54:申し子と忌み子の動き出す歯車
小鳥のさえずりが聞こえれば、カーテンの隙間から光が差し込むように、部屋の中に明かりを灯してきていた。
「もちづきくん……望月君、朝ですよ」
自分の部屋であるのに、聞きなれた優しい声が脳裏を包み込んでくる。
わずかな光が差し込む重い瞼をあげれば、ぼんやりとした視界に、想いを寄せている少女の姿が映っているようだ。
「星元……さん?」
「そうですよ」
覚醒しつつある脳に、届は処理がおぼつかない頭を動かそうとする。
聞きなれた声、白花の方を向くようにしながら、布団を避けて上半身を起こした。
ぼやけた目を擦り、安定した視界を見れば、白花の姿がまじまじと映りこむ。
届はどうゆう状況かを判断していくうちに「え!?」と声を出した。
カーテンや天井、机の位置などを見回しても、ここは明らかに自分の部屋である。
それでも、白花は届の部屋におり、届を起こしているという現状だ。
白花は届が驚いていることを把握したのか、はあ、とため息をつきながら肩を落とした後、呆れたように口を開く。
「昨日、朝から来るって言ったじゃないですか……」
「昨日……」
白花から言われた言葉を思い出してみれば『春休みの何処かで朝から来たいです』という約束を、今日決行しようと昨日話していたのだ。
朝から、といっても起こしにまで来るとは予想できなかったため、脳が混乱を生んでくる。
届は息を吸い、そっと自分の気持ちを落ちつかせた。
「すまん、忘れてた」
「もう……朝ご飯はもうじき作り終わりますので、着替えて来てくださいね」
「おう」
届は白花に返事を返しつつ、すぐさま着ていたパジャマの上に手をかける。
上半身が露わになろうとした時、白花が「きゃっ」と悲鳴をあげた。
ふと白花の方を見れば、顔を赤らめながら、手で目を覆い隠している。また指の隙間から、瞳が揺れて動揺している、と見て取れる。
「目の前で脱がないでくださいよ……私が部屋を出てから着替えてください……うう」
「す、すまん……迂闊だった」
謝りつつ、届は脱ぐのを止めていた手を動かし、着ていた時と同じ状態に戻す。
白花は女の子であり、男の肌を見るのに耐性が無いのだろう。
普通になって考えてみれば、学校での白花は申し子として振舞っており、男性との関わりは少ないと分かっていたはずだ。
それは、白花と手紙や話でやりとりしていた届自身がよく理解している。
未だに頬が赤みを帯び続けている白花の方に、届はうつむいていた顔をあげた。
「あの、朝ご飯を作ってくれてありがとう」
「どういたしまして……次からは気をつけてくださいね」
「精進する」
白花はそう言って、脱兎のごとく部屋を後にした。
(……次もあるのか? てか、あいつが可愛い理由……分かった気がする)
届は落ちつかない脳の処理に冷静になりきれず、人知れずうちに、壁に頭を打ちつけていた。そして、数分経ってから着替えに移るのだった。
部屋からリビングに出れば、ダイニングテーブルに料理が並んでいる。
白花は届が出てきたのに気づいたらしく、お皿を並べる手を止め、ゆっくりと近づいてきていた。
「改めて、おはようございます」
「ああ、おはよう」
「もうすぐ準備が終わりますので、洗面所で顔と手を洗ってきてくださいね」
「……母親かよ」
白花に母親らしさを感じつつも、届は素直に従い、洗面所へと足を運ぶ。
全ての支度が終わり、リビングに戻る頃には、全ての料理が並び出迎えている。
対面の席に座っている白花に心の中で感謝しつつ、届は席に着く。
朝ご飯は和食といった感じで、白米に焼き魚、卵焼きに味噌汁、漬け物が添えられている。
普段の届の朝ごはんからは、想像のつかない神々しさを放っていた。
「豪華だな」
「まあ、これくらいは当たり前ですから」
「へー、すごいな」
感心すれば、白花は嬉しそうに笑みを浮かべている。
お互いに手を合わせ、食に感謝をしてから、箸を進めた。
口に運ぶ料理はどれも絶品と言える美味しさで、届は笑みを絶やさずに食していく。
白花が嬉しそうな届を見て、静かに微笑んでいたことに、届が気づくことは無かった。
食べ終わった後、届はいつものように食器を綺麗に洗い、食器を拭くのを手伝ってくれている白花に渡す。
水の流れる音が響き渡る空間の中、感謝の言葉を口にする。
「あのさ、すごい美味しかった」
「ふふ、あの食べっぷりを見ていればわかりますよ」
「……冗談抜きで好きな味になってるからな」
「作り手として、感無量のお言葉です」
頬がとろけているような白花の笑みに、届は耐え切れなくなり、目を逸らしながら洗い終わったお皿を手渡した。
彼女は不思議そうに首をかしげているが、その表情がこちらの気持ちを突っついているとは、思ってもないのだろう。
片づけが終わり、お互いソファに座り、一時の休息を満喫している。
普段であれば届一人の朝も、白花が居るだけで変わっている感じがしていた。
「……てか、お互いを知りたいって言っても、何を話すか」
「軽い自己紹介を交えれば良いと思いますよ?」
「それもそうだな」
白花の意見に賛成しつつ、お互いの事を話していく。
話している時の白花は嬉しそうで、艶のあるなめらかな黒い髪がふわりと横に揺れたり、肩に流れたりしていた。
嬉しそうに自分の事を話している白花を見ているのは、微笑ましく思えている。
普段の距離感からは知っているようで、当たり前のような情報すらも、好ましく見せてきていた。
彼女の好きな食べ物に『お粥』が含まれているのは初知りで、お互いの事を話しているからの収穫と言えるだろう。
好きな食べ物の話をしたり、趣味の話をしたり、好きな季節の話をしたりしていれば、時間はあっという間のように過ぎ去っていた。
(……俺は、本当にこいつの事を知らなかったんだな)
そう思った自分に呆れそうになっていれば、肩に柔らかな感触が伝う。
ふと隣を見れば、白花が軽く肩にもたれかかっており、瞳が閉じそうで閉じない間をうとうとしていた。
「大丈夫か?」
「……少し……眠いです」
素直な白花に、届は鼻で「ふっ」と笑う。
「お前が嫌じゃなきゃ、寝てもいいからな」
「お言葉に甘えて、少しだけ……」
目を閉じそうになった白花を横目に、届は白花の背中に腕を回して支えつつ、近くにあったクッションを手に取る。
本来であれば、ベッドとかで寝かせた方が体の負担にはならないと思われるが、今の白花にそこまでの気力は無いだろう。
届が白花の頭の方にクッションを置けば、とろけたような笑みを浮かべながら、ゆっくりと頭を預けている。
白花は可愛らしいワンピース姿であったものの、足首より上の長さだったのは救いだろう。
「おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
その時、背中から離した手を、小さな手が握り締めてきていた。それは、暗い中で傍に居て欲しい、という幼い子のように。
小さな手を両手で包み込めば、彼女は安心したかのように、静かに寝息を立てていた。
(……ほんと、幸せそうに眠ってるな)
数分後、届は包み込んでいた小さな手を白花の顔元に離し、ブランケットを取りに部屋へと戻る。
届に寝ている彼女を襲う気もなければ、ゆっくりと休んで欲しい、という感情が勝っている。
朝ご飯を作るために早朝から来ていたと考えれば、疲れるのも無理はないだろう。
白花を起こさないようにし、ブランケットをかけ終えた届は、その場を離れてキッチンに立っていた。
お昼の事を考えつつ、届は白花が好きだと聞いた、お粥を作ろうとしている。
お粥の作り方は先ほど白花から聞いているため、余計な手を加えなければ問題なく作れるだろう。
「……おお、良い感じだろ?」
お昼の時間に合わせようと試みて、届は数時間後、無事にお粥を完成させることに成功していた。
たかがお粥ではあるが、届からしてみれば偉大な成功の一つと言える。
ふと窓の方に近寄って外を見れば、差し込んでいた日差しは、どんよりとした薄暗い雲に覆われていた。
届は不安を煽ってくるような天気から目を逸らし、ソファで眠っている白花の方に歩を進める。
眠っている白花は、変わらずに柔らかな表情をしていた。頬に手を伸ばしたい、と思ってしまう程だ。
「……可愛いな」
届がぽつりと独り言を呟けば「ううん」と反応するように、白花が喉を鳴らし、ゆっくりと上半身を起こしていた。
数分程で白花は覚醒したのか、届が見ていたと知り、瞬時に頬を赤らめている。
「その……私が朝から遊びたいと言ったのに、寝てしまってごめんなさい」
「謝るなよ。いつも頑張っているんだから、休める時はちゃんと休んでくれ」
白花が視線を下に逸らしながら「私は頑張っていますか?」と聞いてくるため「俺が保証する」と返しておいた。
うつむいている白花を見ていたくない、と思った届は、そっと白花の頭に手を伸ばし、優しく撫でる。
――その選択は間違いだったのだろう。
頭を撫でた瞬間、白花が怯えたように曇った表情をしたのだから。
「い、いや……」
白花は震えたような声で、頭を撫でていた届の手を軽く弾いた。そして、何かに怯えたように混乱し、震えた自身の手を見ている。
(……これって)
届はこの時、蒼真から以前言われた『ある日を境に怯えていたよ』という言葉を思い出した。
頭を撫でる行為は、触れてはいけない何かに触れる引き金だったのだろう。
白花に初めてご褒美をあげた日、思わず頭を撫でようとした時、あの時に気づいてあげるべきだったのかもしれない。
自分の不甲斐なさに、彼女を見てあげることが出来ていなかったことに、届は自身に怒りそうだった。
怯えている白花に声をかけようとした時、急にソファから立ち上がり「ごめんなさい」と言ってこの場を立ち去ろうとしていた。
届は立ち去ろうとした白花の手を取り、離さないように引き留める。
「先ほどの事は謝りますから、今は一人にしてください……」
彼女の手を、今だけは絶対に離したくなかった。
握った小さな手から、怖く震えるような振動が伝わってきている。
多分、今この状態の白花を見捨てれば二度と会えないだろう、と思えてしまう。
(命の恩人のように、俺は二度と失いたくないんだ)
自分の勝手なエゴではあるが、この手を絶対に離さないと誓い……届は白花を真剣に見て、伝えたい想いを口にする。
「――好きだから、今は一緒に居てくれ」
白花は去ろうとしていた動きをピタリと止め、何も言わず、ただ静かにうなずいた。
自分勝手は承知な上で、白花の手を握ったまま、ゆっくりとソファに座らせる。
大切な人を――二度と失わないように。