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幻灯の街3

 ゆったりとした店内は、雑多な物で溢れていた。

 壁一面に作られた棚には色合いも大きさもまちまちな鉱石や化粧品、ドライハーブの小瓶なんかが所せましと並べられている。レース編みのクロスが掛けられたテーブルには、女性が好みそうなアクセサリーの類が置かれ、きらきらと陽光を弾いている。窓際に設置されたフラワースタンドには鉢植えの花が並び、置ききれなかったらしい大型の観葉植物が堂々と通路を狭めていた。その陰に、怪しげな植物の根っこや毒々しい色合いの花がちらりと見えた。気がした。きっと気のせいだろう。

 天井から吊られたドライフラワーやドライハーブの束を避けて、少女は店の奥にある住居スペースへと二人を連れていく。

 扉で隔てられた客間には、落ち着いた印象のダイニングテーブルが置かれている。大きな窓から入る日差しが心地いい。四人掛けのテーブルに座るよう促し、少女は一人、続き間へと消えていく。

 アーサーはまったく遠慮することなく藍色のダイニングチェアにどっかりと座ると、長い足を組む。礼儀正しいとはとても言えないアーサーの様子にハラハラしながら、アリシアはその隣に腰かけた。

 ほどなくして、ガラスのティーセットをトレイに乗せた少女が戻って来る。

 彼女は慣れた手つきでカモミールティーを淹れると、窓をわずかに開いた。心地いい風と共に、庭の奥に植えられたポプラの葉がさわさわと揺れる音が舞い込む。

「さあ、どうぞ」

 美しい少女の声とともにかちゃりと陶器の皿が置かれる音がして、目の前に真っ赤なタルトが現れる。先ほど積んだ瑞々しいミントの葉が、真ん中に飾られていた。

「おいしそう……」

 思わず呟いたアリシアにアーサーが呆れたようにため息を吐き、少女は柔らかく微笑んだ。

「遠慮せずにお食べ、アリシア。ずっと欲しがっていただろう?」

 神秘的な印象を持つ少女に手振りで促され、アリシアは綺麗に切り分けられたラズベリータルトを口に運ぶ。摘みたての果実の甘酸っぱい味に、思わず口元が緩む。ほろほろとしたサブレ生地のほのかな甘さが、後からやさしく広がる。爽やかな味わいのタルトを存分に堪能してから、アリシアは改めて目の前の少女に向き直った。

「夢でお会いしたのは、あなただったんですね」

 少女はアリシアの向かいに腰を下ろすと、肯定するように肩をすくめてみせた。

「ココルネという。見ての通り、エルフの端くれだ」

 静かにそう名乗った彼女に、アーサーが言葉を被せる。

「森暮らしに飽きてこんなところに住んでる偏屈ババアだよ」

「ばっ……。アーサー、失礼です!」

 慌てて口を塞ごうとするアリシアの手を避けて、アーサーはそっぽを向く。

「千五百歳超えてんだから、立派なババアだろ」

「アーサー!」

 千五百歳という言葉の真偽のほどはともかく、可憐な少女の姿をしたココルネをババアと呼ぶことに違和感がありすぎる。アリシアは何とか連れの男を制止しようと、テーブルに手をついて立ち上がった。

「まあ、その辺にしておきなさい、ひよっこたちや」

 二人のやり取りを向かいで聞いていたココルネはアーサーの言葉など気にも留めず、アリシアに向かって静かに手のひらを差し出した。

「さて、早く済む用事から片付けようかね。アリシア、指輪を出しなさい」

 二人が来た目的を説明するまでもない対応に、アリシアは尊敬のまなざしを少女に向けた。

「未来を見通せる能力って、すごいですね」

 首から下げた指輪をココルネの手の平に乗せながら言うと、彼女は苦笑を浮かべた。

「見通せたからと言って、いい事はないよ。それに、人はいともたやすく未来を変えてしまえるものだからね」

 特に、お前は。

 含みのある言い方をしながら、ココルネは手のひらに乗せた指輪にもう片方の手を重ねて包み込んだ。柔らかい光が指の間から零れ、ココルネの整った顔を照らす。息を呑むほど美しいその光はやがて消え、彼女は指輪を人差し指と親指でつまむと内側にはめ込まれたブルーダイヤを確認した。

「うん。このくらいでよさそうだ」

 差し出された指輪を、アリシアは両手で大切そうに受け取った。

「ありがとうございます!」

「後でやり方を教えてあげよう。お前にもできるよ。次からは、自分でやるといい」

「私が、ですか?」

 驚いた表情を浮かべるアリシアに、ココルネはゆっくりと頷いて見せた。

「お前は、だいぶ強い魔力を持っているからね。それから、特異な運命も」

 ココルネは再び優しい笑顔をアリシアに向けると、今度はアーサーに向き合った。

「さて、次はお前の用事だ。アーサー」

「俺は用なんてない」

 アーサーはぶっきらぼうにそう言うと、きつく腕組みをして体ごと壁の方向を向く。その様子がなんだか小さな子供のように見えて、アリシアはそっと向かいに座るココルネを見やった。

「お前は本当に素直じゃないね。そろそろだいぶ痛み出すころだろうに。上着を脱ぎなさい」

 ココルネの言葉に、アーサーはちらりと隣に座るアリシアを見た。その視線の意味を理解したのか、ココルネは小さくため息を吐いた。

「アーサー、話していないのかい? 困った子だね」

「……」

 壁に視線を向けたまま、アーサーはただ黙りこくっている。その姿は次にどう行動するべきなのかを決めあぐねている幼い少年のようで、なぜかひどく不安定な印象を受けた。まるで暗闇の中で道に迷っている子供のようなその姿が普段の堂々とした彼の様子とはかけ離れていて、心配になる。

「アーサー」

 ココルネの優しい声に、アーサーの体が自然と彼女のほうに向く。

「アリシアには、きちんと話しておいたほうがいい。この子は、いつかお前にとっての救いになるからね」

 ライトブルーの瞳が、今度はアリシアに向けられる。まるで、彼女を見定めるように。その冷たい色の視線に、縋るような寂しげな感情を見た。そんな気がした。

 アーサーはふい、とアリシアから目を逸らすと、無言のままカーキ色のジャケットをゆっくりと脱いだ。脱いだ上着を椅子の背もたれにぞんざいに掛けた彼は、ゆったりとした黒いティーシャツの左袖を肩まで捲り上げる。

 引き締まった腕。その上部、肩に近い位置に、翼を大きく広げた一羽のカラスがいた。周囲の光を吸い込むような、黒い色彩。闇色のカラスは、見ているだけで底冷えするような感覚を抱かせる。ざわり、と、肌が泡立った。

 がたっ。

 大きな音を立てて、アリシアが立ち上がる。

 一瞬、痣か刺青かと思ったが、違う。左肩から漂う、ひどく禍々しい気配には覚えがあった。すぐに真相に気付いたアリシアが、悲鳴を殺すように自分の口元に手を当てた。

「それ、呪痕、ですか?」

 肩に染みついたカラスからは無数の真っ黒な蔦のようなものが出て、枝分かれしながら上腕へ、そして肘のあたりへと伸びている。おそらくシャツに隠された背中や胸のほうにも回っているのだろう。血管のように走るその蔦が、まるで生きているかのようにどくんどくんと脈打っていた。

「痛みますか、アーサー?」

 アリシアが伸ばした指先が、彼の肩に触れる。その唇から、お願い、と小さな声が漏れる。

「眠って」

 無意識に口から洩れた言葉に、アリシア自身が戸惑う。アリシアの手の平から真っ白な光が走り、一瞬で消える。それと同時に、大きく脈打った蔦が、するすると引いていくのが見えた。漂っていた禍々しい気配が薄れ、呪痕はまるでただの痣のようにそこにあるだけ。

 その瞬間、ようやく昨晩の夢の意味を理解した。

「これは驚いた。贄の力ってのは、ずいぶんと……」

 ココルネの声が、静かな室内に響く。最後まで言わずに、彼女はアーサーの顔を覗き込んだ。

「痛みはもう引いたんじゃないかい、アーサー?」

 驚いたように目を見開いたアーサーは、左腕を曲げたり回したり、手を握ったりしている。

「……引いた」

「治癒術は、今は必要なさそうだね。後できちんと見せておくれ」

 二人のやり取りが、どこか遠く聞こえる。おかしい。そう自覚した瞬間、アリシアは両足から力が抜けるのを感じた。抗いがたい疲労感が押し寄せて、体の平衡感覚がなくなる。

 身体が崩れ落ちる瞬間に、すぐ脇から伸びた手に腕を引かれ、少し手荒く椅子に座らされる。

「おい、大丈夫か?」

 頬に骨ばった温かい手が触れ、アリシアはゆっくりと目を開けた。日の光に煌めく宝石のようなライトブルーの瞳が目の前にあって、きれいだな、とぼんやり思う。

 そう、きれい。

 きれいだけれど近い。ものすごく。

「だっ、大丈夫です!」

 思考が目まぐるしく回転し始めて、恥ずかしさに体温が急激に上がっていくのを感じた。

 鏡を見なくても真っ赤になっているとわかる頬を隠すように両手で包み込んで、アリシアは慌てて椅子から立ち上がろうとする。しかし、疲れ切った体は、立ち上がることもできなかった。

「おい暴れんな、お嬢」

 ずるずると床に崩れ落ちそうになるアリシアを椅子に座り直させて、アーサーが呆れた声で言う。

「少し、休ませてあげなさい」

 ココルネが先ほど入ってきたものとは別の扉を開け、廊下へと歩いていく。彼女は突き当りの扉を開けたところで二人を振り返り、おいで、と手招きをした。

 アーサーはおもむろにアリシアの横に回り込むと、無言のまま彼女を横抱きに抱え上げた。突然のお姫様抱っこというやつに、頭の中が沸騰するような感覚に陥る。

「ちょっと待って! アーサー、下ろしてください!」

 重いです、恥ずかしいです、歩けます!

 必死に言葉を並べながら両足をバタバタさせるアリシアを落とさないよう、アーサーの両腕に力が篭った。

「おい、お嬢。危ねえから暴れるなって」

 先ほどよりもしっかりと抱き込まれて、アリシアは恥ずかしさに両手で顔を隠したままぴくりとも動かなくなる。

 何も言わずに生温かい視線を送ってくるココルネの脇を通り、リビングルームに入る。

 パッチワークキルトのカバーがかかったソファーにアリシアを下ろすと、アーサーはその脇に片膝をつき、気分は、と聞いてくる。ココルネが差し出したグラスの水を飲み干して、アリシアはふっと息を吐く。

「大丈夫です。それより、アーサーは?」

「あ?」

「肩は、大丈夫なんですか?」

 むき出しになったままの呪痕にそっと触れると、アーサーは呪いの痕を隠すように捲り上げていたシャツの袖を下ろした。

「何でもねえよ。大丈夫だ」

 普段と変わらない口調。なんの根拠もないけれど、なぜかその言葉が本心だとわかって安心する。

「少し、眠りなさい」

 優しい声でアリシアに笑いかけたあと、ココルネはくるりと向きを変えるとアーサーに顎先で部屋を出るよう合図を送る。彼女の表情は見えなかったが、部屋の空気が少し冷えた気がしたのは、気のせいだろうか。

 遠ざかる二人の足音。飾り時計の振り子が揺れる音。かすかに聞こえてくる鳥の声と、ポプラの葉が立てるざわめき。

 疲労感が再び押し寄せて、気が付けばアリシアはうとうとと眠りに落ちていた。


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