第十四部 第1話 ウテナの思考がイカレてる
「今のところ、軍に関しては想定どおりですね」
ウテナとPlurielが世界から消えて2か月が過ぎた。表面上、世界では変わらずNoah’s-ArkとStarGazerによる武力衝突が繰り返されているが、実のところ、この衝突が発生する原因となっているのが消えた反物質の所在である。ADaMaSが所有していると想定されているソレは、あのPlurielとの戦闘以降、A2ごと姿を消している。
「勝手に潰し合わせながら、兵器流量をコントールして衰退。まぁ、地上に残ってる戦力は随分と減ったらしいじゃないか」
「両軍ともに主力を宇宙に上げているようだよ?ロン。彼らもコッチにA2が潜んでると踏んだようですね。それにしても・・・彼らのネーミングセンスはいかがなモノかと」
〝Absolute-Area〟という名称は、戦争に関与している者たちの間ですでにある程度周知されている。そしてそのメンバー構成のほとんどが、ADaMaSの者であることはある種、公然のヒミツと化していた。
驚いたことにA2はPlurielとの戦闘から2日後、全世界に対して声明を出した。映し出された映像には装甲をまたがるようにいくつか青い薔薇の描かれたblue-roseをバックにした1人の女性を中心に、手前に向かって広がるように何人かが立ち並んでいたが、光源の関係でそれらが誰なのかを知ることはできなかった。
反物質の暴走によるウテナ・アカホシとマクスウェル・ディミトリーの消失を(事実かどうかはさておき)淡々と語ったその者たちは、自分たちがかつてADaMaSと呼ばれた企業の生き残りであることを明かし、自らたちを〝Absolute-Area(絶対領域)〟と名乗った。ワイプを使って差し込まれたそのエンブレムは、円の中にソレと判るスカートとニーソックスをイメージしたシンプルなもので、その中に〝A2〟の文字が見えた。
「ふ~ん、A2を追ってるのかねぇ・・・しっかし、アイツらのアレ、声明って感じじゃねぇよな」
自分たちの主義主張がされたワケでもなく、何かを要求するでも無かったその放送は、一般的にはナゼそんなものが流れたのかと訝しむ者がほとんどだった。
「正直なところ、どうでもいいわ」
珍しくアルコールを口にしているミリアークは、これまた珍しいことに(いや、こんなのは初めてかもしれない)明らかに不機嫌が分かる。ミリアークがウテナとディミトリーの2人を抱き込もうとしていたことは解っているが、ボルドールから見えるミリアークの不機嫌加減は、どうもその2人が消えたこと以上のように感じられる。
「えらく不機嫌ですね・・・貴女のそんな様子は記憶にもありませんよ」
「そりゃそうでしょうよ・・・」
言おうか言うまいか迷っていると言わんばかりに目を泳がせたあと、何かを決意した表情がミリアークに浮かんだ。
「だって!世界はウテナを失ったコトの本当の意味に気付かないんですもの!彼は人類の進化に直接影響できる唯一の存在なのよ?そんなことができるだなんて・・・悔しいを通り越してすでにソレは私にもムリだわ」
「・・・どういうことです?〝進歩〟ではなくて?」
ミリアークは〝進歩〟ではなく〝進化〟と口にした。ウテナは技術者だ。〝進歩〟ならば理解できる。
「〝進化〟よ。コレに影響するなんて、よっぽどアタマがイカレてないと出来ないわ・・・いや、チガウわね・・・たぶん、人間にはムリなのよ。反物質のことでソレがよく解るわ」
人類は多様性こそ個人毎にあるが、1つの種であることに変わりはなく、人類の認識している世界というものは1つだ。それは例えば、人が生まれるためには精子と卵子の結合が不可欠であり、そんなコトは当たり前の常識なのだが、コレが常識でないと誰が考えるだろうか?ソレを思考させるのが、ウテナ・アカホシという男だということらしい。ミリアークは手近にあった真っ赤なリンゴを手に取った。
「ねぇ、アナタたち?このリンゴ、何色に見えるかしら?」
一瞬かじるのかと口元に運びかけたそのリンゴを、しかしミリアークはボルドールとロンに向かって差し出して見せた。
「色?いや、赤にしか見えないぜ?」
「そのとおりなんだけれど、じゃぁ、ロンの見ている赤とボルドールの見ている赤は同じ赤?」
「同じリンゴを見ているんですから、同じ赤でいいのでは?」
「私はそう思わないのよ」
RGB値255,0,0の赤があったとしよう。それは数値で表された赤だ。しかし世の中には、例えば赤を赤として認識できない人がいる。それは端的に言ってしまえば、〝脳がそう処理している〟のであって、例えば人によって、RGB値253,1,1の赤を見ている、もっと言えば、先の人が見ている255の赤を253の赤と脳が捉えているというこであって、結論付けるのならば、同じ〝対象〟を見ているのであって、同じ〝構成〟を見ているわけではない。ウテナという技術者は、事象の全てにそうした〝可能性〟を見ている。ミリアークはその思考に基づき、反物質を紐解いてみる。反物質は物質に作用するという事実がその入り口だ。
「確かに・・・私はロンではありませんからね・・・」
「でしょう?ならソレを前提に聞くけれど、物質の定義って何か分かる?」
「・・・存在が認められた全て?」
「シュレディンガーの猫のコトかしら?言い方の問題かしらね。物質は多種多様だわ。けれど、〝私たちの知る〟物質全てに共通するコトってあるかしら?」
このミリアークの問いは難問だ。物質とは存在する全てである。その全てに共通することとなれば、物理的には全てに原子が存在していると言う他ない。だが、これを言葉どおりに解釈するならば、原子そのものも物質であり、原子を構成する原子は無いため、言葉どおりの定義に当てはまらない。
「答えが原子じゃないんだったら、そもそも答えなんてあるのかい?」
「あるわよ?・・・時間ね」
物質の全ては時間の影響を受ける。影響の結果は〝変化〟や〝結合〟さらには〝消滅〟など様々だが、どんな些細なコトであれ、物質は例外なく時間の経過に影響を受ける。
「なるほどね。そりゃ確かにそうだな。じゃあ、反物質ってのは時間の影響を受けない物質だってコトかい?」
「そうね。そうなのだけれど・・・ウテナの思考がイカレてるのはここからよ?・・・彼は時間の存在を疑ったのよ」
なぜミリアークがウテナの思考を理解しているのかはさて置き、アルコールの入ったグラスをテーブルに置いたミリアークは、ライトがテーブルの上に描いたグラスの揺らぎを見つめながら、わずかばかりに遠い眼をして言葉を続けた。
「〝なぜ地球圏にだけ時間が存在するのか?〟こんなフザけた疑問、人間から出て来ると思えて?」
「・・・思えませんね・・・その発想は時間が無い存在にしか有り得ない」
「なんだ?アイツって宇宙人だったのか?」
「ヘタしたら宇宙人ですらないわよ。そして私たちは1つだけ、その存在に該当するかもしれない存在を知っているわ」
ボルドールとロンがふと顔を見合わせた。どうやらミリアークの言わんとする存在に心当たりがあるようだ。だが、次いでミリアークに向けられた2人の表情には、怪訝な様子がありありと現れている。そんな2人の表情を受け取ったミリアークもまた、「そりゃそうよね」と言わんばかりに、大きく息を吐く。ミリアークの口から放たれた気流は、グラスの中にある水面を揺らした。
存在を知っているが存在しない存在。
「まさかね、思いもしなかったわよ。私の認めたオトコが〝神様〟だったなんてね」




