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幻灯の街2

 はっと目を覚ますと、アーサーにもらった目覚まし時計は朝の六時に差し掛かるところだった。アラームが鳴り始める前に目覚ましを止めて、アリシアは大きく伸びをする。

 雲のようにふわふわなベッドで眠ったおかげか、いつもより体が軽い。

 白に近い金の髪を普段より丁寧に梳かし、顔を洗って身支度を整える。時間を気にしながら廊下に出ると、ちょうど隣の部屋からアーサーが顔を出したところだった。

「アーサー、おはようございます」

 にこやかに声を掛けると彼は一瞬怪訝そうな顔をし、腕時計とアリシアの顔を交互に見比べた。

「お嬢、よく起きたな。まだ七時前だぞ」

「お、起きますよ! 私だって!」

 言い返してみたものの、普段から待たせてしまっている側としては偉そうなことは何も言えない。

「早くメシにしようぜ」

 アーサーはけらけらと笑いながら、廊下を進んでいく。不意に昨夜の夢を思い出したアリシアは、思わず立ち止まって彼の左肩に目を向けた。両腕を真上に伸ばして思いきり伸びをするアーサーは、特別具合が悪そうには見えない。ほっと胸をなでおろしたアリシアに、振り向いたアーサーが早く来いよ、と声を掛けた。

 広い館内を迷うことなく歩くアーサーは、昇降機で二階に降りると落ち着いた雰囲気のレストランへ入っていく。真っ白なシャツに深紅のカフェエプロンを付けたウエイトレスが、お好きな席へどうぞ、とアーサーに席札を渡す。

 レストランの奥は一面ガラス張りとなっていて、大きな窓から朝の光が惜しみなく注いでいた。明るい色調の床と高い天井。会話を邪魔しない音量で流れるラウンジミュージック。

 解放感のある朝のレストランでは、さまざまな人が思い思いの時間を過ごしている。

 新聞を広げたスーツ姿の男性や、食後のお茶を飲みながらゆったりとした時間を過ごす老夫婦。会話を弾ませながら食事を楽しむ家族連れや、旅行雑誌をのぞき込む女性のグループ。

 アーサーは人の少ない窓辺の席に札を置き、ベンチ席にアリシアをエスコートした。

「どうぞ、お嬢さま」

「あ、ありがとうございます」

 向かいの椅子にアーサーが腰かけると、給仕係の女性スタッフがあらかじめ注文してあった食事を運んでくる。

 焼きたてのロールパンとデニッシュ。新鮮で彩りの良いサラダ。温かいスープとポーチドエッグ。スモークベーコンとフルーツの盛り合わせ。

 こんなに食べきれるだろうかと不安になるほどの料理が、あっという間に目の前に並ぶ。

 アーサーはまだ温かいパンを無造作に口に放り込むと、アリシアに目を向ける。

「で? 昨日のあいつは一体誰だよ? お嬢の知り合いか?」

「昨日……?」

 何気ない口調で掛けられた問いに、アリシアは一瞬ぽかんとした表情を浮かべる。明け方見た不明瞭な夢が気になって、追手のことなど頭の片隅にも残っていなかった。

「ああ! 昨日の男性ですね。教団の次期大司教候補の方で、名前はグランディー・キーツと言います。お年は、確か二十八歳だったかと思います」

「ご丁寧な説明どうも。追手かどうかを聞きたいんだが?」

「追手、ですね。ナビゲーターなんですよ、グランディー」

 アリシアの言葉に、アーサーはほんの一瞬表情をこわばらせる。

「ナビゲーターって、特殊能力者じゃなかったか?」

「ええ。占術師、予言師、千里眼、すべての能力を備えていて、あるべきものをあるべき場所へ導くことができます」

「それ、もう隠れても確実に見つかるやつじゃね?」

「そうですね。実際、先回りされちゃいましたね」

 あはは、と苦笑するアリシアに、アーサーがじろりと避難がましい視線を送る。

 グランディーが観光案内ギルドにいたのは、アリシアがそこに立ち寄ることをあらかじめ知っていたからだろう。

「そりゃ、だいぶ面倒くせえな」

 舌打ちとため息の混じった言葉を吐いて、アーサーはアリシアと目を合わせる。

「お嬢、もう戻るのはどうだ?」

「嫌ですよ! グランディーにも、まだ旅は続きますって言っちゃったんですから!」

 アーサーはアリシアの言葉に肩をすくめると、もう一度大きくため息を吐く。

「それで? 次の行き先は決まったか?」

「それなんですが、実は……」

 アリシアは首元にかけていた指輪を取り出すと、アーサーに渡した。形状的には何も変わりがない指輪を受け取って、アーサーは不思議そうな表情を浮かべる。

「前にジジイから受け取ったやつだよな。これがどうかしたか?」

「昨日、指輪にかけられていた守護魔法が発動したんです。ただ、相手の力が大きかったせいで、思った以上に魔石に負荷がかかってしまったようで。魔力切れが近いんです」

「切れるとどうなるんだ? 悪いな、魔石については詳しくない」

 アーサーはチェーンのついた指輪をアリシアに返しながら、いつになく真剣な表情を向けてくる。アリシアはゆっくりと言葉を選びながら説明をする。

「えっと。この指輪本体に守護魔法がかけてあって、石はその動力源なんです。守護魔法は、指輪の持ち主が何かしら危険に晒されたとき、自動で発動するものです」

「動力がなくても発動を止められないってことか?」

「はい。魔力が切れた状態で長時間放置したり、魔法を無理に発動させたりすると、石そのものが割れてしまうことがあるんですよ」

 そこまで喋ったアリシアは、アーサーをまねてブラックコーヒーを一口飲みこむ。しかし、その熱さと苦さに神妙な顔を浮かべると、ミルクピッチャーの中身をゆっくりとカップに注ぎ込んだ。

「で? 切れた魔力はどうすんだ?」

 スモークベーコンをフォークで口に運びながら、アーサーが聞いてくる。

 指輪の受け取りを頑なに拒否していたアーサーだったが、養父からの贈り物を大切に思う気持ちはあったのだろう。

「大丈夫です。魔法に長けた方にお願いすれば、魔力は込められるはずですから。お父様からの贈り物ですもんね、大切に……」

「あーいや、そうじゃなくて。たぶんそれ、石だけで数千万するぞ?」

「へ?」

 人工ではない、天然のブルーダイヤモンドだ。鉱石としての希少性については聞いたことがあったし、土台に使われているのも質の良いプラチナだ。決して安いものではないと思っていたが、予想よりも桁がひとつふたつ違う。首から下がる指輪が、急にずっしりと重みを増した気がした。

「数っ……?」

「あのジジイ、ちゃんと説明してなかったんだろ? そんな危ねえもん、持ち歩きたくないから断ってたんだよ」

 アリシアは慌てて指輪を服の下に隠し、周囲を窺った。レストランでくつろぐ人の目が、急に気になり始める。巨額の指輪に加え、旅に出た際にこっそりと持ち出した宝石の類もある。換金した際にアーサーの養父であるヨハンの好意で金融ギルドに預け入れを行ったが、アリシアの所有財産も当面は路銀の心配が必要ない程度の額にはなっている。というか、数年は遊んで暮らせるだろう。

「あの、アーサー。今からほんのちょっとだけアルトローゼンに戻るというのはどうでしょう?」

 自分で預かると言っておいてなんだが、できることなら今すぐにこの指輪をお返ししたい。しかし、そんな思惑を一蹴するように、アーサーはそっぽを向いた。

「やだね。お嬢が受け取ったんだから、きちんと自分で管理しろよ」

「そんな……」

「大丈夫だって。あのジジイなら、失くそうが破損させようが怒りゃしねえだろうから。たぶん、な」

「いえ、そういう問題じゃないです」

 思わず頭を抱えたアリシアの前で、アーサーは呑気に朝食を食べ続ける。

「ほれ。さっさと食わねえと、冷めるぞ」

 そう言われて、アリシアはしぶしぶ手を動かす。

「で、次の行き先は? その指輪を何とかするのか?」

 にこにこと笑いながら意地悪く聞いてくるアーサーが憎たらしい。アリシアはサラダを一口食べると、向かいに座る青年の顔を覗き込んだ。

「ええ、それなんですが……。この近くに魔道具や魔法に詳しいお店があると思うんですが、心当たりはありますか?」

「ん? 魔法関連の店?」

「はい。おそらく、アーサー知っている場所だと思うんですが。夢で、呼ばれたので」

「また夢か?」

 アリシアの言葉に、アーサーは腕を組んで窓の外に視線を向けるとしばらく記憶を辿る仕草をする。やがて、んんん、と小声で呻くように呟くと、わずかに眉間に皺を寄せた。

「あるにはあるけど、行きたいのか?」

「ええ。旅を続ける前に、指輪を直してしまいたいです」

 服の上から指輪を握り込んだアリシアに、アーサーはどこか煮え切らない態度で言葉を重ねる。

「本当に、行くのか?」

「ええ。お願いします」

「どうしてもか?」

「……あの、アーサーは行きたくないんですか?」

 小首をかしげて問い返すアリシアに、アーサーはぐっと言葉を飲み込んだ。彼はそのままひどく深いため息を吐くと、目を閉じて指先で両のこめかみをもみほぐす。

「アーサー? 頭でも痛いんですか?」

「何でもない」

 あまり何でもないようには見えないアーサーは、ゆっくりと目を開くとカップに残ったコーヒーを一気に飲み干した。

「連れてってやるから、早くメシを食っちまえよ」

 通りかかったウエイトレスに二杯目のコーヒーを注文すると、アーサーはもう一度長い溜息を吐いた。




「これから向かう場所は、何のお店なんでしょう?」

 気乗りしない様子でのろのろと車のエンジンをかけるアーサーに、助手席に座ったアリシアが声を掛ける。アーサーはその顔をちらりと見た後で、本日何度目かもわからなくなったため息を吐く。

「雑貨屋だ。魔法と関係のない小物から、怪しい呪いのグッズまで扱ってる変な店」

「雑貨屋……」

「店主が少し変な女だけど、あんまり人に言いふらさないでやってくれ」

 何か、込み入った事情があるのだろうか。アーサーは据わった目つきで、少し含みのある言い方をする。

「変……ですか。えと、私なら大丈夫ですよ」

 口は堅いので、という言葉を口にする前に、アーサーの声が耳に届く。

「お前、話し相手もそんなにいないだろうしな」

「……アーサー。今のはひどいです」

「悪い、悪い」

 唇を尖らせるアリシアに、アーサーは軽い笑い声を漏らす。

「冗談だ。怒るなよ」

 ようやくいつもの調子に戻って軽口を叩いたアーサーは、ゆっくりとピックアップトラックを走らせ始めた。

 魔導電球の光が弱まった昼のスティオリは、煌びやかな夜の様子とは打って変わって、穏やかな地方都市という印象を受ける。程よく栄えた街のあちこちに緑が残され、優しい色彩が目を休ませる。

 夜の様子から派手な街なのだろうと思っていたが、白や茶といった落ち着いた色調で揃えられた街並みは素朴な美しさ醸し出している。

「きれいな街ですね」

 通り過ぎる風景を眺めながら呟いたアリシアには答えずに、アーサーが鼻を鳴らす。

 工業用に割り当てられた地域だろうか。魔導ランタンや電飾など、さまざまな魔導灯の看板を掲げた工房が立ち並ぶ一角を抜けて、アーサーの運転する車は街の東へと向かう。

 石造りのアーチ橋を越え、住宅街を通り、観光客で賑わう古い街並みを残した区画を過ぎると街の喧騒が少し遠ざかった。街はずれ。淡い色合いの花を付けたリンゴ畑を越えたあたりに、目的地はあった。

 暗い色調のレンガを積み上げた、チューダースタイルの建物。黒い鉄格子と黒い玄関扉。その脇には、「くろねこや」と書かれた真鍮製の壁面看板が出ている。

 無造作に立てかけられた竹ぼうきと、古びた木の椅子。

 玄関先にはウイスキー樽を再利用したプランターが三つ置かれ、それぞれに色の違うビオラやカンパニュラ、アネモネなんかが一緒くたに植えられている。日当たりの良い広い庭は手入れが行き届き、短く刈り込まれた芝が青々と輝いていた。その庭の隅には、数えきれないほどのハーブが茂っている。アリシアが名前を知らないものもちらほら。

「なんだか、魔女の家みたいですね」

 雰囲気のある家の様子に、車から降りたアリシアが呟く。

「正解。魔女、ではないけどな。いや、魔女か」

 どこかげんなりした様子で、よくわからない答えをアーサーが口にしたときだった。

「待ってたよ、アーサー」

 鈴の音のような、澄んだ声が耳に届いた。古い枕木のアプローチの先で黒い木製扉が軋んだ音を立てながらゆっくりと開き、中から一人の少女が顔を出す。

 おそらくアリシアと変わらない、十代の後半といった年頃だろう。日の光を弾くような長い銀の髪と、わずかに緑がかった銀の目。真っ白な陶器のように滑らかな肌と、すっと通った鼻筋。形の良い桜色の唇。

 目の前の少女は、まるで芸術家の描いた絵画から抜け出たような、あるいは舞い降りた天使のような美しさを持っている。神秘的だけれど、どこか冷たい印象。その足元に、真っ黒な毛並みの猫がすり寄っているのが見えた。

 ミントグリーンのクラシカルワンピースの裾が、彼女の動きに合わせてふわりと揺れる。背中に流れる銀色の髪がなびいて、細く尖った耳が見えた。

「まさか、エルフですか?」

 人目を惹く少女の姿をまじまじと見ていたアリシアは、その特徴的な耳に気付いて思わず駆け寄る。

「本物? わぁ、すごいです。私、異種族の方には初めてお会いしました」

「あら。ずいぶんと賑やかな子だ」

 少し呆れた様子で、少女が苦笑を浮かべる。口元が緩み、目元が笑みの形に変わる。たったそれだけで、先ほどまで感じていた近寄りがたい印象が一気に薄れた。

 人が持つ魔力の根源は、エルフだという。しかし、自然の民であるエルフが人と共存していたのは、今から数千年も昔のこと。文明が栄え、少しずつ自然から離れてしまった人間のもとを、彼らは去った。

 強い魔力と未来を見通す力を持ち、人に友好的だったエルフだが、今ではその姿を見ることはほとんどない幻の種族だ。

「会えたことを喜ばしく思う、世界の贄」

 名乗らずとも、アリシアが何者なのかを察していたのだろう。優しい表情のまま、目の前の少女が身を低くして挨拶をする。アリシアは慌てて挨拶を返した。

「アリシア・ヘイワードと申します。お会いできて光栄です」

「本当に、久方ぶりだ」

「あの……?」

 どこかで会ったことがあるような少女の微かな呟きに、アリシアは首をかしげる。きょとんとした顔のアリシアに、彼女はただ静かに首を振った。

「おい、やめとけお嬢。あんま近付くと、因縁つけられて呪いの実験台にされるぞ」

 庭先に停めた車から離れずに、アーサーが声を掛けてくる。その顔には、露骨に嫌そうな表情が貼りついている。銀髪の少女は呆れたようなため息を吐いて陽だまりに生えていたミントを摘むと、立ちっぱなしのアーサーに視線を移す。

「アーサーは相変わらず生意気だね。早くおいで。お前たちのために他の客を追い返したところだ」

 ひどく尊大な態度でアーサーの名前を呼んだ少女は、玄関扉をもう一度開けて二人を中に招き入れた。


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