05:温かな世界
次の日の夕方、届は白花の家のベルを鳴らしていた。
手にはタッパーと一緒に、一通の手紙を携えている。
少し待てば、ドアが静かに半開きになり、隙間から少女が顔を覗かせた。
「望月さんでしたか。お待たせしてすいません」
「……いきなり尋ねた俺が悪いから、気にすんな」
白花はドアを開けて、黒い髪を揺らしながら姿を現した。
「これ返すよ。美味しかった……ありがとう」
持っていたタッパーを白花に差し出せば「想像の倍は綺麗ですね」と、確認してから辛らつにも高めの評価をしてくる。
届は掃除能力だけはしっかりしているので、白花の反応に安堵する。
ふと、彼女を見ればエプロン姿をしているので、料理でもしていたのだろうか。
「もしかして、料理中だったか?」
「ちょうど作り終わったところですので、ご安心を」
間が悪い時に訪ねてしまったのかと思ったが、白花の言葉に届は安心した。
彼女が料理中で火をつけっぱなしにする、ということはないに等しいが、安心はしておきたいだろう。
白花の凛とした振る舞いの態度は、多少なりとも見習うべきところがある。
(……今のこいつは、どっちなんだ)
白花の届に対する接し方は、申し子ではなく、白花という存在だろうか。申し子は嫌いだが、白花という存在はどうにか話せる程度になったつもりだ。
白花は白花である、と言ってしまえば別だ。だが、周囲から揉まれた偽りの姿であれば、受け入れにくい存在である。
二日前に初めて話した相手に対しての考えにしても失礼は承知だ。
届がそう思っていれば、「それは?」とブラウン色の瞳を輝かせながら白花は聞いてくる。
「……お返しの手紙」
そう言って手紙を手渡せば、白花は素直に受け取る。
白花は受け取った手紙を丁寧な手つきで開き、内容を目で追って確認していた。
本人が居る前で確認するのは、多少なりとも感性がずれているだろう。
届としては、自分が帰ってから読むと思っていたため、予想外の行動に思考が考えを停止した。
もはや人として認識されているのか、それすらも不安だ。それは、届が家を料理するほどまでに。
「なるほど……月曜日にお返事渡しますね」
「もう、おまえの好きにしてくれ」
「相変わらず感情皆無な人ですね」
白花は呆れたようにため息をつき、じっと見てくる。
なぜ彼女が申し子として皆から慕われているのか、届からしてみれば不思議でしかなかった。
確かに美人で器量も良く、さらには優しさの塊であり、文句の言いようが無いほどの才色兼備が似合う。
クラスの男子からしてみれば、お近づきになりたい星のような存在とすら言える。
仮に今ここで、忌み子と申し子が二人きりで話しているとバレれば、届の学校生活は更なる仕打ちが待っているだろう。
忌み子と呼ばれるだけでも、嫌な気持ちには少なからずなっているため、控えたいものだ。
幸いにも、この地域から同じ高校に通っているという学生は紡希を除き見たことが無いため、情報が漏れる心配は無いだろう。
「感情なんて……あっても無くても変わんねえよ。俺という人間そのものが、自分の感情なんだから」
届は息を吐きだしながら、地に視線を落とす。
「……その考え、わかる気がします」
そう言われた気がした届は、は、と顔を上げた。
だが、先ほど聞こえた淡白で冷えたような声が嘘のように、白花は冷静な表情をしている。
私は何も言っていませんよ、というように目を細めて見てくるので、やはり気のせいだったのだろうか。
「今日も無理しない方が良いと思いますし……というよりかは、今日も分けて差し上げます」
「え、いやそういうつもりで書いたわけじゃ――」
「用意してきますね」
「いや、だから……」
白花は届が言い終わる前に、タッパーと手紙を携えて家の中へと姿を消した。
料理に関する事を悩みとして手紙に書いたが、こうなるとは予想できないだろう。
貴重な栄養源を分けてもらえるのは願ってもないことだが、気持ちの理解が追い付いていない。
恋愛のような展開は、傍から見れば羨ましいものだろう。だが、届が彼女から与えられているのは、優しさという彼女が持つ慈悲そのものに過ぎない。
二つ名が支配するような関係に、愛という存在証明はないのだから。
その時、ドアが小さな音を立てて開いた。
「お待たせしました。どうぞ」
タッパーには仕切りが出来ており、炒め物と煮物で分かれていると判別できる。
届の判断力では、野菜炒めに、かぼちゃの煮物が入っているのが分かるくらいだ。
「え、だから」
「どうぞ」
「本当に良いのか?」
「良いと言っているじゃないですか」
白花にため息交じりで言われ、届はおとなしくタッパーを受け取る。
その時、白花が思い出したように目を開いた。
「あ……アレルギーとかは大丈夫ですか?」
「雑食だから多分ない」
「はあ、自分のことくらいは認知した方が良いですよ」
「俺は飼育されてるのか?」
彼女が水槽の中の観賞魚だとすれば、届は飼われている鶏か何かだろうか。
心配されるのはありがたく思えるが、その反面辛らつな言葉のトゲはよく刺さる。
「お大事にしてください……では、これくらいで失礼しますね」
「え、ああ」
最後に聞いたドアが手錠される音と、手には渡されたタッパーが残っている。
家に帰ってから口にすれば、やはり美味しかった。
申し子の作る料理は外れが無いと言えるほど、ご飯との相性も良く、箸が勢いのままに進んでいる。
彼女はどこか抜けているような一面はあれ、それが本来の彼女なのではないかと思えてしまう。
その時、届のスマホが音を立てて鳴りだした。
画面を見てみれば、着信相手は紡希だ。
『お、届、生きてるか?』
「紡希……開口一番それか? おかげさまでな」
『無理する理由は分かるけど、気を付けろよ』
「……あいつみたいなことを」
『なんか言ったか?』
白花と同じような心配をされたからか、脳裏を記憶がよぎった。
届は忘れるように意識を逸らしつつも、静かに呼吸を整える。
「別に何でもない。今日も少し早めに休みたいから、また今度でいいか?」
『こっちも急に電話してすまない。お大事になー』
そう言って、電話は切られた。
心配してくれる話し相手は、捨てがたいものだろう。
そして、月曜日に何を言われるのか分からないのが、紡希の怖いところだ。