口約束だからって破っていいとお思いでしたか、殿下?
「本日はお集まりいただき感謝する。
先日、私の婚約者が定まった。此度のパーティーはそれを国内外に大々的に発表するために開かれたものである」
パーティーホールに朗々と響く、我が愛しの殿下のお声。
傍に控えるわたしはそのお姿を……小柄で可憐な少女をとても大切そうに腕を抱いた彼を、じっと眺めていました。
今日のためにあつらえさせていただいた一級品のドレスの裾を、強く強く握りしめながら。
齢十八歳の皇太子、ラウノ殿下の婚約者披露宴。
と言っても華やかというよりは厳粛な雰囲気に感じられます。それはきっと、今後の国政に大きく関わってくるかも知れないと多くの貴族が見ているからです。
「――ペトロネラ・クヴィスト侯爵令嬢、前へ」
「はい」
そんな中で名を呼ばれたのは、わたし。
殿下からご指名いただくなり、足早に、しかしそれを悟られないように彼の前へ。
そして深々と跪きます。
「皇国の若き太陽、ラウノ・ウェス・ヴァルポラ皇太子殿下にご挨拶いたします。ペトロネラ・クヴィストでございます」
さて、どんな熱烈な愛の言葉を囁かれるのでしょう?
頭を垂れながら心待ちにしていると……殿下が告げました。
「発表の前にほんの少し、余興の類を行いたい。
ペトロネラ嬢、面を上げよ。君がここのイルマ・ペンティ伯爵令嬢を暗殺しようとしたことは調べがついている。罪を今、この場で公にしよう」
わたしは言われた通りに顔を上げました。
視界に入るのは、こちらを見下ろす殿下。
どこか愉しげに見える微笑みをわたしにだけ向ける可憐な少女……ペンティ伯爵令嬢のことなど、目に入りません。
「暗殺、ですか?」
「そうだ。そのほかにも君の非道な行為の数々を追及せねばならない」
背筋がぞわりとなりました。
今まで聞いたことのないくらい鋭い声と、ペンティ伯爵令嬢を守るように抱きしめる殿下の仕草に。
「大きくなったら結婚しようね」と言ってくれたのに。
「一生君だけを愛するよ」と甘い声で囁いてくれたのに。
その思い出が全て色褪せて、粉々に打ち砕かれていきます。
ずっと前からこの日を楽しみにしていたのです。
殿下のご寵愛を賜り、選ばれしわたしと彼の愛が成就する日。そのはずでしたから。
なのにいざ幕を開けてみれば、突きつけられたのは断罪。
さながら、流行りの劇の悪役令嬢というわけですか。そして殿下がヒーローで、ペンティ伯爵令嬢が主人公といったところでしょうか。
いくら事前に情報を掴んでいたとはいえ、失望せざるを得ません。
殿下の婚約者候補だった方々に恥をかかせたり、実家を失脚させたり。
それをしたのは全てわたしだと殿下は力説なさいました。
殿下の幼馴染。
それだけでは満足できず欲が出た侯爵家によって殿下の婚約者になれと命じられ、手段を選ばず行動したのだと。
ああ、とわたしは心の中でため息を吐かずにはいられません。
幼馴染というだけでは満足できなかったのは、確かですけれど……わたしをその気にさせたのが誰なのか、お忘れではないでしょうに。
「残念です。殿下は――嘘つきだったのですね」
悲しげに微笑んで見せてから、わたしは殿下が口にしなかった誠を申し上げることにしたのでした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
殿下に出会ったのは、十五年前のある日のこと。
当時まだわたしも殿下も互いに三歳。親同士の繋がりで、すぐに幼馴染と呼ぶべき関係に至りました。
実はそれがお父上である国王陛下に命じられてのことであり、ずっと不満を抱いていたことなど、当時のわたしには知る由もなく。
殿下の笑顔に、言葉に騙され続けていました。
「大きくなったら結婚しようね」
「結婚、でございますか?」
「きっと君なら将来、いい皇妃になってくれると思うんだ。何より私は、君が好きだしね」
そう言われた時はたいへん戸惑ったものです。
だってわたしが皇妃になるなんて信じられません。しかし殿下の表情があまりに優しかったものだから。
「ありがとうございます」と心から微笑んだのをよく覚えています。
わたしは愛されているのだと思うようになったのは、その頃からだったでしょうか。
パーティーではいつもわたしを一番目のダンスの相手に選んでくださるし、クヴィスト侯爵家にいらっしゃったり、恋愛劇を見に行くために二人で一緒に出かけることもありましたっけ。
そんなこんなであっという間に七年が経ち。
互いに十五歳になっても、関係はまだ続いていました。
こんなに大切にするのならば、早々に婚約を結んでくださればいいのに。
そんなわがままなことを思うなどもしましたが、きっと殿下には殿下なりのご事情があるのだろうと口にすることもありません。
それでもわたしの心が伝わってしまったのでしょうか。
お忍び先で跪かれ花を贈られながら、殿下に囁かれました。
「不安にさせてすまない。一生君だけを愛するよ」
一生、わたしだけ。
その時、泣きそうなくらいに喜んでしまったわたしは愚か者です。嬉しくて嬉しくて、この世で一番幸せだと錯覚さえしたほどでした。
「だから、君には手伝ってほしいことがあるんだ」
婚約者としての筆頭候補は二人。
一人は、もちろんわたし。けれどもう一人、同程度に有力とされる令嬢――イルマ・ペンティ伯爵令嬢を秘密裏に排除してほしいと、殿下はおっしゃいます。
排除。
なるべく穏便な手を使うなら脅迫、それでもダメなら暗殺してくれないかと、そういうことでした。
「で、ですが殿下……」
「君が頼りなんだ。早く君と結婚したいという私のわがままに過ぎないけれどもね。
私の願いを、どうか聞いてほしい」
殿下と結ばれる未来のためなら、と。
グッと唇を引き結び、殿下の言葉の通りに行動しようとしたわたしは、彼の掌の上で転がされていました。転がされて転がされて、やがて使い捨てられていたに違いありません。
とある方が、恋に曇っていたわたしの目を覚まさせてくださらなければ。
殿下の計画ではきっと、わたしはただの道具だったのでしょう。
幼き日から企んでいたのか、それとも単に心変わりしただけなのか、それはわかりませんけれど……イルマ嬢とどうしても、結ばれたかったのだと思います。
イルマ嬢は没落寸前の伯爵家の御令嬢。有力な婚約者候補でも何でもなかったことなんて、冷静になってみればすぐにわかってしまいます。
それでもなお心情的には、信じたくないのが正直なところ。
しかし、今日のパーティーについて事前に「君との婚約を発表するから」と殿下から聞かされていたにもかかわらず、声高に断罪されている現状を見れば、間違っていなかったのは一目瞭然です。
今まで交わしてきたのは全部口約束。反故にしても一切の瑕疵が生じないとお考えだったのでしょう。
わたしはとうとう、初恋を捨てました。
殿下を愛していたのです。
初めて出会った時から、ずっと。
でもわたしは真正面から糾弾しなければならない。
責任を全てわたしになすりつけようとしていること、長年わたしを嘘で縛り続けていたこと。殿下から受けた仕打ちの全ては、許されていいものではありませんから。
「わたしが行ったことは全て、殿下に指示されたものです」
わたしが反論するとは思わなかったのでしょうか。
ほんの少し驚いたように、殿下が眉をひそめます。
しかしそれもほんの一瞬。すぐに無表情になりました。
「……言い逃れする気か。しかも私を嘘つき呼ばわりするとは、いくら私と君が旧知の仲といえど命知らずもいいところだ。私がイルマ嬢を殺めようとするわけがないだろう」
「言い逃れではございません」
「よくもぬけぬけと!」
「ラウノ様……」と不安そうな素ぶりで殿下を見上げるペンティ伯爵令嬢、彼女を支えながら正義の味方のような顔をする殿下。きっと、参加者たちの同情を集めるために裏で打ち合わせしていたのですね。
殿下と観に行った劇の中の一つと、本当にそっくりです。そこから今回の余興を考えついたのでしょうか?
劇であれば、醜く言い訳を重ねた悪役令嬢は投獄されてしまいますが。
それは本当にヒーローが正義の味方であったなら、という話。
これからわたしが演じるのは、悪役令嬢の逆転劇。
監修するのは陰で控えているとある方です。
「なんと言おうと君が悪事を働いたのは明らかだ。君の家の使用人数人からの証言、そして殺し屋への依頼書が出ている。家の者にやらせて尻尾を掴まれるのが嫌だったのだろうが、仇となったな」
わたしは確かに裏社会の者に依頼をしました。あえて、依頼書だけ残す形で。
「殿下のお言葉に従わなければ、皇家への裏切りと捉えられ処されかねませんから。わたしのこの発言も事実無根だと殿下はおっしゃるのでしょうが――そんなものよりも確かな根拠を、わたしは持っています」
「根拠?」
「皇家の影の報告書でございます」
「なっ……!!」
たった一言。
それで、殿下の立場はがらりと一変してしまいます。
そのことに瞬時に気づいたのは、殿下だけだったようですが。
「ど、どうしたんですか、ラウノ様?」
「そんな、馬鹿な……馬鹿なことを言うな。どうして影と接触できた!」
皇家の影。それは常に王族の傍にあり、警護すると共に王族の一挙一動を記録する者たちのこと。
影というだけあって上級貴族でも決して接触できない彼らの報告書をわたしが手にするなんて、夢にも思わなかったでしょう。
報告書に押された皇家の印をパーティー参加者たちに見せびらかしてから、ゆっくりとページを開くわたし。
殿下の愛の言葉が詰まった報告書です。なんとも懐かしく、切なく、憎らしいその文面を、わたしの声でなぞり始めます。
「では、殿下のお言葉のみを抜粋し、読み上げさせていただきますね。
『大きくなったら結婚しようね。きっと君なら将来、いい皇妃になってくれると思うんだ。何より私は、君が好きだしね』」
「あっ」
「『君と出かけるのが私にとっては何よりの楽しみなんだ』『すまない、ずっと君のことを考えていた』『君以外とファーストダンスを踊るなんて考えられないな』」
「ペトロネラ・クヴィスト!」
「『不安にさせてすまない。一生君だけを愛するよ』『だから、君には手伝ってほしいことがあるんだ。ペンティ家のイルマ嬢の暗殺を実行してくれないか』」
「おい!!」
「『そうか、失敗に終わったか。でも大丈夫だ、暗殺者に狙われるような令嬢をわざわざ皇妃に据えようとは思わないはずだから』『君との婚約発表パーティーが楽しみだよ。私の愛しいペトロネラ』」
わたしの手から報告書が奪われる頃には、すっかりパーティーホールがしんと静まり返っていました。
殿下とペンティ伯爵令嬢へ白い目を向ける参加者たち。
皇家の紋章入りの影の報告書という威力が凄まじく、信じずにはいられなかったのですね。
ペンティ伯爵令嬢が「ひどい、ひどいですっ」と泣きそうな声で漏らしますが、全くの無意味。
殿下は公の場で何もかもを暴露されて、膝に力が入らなくなったのか崩れ落ちてしまいました。
「私はただイルマ嬢と……どうして、こんな……使い捨ての駒のくせに……」
せっかくの婚約発表パーティーだというのに台無しになって、完全にしらけてしまった様子。
そろそろ締めにかかりましょう。
「口約束だからって破っていいとお思いでしたか、殿下? たとえ口約束でも婚約は婚約ございますよ。
立派な詐欺罪です。ペンティ伯爵令嬢と二人がかりの、ね」
さらにペンティ家への暗殺を唆し、形だけでも実行せざるを得なくさせたことへの慰謝料もあとで請求しなければならなくなりそうです。
本題であった婚約発表が行われることなく、披露宴は閉幕。
殿下とペンティ嬢はとある方の指示により、衛兵に連行されていくのでした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「情が残っていただろうに、容赦なく報告書を読み上げる様はなかなか痛快だった。お疲れ様」
後日。
王城に呼び出されたわたしは、殿下……ラウノ・ウェス・ヴァルヴォラ殿下によく似た容貌をした青年と向かい合っていました。
この方こそが断罪返しを裏で手引きしてくださったお人。名を、トビアス・アゼ・ヴァルヴォラという、第二皇子殿下でいらっしゃいます。
齢十六歳の、ラウノ殿下の弟君です。
ラウノ殿下の言葉を真に受けて本当に暗殺を実行しようとしていたわたしに対し、わざわざ忠告してくださったのがわたしたちの関係の始まり。
それからトビアス殿下は手を尽くし、いざという時に反抗できるよう皇家の影の報告書――その中には、ペンティ伯爵令嬢とラウノ殿下の逢瀬も記されていました――を授けてくださったのです。
もしそれがなければどうなっていたでしょう。想像するだけでおぞましいですね。
「ありがとうございます。ラウノ殿下から受けた冤罪での糾弾を切り抜けられたのはあなた様のおかげ。感謝の言葉もありません」
「僕はただ兄が許せなかっただけだから気にしないで。甘言で貴女を騙した愚兄などが皇太子に相応しいはずがないだろう?」
ということはまもなくラウノ殿下は廃嫡、トビアス殿下は皇太子となるに違いありません。
新たな皇太子の誕生を心からお祝いできる気はしませんけれど、仕方のないことです。
と、そんなことを考えていると。
突然改まった調子になって、トビアス殿下が口を開かれました。
「それで、今日貴女をここへ呼び出したのは他でもない。貴女に大事な話があるからだ」
「……何でございましょう?」
「愚兄は父から促されていたにもかかわらず渋っていたものだから、今まで婚約者を作らなかった。つまり本当ならとっくに選ばれていたはずなんだ。クヴィスト侯爵令嬢、つまり貴女が」
――――ああ。
打診を受ける予感は、していたのです。ただ目をそらしたかっただけで。
「僕はもうじき皇太子に選ばれる。故に、貴女を婚約者としたいと思っているんだ」
「ですが……っ」
貴族の娘として、政略結婚をしなければならないのは理解しています。
ラウノ殿下との恋を許されていたのは婚約前提で引き合わされた関係だったから。そしてその初恋を捨てたのはわたしです。
「口約束ではなく、きちんとした契約を結ぼう。皇太子の座にかけて、この国の名誉にかけて必ず貴女を幸せにすると。だから――この手を取ってくれないか」
トビアス殿下は王家の印が押された契約書を、差し出してきました。
契約だって約束の一種。手を取れと言われても信じられるわけ、ありません。
ああ……でも。
トビアス殿下の瞳は、どこまでも真剣だったから。
トビアス殿下は恋に溺れていたわたしを救い上げてくださった方だから。
裏切られないはずだと信じたい。
「承知、しました。約束破りしたら許しませんから」
「もちろん」
「絶対の絶対ですからね」
捨てたはずの恋心は、まだ疼きますけれど。
歳は一つ違えどラウノ殿下と瓜二つなトビアス殿下を、重ねずにはいられなくないこともあるでしょうけれど。
この選択が正しいのかどうかなんて、わかりませんけれど。
今度こそ約束が果たされることを祈りながら、契約書に静かに署名しました。
お読みいただきありがとうございました。
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