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夢見る家族

作者: KOMON井上

その後、わたしはすべての人に私の霊を注ぐ。

あなた方の息子や娘は預言し、老人は夢を見、青年は幻を見る。 旧約聖書ヨエル書二章二八節

 「夢って何だろう?僕の夢って」

 市立札幌清陵高校三年生の佐賀悠太は考えた。八月中旬、北国の短い夏休みが終わろうとしていた。もちろん高校生になってからは、大学受験を目指して人一倍勉強してきた。

 悠太の両親は医師である。悠太は自分が医師になるのが当たり前のことだと思っていた。ほとんどの子どもが持つであろう「プロ野球選手になりたい」とか、「ケーキ屋さんになりたい」とかいう夢を持つことはなかった。しかし大学受験が目前に迫る高三の夏、「自分の将来の夢」が必要だと、真剣に考え始めたのだった。


 悠太の部屋の窓からは、父佐賀武郎(たけお)が経営する「佐賀病院」が見える。救急救命室を備えた、民間経営の病院としては、札幌市内屈指の規模を誇る総合病院である。この病院は悠太の母佐賀綾子の父、佐賀康成の「夢」から始まったものだと聞かされていた。康成は一二年前、夢半ばで脳梗塞で倒れ、一命は取り止めたものの右半身が不自由になり、直接診療に関わることができなくなった。康成の「夢」を引き継ぎ、武郎は現在の「佐賀病院」を完成させた。


 武郎は、札幌の隣町である北広島市で花卉農家を営む家に生まれた。発展途上国で医療に従事することをを夢見て札幌医科大学に入学した。そこで同級生だった綾子と出会い、卒業と同時に結婚した。一〇年間綾子とともに北海道内各地の病院で研鑽を積み、その間に長男の直哉と次男の悠太が生まれた。十一年目には札幌に戻って、佐賀病院で内科と救急救命を担当した。

 それから一年もたたないうちに、武郎が所属する海外医療支援団体から、武郎を途上国への派遣医師として決定したと連絡があった。武郎は長年の夢がかない、ミャンマーの片田舎にある診療所へ赴くことになった。悠太が三歳、兄直哉が九歳のときであった。任期は五年。その後一年間は帰国して最新の医療技術を学び、また五年任期で現地に戻る計画であった。少なくとも後十数年は、康成は現役で医師を続けられるだろう。康成が勇退すると言ったときには戻ってきて康成の「夢」を引き継ごうと考えていた。武郎は、康成の「夢」にすっかり魅了されていた。だから結婚するときに自分の姓である「太宰」ではなく「佐賀」姓を選んだのだ。しかし、ミャンマーに赴任して三年後に康成が脳梗塞で倒れた。武郎は迷わず自分の夢を一旦封印し、康成の夢を継ぐためにすぐに札幌に戻ることを決意した。


 康成の一人娘であった綾子は、保育士になるのが夢であった。しかし綾子の伯父たちから、「佐賀病院の娘でたった一人の子どもなのだから、医者になって病院を継ぐのが当然。」という圧力を受けて、医大を受験した。そこで武郎に出会い、武郎の夢に共感して交際を始めた。子どもが好きだった綾子は迷わず小児科に進んだ。武郎が海外に行く時に備えて英語とフランス語も勉強して、どちらも現地で困らないほどの会話力を身につけていた。

 武郎がミャンマーへ赴くことが決まったとき、単身赴任するつもりでいた武郎を説得し、子どもたちを連れてミャンマーについて行った。康成は怒るどころか大賛成してくれた。二人が医療設備の整っていない、発展途上国での医療を経験することは、日本での地域医療に必要な技能を身に着けられると思ったからだ。武郎を派遣した海外医療支援団体も、特例として小児科医で語学も堪能な綾子の同行を認めた。結果として、子どもの診療の経験が少ない武郎にとって、綾子は大きな助けとなった。たくさんの現地の子どもたちの命が綾子によって救われたのだった。

 綾子は、ミャンマーで悠太たちの妹、かなえを産んだ。取り上げたのは武郎と現地の助産師であった。綾子は現地の母親たちと一緒に子どもたちを育てていく中で、医師として病気の子どもを助けるだけではなく、健康な子どもたちへの支援も大切なことだと実感した。ここに「保育園を造って、子どもたちの健康と成長を支援していきたい」という思いを抱き、医療支援団体とも相談したりもした。何も具体的な動きがないまま、急遽札幌に戻ることになってしまったが。

 札幌に戻ってからは、佐賀病院の小児科で子どもたちの診療に携わる傍ら、通信教育で勉強して保育士の資格を取得した。新しい病院が開業した後、古い病院の建物はは取り壊さず、リフォームして、病院のスタッフのための保育園にした。病院の駐車場だった土地は園庭として、遊具を置き、花壇や砂場、小さなプールなどを造った。園長はもちろん綾子である。綾子は保育園を「夢の家」と名付け、地域の子どもたちの受け入れや学童保育なども始めた。綾子は子どものころから温めていた夢を、康成の「夢」の上に乗せて実現させていた。「夢の家」の園舎と園庭は佐賀一家の自宅と「佐賀病院」の間にある。悠太の部屋の窓の外には、両親と祖父の「夢」が広がっているのだ。


 兄の直哉は高校を卒業するとすぐに「人と話をする仕事に就くのが俺の夢だ。」と言って家を出て行ったきり、六年間帰ってきたことはない。どこで何をしているのか、悠太はもちろん、武郎も知らない。きっとどこかで夢を追い続けているのだろう。中学二年生になったかなえも、「私は『夢の家』の先生になるのが夢なの」といって、「職業体験」と称して毎日のように夢の家に行って子どもたちと遊んでいる。まったく勉強している様子がないので、悠太は心配しているが。

 悠太の家族はみんな夢をもって、それを実現し、あるいは実現させようとして生きているのだ。佐賀家の人々にとって、「夢は力」なのである。「しかし今の僕には夢がない。」と悠太は思う。


 しかし悠太は、高校に入ってから二年余りの間は、夢を追いかけて過ごしてきた。清陵高校に入学した直後、唯一の友だちであった、高峰静子に強引に誘われて、放送部に入部した。

 顧問の井上貴志教諭は、部員たちに「私は君たちの夢を預かる。一緒にNHKホールに行くという夢だ。それを部員全員が共有して活動してほしい。」と言って、部員たちを指導していた。毎年七月に行われる「NHK杯全国高校放送コンテスト(通称Nコン)」の決勝は、大みそかの紅白歌合戦の会場であるNHKホールで行われる。石狩地区大会、北海道大会を勝ち抜き、全国大会を目指すという夢を共有して、それを実現させるために、一緒に活動していこうというのだ。悠太にとって生まれて初めて、自分の夢が目の前に現れたような思いだった。

 清陵高校放送部は二年前、悠太たちが一年生の時に初めて全国大会出場を果たした。結果は準決勝どまりであったが、下級生たちの心に希望の火を灯した。悠太は放送部の活動に熱心に打ち込むようになった。中学時代は読書だけが趣味だった悠太は、文章を書くことも得意になっていた。それでラジオドラマの脚本を任されるようになり、月2作ほどのペースで脚本を書いた。それは部員たちががキャストとなり、編集者となってラジオ番組にし、校内の昼の放送で流した。聴いた生徒たちの反響も回を追うごとによくなっていった。部員たちの作品制作技術もみるみる向上していった。


 悠太が三年生進級する前の春休みから、最後のNコンに向けた創作ラジオドラマの脚本を書き始めた。テーマは「男女の間に恋愛感情のない友情が存在するのか」ということだった。悠太と静子が関係をもとにして描かれ、タイトルは「我が良き友よ」とした。顧問の井上が大好きな、かまやつひろしの名曲のタイトルでもある。主演は静子であった。しゃべるのが苦手な悠太はキャストには加わらなかった。地区大会、全道大会を突破し、全国大会でも決勝に進出した。製作者の悠太と主演の静子がステージに上がり、司会者から製作意図や聴きどころを質問された。悠太は、ステージのライトに照らされてすっかりあがってしまい、何も言葉が出てこなかった。代わりに静子がてきぱきと質問に答えた。その後作品が流され、決勝の審査が行われた。

 悠太たちは夢を叶えたのだ。夢を持って、それを実現するために励み、その夢が叶う喜びを知ったのだ。悠太や静子はもちろん、部員全員が喜びに沸き返っていた。結果は惜しくも最優秀を逃し、二位優秀賞であったが。悠太の最初の夢は高校三年生の夏に実現し、そして終わった。だがこの経験が悠太に夢をもつことの大切さと、叶えた時の喜びを実感させたのである。


 全国大会が終わって札幌に戻った直後に、悠太は予備校の夏期講習に通いはじめた。八月前半の二週間は夏期講習の予習と復習に追われた。高校生の間、放送部の活動に打ち込みながらも、勉強を怠ることはなかった。目標はずっと「北海道大学医学部医学科」。模擬試験の成績も、何とか手が届きそうなところまで取れるようになった。しかし、夏期講習が終わって一息ついたとき、自分は何のために医学部に行くのだろうかと考え始めた。医師になることが「夢」だと思ったことは一度もなかった。ただ、「両親が医師だから」という理由だけで、医学部を目指していたに過ぎなかったのだ。

 「僕も『夢』が欲しい。じいちゃんや父さん、母さんのような立派な『夢』を。そしてそれを叶えたい。」


 夏休みが明けた最初の授業日に「進路希望調査」のプリントが配られた。前回の調査までは、迷わず第一志望に「北海道大学医学部医学科」、第二志望は「札幌医科大学医学科」と記入して提出していたが、今回はどう書いていいのかわからなかった。机の上にプリントを置いて考え込んでいた。


 「どうしたの?悠太。」突然静子が後ろから声をかけてきた。静子は、悠太が夏期講習に行っている間、悠太の部屋で勉強していた。自分の部屋にはないエアコンがあり、参考書もそろっていたからである。夏休みが終わってからも、放課後は夕食の時間まで悠太の部屋で勉強していた。


 中学校三年生のころ、悠太は本を通して静子と友だちになった。偶然、静子の母、高峰涼子は、綾子の中学時代の親友だった。悠太の一家がミャンマーから札幌に戻った頃、涼子は離婚して実家のある札幌に戻っていた。綾子は涼子を、物心両面から援助した。涼子はバス通り沿いに小さな居酒屋「峰」を開いた。綾子は資金を融通し、ローンの連帯保証人にもなった。病院のスタッフや製薬会社の営業マンを連れて行ったり、食事や飲酒の制限がない患者さんに紹介したりもした。一人で店に通い、涼子の悩みや愚痴を聞いた。涼子の人柄と料理のおいしさもあって、地元の人たちも評判になり、繁盛するようになった。


 それから八年近くが過ぎ、悠太が突然、静子を連れて帰ってきたのである。悠太はもちろん静子も、綾子と涼子の関係は知らない。静子は綾子を「子どものころにお世話になった小児科の先生」としてしか認識していない。

 「本だけが友だち」という二人が中学三年生で同じクラスとなり、「家に帰っても一人」という静子をかわいそうに思って、悠太はつい「うちに寄っていかないか?」と言ってしまい、連れてくることになってしまったようだ。

 綾子はびっくりした。しかし、涼子にもう一つ援助できることあったとのだ、と考えた。静子には「これからは毎日来てもいいのよ」と言った。その夜綾子は「峰」に行き、涼子に「静子ちゃんをを放課後うちで預からせてくれない?」と持ち掛けた。涼子は遠慮しながらも、静子が一人で家にいる時間が短くなるのは安心だと、感謝して静子を綾子に預けることにした。以来静子は毎日のように佐賀家にやってくるようになった。

 男女間に芽生える「恋愛感情」は二人の間にはなかった。二人とも「アロマンティック・アセクシャル」であったのだ。他人に対して、恋愛感情も性的感情も抱かないのである。高校生になっても、その性質は変わらなかった。児童精神科にも造詣の深い綾子も、二人の指向は子どもの頃の一時的なものではなく、本物であると判断していた。だから悠太の部屋で二人きりにしても、大丈夫だと考えていた。しかし、恋愛をはるかに超越した「友情」は深まっていった。高校入試も放送局の活動も、共に闘ってきた。その友情は「戦友」に近いものなのかもしれない。

 静子も当然大学を目指して勉強している。なぜか、どこを目指しているのかだけは、悠太や綾子にも話さなかった。綾子は、静子の分も夏期講習の授業料を出してもいいと言ったが、静子は「悠太の部屋で自分で勉強させてください。それで充分です」と言って断った。その代わり、毎日悠太の部屋へやってきてほぼ一日勉強していた。


 「進路希望なら、前回と同じでしょう?すぐ書けるじゃない。第一志望『北海道大学医学部医学科』って。」

 「いや、違うんだ。今まで医者になって佐賀病院を継ぐということに何の疑問も持っていなかったけど、医者になることが自分の夢だと思ったことはないんだ。今の僕には将来の夢がないんだ。じいちゃんや父さん母さんが持っているような大きな「夢」が。放送で全国大会まで行って夢の大切さ、叶ったときの喜びを知ったんだ。その夢もこの七月で終わった。僕は次の夢が必要だと思うんだけど、それが見つからないんだ。」と悠太は答えた。

 静子は「私には、何も言えない。悠太の人生だもの。悠太が思う通りにすればいいのよ。一つだけ言えるとすれば、悠太が書いたラジオドラマどれも素敵だったと思う。悠太ならもっと素敵な物語をたくさん書けるような気がするな。」

 悠太はその言葉にピンときた。「そうだ。自分は物語を書いて生きていけばいいんだ。やっと自分の夢を見つけたぞ。小説家になるんだ。もう大学なんか行くのはやめる。高校を出たらすぐに執筆活動に入るんだ。」

 「ちょっと待って、それってあまりにも短絡的すぎない?もっとしっかり自分の生活設計を考えてから決めないと、後悔するわよ。」という静子の言葉は、悠太には聞こえていなかった。進路希望調査に「小説家志望」と書いた。


 数日後、進路希望調査の提出締め切りの前夜のことである。 

「父さん、母さん。明日進路希望調査の締め切りなんだ。保護者のサインが必要だから、見てもらえるかな?」夕食が終わった後、悠太(ゆうた)は一枚のプリントを父武郎(たけお)に手渡した。悠太の手は震えていた。自分で決めたこととはいえ、進路希望が、両親の思いとはかけ離れたものだとわかっていたからだ。 


 武郎も綾子も、高校でも成績が良かった悠太が医学部に進学して医師になり、佐賀病院を継いでくれるものだと信じて疑っていなかった。綾子は「何日か前に返ってきた模試の結果を見たわ。札幌医科大学はA判定で、北海道大学医学部はB判定だったわね。どっちを受けるの。私たちの母校の札医大にするの?それとも北大に挑戦するの?」と期待を込めて言った。


 武郎は、プリントを両手で持って凝視した。手が震えていた。怒りが顔ににじみ出ていた。そして何も言わずに綾子にプリントを渡した。「1.国公立大学(理系)、2.国公立大学(文系)…」と並んでいる項目の最後に書かれていた「7.その他」に丸印がつけられていて、右の括弧内に「小説家志望。大学にはいかない」と書かれていた。もちろん「志望校」の欄は空欄である。


 悠太は「全国大会が終わって部活を引退してから、いろいろ考えんだ。高校を卒業したらどうしようかって。僕には父さんや母さんのような『夢』がないことに気がついたんだ。自分の夢って何だろうと思た時、高校三年間ラジオドラマの脚本を書いてきて、全国で評価してもらえるレベルになったことに気づいたんだ。僕はそれ以上に面白い物語をたくさん書いていけると思えるんだ。だから小説家になろうって決めたんだ。大学なんか行かないで、高校を出たらすぐにでも執筆活動に入りたいんだ。」と武郎と綾子に言った。


 綾子は「小説家になることが悠太の夢っていうわけね。佐賀家はみんな夢を追って生きているから、悠太にも夢を持ってほしいと思っていたわ。悠太が将来の夢のことを話をしてくれたの、初めてよね?母さんはうれしいわ。でも、大学は出ておいたほうがいいんじゃない。別に医学部でなくてもいいのよ。大学に行って、もっといろいろなことを勉強してから、小説を書き始めても遅くないと思うわ。そうそう、大学在学中にデビューした作家もたくさんいるのよ」と慌てたように言った。


 武郎はついに口を開いた。普段は穏やかな武郎が珍しく声を荒げて怒鳴った。

「綾子、なんてことを言うんだ。悠太、お前は医者になって、おじいさんと私が造った佐賀病院を、いや、おじいさんの大きな『夢』を継ぐんだ。それ以外は許さん。もし気に入らんのなら出ていけ!」

「じいちゃんの『夢』はすごいと思うよ。父さんが引き継いだのも理解している。でも自分の夢を捨ててまで、じいちゃんの『夢』を継ぐ必要があるのか?僕は小説家になろうという夢を持ったんだ。その夢をどうしても叶えたい。わかった、父さんが出て行けっていうんなら、出て行ってやる。」

 そういうと悠太は立ち上がり、駆け出した。玄関でスニーカーを足にひっかけて、家を出て行った。外はもう真っ暗だった。

「待ちなさい、悠太。」

 綾子も悠太を追いかけて駆け出した。


 佐賀家の玄関の前は、車庫につながる通路で、右奥に車庫があり、左に行くと道路に出る。道路を渡ったところに悠太たちが通う清陵高校の正門がある。悠太は玄関を出ると、すぐ左に進んで道路に出た。道幅は広いが、交通量はそう多くない道路である。校門の前なので、押しボタン式の信号が設置されているが、悠太はボタンを押さずに渡った。左から走ってくる車のライトが見えたが、まだ遠かったので、立ち止まらずに駆け抜けた。道路を渡り切り、清陵高校の正門前で立ち止まった。門柱に寄りかかって息を整え、また走りだそうとしたとき、真後ろからクラクションと急ブレーキ、続いてドーンと言う大きな音が聞こえた。振り返ると、綾子が頭から血を流して道路に倒れているのが見えた。悠太を追いかけて道路に飛び出し、左から走ってきた車に気がつかなかったようだ。悠太は「母さん!」と叫んで、その場に立ちすくんだ。


 運転手は車から飛び出してきて、自動車学校で教えられたとおりに、綾子の肩を軽くたたき「大丈夫ですか?」と、声をかけた。綾子は返事をしなかった。意識を失っていたのだ。運転手は慌てて一一九番に電話をした。すぐに救急車のサイレンが聞こえた。消防署は佐賀病院の隣である。事故の現場は消防署からもよく見えた。一人の救急救命士が消防署から直接現場に走ってきた。すぐに綾子の頭部に包帯を巻き、止血をした。少し遅れて救急車が到着し、救急隊員があわただしくストレッチャーを下ろした。やがてパトカーや事故処理車もやってきた。警察官が現場検証をし、運転手から事情を聞いていた。

 外の物音を聞いて武郎も出てきた。綾子が大けがをして倒れているのを見て驚いていたが、そこは医師である。すぐに冷静になって救急隊員に「うちの病院に運んでください。私が治療します。」といって、佐賀病院を指さした。


 佐賀病院には救急救命室があって、二四時間救急患者を受け入れている。消防署の隣なので、救急隊員も佐賀病院を頼りにしていた。だから、武郎も綾子もほとんどの救急隊員とは顔なじみである。

 「佐賀先生!被害者は綾子先生で間違いないですね。すぐに搬送します。」と言って、綾子をストレッチャーに乗せ、そのまま佐賀病院の救急入口に運び込んだ。当直の看護師たちが出てきて、綾子を病院のストレッチャーに移した。救急隊員たちは「あとはお願いします。」と言って消防署に戻っていった。看護師たちは綾子を処置室のベッドに移し、てきぱきと処置を始めた。


 悠太は言葉を失っていた。門柱に寄りかかって、一部始終を見ていた。現場検証を終えた警察官たちは、運転手を連行して警察署に戻っていった。レッカー車が来て、事故を起こした車を運んで行った。おそらく警察に運ばれるのだろう。あちこちから集まってきていたやじ馬たちも家に帰っていった。悠太の目の前には、いつもと変わらない学校帰りの風景が広がっていた。路上に残る綾子の血痕と、現場検証の際に書きこまれたチョークの跡を除いては。


 悠太は家に戻るしかなかった。玄関に入ると、中学二年生の妹かなえが、座り込んで泣きじゃくっていた。悠太の顔を見ると立ち上がり、「悠兄(ゆうにい)(悠太のこと)のせいだからね。母さんが死んじゃったらどうするの?」と泣きながら悠太の胸を何度も両こぶしで叩いた。悠太は何も答えられなかった。祖母の佐賀晶子が玄関に出てきて、かなえを抱きしめた。

「かなえちゃん。お母さんは絶対元気になって帰ってくるから。心配しないで部屋に行って休みなさい。」

「でも、でも~。」かなえは泣き止まなかった。晶子はかなえの肩を抱きかかえて二階の部屋に連れていった。悠太もその隣にある自分の部屋に戻った。かなえの泣きじゃくる声が聞こえていた。

 「僕のせいだ。僕が家を飛び出さなければ、こんなことにならなかったんだ。」と悠太は悔やんでいた。佐賀家の二階には、一二畳ほどの子ども部屋が三室あり、それぞれにソファが二つとテーブルが置かれていた。悠太は自分の部屋のソファに倒れこんだ。

 しばらくして悠太のスマートホンが鳴った。武郎からのLINEだった。

「母さんは重傷だけど命に別状はない。まだ意識が戻らないけど。今夜は父さんが母さんの病室に泊まる。心配するな。」


 武郎は診察着に着替えて、綾子の診察を始めた。大きな傷は左側頭部と大腿部である。側頭部は救急救命士が止血処置はしてくれていたが、包帯の上に血が滲みだしていた。左足もかなり強く打っているようである。当直の看護師と放射線技師に、頭部MRIと左足のレントゲンを撮るように指示した。まもなくモニターに画像が映し出された。それを見て武郎は「頭骨と脳には異常なし。左側頭部裂傷だけだ。すぐに縫合すれば大丈夫だ。左足は?おお、大腿部複雑骨折だ。これは手術しないと後遺症が残る。」と診断した。間もなく綾子が処置室に戻ってきた。頭部の包帯をほどき、傷の周りの髪の毛を手早く剃り落として傷を縫合した。そして整形外科の鈴木医師に連絡した。急を聞いて鈴木医師はタクシーで駆けつけてくれた。左大腿部はできるだけ早く手術した方がいいというのは、鈴木医師も同意見だった。翌朝九時から手術ということに決まった。

 武郎は、悠太が清陵高校の校門前で事故の一部始終を見ていたことはわかっていた。しかし事故の際は、綾子の処置が最優先である。悠太に声をかける余裕はなかった。綾子を病院に運び、処置が一段落したところで、悠太にLINEで「重傷だけど命に別状はない…。」と知らせたのだった。


 悠太はあまりのショックで、眠ることもできなかった。ソファに座って、呆然と過ごしていた。かなえの泣き声は聞こえなくなった。おそらく泣き疲れて眠ってしまったのだろう。

 夜もだいぶ更けたころ、玄関のチャイムの音が聞こえた。祖母の晶子が玄関に出て迎えた。「まあ、直哉じゃない。よく帰ってきてくれたわね。まあずいぶん立派になって。」という晶子の声が聞こえた。悠太の六歳上の兄直哉が帰ってきたらしい。悠太もびっくりした。すぐにでも降りて行って会いたかったが、立ち上がることができないほど、悠太は落ち込んでいた。直哉と晶子の声は、玄関から悠太の部屋にも聞こえてきた。

 「ばあちゃん、久しぶり。電話くれてありがとう。びっくりしたよ。母さんはどうなの?」

 「じいちゃんの書斎のパソコンに、綾子のMRIとレントゲンが送られてきたの。それを見てじいちゃんは『大丈夫、命に別状はない。きちんと治療すれば、元通り生活できるようになる。後は武郎君に任せておけばいい。』って言ってたわ。」

 康成は現在、名誉理事長の肩書で病院に籍を置き、書斎に病院内ネットワークにつながるパソコンを置いてもらっている。毎日のように若い医師たちから、相談のメールとともに患者のレントゲンやMRIの画像が送られてきた。康成はいつも的確な診断をして、医師たちの手助けをしていた。百戦錬磨の武郎が康成に相談することはめったになかったが、康成の知識と経験に裏打ちされた若い医師たちへのバックアップを心強く思っていた。

 そんなわけで武郎が康成に画像を送るのは、今回が初めてだった。もちろん診断の相談ではない。康成と晶子を安心させるためであった。

 「そうかそれは一安心だ。」と直哉は言った。晶子は「それより、悠太のところに行ってやって。綾子の事故は自分のせいだって落ち込んでいるから。」と言った。「わかった。」と、直哉は答え、階段を駆け上がって、悠太の部屋の扉を開け、「悠太!」と叫んで駆け込んだ。


 悠太が直哉に会うのは、六年ぶりである。直哉は高校を出てすぐに家を出て行った。どこに行ったのか、何をしているのか、悠太はもちろん、武郎も知らなかった。悠太は直哉の顔を見て少し安心した。直哉はすっかり大人の顔つきになっていた。

 「直兄なおにい、久しぶり。元気だった?今どこにいるの?何しているの?」

 「その話は後だ。どうして母さんが車にひかれたりしたんだ?」

 「父さんに『出て行け!』って言われて、家を飛び出したんだ。そしたら母さんがあわてて追いかけてきてたらしい。清陵高校の校門前に着いたときに、後ろから大きな音が聞こえたんで振り返ったら、母さんが頭から血を流して倒れていた。」

 「母さんらしいな。いくつになってもおっちょこちょいは治らないんだな。母さんが事故に遭ったのは、悠太のせいじゃない。道路を渡るときにきちんと左右を確認しなかった母さんがいけないんだ。」

 「でも、僕が飛びなさなければ…。そして、信号の押しボタンを押していれば…。」と言って、悠太は泣き出した。

 「泣くんじゃない。母さんは必ず良くなるから。」と言って、直哉は悠太の隣に腰を下ろした。そのとき、悠太のスマートホンが鳴った。

 「父さんからLINEだ、母さんの意識が戻ったらしい。なになに『頭を打って出血しているけど、頭骨と脳には異常はない。左足はかなり強く打って、複雑骨折しているから、あすの朝手術をする』だって。結構な重傷だよね?」

 「しかし、父さんと鈴木先生の手術の腕は最高だからな。母さんはピンピンして退院してくるさ。俺は、明日手術が終わって、母さんが麻酔から覚めたころに見舞いに行くことにするよ。悠太、お前は明日ちゃんと学校へ行くんだぞ。」

「でも…明日提出の進路希望調査に父さんのサインをもらってないから…。」

「俺のサインでもいいだろう?これでも一応お前の兄貴なんだから。どれ、希望調査を持ってきな。」

 悠太は渋々ダイニングに置きっぱなしの進路希望調査のプリントを取りに行き、部屋に戻って直哉に渡した。直哉はそれを見るなり、

「これは父さんも怒るだろうな。大学に行かないで小説家になりたいって?父さんも母さんもお前が医学部に行くもんだと思っていたようだからな。お前、予備校の夏期講習も言ったんだろう。『医学部進学コース』に。」と言った。

「どうして、知っているの?もう六年近くも家に帰ってきていないのに。」

「家を出てからも、母さんとはよくLINEや電話で連絡を取っていたんだ。いつも悠太のことを心配していたぞ。こんなことでもなければ、もう二、三年は帰ってこないつもりだったけどな。ところで悠太。どうして小説家になろうなんて思ったんだ?」

 「それは…。」直哉の問いに、悠太は言葉が出てこなかった。直哉を目の前にして考え直してみると、静子から「悠太が書いたラジオドラマ、どれも素敵だった。」と言われて、ノリで「小説家」という夢を思いついただけのような気がしてきたのだ。


 武郎は鈴木医師が帰った後も、綾子の病室にいた。今夜は一晩見守るつもりだった。しかし今武郎にできることは綾子の回復を祈ることだけだった。数時間後、綾子が目を開けた。

 「ううっ。痛い!あ、あなた。私どうしちゃったの?」

 「綾子!意識が戻ったか?悠太を追いかけていって、道路で車にはねられて、意識不明だったんだぞ。どうして、道路を渡る前に信号や左右を確認しなかったんだ?いくつになってもおっちょこちょいは治らないんだな。」

 「ごめんなさい。悠太が家を飛び出して行ったから、私も慌てて出て行ったのよ。道路を渡っていく悠太の背中が見えたから、追いついて捕まえようと思って走り抜けようとしたら、左からクラクションの音が聞こえて…。そのあとは覚えていないの。でももう大丈夫。大したことないわ。いっ、痛い!」

 「左側頭部裂傷。左大腿部複雑骨折。かなりの重傷だぞ。」と武郎が言った。

 綾子はベッドの横のモニターを見た。自分の頭部MRI画像と、大腿部のX線写真が写っていた。

「そのくらい私も医者だからわかるわ。左足は手術した方がよさそうね。側頭部はあなたが縫ったの?髪の毛どのくらい切った?」

 武郎は少し慌てた。左側頭部の髪の毛はかなり派手に剃り落としてしまっていたからである。しかしそこは医師としての冷静さが戻ってきて、綾子に言った。

「髪の毛なんか気にしている場合か?傷は私が縫合した。髪の毛は必要最小限しか切っていないから心配するな。すぐに伸びてくるさ。左脚は明日の朝九時から、鈴木先生の執刀で手術だ。私は麻酔科医として立ち会う。」

 「わかったわ。私の治療はあなたと鈴木先生に任せる。『夢の家』の方は主任が代行してくれるとして、小児科の外来、どうしよう。加藤先生に朝から来てもらえるかしら?」

 佐賀病院の小児科は、綾子が午前の外来と入院患者の回診を担当し、午後の外来は、まだ幼い二児を抱える、加藤良子(りょうこ)医師が担当していた。綾子は午前の診療が終わってから、「夢の家」に行って、園長の執務を行い、保育士や子供たちに声をかけて、午後三時過ぎには家に戻って主婦をしていた。夕食後、入院患者がいれば、就寝前の回診を行うのが日課だった。

 「小児科は心配するな。加藤先生にあまり負担はかけられないだろう?しばらく午前は休診でいいだろう。今小児科の入院患者はいないんだから、夜は心配しなくてもいい。君は自分の身体のことだけ考えていればいい。」と言い、悠太に「母さんの意識が戻った。…」とLINEした。


 綾子はぽつりと「ねえ、どうして悠太に『出ていけ』なんて言っちゃったの?」と聞いた。武郎は言葉に詰まった。今にして思えば、大人げない行動だった。もっと冷静に話を聞いてやればよかったのに、怒りにまかせて悠太に「出ていけ!」と言ったことが、こんな重大な結果を招いてしまって、武郎も後悔していた。

 綾子は続けて「私たちが医大に入学した時、最初の自己紹介で『自分の夢は、医者になって、世界中の貧しい人、困っている人の命と幸せを守ることです。今その夢のスタート地点に立つことができました』って言ったの覚えている?私はその言葉にひかれたのよ。お父さんの『夢』と重なって聞こえたの。」

 武郎は相変わらず言葉が出てこなかった。

 さらに綾子は「あなたが高校生のころ、太宰のお父さん『太宰花園』を継げって、言ってた?」と聞いた。武郎はやっと口を開き「あの時は、登紀子姉さんが農学部を卒業して、花園を継ぐ気満々でいたから。私が医学部に行くことはむしろ応援してくれていた。卒業して結婚するときは、佐賀姓を名乗ることも許してくれた。」と答えた。


 綾子は「そうでしょう?太宰のご両親や登紀子姉さんに紹介してもらったとき、あなたが医学部に合格したことをとても喜んでおられたもの。太宰のお父さん、『私たちは武郎の夢を応援する。だから綾子さん。あなたは、武郎の傍で助けてやってくれるか?』って言ったのよ。まだ結婚するって決まってたわけでもないのにね。私本当は保育士になるのが夢だったの。でも、伯父さんたちから、『佐賀病院の一人娘だから医者になるのが当然』、みたいな圧力をかけられて、結局札医大を受けたら合格して、医者への道を歩むことになったの。子どもに関わる仕事がしたかったから、専門は迷わず小児科に決めた。でも、もっと元気な子どもたちと関わっていきたい、という思いは強かった。実はお父さんは私の夢を応援してくれいていたの。でも末息子だったから、伯父さんたちには逆らえなかったみたい。『新しい病院ができたら、スタッフの子どもたちのために保育園を造りたいから、お前も協力してくれ』って言ってくれていたの。」と、痛みをこらえながら語った。


 武郎は「札幌に戻ってからは、お義父さんの『夢』を継いで働いてきたんだ。お義父さんの『夢』は、旧約聖書イザヤ書六五章に書かれている『そこではもう、泣き声も叫び声も聞かれない。そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命を全うしない老人もいない。百歳で死ぬ者は若かったととされ、百歳にならないで死ぬ者はのろわれた者とされる』を実現することだと、君と付き合い始めたころ、お義父さんは語ってくれた。私は『それは、天国でないと実現できないことではないですか?』と聞くと、『その通りだ。それは天国でしか実現できない。でもそこに少しでも近づこうとすることが私の『夢』なんだ。そのためには、『どんな人にも平等に最先端の医療が受けられる病院が必要だと思っている。そして、患者さんだけではなく、スタッフが家族のことを心配することなく最高のパフォーマンスが発揮できる環境を作ることも必要だろう。どうだ、私の夢を引き継いでくれないか?』と言われたんだ。まだ結婚すると決めたわけでもないのに。ただ、お義父さんの『夢』には感動させられたよ。ミャンマーに行って一〇年勤めたら、お義父さんの『夢』を継いで、『ここに天国を造ろう』と思っていた。しかしその三年後にいきなりお義父さんが脳梗塞で倒れて、予定よりだいぶ早く札幌に戻ってくることになってしまったけどな。びっくりしたのはお義父さんがちゃんと土地と資金を用意していたことだ。『もう少し元気で働ければ、自分の手で病院を建てられたのに。』と悔しがっていたよ。今お義父さんの『夢』は着実に前進している。そして、君の夢も叶ったじゃないか。『夢の家』という形になって。」と言った。


 綾子の父、佐賀康成は地域医療を使命とする内科医であった。座右の銘は「皆に仕えるものになりなさい」という、新約聖書の言葉であった。康成は男四人兄弟の末っ子で、家は決して裕福ではなかった。兄たちが、大学には行けずに就職していく中、康成はどうしても医師になりたいと、家族を説得し、医大に行くことを許してもらった。六年間、新聞配達や家庭教師などのアルバイトをしながら大学に通い、卒業して内科医になった。そのころはまだ、地域に医療施設はなかった。近所の人々は康成に大きな期待をよせ、支援してくれた。だから、その恩返しとして、自宅の近くに小さな病院を開き、お世話になった札幌市清田の人々に「仕える」こと、健康と幸せを守ることを第一に考えて診療を続けてきた。

 「私はキリストではないから、手を触れただけで病をいやすことなど出来ない。でも、信じて最良の医療を施すときに、神様の手は働いてくださると信じておるんじゃ。」と常々語る康成のもとには、連日たくさんの患者が訪れていた。

 康成は、ここ清田に自分の理想の病院、いや、医療だけではなく福祉、教育を一体化した施設を造ることを夢見ていた。そのために、質素な生活を心がけ、コツコツと資金を準備していた。病院の周りの土地も少しずつ購入して敷地を拡げていた。康成が脳梗塞で倒れたのは、いよいよ新しい病院の建設に取り掛かろうとしていた矢先であった。急遽ミャンマーにいた娘夫婦を呼び戻し、婿の武郎に自分の夢のバトンを渡した。札幌に戻った武郎は、そのバトンを受け取り、新病院の建設に取り掛かった。救急救命室を備えた、「どんな人にも最高の医療を提供すること」を理念とする新しい佐賀病院を造り上げたのだった。そして、「夢の家」を開園し、佐賀病院は医療以外の分野でも、地域とのつながりを深めていった。


 綾子は「あなただって、自分の夢、まだ捨ててないでしょう?子どもたちが自立したら、もう一度、海外医療支援に行きたいって、思っているんでしょう?」」と、武郎に聞いた。武郎は「どうして、わかったんだ?」と聞き返した。「やっぱりね。最近あなた宛てに、いろいろな支援団体からの手紙が届いているもの。もちろん中身は見てないけど、寄付のお願いなら病院宛てに来るはずでしょう?」と綾子が言った。武郎は「その通りだ。六〇歳を過ぎたら、また海外医療支援に行こうと思っていた。だから、悠太にはこの病院を、いやお義父さんの『夢』を継いでほしかったんだ。永遠に叶わなくても、それに向かって前進し続ける価値のある『夢』を。直哉は出て行ってしまったからな。」と答えた。


 「佐賀病院、医療法人にしたんだから、あなたがいなくなっても、他の若いスタッフが引き継いでくれるわよ。子どもたちに継がせなきゃならないってことはないのよ。お父さんや私が自分の夢を叶えたように、あなたが自分の夢をもう一度追いかけているように、子どもたちには、それぞれの夢に向かって進ませてやってほしいの。悠太が小説家になるのが夢ならそれでもいいじゃない。自分の夢のために、悠太の夢を犠牲にするようなことはやめましょう。」

 武郎はそれには答えられなかった。「明日は手術だ。もう休みなさい。眠れないなら、鎮痛剤と睡眠薬を注射するから。」と言った。綾子は「痛みが強くなってきた。鎮痛剤だけ入れてくれる。睡眠薬はなくても眠れるわ。」武郎は、綾子の腕に刺さっている点滴チューブに鎮痛剤を入れた。内緒で睡眠薬も入れた。綾子には早く眠ってほしかったのだ。綾子はすぐに「鎮痛剤が効いてきたみたい。痛みが治まったら眠くなってきた。明日麻酔を担当するならあなたもちゃんと寝てね。寝不足でミスしたら困るから。じゃあおやすみなさい。」と言って寝息を立て始めた。綾子が寝たのを確認して、武郎は泣いた。そしてその夜は綾子の病室で眠れない夜を過ごした。


 「それで、母さんが事故にあったのは、悠太のせいだってわけか?」と直哉は、聞いた。「そうなんだ、僕が小説家になるのが夢だ、大学は行かずに、執筆活動するって言ったら、父さんが怒り出したんだ。それは予想していたから驚かなかったけど、『出ていけ』って言われるとは思っていなかった。売り言葉に買い言葉、っていうんだろうな。『ああ、出て行ってやる』って言って、家を飛び出したんだ。家の前の道路を渡って清陵高校の校門に着いとき、急ブレーキと何かがぶつかる音が聞こえたんで、振り返ったら母さんが頭から血を流して倒れているのが見えた。僕を追いかけて飛び出してきたんだ。」と悠太は答えた。

「なるほど、父さんは俺が高三の時と同じように『出ていけ!』って、言ったんだな。ま、俺はすぐに飛び出すようなことはしなかったけどな。」と直哉は言った。悠太は、六年前にも同じことが起こっていたことを、今になって知った。すぐに飛び出さず、卒業まで待って出て行った直哉は、やはりできた兄貴だと思った。

 「悠太。そもそも家を飛び出してどこへ行こうと思っていたんだ?それも考えずに飛び出したのか?」

 「そうだなあ。とりあえずしーちゃん(静子のこと)のうちにでも行って泊めてもらおうかと…。」

 「女の子の家に行って泊めてくれって言って、いいと思っているのか?」

 「しーちゃんと僕はそんな関係じゃないよ。」

 「二人がアロマ・アセクだということは母さんから聞いている。しかし他の人たちがすべて理解してくれているとは思うな。静子ちゃんのお母さんは夜遅くならないと帰ってこないんだろう?高校生の男女が二人っきりで家にいたら、あらぬ噂が立って、悠太も静子ちゃんも困ることになるぞ。そこまで考えられないのか?」

 「それは…。」

 悠太は、また言葉が出なくなってしまった。悠太と静子の関係はみんな理解してくれていると思っていた。しかし、近所の人すべてが理解しているわけではない。そこに悠太は気づいていなかったのだ。


 直哉は「さて、俺の話も聞いてくれるか?」と切り出した。

「俺は、人と話をすることが大好きだったから、たくさんの人と話ができる仕事に就くのが夢だった。高三の時、『人と話をする仕事に就きたい』と言ったら、同じように父さんに怒られたよ。俺に医者になって佐賀病院を継いでほしかったんだろうな。何よりも、具体的にどういう仕事をしたいのか、俺もわかっていなかったことに怒りを爆発させたのもあっただろう。」と言った。

 悠太は、「僕は、小説家っていう具体的な職業を父さんに話したんだけどな。」

 「それが問題なんだよ。小説家を志す人は何万人もいるけど、実際に書いた小説が売れる人はほんの一握りだ。父さんは悠太の将来のことを心配したんじゃないのかな?」

 「そうなのかな?父さんは『佐賀病院を継ぐんだ。それ以外許さん!』って言ったんだよ」

 「父さんは、一番安全な道に行けって、言いたかったんだろうし、じいちゃんの夢に心底ほれ込んでいるからな。成績のいい、悠太が自分の後を継いで、ここ清田に『天国』を造ってほしかったんだろうな。」と言って直哉は、自分のことを話し始めた。


 「高校を卒業して家を出て、最初の一年は放浪の旅をしたんだ。ミャンマーにも行ってきた。診療所の近くに住んでいた友だちたちは、大学に行った人もいたし、働いてる人もいた。みんな『新しい国を造るんだ』って言って頑張っていたな。いろんなところに行って、いろんな人と話をして、楽しい一年間だった。新しい友だちもたくさんできた。自分はどんな仕事に就けばいいのか、考える時間にもなった。今は自分の夢、『人と話をする仕事』に就こうと勉強している。」

 「どこで?どんな勉強をしているの?」と悠太は聞いた。

 「それはまだ言えない。でもいずれ、お前にも父さんにも話せる日が来る。さて、悠太の夢は小説家か。なぜだ?」と直哉は聞いた。悠太は「僕は、小さいころから人と話をするのが苦手だった。だから中学三年になるまで友だちもいなかった。本を読むのは大好きだったから、本からたくさんのことを学んできたし、いろいろな物語を知っている。でも高校の放送部で、ドラマの脚本を書くようになって、自分で物語を作ることの楽しさを知ったんだ。だから物語を書く仕事をしたいと思ったんだ。口ではうまく言えなくても、文章なら自分の考えていることを伝えられるんじゃないかな?まずは、高校で自分の書いてきたドラマを小説にしてみたい。」と答えた。答えながらもそれが自分の本心なのか、自信はなかった。確かに自分の書いた小説が売れるという保証はどこにもない。大学にも行かず、収入が得られないなら、両親に迷惑をかけることにもなる。


 「なるほど。今年のNHKのラジオ番組で、Nコンの優秀作品が放送されていて、清陵高校の作品も紹介されていた。あの脚本、悠太が書いたのか。恋愛感情はないけど、固い友情で結ばれている男女が、恋人どうしだとみている周りの人々の言動に傷つきながらも成長していく物語だったな。聴いて感動したよ。お前才能あるかもしれないな。でもな、悠太。小説家を目指すのは、すてぎなことだと思うし俺も応援したい。しかし、大学を出て、ほかの仕事をして、その経験を生かして小説家になった人もたくさんいるんだ。お前は俺と違って、勉強ができるじゃないか。だから、医学部に行って、医者として経験を積むべきだと思う。小説家になるのはそれからでもいんじゃないか。きっと自分の経験したことを書けば、読者に共感してもらえる作品になるぞ。あのラジオドラマみたいに。」と直哉は、悠太に言った。

 悠太ははっとした。Nコンのラジオドラマが聴いた人の感動を得たのは、自分たちが経験したことを素直に書いたからだった。小説家になるには、たくさんの経験が必要だと直哉の言葉で気づかされたのだ。そして言った。

 「わかったよ、直兄(なおにい)。僕は北大医学部を受けるよ。医者としていろんなことを経験して、それから小説家になる。」と悠太は言った。

 直哉は「やった」と思った。声には出さなかったが。

 悠太は、進路希望調査を書き直し、第一志望に「北海道大学医学部」と書いた。第二志望は空欄にした。そして、直哉に渡した。

 直哉は、「第二志望は書かないのか?」と聞くと、悠太は「北大一本に絞る。経験を積むなら総合大学の方がよさそうだから。」と答えた。

 直哉はびっくりした。人と話すのが苦手な悠太の口から、その言葉が出るとは思わなかった。黙って、保護者署名欄にサインし、悠太に返した。


 翌朝直哉は手術が終わって麻酔から覚めた綾子を見舞った。


「直哉、どうだった。」と綾子は、昨夜のことを聞いた。

「悠太、第一志望『北海道大学医学部』とだけ書いて、俺にサインさせたよ。『経験を積むなら総合大学がいい』とか言ってた。あの悠太が。」

綾子は「ありがとう。悠太を説得してくれたのね。悠太の机の上に置いてあった進路希望調査の用紙に『小説家志望。大学は行かない』と書いてあったのを見てびっくりして直哉に電話したの。直哉の言うことなら悠太も聞くだろうと思って。」

 直哉は「俺は悠太に小説家になるには経験が必要だと思うぞって、言っただけだよ。あの日はもう少し早く帰るつもりだったけど、飛行機がとれなくて最終便になってしまったんだ。帰って、悠太と話をして、医学部を受験させる方向にもっていくつもりだったけど、まさか母さんが事故に会うとは。おかげで、お見舞いのために飛んで帰ってきたみたいになっちまったよ。」と答えた。

綾子は「でも結果的に、悠太が医学部を受けてくれるのなら、それでいいの。悠太が医者になって、お父さんや武郎さんと同じ経験をして、そのうえで彼らのことを小説にして書き残してくれるのが、私の次の「夢」だから。そうすれば、佐賀病院の『夢』は永遠に続いていくものになって行くと思うの。」と言った。実は綾子は、悠太が小説家になるということ自体は反対していなかった。ただ、「大学に行かない」と書いてあったのはさすがにまずいと思って、直哉に説得してもらおうと、呼び返したのであった。


 綾子は「ところで、あなたのことはまだ秘密にしておくの?」と直哉に聞いた。直哉は答えて言った。「一年間放浪の旅をして、一年間東京の予備校に行って、国公立の医大には落ちて、最底辺の私立医大に入ったなんて、恥ずかしくて父さんにも悠太にも言えないよ。もう少し、内緒にしておいて。でも、母さん、学費と生活費を送ってくれていて感謝しているよ。」綾子は「わかった。卒業して医師国家試験に合格するまでは内緒にする約束だったものね。あなたへの仕送りは、私の給料から払える範囲だから大丈夫よ。でも、あなたは佐賀病院継ぐ気はないの?」と聞いた。直哉は「俺は、人の話を聞く仕事に就くことに決めたんだ。心療内科になる。」と答えた。

直哉は自分の夢に着実に近づいていた。翌日には、残り二年余りとなった大学での学びに戻るため、東京へ帰っていった。


 武郎は、綾子の手術を終えて、その日の勤務をこなし、夕方には家に帰ってきた。 

 悠太もほぼ同じ時間に帰ってきた。高校の進学講習で遅くなったのだ。悠太は、玄関で武郎に「父さん。進路のことだけど。」と言った。武郎は、昨夜綾子に言われて考えたことを答えた。「小説家だろう?いいぞ。自分の思う通り進んでいきなさい。」悠太は、「違うんだ。父さん。直兄(なおにい)に言われて、気が付いたんだ、小説を書くには経験が必要だって。だから僕、北大医学部に行くよ。総合大学でたくさんの人と出会って、卒業したら医者としていろんな経験を積んで、それをもとに小説を書こうと思うんだ。」と悠太は言った。武郎は気が抜けたように「そうか」としか言えなかった。

 さらに、悠太は言った。「いつかじいちゃんや父さんの『夢』を小説にして出版したいな。きっとドラマティックで感動的な物語になると思うよ。じゃあ、夕飯まで、二階で勉強してくる」と言って、自分の部屋に行った。

 武郎は「結局、佐賀家の人間は、綾子の手のひらの上で動かされているようなものだな。悠太も綾子の気持ちを感じていたのか。」とつぶやき、自分の部屋に戻った。「海外シニアボランティア」の案内の手紙が置いてあった。きっと晶子が郵便受けから運んでくれたのだろう。「私ももう一度夢を追いかけてみるか。お義父さんの『夢』は誰かが引き継いでくれるだろうから。」と言いながら、封を切った。

 北国の短い夏は終わろうとしていた。

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