42:一つの区切り
「望月君は、そのお野菜を切ってください」
「了解」
お出かけが終わり、家に戻ってから白花と夜ご飯の準備をしていた。
蒼真と紅葉は白花の自宅に戻っている。白花がいつも手伝ってくれているのを知った上で、二人の時間をくれたのだろう。
白花曰く『夜ご飯はある程度仕込みが終わっていますし、後はお父様がやりますから』と言っていたので、それが関係しているのかも知れない。
おとなしく指名された野菜を切っているが、居たたまれない気持ちが積もっている。
ショッピングモールで不本意とはいえ、白花に申し訳ないことをしたのだから。
あーん、をさせているとわかれば、人前でやろうとは思わないだろう。
届は野菜を切り終わった後、包丁をまな板に置き、その手を止めた。
白花は様子に気づいたようで、鍋の味見をしつつ、首を軽くかしげてこちらを見てくる。
「どうしました?」
「その、アイスの件……本当にごめん!」
届は謝りながら、深く頭を下げた。
彼女があの際にどう思っていたのか未だに理解できなくとも、心に残る罪悪感を無くしたかった。それは、白花にだけは嫌われたくはない、というエゴからだろう。
白花は柔らかな声で「頭を上げてください」と小さく囁いた。
顔を上げれば、白花の表情には笑みが宿っており、一切の憎悪を感じさせてこない。
孤独を優しく包み込む、母性のような安心感を気持ちに伝えてきているようだ。
「恥ずかしかったですが……嫌、というわけではありませんでしたから」
「そうなのか?」
「ええ。望月君が、それほど近しい存在である、と私は思っていますよ。ですから、余り気負わないでください」
「……ありがとう」
脳裏を巡る言葉がより集めたのは、たった一つの、感謝の言葉だった。
白花が『近しい存在』と言ってきたが、届からしても、白花が一番近しい存在だ。
お互いに合理的な関係ではあるものの、知らなかった優しさを知り、幸せを感じさせてくれるのだから。
多分、過去の自分のままだったら、今のこの状況を受け入れていなかっただろう。
白花は微笑みながら、届の切った野菜を集め、鍋に混ぜ合わせていた。
「あのさ、家族団欒の場に誘ってくれてありがとう」
「こちらこそ、感謝するのは私の方ですよ……急にお誘いしたのは私の方ですから」
笑みを向けながら言ってくる白花は、まぶしく思えてしまう。
ふと見惚れていれば、白花は後ろに結んだ髪を軽く揺らした。
「正月に素敵な思い出、嬉しいです」
「俺は、家族と正月をまともに過ごしたことがないから……なんというか、新鮮だったよ」
「由美子さんから聞きましたが、いつも一人でも頑張っている望月君、すごいと思いますよ。偉いです」
「偉くねえよ。茶化すな」
届は思わず涙が溢れそうになり、白花から視線を逸らした。
心に小さく空いていた穴は、一つ一つ、白花と関わってから埋まっている。また、白花以上に鮮明に接する関係は、今後無いのだろう。
(こいつの、役に立てないかな)
お互いに、申し子や忌み子と呼ばれている理由を明かさなくとも、今を自分らしく居られる。
それでも、白花が何を背負って生きているのか、理解し切れていないのも事実だ。
「……久しぶりに両親の笑顔を多く見れてよかったです」
「え、どういうことだ?」
「その、色々とあって……私がこの町に引っ越す前までの数ヶ月、ずっと自然な笑顔で居てくれる両親を見ていなかったので」
暗くなりきっていないが、声はひやりとしたような感じがあり、今にでも悲しみに包まれてしまいそうだ。
その時届は『怯えていた』という蒼真の言葉を思い出した。
彼女の口から話されていないが、蒼真と紅葉が笑顔で居られなかったのは、申し子である白花が何かを知っているように思えてしまう。
届が忌み子と呼ばれているのが高校からではなく、過去からだったのを踏まえれば、無きにしも非ずだろう。
「すまん、嫌な話をさせて」
「いえ、今は気にしていませんから」
気づけば、白花は鍋の方に目を移し、お玉で混ぜていた。
表情はいつも通りだが、どこか曇っているように見えてしまうのは、気にしすぎなのかもしれない。
そう思ってしまう自分は何なんだ、と届は思いつつ、独り言をそっと呟いた。
「……こんな俺なんかでよければ、いつだって頼ってくれよな……俺は、お前自身を見てるから」
届が小さく呟いた言葉に、白花はぴくりと体を震わせた。
そして、小さな笑みを宿しながら、こちらに振り向いてくる。
「望月君、ありがとうございます」
「何の事だ? 俺は独り言を言っただけだが?」
「じゃあ、私も……忌み子と呼ばれても自分らしく居られる望月君、力強くて、頼りがいがあってかっこいいです」
「……馬鹿が」
照れくささがあれ、白花から言われて嬉しい言葉だった。
ふと気づけば、白花が汁の入った小皿を目の前に差し出してきていた。
「味見、お願いしますね」
「ああ」
届は小皿を受け取り、静かに汁を口に含んだ。
いつものまろやかな味わいに、溶けこんだ野菜のうまみは、今の体にそっと馴染んでくる。
届が笑みをこぼして小皿を返せば、白花も一口、同じお皿で口に含む。
「いつもより、美味いな」
「ふふ、いつもと変わらないですよ」
「お前の味が好きになったのかもな」
「軽々しく言わないでください……恥ずかしいですから」
ふん、と言いながらも笑みを宿している白花は、嫌では無いのだろう。
うっすらと赤みを帯びた白花の頬は、見ていて微笑ましいものだった。
「朝からごめんなさいね」
「いえ、俺は気にしていませんから……もう、帰るんですね」
「ああ、娘に会うために来たのもあるが、仕事もあるからね」
蒼真と紅葉は、次の日の朝から届の家の玄関前におり、帰る前に挨拶をしたかったらしい。
思わず本音を口に出してしまった気持ちを落ちつけつつ、届は二人の方をしっかりと見た。
玄関側の方に白花が移動している辺り、ここで見送りする気なのだろう。
三が日の少しの間だけだったとはいえ、届は二人から、数々の体験や優しさを受け取っており、別れるのには名残惜しさがあった。
届が若干うつむいていれば、蒼真がそっと届の肩に手を置いてくる。
「望月さん、機会があればまた会おう。君は素直で真面目だし、娘と今後も仲良くしてくれないか?」
「お父様、普通に恥ずかしい」
「はい。言われなくとも、星元さんとは俺の方から……仲良くさせていただけたら、と心から思っていました」
そう言い切れば、蒼真は安堵したような笑みを浮かべていた。
届としても、白花と仲良くしたいのはお世辞や冗談でなく、本当の気持ちである。
白花の両親に出会えたことで、また一歩彼女を知れた気がしたのだから。
「それなら安心ね。良かったわね、白花」
白花は恥ずかしそうに、首を縦に小さく振っていた。
「届君、夏は白花が帰ってくることになってるから、よかったら一緒に来てもいいからね」
「お母様、望月君は彼氏じゃないから」
「こらこら、二人共。望月さん、無理強いはしないし、来たいと思ったら、娘と遊びに来てもいいからね。私達は君を拒む気も、否定する気も無いから」
「ありがとうございます。……その、今後次第ではよろしくお願いします」
「も、望月君!?」
告白宣言ではないが、彼女と何があるのかこの先分からないのだから、言っておいて損はないだろう。
蒼真や紅葉は別に反対ではないらしく、良い返事が聞けるのを待っているよ、と言ってくれたほどだ。
「じゃあ、私達は帰るわね。白花、届君と仲良くね」
「紅葉さん、これで安心できるね」
別れを告げ、車に乗って帰る二人を、届は白花と一緒に見届けた。
「……家、寄っていくか?」
「……ゆっくりしていきます」
白花が小さな笑みを浮かべて言うため、届は思わず息を呑んでいた。
白花が家の中に入っていくのを見てから、届は静かにドアの鍵を閉める。
その後、白花と今後の話になったが、未来にゆだねる希望へと落ちつくのだった。