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55/58

55:申し子という希望を知り

 空間は鳴りを潜め、仄暗い雲が空を覆い隠し、隙間を縫うようにして薄暗い光が差し込んできている。


 ソファに座った白花は、隣で届の腕に寄り掛かってきているが、表情は怯えたように暗いままだ。

 届はただ黙って、握った小さな手を離さないようにし、白花が口を開くのを待っている。

 白花の手は未だに震えており、安心させるためにも、更に優しく力を入れる。


 届としては、今の白花をどうしても救いたかった。それがエゴでもいい、自分勝手でもいい、白花の暗い顔を見ていたくない自分がいるから。


 白花は届が手に力を入れたことに気づいたのか、うつむいた顔を上げ、ちらりとこちらを見てくる。しかし、表情は暗いままだ。


「私の話ですが、聞いてくれますか?」


 怯えた手が力を強くしていることに気づき、届は無言でうなずく。


 静かな空間に、一滴の水がシンクに当たる音を響かせる。


 白花は冷えたような声で、自分の事を他人のように話し始めた。


「私、人を信じるのが怖いのです」


 淡々とした発言からは想像もつかない言葉に、届は思わず息を呑み込んだ。


「幼い頃から『申し子』と呼ばれ始めた彼女は、人を疑うなんてことを知りませんでした。逆に言えば、都合よく扱いやすい人形だったのでしょうね」

「……人形って」

「……その人形である申し子は、誰にでも優しく、周囲に希望を振りまく象徴として『希望の申し子』と呼ばれ親しまれていました……」


 彼女は現に学校でも『申し子』と呼ばれている。それは、彼女が過去から呼ばれていたからこそ、違和感なく受け入れられていたのだろう。

 言われた言葉に納得すべきだとは思うが、人形、という言葉に届は納得できずにいる。


 人は誰しも生命を持って生まれてきた。だからこそ、人の形をした人形になるはずが無いだろう。

 届の心配をよそに、白花は静かに話を続けていく。


「そんなある日、陰で八方美人や表面上と広められ、気づけば私は怯えて傷ついていました。仲良くしていた友達も離れていった私は、本当の自分は見てもらえていない、とその時初めて理解しましたよ」


 その後に白花かから「当時小学生である私にとっては、耐え切れない出来事でした」と付け加えていた。


 彼女がなぜ、こちらに対して『申し子と呼ばないでください』と言っていたのかを理解できた気がした。

 自分を見られていなかったからこそ、白花という存在を見ていた届の気持ちに、彼女はどこか気づいていたのだろう。


 彼女を悪く言い、それでいて騙した人間に、届は怒りたかった。思わず、逆の拳を握り締め、痛みを感じてしまう程に。


 自身の過去を話しているのに、それでいて他人のように話しているのは、申し子である彼女と今の彼女は違うからだろうか。


「申し子という写し鏡が、自分を自分で無くしているようで、希望や優しさが何を意味するのか……わからなくなっていましたよ」


 白花は表情一つ変えず、暗く淡々と話していく。

 明るい筈のブラウン色の瞳は、深い井戸の底のように、濁って見えた。


「それでもわかっていたのは、申し子であれば、自分を見てもらえて、都合よく頼ってもらえる。逆を言えば、自分は何でもできると思われ、困っていても手を貸してもらえないのですから」


 白花の言葉は、他人である自分が口を出せる立場ではない、と届も理解している。それでも、白花という申し子を形づけてしまっているのは、否定したかった。


 過去であれ、手を貸してほしいと願うような彼女の姿を、今という少ない期間の中で見てきたのだから。


 彼女が申し子と呼ばれるのを怖がっているのは、今後一切手を貸してもらえないかもしれない、と思っているからだろう。


「本当の私が分からなくなって、風花が降る中、気づけば外に出ていましたよ。鳥籠から抜けて、雪と同じように溶けてなくなりたいと思ったのですから」


 あの日、風花が降る中、どうして白花が傘を持たずに外に出ていたのか、届は初めて理解できた気がした。


「どれだけ優しくしても、他人は他人です。都合よく人形のように他人を使い、要らなくなったら捨ててしまうのですから」

「……要らなくなったら、って」


 彼女の言葉を今は聞いて、受け止めてあげないといけない筈だ。

 白花という存在を大事にしたい、と思った届に対して、先ほどの言葉は矛先が分からなくなっている。


「……傷ついた私は、両親の前でも怯えてしまい、笑顔で居られなくなったのですから」


 白花の両親の前で、なぜ彼女に申し子らしさを感じてしまったのか、今まで隠されていた真相が明かされたようだ。

 蒼真と話した際に、もっと深く聞いておくべきだったのかもしれない。そうすれば、白花の苦しみを、少しは理解してあげられたのだから。


 隠していれば理解できない、という言葉が痛感させてきている。


「申し子である私が望まれているのであれば、自分らしく生きていない方がいいのですよ。一人で全て出来れば、みんなが笑顔で居られて……優しくしていれば、みんなは苦しまないのですから」


 白花が申し子らしく、それでいて他人に優しくしていたのかを、今までの全てが物語っているだろう。

 こちらに対して、白花が何を持って優しくしてきたのかは理解できない。


 届が唯一実感したのは、今まで届に接してきたのが申し子ではなく、白花という存在であるという事だ。


 聞いているからこそ、を都合よく修飾して、人が人を救えるかもしれない言葉をかけられないでいる。


 過去の自分が見れば、迷いなく、罪として罰するだろう。

 どんどんと暗く、冷たくなっていく白花の表情と声を、届は見ていたくなかった。


「……自分で勝手にやってきたことで怯えているなんて、馬鹿ですよね……申し子が必要なだけで、他人は自分らしく居る私を必要としていない筈なのに」


 今にでも泣きそうな震える声で、小さく言葉を吐き出しながら、話しているように見えた。


 そして、彼女は自分の手のひらを見て、ゆっくりと握り締める。


「――誰にも知られず、消えられたら楽なのにね」


 届は、白花の手を包んでいた手を離し、白花の背中に回す。

 もう片方の手を頭の後ろに回し、ゆっくりと包み込むように白花を抱き寄せる。


 白花の言葉を全て受け取った。それでも、否定したかった、守りたかった、救いたかった……ごくありふれた、優しい言葉が脳裏をよぎっていく。


 抱き寄せられた白花は動揺しており「もちづき、くん……」と小さく声をこぼしている。


「あのさ、消えたいとか、勝手なことを抜かすなよ」

「私の何が――あなたにわかるのですか!」


 そう言って否定する白花を、届は強く、優しく抱きしめる。そして、小さく低い声を口にした。


「うるせえ、わかるよ。これ以上、俺の前から誰も失いたくないんだ。辛いんだったら、俺を頼ってくれ。俺はお前を――白花を必要としているから」

「……っう」


 白花は反応するように、呼吸と同時に呻く声を小さく出し、ピクリと体を震わせた。

 届は彼女、白花の名前を呼んだことは無い。それでも、必要とする彼女の名を、口にした。


 届の腕の中に納まっていた白花は、震える小さな手で、服を優しく強く握りしめてくる。そして、胸元の方に自ら寄り掛かってきていた。


「……じゃあ、頼らせてください」


 届はなにも言わず、白花の表情を見ないように腕で隙間を覆い隠し、背中に回した手でさらに抱き寄せる。


 震えた声で言った白花から、嗚咽が聞こえてきていた。


 裏切られた、という面での共通の過去を持つ彼女を、見捨ててはいけないだろう。

 申し子という言葉が独り歩きし、彼女自身を、白花を苦しめていたのだから。


 人の優しさを知らない彼女を、届は静かに温かく包んでいる。


 人から付けられた印象は、いわば束縛のようなものだ。それを理解できるのは、同じ境遇を持つ者だけだろう。


 届は一滴の雫も見ないようにして、彼女がこぼす存在を受け止めた。


 数分程経ち、白花は泣き止み、隣で座っているがおどおどとしている。

 白い頬は赤みを帯び、涙の跡がうっすらと線を引いていた。


 届としては、全部吐き出して泣いてほしかったが、存在を維持するために脳が抑制して働いたのだろう。


「……なあ、大丈夫か?」

「これはその、望月君の前で泣いた私は不甲斐ない、と恥ずかしいだけですから」

「はあ、泣いているお前は見ていないけど、白花という存在はずっと見ているから」

「……もう少しだけ、頼っていいですか」


 うなずけば、白花は静かに寄り添ってくる。

 そして、小さな手が、近くに置いていた手を握ってきていた。


「……私が必要とされていないのなら、今後はどうすればいいのでしょうか」


 小さく呟かれた言葉に、届はそっとため息をつく。

 未来を否定しているような白花を横目に、届はテーブルの上に畳んで置いてあったブランケットを取り、白花の肩にかける。


 予想外の行動だったのか、白花の瞳が動揺して揺れていた。


「自分を否定するなよ。俺が誰よりも、白花を希望として必要としているから」


 白花は頬を瞬時に赤らめ、恥ずかしそうにしている。

 それでも、こちらを見ている明るいブラウン色の瞳に、届の姿が輝くように反射していた。


 届は自分が何を言っているのか理解し、告白まがいな言葉であることに慌て、すぐさま言葉を口にする。


「大切な人が悲しがっていたり、辛がったりしていれば、誰だって暗い気持ちになるだろ。ましてや、心を許した相手はさ」

「私を、望月君は大切だと思ってくれているのですか?」

「当然だ。大切だから、白花を受け止められたんだ」

「望月君……ありがとう」


 ブランケットは宙を舞い、ソファへと落ちた。


 届は白花が飛び込むように抱きついてきて動揺したが、静かに受け止める。

 小さな希望という、大切な温もりを。



 数分後、白花が落ちついてから、届はソファから立ち上がった。

 白花は不思議そうに首をかしげ、じっと見てきている。


「白花、食欲はあるか?」

「……ありますけど」

「お昼、疲れているだろう白花の事を考えて、白花の為にお粥を作っておいたんだ……食べるか?」


 白花が「うん」と言って嬉しそうにうなずくものだから、気恥ずかしさを覚えそうだった。


「今温めなおすから、待っててくれ」

「……望月くん、私の為にありがとう」

「まあ、お前以外に作る気ないからな」


 お粥を温めている最中に、暗い表情が明るい笑みに変わっている白花を見て、届は笑みをこぼすのだった。



 空間が温かな笑みで覆われていようと、空を覆い隠す黒い雲は、更に濃くなっていく。

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