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夕霧の湖 2

 観光案内ギルド、「たびとも」。

 素朴な印象を与えるカントリー風の建物の表には、ポップな字体の可愛らしい看板がかかっている。屋根と同じエバー・グリーンの扉を恐る恐る開くと、ドアベルの澄んだ音が辺りに響いた。突然耳に届いた金属音に飛び上がって驚いたアリシアは、大きく深呼吸をすると意を決したように一歩踏み出した。

 アーサーと別れて、わずか数分。戸惑いと不安とほんの少しの好奇心が混ざって、心臓がドキドキと脈打っている。

 大きな窓から入る光が、店内を明るく照らしている。間隔を開けて並べられた丸テーブルには薄緑色のテーブルクロスがかけられ、色とりどりのカーネーションが飾られている。掃除の行き届いた店内は、まるでおしゃれな喫茶店のようだった。

「いらっしゃいませ」

 店を仕切るカウンターの奥から、涼やかな声がかかる。

「どうぞ、お好きな席にお掛けください」

 よく通る声で話しかけてきたのは、長い黒髪をきっちりとまとめた若い女性だった。目を通していたらしい書類の束を手早くまとめると、一度店の奥へと姿を消した。

 少し戸惑いつつ手近なテーブルに腰を掛けると、先ほどの女性が小さな木製トレイを手に戻ってきた。

「観光案内ギルド、たびともへようこそ。近隣の観光スポットのご紹介からこの時期おすすめの旅行プランのご提案まで、幅広く対応させていただきます」

 緊張した面持ちのアリシアの前にコーヒーカップとミルクピッチャー、可愛らしい包装のチョコレートを乗せた皿が並ぶ。それらを運んできたギルド員の女性は、聞き取りやすいテンポで口上を述べた。ぴしっと糊付けされた青いストライプのシャツと、ベージュのタイトスカート。左手首に付けられた小ぶりの腕時計と、華奢なヒールのパンプス。口調や所作にいたるまで、すべてが丁寧な印象を与えている。

「本日は、どのようなご用件でしょうか?」

 流れるような動作でアリシアの向かいに腰を下ろした彼女は、柔らかい笑顔を向けてくる。

「えと。この辺りの観光案内をお願いしたいんです。今日、これからなんですが、急な申し出ですみません!」

 そう言ってアリシアが勢いよく頭を下げると、向かいに座った女性は笑顔を崩すことなく、大丈夫ですよと答えた。

「ガイドの派遣ですね。どこか見てみたい場所やお店、体験したいことなどはございますか?」

「いえ、この辺りには初めて来たので、何があるのかまったくわからなくて。重ね重ね、すみません」

 この辺り、というより、贄の町以外。もっと言えば、白い森の外を出歩くこと自体慣れていない。おまけに今日は、護衛のアーサーも不在だ。

 サウワは治安の良い街だというが、念のため髪を隠すようにと渡された帽子を無意識に深く被り直す。

 その仕草を気にすることもなく、彼女はカウンターからナノ地方の観光情報誌を持ってくると、アリシアの前に広げて見せた。

「でしたら、サウワ湖はぜひ見ていただきたいスポットですよ。この時期は周囲に植えられた街路樹が芽吹いて、散歩にもオススメです。それから神殿も観光地として人気です。あとは、少し遠くなりますが、サクロサンクトという池が有名で……」

「サクロサンクトはもう立ち寄ってきたみたいだよ、しーちゃん」

 見どころを語るギルド員の声に、不意に男の声が重なった。同時に、テーブルに広げられた雑誌に影が落ちる。

 はっとして視線を巡らせると、いつの間にかアリシアのすぐ後ろに一人の男が立っていた。

 背が高い。というよりも、細長い。細身の黒いスーツをきっちりと着こなしている姿はとてもスタイリッシュなのだが、洗練された立ち姿がどことなく圧を感じさせた。チャコールグレーの前髪をぴっちり真ん中で分け、同じ色の目を糸のように細めてアリシアに笑いかけてくる。

「あの……?」

「やめなさい、ライアン。お客様が困っていらっしゃるでしょう。それから、しーちゃんではなく先輩と呼んでください」

 突然現れた男に、アリシアは戸惑いがちに笑顔を返す。しーちゃん、と呼ばれた女性が、眉間にわずかな皺を寄せて男を紹介した。

「申し訳ありません。当ギルドに所属するナビゲーターのライアン・ノリスと言います」

 ナビゲーターは、観光案内ギルドなどに所属するガイドの上級職だ。ガイドは文字通り、担当地域の案内役だ。これに対し、ナビゲーターは物理的な案内だけでなく、クライアントの人生や進むべき道を提示することも業務の一環となっている。占いや鑑定といったややオカルトチックなサービスを提供する職種だが、若い女性や人生に悩んでいる層からの需要は高い。

 ガイドは、担当地域の地理にさえ詳しければ無資格でもなれるが、ナビゲーターはさらに広範囲の地理・歴史・文化などの知識が求められるだけでなく、占術師や予言師といった特殊なスキルが必須となるレアな職業なのだ。

「わぁ、ナビゲーターですか。私、お会いするのは初めてです!」

「どうぞよろしくねー」

 その肩書に驚くアリシアに、ライアンはもう一度笑顔を向けてくる。

「良かったら、僕が街を案内しよっか? 今日はちょうど暇なんだ」

 にこにこと申し出るライアンだが、やや冷たいが会話を遮った。

「やめてください、ライアン。あなたはまだ書類仕事が残っているはずでは?」

「しーちゃん先輩、始末書ならもう書いたよ?」

「しーちゃんじゃない! ……ですし、お客様に不安を与える発言は控えて」

 彼女は頭痛がするのかこめかみのあたりに指先を当てて目を閉じると、微かな溜息をひとつ吐いた。

「だいたいあなた、数日前に支部に来たばかりでしょう。今回は占術の依頼ではなく、観光の同行なんです」

「大丈夫だよ。定番の観光地から知る人ぞ知る穴場スポットまでばっちり頭に入ってるから」

「そういう問題ではなく……」

「あ、あのぅ」

 少しばかり言い合いに発展しかかっている会話に割り込むと、二人の視線が同時にアリシアに向いた。とっさに身じろぎながらも、アリシアは言葉を続ける。

「あの。私、ライアンさんに案内をお願いしてもよろしいでしょうか?」

 その途端、ライアンは非常に嬉しそうな表情を浮かべ、女性ギルド員は露骨に心配そうな顔をする。

「お客様、ガイドでしたら私か、そうでなくとも他に現地に詳しくて対応に失礼がない者もおります」

「わぁ、僕そんなに失礼なことしてないのに」

「あなたこの間占いを希望されたクライアントと揉めて、頭からコーヒーを浴びせられたばかりでしょう!」

「あれは鑑定結果を受け入れられなかったオバサンが悪いんだよ?」

「だからって、言い方ってものが……」

「あの!」

 アリシアはだんだんヒートアップしかかってきた二人のやり取りにもう一度割り込む。

「大丈夫です。私、ぜひこの方に案内を頼みたいです」

 にこりと笑いかけると、女性ギルド員は苦虫を無理やり口いっぱいに詰め込まれたような顔をしてしぶしぶ引き下がる。

「では本日のご案内はこちらのライアン・ノリスが承りますが……」

 彼女は不安そうにちらりと後輩にあたる男を見た後、アリシアの両手をがしっと掴んだ。

「あの! 何か不手際があった場合は泣き寝入りせずに必ずご相談くださいね!」

「あ、ありがとう……ございます?」

「しーちゃん先輩、僕のこと嫌いだよねぇ。傷つくー」

 ライアンは茶化すように言うと、アリシアに向き直ると片手を差し出してくる。

「じゃあ一日よろしくね。何て呼ぼっか?」

「あ、よろしくお願いします。アデルと呼んでください」

 握り返したその手は、どこかひんやりと冷たかった。




 朝方、柔らかな光を投げかけていた太陽はいつの間にか高度を上げ、影を濃くしていく。窓の外に広がる芝生の庭が、妙に眩しい。晩春から初夏へと変わる季節。部屋の中は、少し暑いくらいだ。

「ちょい、失礼」

 向かいの席に座ったばかりの情報屋は、等間隔に並んだ両開きの窓を風が抜ける程度に開けていく。吹き込んだ風に、真っ白なカーテンが柔らかく揺れた。

「オーウェル」

「ん~?」

 気持ちの整理はついたか。

 先刻、言われたばかりの言葉を頭の中で反芻し、アーサーは昔なじみの名前を呼ぶ。妙に間延びした返答に軽くため息をつきながら、睨みつけるような鋭い視線を相手に向ける。

「情報をよこせ」

 オーウェルは思いきりわかりやすく眉間に皺を寄せ、一瞬だけ天井を仰ぐ。

「まじっかよ、アニキ。弔いの儀も終えたんだから、もうそろそろ割り切ってさぁ、前向きに生きて行こうかなってタイミングだっただろ?」

「オーウェル」

「だいたい、人生そんなに無駄にしてる時間なんかないだろ~?」

「オーウェル」

「もったいないぜ、いまどき復讐なんかに人生捧げるなんて」

「オーウェル・ウォード」

 少し語気を荒らげた声が響き、オーウェルが口をつぐむ。

「情報をよこせ。今、わかっている分だけでいい」

 オーウェルは短い髪をがしがしと掻き、観念した、とでも言うようにヘーゼルカラーの目を閉じてため息をついた。

「アニキよぉ。気持ちはわかるんだけど、十二年も前の隠蔽された事件なんざ、もう調べようがねえんだって」

 言葉と同じくらいぞんざいに、書類の束がテーブルに放られる。安っぽいクリップが外れてバラバラになったそれは、古い新聞の切り抜きだ。

 聖都付近で起きた凶行 『ヴェルト・テーレの悲劇』

 聖夜祭の惨劇

 旅芸人一座を狙った盗賊の犯行か……

 ひねりも何もない、センスの悪い見出しばかりが躍っている。以前、贄の町フォレ・ブランシュの郊外で起きた殺傷事件を追った記事だ。

 贄の町で開かれる聖夜祭で演目を披露するはずだった旅芸人の一座が、何者かに襲われた。犠牲となった団員の数は五十以上。生き残ったのは、当時まだ幼かった少年が一人。

 ヴェルト・テーレ。フォレ・ブランシュを囲むように広がるブドウ畑。その一角が悲劇の舞台だった。

 夜から始まる講演に向け、団員たちは準備に追われていたところを何者かに襲われたという。

 今では教団の聖騎士団が日常的に警備を行っている場所だが、事件が起きた当時のヴェルト・テーレは、収穫を終えたブドウ畑が広がっているばかりだった。加えて、町は多くの人が集まる聖夜祭の最中。自然と警備は手薄になる。異変に気付いた聖騎士団が駆けつけたときには凶行に及んだ犯人の姿はすでになく、辺りはただ血の海と化していた。

 事件は信者や観光人を狙った物取りによるものと判断され、後日、ヴェルト・テーレ周辺を根城にしていた盗賊団が捕らえられた。ならず者たちは一掃され、事件はあっという間に解決となった。

 しかし、ヴェルト・テーレの悲劇には不可解な点も多かった。

 一つは興行を行う直前の旅の一座が狙われたこと。旅芸人の一行は大所帯で、中には屈強な男たちもいた。おまけに講演を行う前では大した金品は持っていなかったうえ、奪うべき貴金属のほとんどは焼けた幌馬車の奥に残されていたのだ。

 二つ目の疑問点は、犠牲となった団員たちの体には、刃物による傷がまったくなかった点。現場に残された遺体はどれも強大な力で内側から引き裂かれたような状態になっていたという。おまけに団員の中には護身のためのナイフを所持していた者も多くいたというのに、誰一人武器を手にすることなく息絶えていたのだ。

 事件後のヴェルト・テーレには呪術痕が色濃く残っていたことから、力のある呪術師が一瞬で一座を壊滅させたのではとの見解を唱える者もいた。しかし、犯人として捕らえられた盗賊団には呪術を扱える人間はいなかったのだ。

 さらには、数名の行方不明者が出ていたという可能性も密かに囁かれている。惨劇の後、遺体が見つからなかった者が何人かいたのだ。

 壊滅した一座には、「幽玄の歌姫」と呼ばれる一人の少女がいた。すべての者を魅了するとまで言われた美貌と美声を併せ持つ少女は、一座の花形だった。しかし、どれだけ念入りに探そうと、彼女の遺体は見つからなかったのだ。

 攫われて売られただとか、身元が判別できないほど凄惨な殺され方をしたのだとか、さまざまな憶測が飛び交ったが、真相は今でもわかってはいない。

 数多くの不明点を残しながらも、まるで平穏な日常に水を差すなとでも言うように、謎は解明されることもないまま事件は収束したと新聞社がこぞって記事を書いたのだ。

「アニキだって、あんとき七歳そこそこのガキだったんだろ? 誰が主犯だったかなんて、わかりゃしねえだろ」

 すでに何度も目にした情報なのだろう。ライトブルーの瞳は散らばった紙面の上をすいと泳ぎ、目の前の人物に戻る。

「世間じゃ犯人はとっくに死んだことになってるんだぜ?」

「死んじゃいない」

 アーサーの右手が動き、薄手のミリタリージャケット越しに左肩を掴んだ。

「こいつが帰りたがってるからな」

 その手にぎり、と力が入り、指先が肩に食い込む。

「……呪い持ちも大変だな」

 同情するような言い方が気に食わなかったのか、冷たい色の目が剣呑な光を帯びる。他意はないと言うように、慌ててオーウェルが両手を上げて見せた。

「っても、調べようにも手掛かりがねえんだよなぁ」

「アラン・ブラック」

「はん?」

 突然飛び出した名前には、聞き覚えがあった。どこでだったか、と視線を落としたオーウェルは、自分がばら撒いた紙の束を見て思い至る。

「アランって、アニキの兄さんだろ? 死んだっていう」

 先ほど、話題に上がった弔い拝礼を終えたばかりの故人の名が、アラン・ブラックだったはずだ。

「このところ、巷でアラン・ブラックって名前を名乗る人間がいるらしい」

「んー……。けど、とっかかりとしちゃあ弱いぜ、アニキぃ」

 とは言え、他に手がかりもないしなぁ。

 顎に手を当ててぶつぶつと呟くオーウェルに、アーサーの冷たい声が向けられる。

「いいから調べろよ。情報ギルドの沽券にも関わるぞ」

 露骨に面倒臭そうな顔をしたオーウェルは、げんなりした調子でため息を吐く。

「へいへい。誠心誠意、調べさせていただきますよ」

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