75。ルイザの日録〜〜光のような、影のような(上)
ゴールが見えてきました。
とりあえずあと2話。
ある日のこと。
ルイザは一人で、お家でお留守番をしていました。お姉さま方は学園にいるので、しばらくは帰ってきません。
さて、何をしましょうか。
家事は終わらせましたし、お勉強も完了しました。お料理の準備も――。
「あ、ジャムが足りませんね」
我が家のジャムは、全部ルイザのお手製です。
森ですか?いいえ、森には行きません。キツネお姉さまが裏庭に一杯の果実を実らせているので、そこから採ればいいのです。
安心安全、健康で美味しいジャムです。えっへん。
きゅう。きゅう。
「あ、もしかしてパンダちゃんも、ジャムを作りたいのですか?」
きゅう。
違うらしいです。
「果実が、食べたいとか?」
きゅう!
当たっているようです。
なるほど、パンダちゃんもあの甘い実が好きなのですね。……あれ、でもパンダちゃんってお魚の形をした植物でしたよね。これは、共食いですかね?
一応、食べすぎないように注意だけはしておきました。キツネお姉さまの研究用に残しておかないといけませんから。
「ふふ、こちらですよ。……わっ」
きゅうきゅう。
パンダちゃんはルイザを背中に乗せると、すいすい泳ぎ始めました。どうやら裏庭まで運んでくれるそうです。
面白いですよね、パンダちゃんは。床の中を泳げる植物なんて、めったに見られないと思います。なるほどキツネお姉さまが研究したくなるのも理解ができます。
パンダちゃんに連れられて、到着しましたマイガーデン。
夏の初めらしい色鮮やかな花が並んでいて、まるで海原のようです。
蜂さんと目が合いました。蜂さんは首を傾げ、可愛らしい炎をお尻から噴き出しながら私の周りを飛び始めました。
なんですか、この可愛らしい生き物は。
「さて、果実を取りましょうか――」
きゅう!
きゅう!
「パンダちゃん?どうしました?」
きゅう!
きゅう!
最初はお腹がすいたのかと思いましたが、違いました。私に呼びかけるような警戒音。ただ事ではありません。パンダちゃんが向いているほうは、正門です。気になるので、見に行ってみましょうか。
「……これは?」
ドアの前。地べたに、翼の生えたクマさんのぬいぐるみが置かれていました。
誰かの落とし物でしょうか。……いいえ、おかしいですね。我が家「びっくり箱」は鉄柵で囲われているので、こんな場所におもちゃを落とすことなんてありえません。
それにしても、質のいいぬいぐるみですね。
ハロケス家もこういった玩具は扱っていますが、これほどの品質のものはなかったと思います。ひと針ひと針丁寧に縫われていて、どこから見ても完璧なフォルムです。だいぶ長い間愛用されていたみたいでところどころ綿がはみ出てしまっていますが、それでも持ち主さんがとても大事にしてきたことが伝わってきます。
なんと表現すればいいのでしょうか。
こう、「これが好き」ではなく、「これしかない」みたいな。
心の拠り所のような使い方をされていたような気が、ルイザはしています。
ですが、どうしてそんな大切なものを、こんな場所に……?
「そういえば、このクマさん。翼だけちょっと変ですね」
背中についている、一対の天使の翼。
ルイザは見ればわかります。これは後で付け足したものです。だって、どう考えてもこのクマさんに似合っていませんから。
ルイザは気になってクマさんに触れようとしました。
――ぴくん。
「え」
今、クマさんが動いたような気がします。……いいえ、絶対に動きました。
みるみるうちに、クマさんの震えが大きくなっていきました。怖くなってパンダちゃんの後ろに隠れていると、クマさんが立ち上がりました。
びりびりと、柔らかな背中が裂かれていきます。
ルイザはこういうのが苦手です。
目をつぶっていましょう。
ぴきり、ぺきり。卵の殻をはがすように、嫌な音が続いていきます。そして角から微かに身の危険を感じたルイザは、目を開けました。
――なに、これ。
おぞましいフォルムの虫でした。足は不ぞろいで、頭は重くなって地面に垂れ、天使のような翼をもっていました。
大きすぎてドアに入りきれず、壁に一筋のヒビが生えました。
――危機感。
しかし身を動かす間もなく、私の首元に牙が迫りました。
「……きゃっ!」
その時。
私の叫び声に反応したように、地面から苗のように影が生えました。
ヒマワリの形です。どれも元気なく下を向いています。
影は虫を一瞬にして包み、そして地下へと沈めてしまいました。
瞬く間に、家は元通りになりました。
ただ。
ボロボロになったクマさんのぬいぐるみだけは、ただ独りドアの前でうつぶせになっていました。
「……あれって」
ふと、ルイザは鉄柵の前に誰かが倒れていることに気が付きました。
急いで駆けつけると、一人のボロ布をまとったお姉さんが気を失っていました。キツネお姉さまや、メルティお姉さまと同い年くらいでしょうか。
「大丈夫ですか」と聞いてみますが、当然ながら大丈夫なはずがありません。
仕方ありません。通行人たちはひそひそ話ばかりで助けてくれなさそうですし。
ルイザが、一時的に介抱するほかありません。
「よいしょっと」
ルイザは何とか彼女を(半ば引きずりながら)背負うと、お家の中に連れて行きました。
そうです、ルイザは力持ちです。これでも一応オーガ族ですから。えっへん。
「これは……どうしましょうか」
クマさんのぬいぐるみ。置いておくのはかわいそうですよね。
どうしようか迷っていると、パンダちゃんが足元まで泳いできて、「きゅう」と鳴きました。言葉はわかりませんが、何となく言いたいことは伝わります。
――きゅう。
「そうですね。クマさんも一緒に持っておきましょう」
――きゅうう……。
「ふふ、大丈夫ですよパンダちゃん。パンダちゃんは植物ですから、影とか虫とかが苦手なのはしょうがないことです」
――きゅうきゅう。
軽やかな雑談をしながら、ルイザの寝室へ。
私は未だ気絶している彼女をベッドに乗せました。
少し小さかったでしょうか。
クマさんは……一旦、机に置いておきましょうか。
「……あっ!そうでした。いいこと思いつきました!」
私はパンダちゃんをステイさせて、クローゼットを開きました。
どこにあるかな。うぅ……ん。あ、あった。
ありました、裁縫セット。
お姉さんのところに向かうと、ちょうどパンダちゃんが手当てをしているところでした。
そうなんです。手当です。お花で編んだらしいクッションでおでこを冷やしてあげたり、ヒレでぺたぺた触診していました。
「パンダちゃん?……もしかして、お手伝いしてくれたんですか?」
きゅう。きゅう。
正解みたいです。ほんとにパンダちゃんはお利口さんですね。よしよし。
・・・
ちく。たく。ちく。たく。
ルイザの部屋にある古時計が、控えめに秒を刻んでいます。
お姉さんの調子はあまりよさそうではありません。時折自分の作業をやめて様子をみていますが、苦しそうです。だらだらと汗をかいています。
一度、拭いてあげたほうがよさそうですね。
そう思って彼女に手を伸ばしたルイザ。
「あっ」
「……君は」
目が合いました。
薄っすらとではありますが、目を醒ましたようです。相変わらずぜぇはぁと過呼吸状態ではありますが、命の危険性はないようですね。
「えっと、ハロケス家長女、ルイザと申します!」
「……ハロケス」
「はい!」
息切れをしつつ、彼女の目線はじっとある物に集まっていました。
「……それは」
「クマさんのぬいぐるみですよ。先ほどなにか変な虫が出てきちゃって、壊れちゃったんです。でも――こんなにも大切にされているみたいですから、ちゃんと直してあげなきゃと思いまして」
「……」
気になっているようですね。
私はクマさんをお姉さんに手渡しました。
彼女は震える手でそれを受け取り、しばらく目を見開いたまま凝視したかと思うと、
「……クソがっ」
「わあっ⁉」
クマさんは高く投げ飛ばされ、クローゼットの扉にぶつかると床を転げました。
慌てて拾いに行きます。
こころの中で、当たっていそうで外していそうな、そんな予想が立ちました。
ルイザはクマさんを抱えてお姉さんのベッド横で膝立ちになると、もう一度渡してあげました。今度は投げ飛ばされることなく、手に握ってくれました。
うん、ちゃんとフィットしていますね。
「……これは、お姉さんのぬいぐるみですか?」
「――そうだよ。……っ」
呼吸がしづらそうです。
パンダちゃんと一緒に撫でてあげます。
「……はぁ、はぁ。……ここは?」
「えっと、ルイザのお部屋です!」
「……そう。一人で住んでいるのか?」
「いえ。パンダちゃんもいますし、メルティお姉さまやキツネお姉さまもいらっしゃいますよ!あっ、名前を言ってもわかりませんよね。この子がパンダちゃんです」
「はは」
雰囲気に乗って笑ってくれましたが、自嘲っぽいです。
そんな感じがします。
話題を変えましょう。
「ええと、差し支えなければ、お姉さんのお名前はなんでしょうか?」
お姉さんは数秒か固まってから、クマさんを撫でながら答えました。
「……ツェドリカ。――ツェドリカ・ゾナンブルーマ」
次回は12/5(木)。
お楽しみに。




