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幻灯の街1

 四方を山々に囲まれたナノ地方。その西側の山脈を越えたところにあるのが、スティオリという街だ。

 アーサーの運転するピックアップトラックが街に辿り着いたのは、太陽がすっかり沈んだころだった。木々の乱立する峠道を下りきった車の前方に、ぽつりぽつりと街明かりが見え始め、気が付けば飲み込まれるように明るく輝く街の中にいた。

 眩しい。

 光り輝く街並みに思わず目をこすったアリシアは、現れた光景に瞬きを繰り返す。

 峠道の頂上で見たサウワの街明かりとは、比べものにならない。

「アーサー、見てください! すごい明かりですよ!」

 街には、白や黄、赤、青、紫、色とりどりの光が溢れていた。街角に設置されたしゃれたデザインの街灯だけではない。店の看板や案内灯なんかが煌びやかな光を放ち、街の夜景を彩っているのだ。

「ちゃんと見えてるから大丈夫だ」

 気のない返事を返したアーサーの横で、アリシアがひときわ大きな歓声を上げる。

 前方。大通りの両脇に植えられた街路樹が、美しい若葉色にライトアップされている様子がアーサーの目にも映った。

「あれって、魔導電球ですか? こんなにきれいな発色のものがあるんですね!」

「電飾の規模はでかいけど、あれくらいの発色と光度は今時、普通だと思うぞ?」

「そうだったんですね。知りませんでした。白い森では、昼も夜もありませんでしたから……」

 白い森は、外界から切り離された聖域だ。森には太陽も月もなく、変わらない天候と気温の中、ただゆるゆると時間だけが静かに流れていた。

 昔、まだ幼いころに夜というものを見てみたくて、森を抜け出して神殿から町へと抜け出したことがある。確か、何かの祭りの日だったと思う。今から十年以上も前のこと。その時に見た明かりは、オレンジ色の淡い光を放つ魔導ランタンばかりだった。輝くようなきらめきはなかったけれど、その暖かい光に心が惹かれたことは今でも覚えている。

「スティオリは、魔導産業が盛んな街だからな。中央大陸でもかなり有名な都市だぜ。特に、魔導灯の研究にはかなりの力を入れてるみたいだからな」

「そうだったんですね。私、こんなに綺麗な夜景は初めて見ました。眩しいほどですね」

 アリシアは、車の窓に頬がくっつきそうなほど近付いて熱心に外を見ている。アーサーは何も言わずに、ただ苦笑を浮かべてみせた。

「着いたぜ」

 馬車の行き来もなくなった日暮れ時の大通りを進んだ車は、シンプルな外観のシティホテルの前で停まった。落ち着いた外観の建物は、車の中からではてっぺんが見えないほど高い。

「運転、ありがとうございました、アーサー」

「へいへい。お嬢も運転できるようになってくれればありがたいけどな」

「えっと。ライセンスは、どこで発行してもらえば……?」

「冗談だ」

 真顔で悩み始めるアリシアに、一足先に外に出たアーサーは車から降りるよう促す。

 助手席のドアを開け、細かい石畳のアプローチにゆっくりと足を下ろしたアリシアは、再び歓声を上げた。足元のタイルが、アリシアの足の動きに合わせて若草色の光を放つ。どこまでもついてくる光が面白いらしく、アリシアは踊るようにくるくるとステップを踏んだ。

「アーサー、見てください! すごいですよ、光がふわぁって!」

 ホテルの入口へと続く小径を、黄緑の光を散らすようにアリシアが進んでいく。アーサーは二人分の荷物を抱えたまま、無言でその後を追いかけた。石畳が途切れた入口の前で、アリシアはようやく荷物の存在を思い出したらしい。追いついたアーサーに、真っ赤な顔で頭を下げる。

「すみません、アーサー。つい、夢中になってしまいました」

「いいんですよ、お嬢さま。部屋まで運ぶから、中入れ」

 両手がふさがっているアーサーに言われて、アリシアは扉を開けようとドアノブを探す。しかし、磨き上げられたガラス張りの扉には、取っ手が見当たらない。戸惑っていると、アーサーに顎で「進め」と促される。戸惑いながらも一歩踏み出したアリシアの目の前で、自動扉がゆっくりと開いた。

「!」

 驚いた様子で振り返ったアリシアに、アーサーは思い切り呆れた表情を向けた。

 全然珍しくないから、余計なことは言わずにさっさと進め。

 口に出さずともその表情から言わんとしていることがはっきりと伝わってきて、アリシアはそわそわと後ろを振り返りながらもフロントへと足を進める。

 すっかり日が暮れてからの来訪だというのに、きちんとしたスーツ姿のホテルスタッフは嫌な顔一つせずに部屋を用意してくれた。

「お部屋は、六階となります。お荷物はお運びしましょうか?」

 丁寧な言葉と共に差し出された鍵を二つ受け取って、アーサーは必要ない、と短く答える。

 六階まで、階段で?

 途中でアーサーが力尽きたら、どうやって助けを呼ぶべきかしら。大声……?

 そんなことを考えながら、ぼんやりと階段を探そうとしたアリシアは、アーサーに呼び止められて振り返る。その瞬間、ロビーの中ほどで立ち止まったアーサーのすぐ横で茶色い扉が音もなく開くのが目に入った。扉の奥に進むアーサーを追いかけると、ひどく狭い小部屋だった。

「アーサー、ここは?」

 アリシアの言葉を無視し、アーサーは壁に取り付けられた操作盤の数字を押す。次の瞬間、アリシアの背後で微かな音を立てて扉が閉まった。

 驚いて飛び上がるアリシアを、信じられないとでも言いたげな目でアーサーが見つめる。

「お嬢、昇降機に乗るのも初めてか?」

「えっ、えっ、昇降機?」

 二人を乗せた小部屋が突然ふわりと持ち上がって、アリシアは慌てて壁に手をつく。奇妙な浮遊感が、落ち着かない。

「お上りさんかよ」

 ははっと短く笑うアーサーに、アリシアは笑わないでください、と反論する。

「昇降機ってなんですか?」

 アーサーに尋ねた瞬間、微かなベルの音とともに浮遊感が無くなり、扉が開く。

 先ほどのロビーとは違う廊下が現れ、混乱する。

「ほれ、降りる」

 戸惑うアリシアに、彼女の荷物を詰め込んだバックパックで昇降機の扉を押さえながらアーサーが言う。慌てて廊下に歩み出たアリシアは、床に敷かれた毛足の長い絨毯のふわふわとした感覚に驚き、思わず足元に視線を向けた。

 アーサーは足元をまじまじと見つめるアリシアに早く来い、と声を掛けながら、廊下の先に並ぶ部屋の番号を確かめて歩く。隣り合った二部屋の前で荷物を下ろすと、片方の鍵をアリシアに投げ渡した。扉を開けたところにアリシアの荷物を置き直すと、アーサーは大きなあくびをした。

「腹減ってたら、適当に何か食ってくれ。俺はもう寝るからな。明日の朝、レストランで合流」

「あ、はい。今日は朝早くから、ありがとうございました。おやすみなさい、アーサー」

「おう」

 短く答えたアーサーは、隣の部屋の鍵を開けて奥へと入っていく。その扉が閉まるまで見送ってから、アリシアも自分に割り当てられた部屋に足を踏み入れる。

 街を見下ろす高さにあるシングルルームは、かなり贅沢な部屋だった。落ち着いたグレーの絨毯は廊下と同じく体が沈み込むほど上質なもの。室内は隅々まで掃除が行き届き、埃ひとつ落ちていない。恐る恐る腰かけたベッドは、ふわりふわりと沈むように体を包み込んでくる。そのまま眠りに引きずり込まれそうな感覚がしたアリシアは、必死に体をベッドから引き離した。

 厚みのあるカーテンをそっと開けると、窓の外にはきらめく街並みが広がっている。高いビルが連なる街並みと、明るいネオンライト。瞬きながら地上を覆う光が強くて、星が見えない。ぽってりとした月さえも、遠く霞んで見えた。

 しばらくその光景を眺めていたアリシアだが、やがて少し寂しそうに空を見上げ、静かにカーテンを閉めた。

 荷物の中から着替えを取り出すとドレッサーの前に座り、やや長めのネックレスチェーンを首から外す。アリシアは、ペンダントトップ代わりに付けられた指輪を何気なく手のひらに乗せ、ぎくりと表情をこわばらせた。

 以前、アーサーの養父であるヨハンから預かり受けたプラチナの指輪は、どこかくすんだ色合いに変わっている。慌ててインナーストーンを確認すると、はめ込まれたブルーダイヤモンドが魔力切れを起こしかけていた。

 サウワの街で、アリシアを追ってきたグランディー・キーツの攻撃を止めたのは、指輪に掛けられた守護魔法の力だ。ただ、発動の際に思った以上の魔力を消費したのだろう。それだけ、グランディーの放った魔法が強力なものだったということでもあるのだが、上質の魔石をここまで酷使してしまったことを反省する。

 天然の鉱石に人工的に魔力を込めた魔石は、使用するたびに蓄積された魔力が減っていく。魔力がなくなった状態にしておくと石が割れてしまうこともあるため、人工魔石は注意が必要だ。幸い、まだ完全に空になっているわけではないが、できる限り早く魔力を補充するべきだろう。

 アリシアは小さく息を吐くと、指輪を再び首に掛け、シャワールームへと向かった。




 どこか、不明瞭な夢を見た。

 小さな部屋の中。木目が美しいフローリングの床と、シックな印象を与える天然木のダイニングテーブル。透き通るガラスのティーセットには、淹れたてのハーブティー。カモミールの甘い香りがほのかに漂って、アリシアは青リンゴに似たその香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

 涼しい風が吹く。庭の隅にまっすぐに伸びたポプラの木が、さわさわと優しい葉擦れの音を奏でる。一拍遅れて、開いた窓から微かな風が舞い込み、カーテンを微かに揺らした。

 テーブルの真ん中にはシンプルな白い皿。その上に、真っ赤なラズベリータルトが乗っている。艶出しにナパージュを丁寧に塗ったそのタルトがとてもおいしそうで、アリシアはつい、本音を口にした。

『おいしそう……』

 隣に座るアーサーが、呆れたようにため息を吐く。

 向かいに座る人物が、口元に笑みを浮かべたように見えた。

 彼、なのか、彼女、なのか。その人物の周りだけ、不思議と霧がかかったようにピントが合わない。知らない人。なのに、不思議と懐かしさを感じた。

 その口元が動いて何か言葉を発しているのに、うまく聞き取れない。まるで深い水の底に潜ったように、その人物の声だけがくぐもって途切れて、意味を成さない。

 うまく会話が成り立たないことに、アリシアは戸惑う。目の前に座った人物の心配そうな気配だけが、なぜだかはっきりと伝わってきた。それが申し訳なくて、いたたまれない気持ちになる。

 暖かい空気。鳥の鳴く声。アーサーの話し声と、カトラリーが立てるかすかな金属音。そこに混じる、誰かの声。

 なんの話をしているのだろう。

 不意に、アリシアの隣に座るアーサーが上着を脱いだ。その左肩のあたりが不思議な黒い靄に包まれているように見えて、不安に駆られる。何か、とても嫌なものがそこにあるような気がした。放っておけば命を蝕む、何かが。

「痛みますか?」

 心配になって呟いた彼女の声に、アーサーは普段と変わらない態度で肩をすくめる。いつもと変わらない声で何言ってんだ、と笑い混じりに言い、いつもと変わらない表情で何でもないふうを装う。

 うそつき。本当は痛くて辛くて苦しいくせに。

 アリシアはその肩に手を伸ばすと、黒い靄に覆われた「何か」に呟く。

「眠って」

 なぜ、そう言ったのかはわからない。何に対して言ったのかも、よくわからない。

 黒い靄はかすかに揺れただけで、何も変わらない。

 お願い、眠って。眠らせて。アリシアが強く願ったときだった。

『あなたは、それを望むの?』

 不意に静かな声が頭に響く。神の残滓。善悪の選者。法の声だと、なぜかわかった。

 私は、彼を助けたい。だから、お願い。

 その瞬間、黒い靄が大きく揺らめく感覚がした。

 向かいに座る顔も見えない誰かが、なぜだかひどく優しい顔を向けてくれたように感じた。

「待っているよ、アリシア」

 一部だけが不明瞭な夢の中。不意に、その言葉がはっきりと耳に届いた。


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