36:二人だけに鳴る音
白花との通話を了承した数分後――スマホは空間に着信のリズムを鳴り響かせた。
普段であれば当たり前のように思えているこの音も、今は違うように聞こえてくる。
それは、通話の相手が紡希ではなく、白花だからだろう。
震えるような感覚の手を落ちつかせ、届はスマホの通話ボタンをタップした。
押した瞬間『望月さん、今大丈夫でしたか?』と聞きなれた、優しく柔らかな声がスマホから聞こえてくる。
少し驚いた心を落ちつけ、届は自分の頬を軽くぺちぺちした。
「大丈夫だ。それより、お前の寝る時間は大丈夫か?」
『……少しだけ、望月さんと話したかっただけですから』
白花から発せられた声は、暗く冷えたような感じがして、申し子らしさを思ってしまう。
休み期間中は感じることの無かった……白花という、申し子の姿を。
不安に思いかけた自分の心を隠し、届は再度スマホの画面を見た。
「そうか。両親と一緒なんじゃないのか?」
『ああ……長旅で疲れたらしく、早めに寝ていますので心配なく』
素っ気なく言い切られたが、家族の前で居る彼女は、届の前に居てくれる時の彼女とは違うのだろう。
申し子らしさを感じる白花に心配があるものの、こちらが家族関係に口を出せないのも事実だ。
家族の事を楽しく話していた白花を疑うわけではないが、申し子である白花の姿は出来る限り見たくないと思ってしまう。
(……少しでも、こいつの傍にいてやれないかな)
もし白花が重荷を背負いかければ、傍にいくらでも寄り添ってあげる気でいる。
普段笑顔でいる人が、寂しそうで辛いような感情に染まるのを二度と見たくない、という思いが届にはあるからだ。
そう思っていれば『あ』と鈴を鳴らすような声が聞こえてくる。
『明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします』
「明けましておめでとう。今年もよろしく……なんか、変な感じがするな」
『こうゆうの、新鮮でいいですね』
無邪気そうに言い切る白花に、届はむず痒さを感じた。
また、ふと気づけばいつもの声のトーンに戻っている白花に、届は安心感を思い出している。
電話越しだから気づかれないと分かっていても、思わず息を吐きだし、胸を撫で下ろしてしまう。
マイクが音を拾ったらしく『どうかしましたか?』と白花が疑問そうに聞いてくる。
心配が取れたから、と言いたくなったが「別に」とだけ返しておいた。
気づけば白花の事を心配している自分の気持ちは、本当にもやりとした雲が襲ってくるようだ。
座っていた姿勢を崩してベッドに身を預けた時、微かだが白花のこぼれた笑みの声が聞こえてきた。
『そう言えば、朝から初詣に行くことになったのですよね』
「初詣か……俺は行ったことないけど、着物を着てお寺でお参りして、おしることか飲む場所だよな?」
『思った以上に抽象的ですね。合っていますが……』
「着物は着る感じか?」
『……え?』
白花は突然の質問に気を抜いていたのか、腑抜けたような声で不思議そうにしていた。
白花の着物姿を見たいとかではなく、単純に気になって質問したのだが、変だったのだろうか。
届の場合、両親が正月であろうと多忙だったり、人混みを届が好まなかったりで、正月は家で過ごすことが多かったのだ。
だからこそ、白花が初詣に行く、と聞いて届は気になっていた。
テレビでしか風景を見たことが無かった分、希望に満ち溢れた場所という印象が強いのだから。
『着る予定は……というより、着ますね。お母様が可愛くしたいとか言い出すので』
「へー、気になるな」
『……私の着物姿を見たいってことですか?』
「そ、そういうわけで言ったわけじゃなくて、だな……」
『じゃあ、どういう意味ですか?』
じりじりと詰めてくる白花に、届は苦笑するしかなかった。
白花の着物姿を見てみたい、と心の隙間で思ったのも事実であり、白状するしかないだろう。
「……少なからず見たい、とは思いました」
『初詣に行ったことが無い、って言っていましたもんね。……お写真撮ったら送ってあげますね』
「いや、それは悪いから大丈夫だ」
白花が『そう遠慮なさらず』と言ってくるので、届は受け入れざる得なくなっていた。
写真が送られてくると決定したが、その場に居なくても味わえる雰囲気もある為、彼女の小さな気遣いには感謝しかないだろう。
届としては、どちらかと言えば白花が何を送ってくるのか分からない、が怖いという本音がある。
届は自分を落ちつけるように、部屋の電気を常夜灯にし、脱力を図った。
スマホの明かりは目を照らすものの、聞きなれた優しい声は、脳に安心感を与えてくるようだ。
「新年早々、お前の声が聞けてよかったよ……すごく安心する」
『……え? 今、何て言いましたか!?』
ふと気づけば、今までの安心感を口に出してしまったようで、届は顔を赤らめた。
ビデオ通話で無かった分、白花に見られていないだけ良かったが、思わず口にしてしまうのは不味かっただろう。
白花が焦って驚いた声を出したのからしても、届から見た白花の評価は予想以上に高かったと受け取れる。
本人の前で直接言えたような発言でないため、仕方ないだろう。
その後、お互いに落ちつきを見せつつ話していれば、時刻は深夜の三十分を過ぎようとしていた。
そして、白花がだんだんと『もちづきさん』とふやけたような声を出し始めている。
『もちづきさんのこえ、すき。もっと、きいていたい、はなしたい……』
眠気からかはわからないが、白花から甘えるような声で言われ、届の脳は混乱を生み出している。
本人の声から唯一分かるのは、完全にうとうとしており、眠くなっているということだろう。
「あのさ、眠そうだし……通話そろそろ切るか」
『……いや』
無邪気な子供みたいな白花に、届は頭を悩ませた。それは、この状態の白花をどうしたら納得させられるか、という煩悩だ。
「お前の寝る時間もそうだし、初詣に行く時間に起きれなかったら俺が心配になるから……わかって、くれるか?」
『うーん……わかた』
白花はやはり眠気と対峙しているらしく、今でも眠ってしまいそうだ。
「……星元さん、おやすみ」
『……おやすみなさい』
かすれるような声を聞き終え、届は通話を終了した。
あの甘えるような声は、今でも脈うつように心臓の鼓動を速め、落ち着きをみせていない。
届はスマホをサイドテーブルに置き、仰向けで常夜灯に照らされた天井を見上げた。
(あの声、反則だろ――あの馬鹿)
意識しないようにしても脳で再生される白花の甘えるような声に、届はベッドの上で悶えるように顔を赤らめ首を振った。
過去の自分が見れば、明らかに情けないものだろう。
そんな自分の情けなさと、白花の意外な声を聞いたという事実に、届は二時間ほど格闘するのだった。