33:ちょうどいい塩梅
日がオレンジ色に染まろうとした頃、大掃除は終わりを迎え、夜ご飯を作る前に息抜きをしていた。
白花がソファで姿勢よく休憩しているのを横目で見つつ、届はマグカップに粉を入れ、お湯で溶かして味の調整をしている。
(……こんくらいだよな)
出来上がった二つのマグカップを手にし、白花の所に向かう。
「今日は手伝ってくれてありがとう。これ、ココア……お前が嫌じゃなきゃ飲んでくれ」
「いえ、ありがたく頂きます」
そう言った白花に息をこぼし、テーブルの上に音を立てずマグカップを置いた。
大掃除を手伝ってもらう予定が無かったとはいえ、お疲れ様の労いくらいはしたいものだろう。
白花がカップを手に取って口元に近づけたのを見てから、届は隣に腰をかけた。
柔らかな笑みを浮かべながらココアを飲む白花は、味が好みに近かったのだろうか。
時折食後にココアを入れているのを何度か見ていた為、それを見よう見まねで入れてみたが、問題なさそうだ。
届が内心でホッとしていれば、白花はカップをテーブルに置いていた。
「味は問題なさそうか?」
「あ、ええ……私がよく入れている塩梅で、飲みやすかったです」
「なら良かった。見ていた通りに入れたからな」
「視野が広いですね」
白花が口元を隠しながら微笑むため、届は思わず目を見開いてしまった。
普段は見ないであろう柔らかな仕草から生まれた笑みは、半開きになった明るいブラウン色の瞳も含め、心臓を軽く刺激しているようだ。
届からしてみれば、彼女を気にしてから変だな、という困惑に思いが包まれている。
それは、気にする必要が無いであろう仕草すら、目についてしまうのだから。
届が白花の顔を見ているのが長かったせいか、白花は不思議そうに首をかしげている。
「望月さん、私の顔に何かついていました?」
「え、いや、何も付いてないから」
「言い淀みしていますが……」
呆れたような視線でじっと見てくる白花に、届は居たたまれないような感覚が込み上げてくる。
今すぐにでもここから逃げたい、と思えてしまう程に。
「……お前が可愛いと思ってついつい見てた。他意はない」
「可愛い、って……望月さんにもそうゆう感情があったのですね?」
「お前は俺を何だと思ってるんだ」
「出会った当初は口が悪く、興味が無い、と正々堂々言ってきた人ですね。今は……真面目で優しい方だな、と」
「別に、俺は真面目じゃないし、優しくねえよ」
白花から、素直になれば楽ですよ、という視線が飛んできている。
また「分かっていますよ」と言われて、彼女の舞台で踊らされているようだ。
今は白花に会った時の冷たい態度は無くなっているものの、届という存在を偽り、本音を隠して生きているままだ。
手紙で繋がった気持ちはあれ、お互いに見えない壁で距離を測っている。
そばに居るのに、心はそこにあらず、近くて遠いように感じてしまう。
そう思ったむず痒さに鼻を鳴らせば、白花が「あ」と鈴が鳴るような声を出した。
「言い忘れていましたが……明日の夜に親が来るので、夜ご飯を食べたら早めに帰らせていただきますね……」
「そうか。俺はお前の時間を奪う気はないから、無理に作りに来なくてもいいんだぞ? 家族団欒を満喫したらどうだ?」
「ああ……来るのは二十三時すぎなので、お気になさらず」
親が来ると言っている白花だが、表情はどこか寂しげに見え、触れてはいけない何かだと思わせてくる。それでも『家族とは仲が良い』と本人の口から以前聞いた為、こちらから言えることは何もない。
家族というよりかは、申し子、というのが関係していそうで怖く思えてしまう。
彼女は確かに心優しき存在であるが、それゆえにどこか自分を隠して、雪のように溶けていなくなってしまいそうで放っておけないのだ。
(こいつも大変そうだよな……忌み子と申し子、本当に何の巡りあわせだよ)
重なった偶然を疑問に思っていれば、白花はこちらを真剣に見てきていた。
「明日は朝から来てもいいですか?」
白花からの突然の申し出に、届は思わず息を呑んだ。
大晦日は一人で越すのか、と思っていた寂しさの中、思わぬ衝撃を与えられたのだから。
朝から来るのは別に構わないとしても、何をする気なのか不思議に思えてしまう。
「構わないけど……何をする気だ?」
「おせち料理や、年越しそばを仕込みたいなって思いまして」
「おせち料理か……俺苦手なんだよな」
「ふふ、安心してください。望月さんが食べられるかつ、手の込みすぎないオリジナルを作って差し上げますから」
安心、という言葉を辞書で調べたくなったが、心の中だけで留めておいた。
白花が、届の為におせち料理を用意してくれる、という風にも取れて、脳は困惑しか運んでこない。
他人である自分に作って意味があるのか、と思ってしまうが、小さな嬉しさがあるのも事実だ。
ふと思えば、白花の料理の虜の沼に届は落ちている。
「あのさ……作ってくれるのはありがたいけど、言い方には気をつけてくれないか?」
「ほえ?」
やはりというか、白花は言ったことに自覚が無かったようで、不思議そうにこちらを見ながら首をかしげている。
白花の優しさに届は鼻で笑い、今できる笑みを白花に向けた。
「まあ、手伝えることがあれば全力で手伝うし、買い出しなら俺に任せろよ」
「頼もしい限りですね」
そう言って笑みを浮かべる白花に、届は敵わなかった。
視線を軽く逸らせば、白花は思い出したようにカバンの中を探っていた。
(何してんだ?)
届が眉を寄せて見ていれば、カバンから折りたたまれた一通の手紙が姿を見せる。
その手紙は、いつ見ても安心感がある、いつもの手紙だろう。
現在でも想いを文章にして綴り続け、なんだかんだ一ヶ月以上継続している、気持ちの籠った手紙。
届としても、白花に対して手紙を書くのは苦でないため、今も尚楽しく書いている程だ。
ふと気づけば、白花が手紙を目の前に差し出してきていた。また、明るいブラウン色の瞳に、届という存在が輝いたように反射している。
「あの、いつもの手紙です。話したことも記載してありますが、大丈夫ですかね?」
「書いた後にそれを言うのかよ」
そんな彼女の抜けた一面に、気づけばお互いに笑みを宿し、声を漏らしていた。
白花から手紙を受け取り、届はテーブルの上にそっと置いた。
白花の方に視線を戻せば、凛とした姿勢でこちらを見ている。
「少しばかり早いですが、今年の最後を迎える前に、望月さんと共に過ごせて……私は良かったと思っています」
「俺もお前と話せてよかったし、色々と楽になったよ。本当にありがとう」
「こちらこそ、こんな私を……ありがとうございます」
深みのあるような言葉だったが、届の耳は感謝の言葉だけを、静かに受け取った。
白花が頬に赤みを帯びさせながらココアを啜るのを見て、届もカップを手に取る。
口に含んだココアは冷めている筈なのに、思った以上に温かく感じさせてきた。