誉れ高き塵
急に書きたくなりました。
私は病室にいた。たくさんの点滴に繋がれたまま生きているのか死んでいるのか分からないような生活だ。
身体的な痛みはある。喉も乾くし、お腹も減る。眠くもなれば目が冴えて眠れないこともある。
だから生きているのだろうが、長く続いた病室での無味乾燥とした抑揚のない生活は、私から感情と精神的な痛みの受容体を持っていってしまったらしい。
最初は普通と違う病院の開ききらない窓に喜んだりしたものだが、慣れていくにつれ、中途半端にしか開かないのは自殺防止のためだと知り興味を失った。
初めの一週間は淡白な食事だと思っていた健康優先の病院食も、入院期間が二十日、一月、半年、一年、三年と延びていくにつれ舌が適応して特別な味に喜ぶこともない、かといって不味いとか味が薄いとかも思わない、何の感慨もないものになってしまった。
毎日のように来てくれた友人達も次第にその数、回数ともに減っていき今では月に一回、他県に就職した幼馴染が顔を見せに来てくれるだけだ。
暇だ、復学したときのための勉強を
元気になるために苦しい放射線治療も頑張ろう
体力も維持しておかないと
などと病気を無くすためにもしくは回復後の苦悩を見据えて、無理をして奮い立たせずとも治療に対するモチベーションは自然に湧き上がっていた。
それがいつからだっただろう。
確定的に訪れるはずだった回復後の未来がぼやけて霞んで見えるようになり、気づけば手の届かない遥か遥か遠くに聳え立っているように思えた。
友人達と撮った写真を眺めたり、自分が居なくなったクラス写真を眺めて何とかやる気を起こして、生きる気を起こして治療に苦しみながら耐え抜く日々だ。
いつかみんなと学校に行こう
いつかみんなと遊ぼう
いつか、いつか、いつかいつかいつか·······
苦しみを紛らわすように、現実から逃避するように自分が友人達のなかにいて、元気に走り回っている夢を見るようになった。
いつか、いつかと言いながらも誰よりも私が一番私のことを解っていたのだ。
存在しない石垣を騙し騙し積み上げても完成するのは結局、自分以外の前には存在すらしない蜃気楼。
病が快方に向かうことはなく、急変しなくても真綿の檻に閉じ込められてじわじわと首元を締め付けられていくように歩み遅く悪化していくのだ。
もう、いいや。
これ以上苦しむくらいなら死んだ方がまし。
どんなに足掻いても戦局をひっくり返せないチェスにぼんやりとしたまま興じるよりは、早々に見切りをつけて白旗を掲げた方がいい。
その日から私は、夢想のなかにいるような感情の抜け落ちた木偶の坊として生きている。
ふいに空気の振動を感じた。風だ。
幼馴染のくうちゃんが昨日やって来たときに窓を開けたままにしていたらしい。
(理性的に考えれば、掃除は定期的に為されるとはいえ、1年間の間に着替えの交換を含めて30回ほどしか来客のない部屋の窓を自発的に開けることはないのだから、ほこりが溜まり放題だ。おまけに空気まで淀んでいる。自殺防止のため少ししか空かない窓を開けて空気の入れ換えをしようと考えても不思議ではない)
風が病室にたむろしていた塵たちを誘い、ひらひらと優雅に舞い上げさせる。
そのときだった。
錯覚だろうか、それとも塵が光を反射するせいだろうか、塵が自分の持てる力を振り絞って全力で輝いているように見えた。
灰色の光彩を放ち、爛々と輝いてミクロほどの電球が無数に集まって一斉に点灯したように見える。
わずかに差し込む太陽光と青白く光る蛍光灯に受ける影響の配分は塵ごとに違うらしく、灰色一色のはずの塵は赤青黄緑と各々に美しく輝いている。
まるで、運命に抗えなくても自分を主張しようとしているように見えた。
逃げられなくても、最後まで頑張ろう。
心の奥底にこの世で一番大切な人の声で響く。
「逃げられ、なくても、最後まで······頑張ろう」
私もその言葉を、数ヵ月ぶりに自発的に開いた口でたどたどしく復唱した。
ふとそこだけはほこりとは無縁な小さな姿見を覗いてみると、そこには目に生気の宿った恐らく一瞬前とは似ても似つかないであろう人物が映っていた。
もう一度頑張ってみよう、さっき見た誉れ高く舞う塵に誓って