47:申し子とハッピーバレンタイン
バレンタイン当日、学校に登校すれば、廊下や教室で本命や義理が飛び交っている。
「チョコの持ち込みは本来禁止だけどな」
「先生方が目をつむってるんだ……校則イコール絶対に縛るもの、となってないだけ良い学校だな」
「届、本当に変わったな、お前」
「どういう意味だよ、それ」
さあな、と言いながら苦笑する紡希は、白花との関わりを遠回しに言いたいのだろう。
白花との関わりで柔らかくなっているのは否定できないため、届は顔を引きずらせるように苦笑した。
紡希は多分、こちらが真面目という印象を持っているからこそ、禁止事項は徹底すると思ったのだろう。
気づかれない程度のため息を届はついた。
机に肘を立てつつ、顎を手の甲に当て、紡希を見上げる。
「で、お前は貰ったんだろ?」
「ふっふっ、当然だ」
と言って、紡希は机で見えない位置に下げていた腕を上げ、チョコレートが入っているであろう箱を見せてくる。
当然のように貰って見せびらかしてくるが、彼女持ちの特権だろう。
届からしてみれば、紡希が嬉しそうにしている、という証明だけで十分だった。
ホワイトデーのお返しが大変そうだと思う反面、そのお返しが醍醐味になる、と言った感じだろう。
チョコとは縁もたずなもなければ、届はぽけっとしたような表情をするしかなかった。
紡希から「死んだ魚のような目をしてるな」と不思議に思われたくらいだ。
否定していれば、静かながらも弾んだ声が聞こえてくる。
「望月君に時田君、おはよ。義理チョコ、という名の友チョコをあげる!」
「大澤さん、サンキューな!」
「おはよう。大澤さん、ありがとう」
叶夢の手から、水色のリボンが巻かれた青い箱が手渡された。
叶夢曰、中身は普通の手作りチョコらしく「心配しないで食べてね」ということらしい。
義理であろうと、貰えたことには感謝すべきだろう。
(……なんで紡希は普通で居られるんだ?)
周囲でチョコを貰えずに嘆いていた男子陣から「忌み子とイケメンがぁ!」と憎しみ混じりの声が聞こえてきたほどだ。
紡希は、悪いねー、と笑みで手を振っている。
故意的な煽りでないにしろ、捉え方次第では火柱が立つだろう。
「大澤さん、お返しは後で絶対にする」
「別に、お返しを求めて渡したわけじゃないよ?」
「意味合いはなんであれ、俺は返したい……それだけだ」
「届、言葉は不器用だけど真面目だよなー」
不器用、という心に刺さる言葉を何気に言われ、届は苦笑するしかなかった。
不器用なのは本人が一番理解しており、早々にでも伝わりやすくしたい、と思っているのだから。
紡希が本気で言っていないとしても、ある程度の方向として決めて問題ないだろう。
心の中で気持ちを固めていれば、叶夢が手のひらで隠すようにし、こっそりと耳打ちしてきた。
「望月君、本命貰えたらいいね」
「い、いきなり何言ってんだよ!?」
「届、何で俺に呆れた視線を送ってくるんだよ……」
「ちょうどお前がそこに居たから」
「理不尽過ぎん?」
「仲いいねー」
呆れた表情をしたつもりはなかったが、紡希がそう捉えたのであれば、届は申し訳なく思った。
口では強めに言ってしまうものの、本来は言おうと思っていないのだから。
叶夢の言う本命を貰えるのならどれほど嬉しい事か、と届は内心で静かに思ってしまう。
少し長く一緒に居る時間が増え、気づけば好意を抱き始めているのだから。
笑い合っている二人からそっと視線を逸らせば、視線の先には白花の姿が映りこむ。
白花もこちらの視線に気づいたらしく、周囲に気づかれない程度の笑みを向けてくるため、届は居たたまれなくなるのだった。
また、届が肩を落とした視線の先を紡希と叶夢は見ていたらしく、二人からはニヤニヤとした視線を向けられている。
夜ご飯の後、いつものように届は白花と共にソファに座っていた。
届はいつも通りであるが、白花は妙に落ちつきが見えず、こちらをちらちら見てきては恥ずかしそうにしている。
白花のもじもじとした様子は、見ていてじれったさがあり、言葉を切り出すべきかと悩んでしまう。
夜ご飯には変わった様子が無かったため、どうしても不思議に思えてしまうのだ。
「落ちつかないみたいだけど、どうかしたか?」
「……っう」
小さく呻くような声をあげた白花は、真剣にこちらを見てきている。また、明るいブラウン色の瞳はうるっとしたような、それでいて綺麗に透き通っていた。
明らかに今までと違う様子は、気づかぬ間に、白花の気に障る事をしてしまったのだろうか。
「あのさ、俺が何かしたのなら……ごめ――」
謝ろうとした瞬間、その口は時が止まったかのように、ぽかりと腑抜けたままになった。
そして、目の前には桃色のリボンが付いた白い箱が、白花に無言で差し出されている。
彼女から視線を逸らされているが、明らかにその白い箱はこちらに向けての物だろう。
届はこの時『異性に一人だけちゃんと渡したい相手が居るので』という白花の言葉を思い出した。
「えっと……これ」
「望月君が……その、私の一番渡したい相手でしたから」
そう言って白花は恥ずかしそうにしつつ、横目でこちらを見てくる。
白花が息を吐きだしたかと思えば、まっすぐに瞳を輝かせ、左手で自身の前髪を軽く避けつつ、右手で白い箱をこちらに向けて差し出してきた。
「ハッピーバレンタイン……嫌でなければ、受け取ってください。日頃の感謝の気持ちです」
「星元さん、ありがとう。大事に受け取らせてもらう」
白花の仕草は直で見続けていたいものでは無いが、届は視線を逸らさないようにして、白い箱を受け取る。
ふと気づけば、白花の白い頬はさくらんぼより赤く染まっていた。
「今開けてもいいか?」
白花が無言でうなずいたのを見て、届はリボンに手をかけた。
桃色のリボンを丁寧にほどき、白い箱の蓋を開ける。
箱の中には、一通の便箋と白色のマカロンが何個か入っていた。
便箋を手に取り開けば、桃色のハートに縁どられたチョコレートのような色の紙に、綴られた水色の文字が目に映る。
この便箋は、お互いに普段から渡し合っている、何気ない気持ちが書かれた手紙だ。
手紙の内容に目を通せば、今までの感謝と、
『以前、望月君がホワイトチョコをお好きだと聞きましたので、マカロンにして作ってみました。お口に合うかわかりませんが、受け取っていただけると嬉しいです』
という素朴ながらも、彼女らしい真面目な文面が綴られている。
異性を信用していないような彼女からしてみれば、届に正々堂々渡すという行為自体、底知れぬ勇気が必要だっただろう。
「……もう一度言わせてくれ、ありがとう」
「別に、私が勝手に作って渡しただけですから……」
「それだけでも、俺は嬉しいよ」
白花が「黙って食べたらどうですか」と恥ずかしそうに言うため、届は箱に入っていたマカロンを手に取る。そして、ゆっくりと口に運ぶ。
(……美味い)
思わず笑みがこぼれてしまう程、ホワイトチョコがベースとなったマカロンは美味しいものだった。
届はマカロンを今まで食べたことが無く、初めての感触と食感であるにもかかわらず、白花の作ったマカロンは至高の味わいと言える。
白花が作ってくれたからこそ、美味しい、と思えるのだろう。
目がとろけてしまいそうになった時、静かにじっと見ていた白花と目が合い、届は我を寸前で取り戻した。
「このマカロン、すごく美味い」
「それならよかったです」
白花はホッとしたように笑みをこぼしていた。
多分、言葉には出していなかったが、心の中では相当緊張していたのだろう。
届としては、バレンタインにチョコを貰うのは初めての経験であり、白花から渡されたことに嬉しさがある。
本命か義理か関係なく、受け取れて嬉しいと心から思えたのだから。
「……あの」
「えっと、どうした?」
白花が急に上目遣いの視線で見てくるため、届はついつい姿勢を正していた。
気づけば、黒い艶のある髪が横に優しく揺れる。
「今日は少しだけ、長めに居てもいいですか?」
「……安全は俺が保証してやる」
断る理由がないため、はいやいいえのない、この関係の中だけにある言葉を口にした。
傍から見れば辛辣ではあるが、この距離感の中では、丁度いい言葉だから。
白花は嬉しそうに笑みをこぼし、ソファから静かに立ち上がった。
どうしたのかと思い首をかしげれば、白花がゆっくりと口を開く。
「飲み物を用意しますね」
「それくらいなら俺も手伝うから」
「いえ、望月君は座っていてください。バレンタインにちなんで、ホットチョコレートを振舞ってあげますから」
「……今日は、今までの中で特別な日になりそうだ」
「……私もです」
白花がホットチョコレートを用意し終わった後、遅くなりすぎない程度に、二人はお互いの今を温かく語るのだった。