつまんだ状態での移動であり、人間にはソレが直線の動きに見えるというわけだ。理解や納得というものとは別の次元なのだろう。
「残る問題はどうやって反物質の中に留まるかってコトっすけど、これの説明はコッチでするっすね」
こうなるコトを予測していたかどうかは疑わしいものだが、クルーガンはポケットから風船を取り出した。膨らむ前のペシャンコの状態なソレをテーブルの上に寝かせる。
「コレは風船っす」
「え?うん。分かるわよ?」
「じゃあ、もしもこの風船の口が完全に締まっている状態で、仮にですけど、膨らませたとしたら、その内部は何でしょう?」
もちろんそんなコトは起こり得ない。風船は内部に空気なりを送り込むことで膨らむ。それは分かっていても、ミシェルの脳裏を過るのは「すでにコイツもマトモじゃない」という言葉だ。
「もういいでしょう?さっさと結論を言いなさい・・・」
「えー・・・真空って返って来ると思ったんすけど・・・はぁ・・・答えは〝風船〟っす」
ミシェルはただ黙って周囲を見渡し、「やっぱりナニ言ってるのかワカラナイ」と思ったのが自分だけではないということを、マギーとオピューリアの表情に見て取った。残念ながら怒りに似た感情は微塵も湧き上がって来ない。
「あの~・・・」
そんなミシェルを逆に見て何か思うところがあったのか、それとも馴染んだとは言えまだ日が浅いことがそうさせたのか、オピューリアが〝おずおず〟といった動作で右手をゆるりと上げていく。
「ハイ!オピューリアさん!」
「ああ、いえ、クルーガンさんにではなくて、ですね?」
「ん?どったの?オペ?」
随分と小さくなったのだろう、口の中から響くカラコロという音が小さくなった。
「このオトコ、ドツいてもいいです?・・・ちょっとイラっときました」
言葉とは裏腹にすこぶる笑顔だ。一瞬にして固まったクルーガンは背筋が寒くなるのを覚えた。




