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深緑の森 2

 アルトローゼンを出発したピックアップトラックは、東へ向かって走る。街道はやがて上り坂へと変わり、高原地帯に続いていく。視界を遮る木々はなくなり、目の前に広がるのはどこまでも続く草原と日に日に青さを増していく空だけ。すれ違う馬車もなく、爽快感に思わず感嘆の声が漏れる。

「すごい景色ですね、アーサー。まるで、空の中を走っているみたいです」

 感じたことを素直に口にするアリシアに一瞬だけ苦笑を向けたあと、アーサーはまあな、と同意する。

「ついつい飛ばしたくなるよなぁ」

 その言葉に応えるように、ピックアップトラックのエンジン音が大きくなった。

「アーサー、事故は起こさないでくださいね!」

 慌てて大声を出すアリシアの横で、アーサーがおかしそうに笑いだす。からかわれたことに気付いたアリシアが非難の目を向けると、笑い声は鼻歌へと変わった。初めて聞く旋律と体を揺らす心地いい振動。空が、近い。

「なあ」

 まるで吸い込まれそうな青い色彩を眺めながら、アーサーがふと助手席に座る少女に声を掛ける。

「あんた、さっきの絵と同じ景色が見たいんだろ?」

「ええ、そうです」

 窓から吹き込む風に長い金の髪をなびかせながら、彼女は答える。

「連れてくのはいいけど、日照りで干上がってんじゃねえの?」

「あ、それなら大丈夫です。水不足は解消されるので」

「大丈夫って?」

 何を根拠に、と呟いたアーサーに、アリシアは平然と言葉を続ける。

「今夜、嵐になります。なので、できるだけ早めに宿についていたほうがいいと思います」

「嵐ぃ?」

 アーサーは眉をひそめて晴れ渡る空を見上げる。からりと晴れ渡った空のどこにも、雨雲は見当たらない。

「天気予報は、しばらく先まで晴れだったと思うぜ?」

「はい。でも、嵐になります」

「何でだよ」

 訝しむような言葉に、アリシアは苦笑を浮かべてアーサーから目を逸らした。

「えっと、夢の中で私がそう望んだので……」

 言葉の意味がいまいち伝わりにくかったのか、車内に少しだけ沈黙が流れる。

「朝も言ってた、『夢に干渉』ってやつ?」

「はい」

「で、天気を嵐にしようとした?」

「そうです」

 アーサーは、よくわからないとでも言いたげに頭をひねっている。

「贄の持つ能力ってやつだよな? けど、天気なんて変えていいわけ?」

 そもそもそんなことできるわけ、というアーサーの言葉に、アリシアは再び困ったような笑顔を浮かべて頷く。

「贄に選ばれた人間は、夢をある程度操ることができるんです。この世界の未来を作り出すほどの力を継承しているので。そして、贄が夢の中で願ったことは現実になる……」

「なんだそりゃ。やりたい放題かよ」

「万能というわけではないです。でも、昔は雨乞いや病気平癒の祈願なんかにも頻繁に力を使っていたみたいですね。今は教団が間に入っているので一般の方のお願いを聞くことはほとんどないんですが、それでも各国の偉い方たちの御祈祷なんかは今でもしていましたよ」

 贄は、生き神のようなもの。贄の一族をそう呼ぶことがある。人の願いを聞き届ける超常的な力を持っているからこそ、彼らは宗教の対象となったのだろう。

 未来を知り、天候や人の感情を変えることならば、魔術師や祈祷師、呪術師にもできないことはない。しかし、そういった力を持つ人間は何かしらの方法で保護されているものだ。ましてやアリシアは生き神とまで言われる、教団の中枢人物だ。それを野放しにしておくものだろうか。

「あんたさぁ、教団にいなくていいわけ?」

 今更ながらひどく面倒なことに首を突っ込んだ気がしてアーサーが問いかけると、アリシアは歯切れの悪い口調で答える。

「あ。えっ……と。探されてる、かも、しれないですね」

「いや、絶対探されてるだろ」

 思わず見上げた空は、底抜けに青かった。

「あの、アーサー」

 助手席に座るアリシアは、片手でハンドルを握る青年の横顔をちらりと盗み見る。しかし、続く言葉は出てこないまま、沈黙が流れた。ガラガラと特徴のあるエンジン音が大きくなったような錯覚。

「気にしなくていい」

 長く続いた沈黙から、アリシアが言いたいことを悟ったのだろう。アーサーはシフトレバーを操作しながら、短く呟いた。不安そうに俯いていたアリシアは、彼の言葉に勢いよく顔を上げる。

「俺が手を引くと思ったんだろ? そんなつもりはないから、気にするな」

 その言葉にアリシアは心底嬉しそうな表情を浮かべ、それからまた不安そうに肩を落とした。

「ありがとうございます、アーサー。でも」

「何だよ?」

「でも、もしもあなた自身が本当に危ないと感じたら、その時は私を引き渡してくれて構いませんから」

 そう言ったアリシアは、真剣な表情で遠くを見ている。まだ見たこともない世界に、想いを馳せるように。

「ま、覚えとくわ」

 短く言ったアーサーの言葉を区切りに、再び静かな時間が流れた。

 高原をぐるりと巡った道は、再び木々の立ち並ぶ曲がりくねった山道へと変わる。白樺やカラマツが生い茂る山道は思いのほか明るく、柔らかく降り注ぐ陽光が心地いい。

「なあ、サクロサンクトってあれか?」

 道の両脇に広がっていた森林が途切れたころ、アーサーが前方を指さす。その示す方向に、やや小ぶりな湖が見えた。池、と呼んでも違和感のない湖は、散歩感覚でぐるりと一周できそうなほど小さなものだった。道沿いには小さな桟橋が突き出しているが、水面はひどく遠く、遥か下のほうにかろうじて浮いている手漕ぎボートが数隻、訪れることのない客を待っていた。対岸のほうは土がむき出しになっている部分も見える。

「水位が低いのもありますが、少し違うように見えますね」

 アリシアはポーチから写真を取り出し、目の前の光景と見比べる。周囲に広がるカラマツの森は手元にある絵に似ているように見えるが、湖岸にはコテージや飲食店、土産物屋などが点在している。深い森の中にたたずむ水場を描いた絵とは、少しばかり雰囲気が違うように感じた。

 アリシアの手元をのぞき込んだアーサーは、ふん、と息を吐く。

「とりあえず、メシでも食いがてら情報収集だな」

 そう言ってアーサーが指差したのは、小さなレストランだった。

 ログハウスのようなしゃれた外観のその店は、ひどく閑散として見えた。お世辞にも広いとは言えない店内には、たくさんのテーブルが所狭しと並んでいる。それでもゆったりとした印象を受ける理由は、人影がほとんど見当たらないからだ。昼時だというのに、入っている客はカウンター席に座った中年の男が一人だけ。行商人か、旅人か、ぼってりと膨らんだリュックサックには寝袋や防水魔法を織り込んだ外套が括り付けられている。

 静かな店内にドアベルの音が響くと、男の隣に座って談笑していた少女がトレーを片手に慌てて立ち上がり、いらっしゃいませと声を掛けてくる。栗色の短い髪と日焼けした肌。活発な印象を与える少女は、お好きな席にどうぞ、とガラガラに空いた店内を示す。

 湖がよく見える窓際の席に二人が腰を落ち着けると、間髪入れずにグラスがテーブルに置かれた。透き通る水はよく冷えてはいるものの、背の低いグラスに半分ほどしか注がれていない。こんなところにも日照りの影響が出ているのかとまじまじとグラスを眺めていたアリシアに、少女が困ったように頭を下げた。

「すみません。お水、足りていなくて。それしかお出しできないんです」

「あ、いえ。水不足が深刻なのだなと思って」

「そうなんですよ、お客さん。この辺ではときどきあることなんですけどね。今回は、お客さんにお出しする水も制限しないとお店が潰れちゃうほど深刻で」

 アリシアの視線に悪意がないことを悟った少女は、木製の丸いトレーを両手で抱えたままぺらぺらとしゃべり始める。

「俺、カレー頼むわ」

 彼女の話を遮るように、黙ってメニューを眺めていたアーサーが口を開く。

「あ、私も同じものをお願いします」

 少女は話題を逸らされたことを気にする様子もなく、厨房へ注文を伝えに行く。

 玉ねぎを炒める香ばしい匂いが辺りに漂い、それほど待たされることもなく注文した料理が運ばれてくる。深皿に盛られた米は艶がなく、よく言えばパラパラと、悪く言えばパサパサとしている。大きめに切られた具材がごろごろと入ったカレーはトマトがふんだんに使われていて、妙に赤かった。おそらく貴重な水を節約するためだろう。辛味よりも酸味が強いカレーはけっして不味くはないのだが、会話が弾むような料理とは言いがたい。

 大きなスプーンで淡々と食事を口に運ぶアーサーは、味については何も触れずに別の話題を振る。

「なあ、あんたこの辺りのことは詳しいよな?」

 アーサーの言葉に、少女はにっこりと笑って頷く。

「はい。見どころ情報もちょっとした豆知識もお任せください」

 アーサーは顎で例の絵を見せるようアリシアに合図を送る。アリシアは、ポーチから取り出した紙切れを少女に渡した。

「あぁ、青の画家ですね! 有名ですよ、本名は忘れたけど」

「有名なのに名前は忘れたのかよ」

 呆れた顔で言うアーサーに少女は苦笑を返すと、サクロサンクトですよね、と続ける。

「……あそこは、今行っても意味がないぞ」

 カウンター席で食事をしていた男が不意に疲れた顔を二人に向け、口を挟んだ。

「兄ちゃんたち、観光に行くなら日照りが解消されてから行きな。なにしろ、水源ごと干からびてるからな」

 なんにも見るところなんか、ねえぞ。

 男はため息交じりにそれだけ言うと、代金をテーブルに残して大きなリュックサックをゆっくりと背負い、店を出て行く。

「日照り、やっぱり酷いんでしょうか?」

「サクロサンクトは、こことは水源が違うんです。隣の山の中腹にあるんですけど、そっちの方が被害が深刻みたいですね。ここはまだ、水が残っているだけいいほうです」

 少女がつい、と窓の向こうを指差す。その指先に誘われるように外に目を向ける。日ごとに強くなっていく日差しを跳ね返す水面に、無骨な印象の魚が一匹跳ねた。

 店の片隅で埃を被っていたブックスタンドから地図を取り出した少女は、何度も開かれてしっかりと癖がついたページを見せた。

「そこにある湖は、ラクスアルバ。目の前の峠道、ずうっと辿ってもらうと隣の山に繋がるんですよ。小さいけど湯治場の集まる温泉街なんで、看板が出ています」

 細い荒れた指先が、地図の上に描かれた道をすい、となぞっていく。

「サンキュー」

「あ、でもお客さん徒歩ですか? 歩きなら、途中で宿を取ったほうがいいですよ」

「いや、車」

 アーサーの言葉に、窓の外に目を向けていた少女はぱっと顔を輝かせた。

「もしかしてあの車、お二人のですか? かっこいいなあ。どこかのギルドの関係者か何かで……」

「ここから距離的にどのくらい?」

 相手の言葉を容赦なく遮って、アーサーがにこりと笑う。

「あ、馬車で二時間てところです。車なら、もっと早く着くかもしれないですね」

 少女はとくに気を悪くすることもなく、笑顔を返した。

「でも、さっきのお客さんも言ってましたけど、今は本当に観光できる状況じゃないかもしれませんよ?」

 中空に居座る太陽に恨めし気な視線を向けた少女は、小さくため息を吐いた。

「それこそ、突然の大雨でも降るって言うなら話は別ですけど、日を改めたほうがいいかも」

「あっ、それなら大丈夫です。雨、降りますから」

「え?」

 自信満々に言い切られた言葉に、少女が不審そうな表情を浮かべる。その様子を見て、アリシアは慌てて口元を両手で覆い隠した。

「い、いえ、そろそろ雨を降らせてあげたいなというか」

「ええっ?」

「あっ、じゃなくて! 雨が降ったらいいなという私のただの願望というか! でもそれがどこかに伝わって、もしかしたらすごい奇跡が起こるかもしれないというか!」

「お、お客さん?」

 慌てふためいて妙な言葉を並べていくアリシアと、話の本質がわからずに混乱する少女。不信感満載の空気に耐え切れなくなったアリシアからすがるような視線を向けられて、アーサーは思いきり眉間に皺を寄せて大きなため息を吐く。

「別に怪しいもんじゃねえよ。そいつも俺も。ただの通りすがりの祈祷師と、その護衛だ」

「あ、そ、そう! 祈祷師です。これから、この地域一帯の雨乞いをしに行くところで……」

「祈祷師さま……?」

 その単語を聞いた少女の瞳に、期待の色が宿った。

「本当に祈祷師さま? すごい! 嬉しい! 村長ったらお金がなくて祈祷は無理だって言ったくせに、ちゃんと考えてくれてたんだわ」

「あ、えっと」

「このままじゃ、犠牲になる人もいるんじゃないかって心配していたんです」

 明るい笑顔を浮かべたまま、少女は素早い動作で真っ白なエプロンの裾を持ち上げ、目元を拭った。犠牲。その言葉に胸が詰まる思いがして、アリシアは一瞬呼吸を止めて目を閉じる。

「こいつ、若いけど力のある祈祷師でね。今夜は恵みの雨どころか、大嵐になるらしいから期待していいと思うぜ」

 素っ気ない表情を変えることもなく食器を空にしたアーサーは、そういうことにしとけ、と言わんばかりにアリシアに目配せする。苦笑を浮かべたアリシアは、早く店を出ようと急いで食事に手を付ける。焦りながら食べた真っ赤なカレーライスは、味もわからないまま腹に収まった。


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