20:自由気ままな人
「……嘘だよな」
「どうしました?」
「多分、俺の親が来てる」
休日の夜、いつも通り白花に夜ご飯を手伝ってもらうために迎えに行き、家に戻ってきた時だった。
ドアの鍵を開けようとしたのも束の間、ドアを抑えた手に違和感が襲ってきたのだ。
ドアは本来ずれのある動きをしないため、誰かが来たのは間違いないだろう。また、家の鍵を開けられるのは親しか居ないのもあり、困惑しかないのだ。
ふと庭を見渡してみれば、母親の車が闇夜に紛れて止まっている。
(やっぱり、あの時の光は……)
カーテンの隙間から覗いた際に、いつくらいに来るかの予想をしておくべきだったのだ。
母親は何を考えているのかわからない自由人なのと、届が油断気味であったのが痛手となっている。
間も悪いことに、今隣には白花が不思議そうにこちらを見つめて立っている。
「えっと、なぜ急に親が来ているのですか?」
「……食事の面と、点数の確認に来たんだよ。しかも、めんどうくさいことに母親が単体で」
「食事に点数……ああ」
「やべえな、お前が居るからって安心しきってた」
白花は何故か頬を赤らめていたが、今の届からしてみればそれは問題外だった。
ドアの前で話している以上、中に居る母親に戻ってきているというのは明け透けになっているだろう。
下手すれば、ドア前で待ち構えているような人だ。
白花を逃がすにしても夜道になるため、届は覚悟を決めるしかなかった。
「なあ、俺が親に経緯は説明するから……家に入ったら俺の部屋に入ってくれ」
「……は? つまり一緒にお母様に会えと?」
「付き合ってないんだから、問題ないだろ」
「付き合ってない方が問題でしょうが……家に女の子を連れ込んでいるって分かって言っているのですか?」
白花を女の子だと理解しており、一緒に母親に会ってもらう事態、良からぬことは承知の上だ。
普通に考えても、息子が美少女を家に連れ込んでいるとなれば、付き合っていると思ってしまうだろう。
白花が呆れて肩を落としていても、届は希望に満ちた雰囲気を醸し出していた。
届の陰に隠れるよう、白花が一歩後ろに下がろうとした――その時だった。
暗かった玄関に光が灯り、中から届の母親が姿を現したのだ。
届が呆れて顔を手で隠せば、届の母――由美子は、にこやかな表情で二人を見つめている。
「何を騒いでいるのかと待っていたけど、まさか星元さんの娘ちゃんと一緒だなんて……届も罪な男ね」
「久しぶり……じゃなくて、なんで母様がこいつを知ってんだよ!」
「えっと、初めまして」
「まあまあ、外だと白花ちゃんの体も冷えちゃうだろうし、家に入りなさい」
数カ月ぶりに会ったかと思えば、自由気ままな由美子に流されるまま、届は白花と共に家に上がった。
由美子は以前会った時と容姿や声は変わっておらず、年齢にそぐわない容貌の持ち主で、穏やかにも高めの声が特徴である。
母親に久しぶりに会ったものの、今会いたかったかと聞かれれば、限りなく否だ。
白花ですら隣で落ちつかない様子を見せており、こちらをちらちらと横目で見てきている。どうするのですかこれ、といった様な視線だが、届が対処できるようなものでは無い。
リビングに着けば、とりあえず届は予定通り、白花に自室に入ってもらうことにした。
暖房が効いているのと、白花がくれたクッションがあるのを考えれば、体を冷やしすぎる心配は無いだろう。
「本当にすまない」
「い、いえ……お母様との話が終わったら呼んでください」
「分かった。この恩は後で絶対に返す」
届がドアを閉めれば、由美子は待っていたかのようにダイニングテーブルの椅子に腰をかけていた。
そして、目が合えばにこりとした笑みを向けてくる。
母親でありながら、これほど恐ろしいと思える反面、ありがたい優しさには感謝だろう。
由美子が目線で座るように促してきており、届は渋々椅子に腰をかけた。
「白花ちゃんとの関係は後々聞くとして――届、何で私が来ているのか、わかるわよね?」
「俺がテストの連絡を入れたから」
届は白花を自室に入れると同時に手に取った進歩表を、由美子の前に差し出した。
順位と点数の連絡は入れたが、直接様子を見に来るとは思わないだろう。
由美子が進歩表に目をやっているにもかかわらず、肌にはピリピリとした圧を感じさせてくる。
母親に不慣れというよりも、白花が後ろには居るという逃げ道の無さからも感じてしまうのだろう。
進歩表に目を通し終わったらしく、静かに閉じた後、真剣に届の目を見てきた。
そして、口元を小さく緩ませる。
「赤点無し、副教科である商業系の一つが一位ね……届、過去の事はあれ、よく頑張っているわ。本当に」
「褒めんな、気持ちわりぃ。赤点無し、一つでも順位一桁が条件なんだ、それくらい当たり前だろ」
「口が悪いところも変わらずね」
由美子が褒めてくるのは、過去を思ってなのは届も理解していた。
届が故意的に赤点ギリギリを取っているのは、両親も了承した上なのだから。
白花が一つだけ副教科が一位で無いのは、届が満点を取ったせいなのは確実だ。
その時、自室からガタッとしたような音が聞こえたが、気のせいだろうか。
(あいつのこと気にしすぎて、俺はおかしくなったのか?)
由美子も気にした様子を見せていないので、空耳だろう。
「……本当に無理だけはしないでね」
「母様や父様が心配しなくとも、俺は大丈夫だから」
安心したのか、頭を下げて深くため息をつかれる。
頭をあげた由美子は平然とした様子をしており、届からしてみれば居心地が悪い事この上ない。
また、届の顔を見ているところから、肌艶の確認をされているのだろう。
当然ながら、白花と関わる前まではまともな食生活を送っていなかったので、確認されるのは仕方なかった。
届の肌や髪は由美子寄りであり、幼い頃からケアに関してはうるさい程に正されている。
紡希が『イケメンなのにな』と言ってきたのは、届のケアを見抜いての上だったのだろう。
「肌艶が良くなっているわね……栄養をちゃんと取るようになったのかしら?」
「ああ、あいつのおかげでな」
届の栄養面は白花に調整されており、栄養過多になる理由が見当たらなかった。
白花との出会いが無ければ、ここまで正々堂々と言えなかっただろう。
「あら、白花ちゃんに作ってもらっているのかしら」
「あってるけど違う。あいつに夜ご飯作るのを手伝ってもらってんだよ」
「あのね届、あいつやこいつじゃないでしょ。ちゃんと名前か苗字で呼んであげなさい」
「母様のご命令であろうと、丁重にお断りいたします」
由美子は「素直じゃないわね」と言ってくるが、名前で呼んでいないのは事実だ。
呼んでいないというよりも、呼びたくないが正しいだろう。
届からしてみれば、彼女は白花であり、申し子でもあるのだ。だからこそ、今はまだ呼びたくないという意地が残っている。
この話を聞いているかもしれない白花がどう思うかは、白花次第だろう。
届が白花を自分のおもちゃのように使う、というのは絶対に無いのだから。
「あ、白花ちゃんにも挨拶はしておかないとね」
「なんでそうなるんだよ!」
そう言って立ち上がった由美子に、届は思わずテーブルを叩いて椅子から立ち上がった。
由美子は確かに自由気ままだが、白花と話させるのだけは反対だ。
白花に会わせまいと届は由美子の歩く道をふさぐが、一向に止まる気配が無い。
届が自室の前に立ってふさげば、由美子は無言の圧をかけてくる。
「てか、何で名前を知ってんだよ」
「知っていて当たり前よ。知りたかったら白花ちゃんと話させてちょうだい」
そう言われても、届は首を横に振るしかなかった。
じりじりと距離を詰めてくる由美子を前に、思考が安定せず目を逸らしたくなってしまう。
息を呑めば、耳に音が響き渡る。
「もしかして、白花ちゃんと付き合っているの?」
「付き合ってないし、あいつが俺に対して恋愛感情が湧くはずないだろ」
「うん? じゃあ、届は白花ちゃんのこと好きなのね」
「え、いや、なんでそうなる」
問いかければ、由美子の口元がにやりと緩む。
「『俺に対して』って届は言ったけど、届自身は好きじゃないって否定しなかったじゃない」
正論に近い論理に、届は呆れるしかなかった。
一瞬の油断を見せた瞬間、由美子は届の横を通り抜ける。
ドアノブに手をかけて、ドアを勢いのままに開けた由美子。
(……なんで)
部屋の中には、届のベッドに頭を預けて眠っている美少女の姿がある。
最悪なタイミングで……腕にクッションを抱きしめ、すすり泣きをして瞳を閉じている白花だった。