19:申し子への労い
「ま、当たり前か」
進歩表返却当日、届は記載された順位を見て息を吐いた。
赤点ギリギリである三十点台を故意的に取っている為、自分の不甲斐なさには呆れるしかないだろう。しかし、一つの順位は最低でも一桁にしており、最悪の事態には備えてある。
セカンドハウスに住まう条件で、赤点を取らない、一桁順位を一つ取っておく、という条件があるため致し方無いことだ。
届の両親が優しいからこそ許されているだけであり、家族が違えば、こうもいかないだろう。
「申し子様、クラスと全体合わせても一位とか天才すぎ」
「これが当たり前、って感じよね」
盛り上がる教室の中で聞こえてくる、申し子に対する言葉に届は拳を握り締めた。
(あいつは……誰よりも努力してんだよ)
やり場のない怒りは、空に消えるしかなかった。
白花が陰で努力していると知っているからこそ、戯言にイラつきを覚えてしまうのだろう。
ふと気づけば、紡希と叶夢がこちらの方に近づいてきていた。
「届、どうだった? 俺は全体だと五十位」
「安定して下に居る。それ以外は黙秘する」
「時田君すごいね。望月君は体調悪かった感じかな?」
「大澤さんじゃん、そっちは順位どんな感じ?」
届そっちのけで順位の話を始める二人は、見ていて微笑ましいものだろう。
申し子の方を見てみれば、相変わらずクラスメイトに囲まれている為、大変そうだなと思ってしまう。
(あいつになんかしてやれねえかな)
白花の努力を労いたいと思うが、良い案が思い浮かばなかった。
「そう言えばね、申し子様……副教科の一つだけ、一位じゃないのがあるらしいよ」
「なあー、いたるー?」
紡希が何かを察したように、お前かという視線でこちらを見てきている。
「さあな。俺は知らん」
「最低保ってりゃ、そりゃそうか」
「最低を保っているって、逆に才能だよね……それ?」
納得のされようは気に食わないが、これも致し方ない事実だ。
二人から目を逸らすように申し子の方に目を向ければ、振りまく笑みが偽りのように見えてしまった。
少しでも白花を労わりたい、と心から思う自分が、まずは行動に移すべきなのかもしれない。
努力しなくても出来ると周囲から褒められている申し子に、手を差し伸べるためにも。
その時、紡希と叶夢が話していた会話から、届は労うヒントを得た。
「俺は今日、彼女からご褒美が待っているからな」
「はいはい、のろけは結構です」
「……右に同じく」
紡希ののろけ話を制止した後、届は白花の方を再度見た。
学校では申し子という仮面をかぶった、忌み子から見た彼女を。
駅からの帰り道、届は白花を連れて、人気と言われるスイーツ店に立ち寄った。
この地域のスイーツ店情報を知っていた叶夢曰、ここのケーキは絶品らしいので間違いないだろう。
白花には「好きな物を買っていい」と言ったが、白花は困った様子を見せていた。
いつも頑張っている自分へのご褒美として、と言ったところ、納得して選んでくれたのだ。
普通に考えれば、急に奢るとか言えば、裏があると思われても仕方ないだろう。
届は、ただ彼女を労わりたい、純粋な思いでしか動いていない男だ。
だからこそ自分がいくら騙されても構わない、近くで話せる人の笑顔を守れるなら、という意思の固さを貫き通している。
夜ご飯を食べ終わった後、届はソファに座っていた。
白花が眺めるように、お皿に載ったケーキとコーヒーを手にして、テーブルに置きつつ届の横に腰を掛ける。
そして、ちらりとこちらを見てきた。
「おつかれ」
「あ、ありがとうございます……本当によかったのですか?」
「俺が勝手にご褒美をあげたい、そう思っただけだ」
届の言葉に安堵したのか、白花はじっとケーキを見つめていた。
仕草に笑いそうになったが、届は心の中だけで留めておく。
白花は他人に優しいものの、自分になると甘さが抜けている一面があり、自分を労わることを知らないのだろう。
数週間を共にしてきた中で、彼女に足りていない一面を、届自身が補ってあげたいと思うようになっていたのだ。
言葉を交わさなくとも、手紙から伝わる気持ちある文章で、彼女の弱みを届は見てしまったのだから。
気づけばケーキを見ていた彼女の口元が、小さく緩んでいた。
「……いただきます」
白花は数分経った後、小さく会釈をし、ゆっくりとフォークを手に取った。
雪が積もったような白いケーキを、フォークで一口大に切って口に運んだ。
小さく咀嚼する白花の表情には、とろけたような瞳に、柔らかな笑みがこぼれていた。
頬を手で抑えている、ゆったりとした笑みは、今見たいもので無いのだけは事実だ。また、彼女にも可愛い表情が宿っているんだな、という再認識にもなっている。
白花は普段凛としているが、ケーキの美味しさには負けてしまうのだろう。
ケーキを白花自身に選ばせたものあり、迷いなく食べられるのだと思われる。
(……かわいいな)
ずっと笑みを絶やさない白花は、見ているこちらが焼けてしまいそうだ。
思わず手を伸ばして、白花の頭を撫でたいと思う程に。
届は息を呑んで、気づけば白花に手を伸ばそうとしていた。だが、流石に自制心が働き、もう片方の手で自らの手首を掴んでいた。
白花も届の様子に気づいたのか、自我を取り戻したように視線を向けてくる。
「どうかしましたか?」
「あ、いや……つい、お前の頭を撫でたいって思っただけだ」
誤魔化す気もなければ、届は思わず普通に答えていた。
流石に白花も驚いたのか、目を丸くして見てきている。
そして、ケーキを落ちつくように一口咀嚼し、悩んだように考えていた。
付き合っておらず、この間に愛すらなければ、悩む理由は本来ないだろう。それでも悩もうとするのは、白花に包容力があるせいなのかもしれない。
白花が物事を断りづらい性格であるのなら、申し訳ないと思ってしまう。
「今は駄目です」
「知ってる」
「でも……」
「でも?」
「もう少し近づいたら考えますね」
届は息を呑み込み、白花の明るいブラウン色の瞳を、気づけば真剣に見つめていた。瞳の中には自分が反射して写っており、白花も自分を見ていると理解できる。
白花という不思議な存在に、届は自分を許し始めているのかも知れない。
「……そんな日が来たらいいな」
「……来ますよ、いずれは……」
白花から小さく呟かれた言葉は、届の耳に届くことは無かった。
この後、白花が「美味しいですから一口どうぞ」と言って食べさせようとしてきたが、届は全力で断っておいた。
白花は不思議そうにこちらを見ていたが、やはりどこか抜けているのだろう。