7.アディリアの告白
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アディリアは学院に入学以来ずっと単独行動だ。友達はいない。作ろうと思う気力さえ湧かなかった。
一人でいることには苦はないし、人からどう思われようと気にしないでいられる。それでも、お昼の時間だけは別だ。
大勢から好奇の目を向けられて食べる食事は、拷問に等しいと知っているからだ。だからこそ、ランチの時間だけは、完全に一人になれるよう行動している。
「アーロン様、ランチの時間ぐらい一人になりたくて、わざわざ裏山まで来ているのですっ!」
アーロンはアディリアの言葉など耳に届かない様子で、断りもなくドカッと隣に座った。
「ここは静かでいいな。こんないい場所があるなら、案内の時に教えろよ。お前の落ち度だ」
聞く耳を持たないアーロンを相手にしても仕方がないのは、今まで十分に学習した。アディリアは怒りのこもった目をアーロンの護衛であるスタンに向けるが、スタンはスッと目を逸らして怒りまでも受け流した。
ここは学院の北側にある山だ。山というほど高くはないが、丘というほど低くもない。場所も校舎棟の裏辺りに位置するので、生徒達の間では裏山と呼ばれている。
北側なのでそれほど陽当たりも良くなく、野草や木材の研究の為にある山なので鬱蒼としている。校舎から遠いし薄暗いし、生徒は寄りつかない場所だ。だが山の頂上に誰が作ったのかベンチがあり、そこは陽当たりが抜群なのだ。
ランチをとる場所がなくて困っているアディリアに、この場所を教えてくれたのはエリオットだ。
学生時代に一時期薬草の研究にはまったエリオットが、山を散策している時に見つけたそうだ。それ以来、アディリアのランチといえば、決まってこの場所で一人を満喫している。
「令嬢がこんな寂しい場所に来て独りでランチとは、リアは本当に変わっているな」
アーロンのこの発言は、アディリアにとっては無神経極まりない。アディリアはため息をついて、「やむにやまれずよ」と口の中で呟いた。
昨日のことを腹に据えかねているアーロンは、この話をしたくてわざわざアディリアを捜していたのだ。
「どうしてサイラス公爵令嬢を許した? 俺とスタンは廊下から見ていたが、あの女の発言はリアを貶める酷いものだったぞ。徹底的に叩きのめすのが令嬢の戦いだろう? リアにはその権利があるはずだ」
(よく言うよ。自分が私に言った言葉を思い出せ!)
「アーロン様、貴方も私を散々貶めて、婚約破棄をしろと詰め寄っているけど? 大体、私に婚約破棄して欲しいのだから、エルシーナ様は貴方の味方よね? 怒ってないで大事にしなさいよ」
アディリアの呆れかえった態度を見て、さすがのアーロンも分が悪いと口ごもり、手に持ったサンドウィッチを頬張った。
ロイズデン王立学院は長い坂を登った小高い丘の上にある。だから裏山は一種の展望台だ。学院が王都の端にあるため、このベンチからは美しい王都の景色が一望できるのだ。
ここから眺める景色は全てがミニチュアのように見えて、小さなことで悩んでいる自分が馬鹿みたいに思える。それに今日みたいな澄み切った青空の日は、遠くまで見渡せて胸がスカッと晴れるのだ。
「エルシーナ様が言ったことは、この国の誰もが思っていることなんだよ」
アディリアは目を細めて遠くの景色を眺め、アーロンは食べる手を止めると黙ってアディリアを見た。
「私がここでランチをしているのは、誹謗中傷を避けるため」
毎日責め立てられていた当時を思い出すと、恐怖でまだ手が震える。中傷の数々、馬鹿にしきった蔑む視線。そのどれもが、まだ生々しくアディリアを傷つける。
「私、怖くて食堂には入れないの。中庭にもカフェテリアにも行けない……」
お昼の休みは長いし、教師もいない。本来なら別々の教室に別れているはずの生徒達も、群れて気が大きくなる。だからこそ昼の時間に一人でいるのは、アディリアにとっては死活問題なのだ。
「入学してすぐの頃に食堂へ行ったら、食堂のど真ん中で大勢の令嬢に取り囲まれて、一方的に責め立てられた。昨日のエルシーナ様なんて可愛いものだよ? 自分の至らない点を並べ立てられ、ルカ様には相応しくないと呪文のように唱えられる……。人は入れ替わるけど、毎日毎日同じことの繰り返し。誰も助けてくれないどころか、周りで見ている観客達は『当然だ』という顔で笑ってた……」
「ルカはそんなこと、言っていなかったぞ?」
「『自分が馬鹿なせいでいじめられています』なんて誰が言うの? ルカ様にそんなこと言えるわけがない。それに優しくて優秀で美しいルカ様の婚約者が、私みたいな馬鹿でちんちくりんなんだよ? 令嬢達が奪い取れると思うのも当然のことだよ」
ルカーシュが学院を卒業した後に、入れ違いでアディリアが入学した。
アディリアが学院に入学した時の上級生は、ルカーシュに見とれながら学院生活を送った人達だった。実物を見て過ごしてきた令嬢達のルカーシュに対する思い入れは強く、その分アディリアに対する嫌がらせは執拗で酷いものだった。
しかも首謀者達が高位貴族だったこともあり、誰も咎める者がいなかった。下手なことを言って、自分に矛先が向くことを誰もが恐れた。
「学院に着けば嫌がらせの連続で、『馬鹿にルカーシュ様は相応しくない』と繰り返される日々だった」
ルカーシュに相応しいように勉強やマナーを身に付ければよかったのかもしれない。でも、アディリアがどんなに頑張ったところで、たかが知れている。『努力してもこんなものか、全然及ばないな』とルカーシュにガッカリされるのが怖かった。
それに令嬢達は例えアディリアが優秀でも、言いがかりをつけてきただろう。ルカーシュの婚約者は、楽しいことだけではないのだ。
「『ルカ様は優秀な貴方達ではなく、馬鹿な私が好きなんだ!』と思わないとやっていけなかった。私を罵る優秀な人が手に入らないものを、馬鹿な私が手にしている。ざまぁみろと思って優越感に浸ってた」
暗く沈むアディリアの横顔を見て、アーロンは泣きそうな顔で「馬鹿だな」と言って奥歯を噛みしめた。
令嬢達と同じように婚約破棄を突きつけるアーロンが、自分に同情しているのが不思議てアディリアはクスリと笑った。
「そもそも、ルカ様の一番は私じゃなかったのにね……」
(あの恐ろしく辛い日々に耐えられたのは、ルカ様に愛されていると信じて疑わない馬鹿だったから。とんだ勘違いだったけど、馬鹿万歳だ)
「聞いているだろうけど、昨日ね、ルカ様に、二人のことを知っているって伝えた。そしたら、ルカ様ったら、アーロンとルカ様のためには、私がいないと困るって言うんだよ。二人のためにお飾りの妻が必要だって。もう笑うしかないよね」
なぜかアーロンは下唇を噛んで、苦しそうに青い顔をしてうつむいてしまった。
アディリアはわざと陽気な声を出し「嫌だな、ここはいつものアーロンらしく傲慢にするところでしょ」と言って、アーロンの背中を叩いた。
「お飾りの妻を覚悟してから、私は勉強もマナーも今までになく必死に取り組んでる。今の話で分かったと思うけど、私が馬鹿のままだと私を蹴落としてルカ様を狙う者が絶えない。もちろん結婚したって、それは変わらない。愛人になろうとルカ様の側を離れない人や家が後を絶たない。そういう人達は弱味を見つけたら何をしてくるか分からない。大きなスキャンダルを抱える二人にとって危険だと思う。アーロン様は嫌かもしれないけど、やっぱり私が一番お飾りの妻に相応しいと思うんだ。だから、婚約破棄は諦めてね」
決意を語るアディリアに見えないように、アーロンは小さくため息をついた。
(昨日の今日だから仕方ないのかもしれない……。でも、帰りたい。どうして連日こんな目に遭わないといけないの?)
帰り際にエルシーナに捕まったアディリアは、ため息を堪えて中庭のベンチに座っていた。
隣に座るエルシーナは、悔しそうに唇を突き出している。この様子では、普通に昨日の非礼を謝罪してくれる訳ではなさそうだ。
しかし、エルシーナは学習能力がないのか……。ここは中庭、またも注目の的だ。生徒達の好奇の視線に晒されて、アディリアの気力はどんどん奪われていく。
「……父が、フォワダム家もロレドスタ家も、普通じゃ考えられないくらい抗議の内容が甘かったと言っていて……。でもその割には、両家共に物凄い怒りの表情だったそうで……。あまりにも、態度と言葉が合っていないのは……。誰かが、わたくしを守ったのではないかと……」
気まずそうに自分の足元に視線を落としたエルシーナは、たどたどしくアディリアを呼びつけた理由を説明する。
要するに、エルシーナが社交界追放や修道院送りにならなかったのは、アディリアが口添えしたからお礼を言いに来たのだ。そんな雰囲気は一切ないが・・・・・。
「エルシーナ様を守った訳ではありません。今までだってエルシーナ様より陰険なことを山ほど言われています。エルシーナ様が罰せられるなら、他の方も同様にしなくてはなりません。でも、人数が多すぎて、わたくしの頭では把握できていないのです」
エルシーナに気を遣わせないために、アディリアは馬鹿っぽくアハハと淑女らしからぬ笑顔を見せた。エルシーナは困り顔で「わたくしは何も見えていなかったのね……」と呟いた。
「アディリア様は、そうやって卒業した方々やわたくしに心を配ってくれていたのね……。それに、今日のテスト結果だって……」
春休みの課題を確認するテストの結果が、今日貼り出されたのだ。上位十人しか発表されない紙に、アディリアの名前があった。なんと、八位だったのだ。
アディリアも驚いたが、春休みからエリオットの猛特訓を受けているのだ。ここまでとは思わなかったが、成績が上がるのは分かっていた。
一番驚いたのは教師だ。特別クラスを担当している教師は、アディリアを呼び出しておいて絶句だった。
「エルシーナ様の言う通りだと思ったのです。今までのわたくしではルカ様に相応しくありません。ルカ様の足を引っ張らないよう、努力をすることにしたのです。少し遅いですけどね」
「遅くなんてないわ! 昨日のアディリア様の振る舞いは素晴らしかった。二年生までの貴方とは全く違って、驚いてしまったわ。だから、引っ込みがつかなくなってしまって……」
うつむいたエルシーナは、ギュッと両手を握り体中に力を込めると、勇気を出して顔を上げた。
「……昨日は、ごめんなさい」
頭を下げるエルシーナの肩に手を置いたアディリアは、「頭を上げて下さい」と優しくお願いした。
「私もエルシーナ様がこんなにも素直な方だったなんて驚きです」
アディリアの素直な感想に照れたエルシーナは、「自分に非があるのですから、謝罪をして当然です!」と頬を赤らめて口を尖らせた。
「あの、でも、その、一応、確認したいのだけど……」
エルシーナが、またしどろもどろになってしまう。
「アディリア様は、アーロン殿下と仲が良いですけど……」
「仲が良いかは分かりませんが、ルカ様のお屋敷に住んでいますから、お隣さんです……」
自分達の関係を何と伝えればいいのか分からず、アディリアは言葉を濁した。
エルシーナはまた全身を強張らせて緊張しているようだが、うつむいたまま何も言わない。とっても何か言いたげなのに……。
「……。あの、わたくし、アーロン殿下の王子妃候補に名前があがっておりまして……」
「!……」
(駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ。アーロンは、駄目だ!
王族に嫁いで子の生めないお飾り妻なんて、地獄だ。駄目だよ、エルシーナ様。そこは足を踏み入れてはいけない底なし沼だ!)
「ルカーシュ様に憧れていたのですが、アディリア様がいらっしゃいますし諦めておりました。そのルカーシュ様の婚約者であるアディリア様が、アーロン様とも仲が良いので、わたくし、嫉妬してしまって……」
(えぇ? ルカ様が好きだったけど、アーロンも好きなの? 何それ? 二重苦……。二人の心は、私達がどんなにあがいても手に入らないんだよ。何て辛い道に片足突っ込んでんの? 絶対に、救わなくては! しかし、エルシーナってば、なんて面食いなの!)
「でも、昨日のわたくしのことを知ったら、幻滅されますよね……。ロレドスタ家にいらっしゃるのだから、ご存じかしら……」
(ごめん、ごめんね、エルシーナ様。アーロンに関わらないことが、貴方の幸せなの。今は辛いかもしれないけど、一時だから。今から受ける傷は痕も残らないかすり傷だけど、お飾りの妻は瀕死の重傷だから。許して!)
「言い辛いのですが、殿下は昨日のことを廊下から見ていたようです……」
エルシーナが両手で頬を覆い息をのんだ。
「辛いことをお伝えして、すみません。でも、こういうことは、正しく知っていた方が良いと思いますので……」
「アディリア様の言う通りです。正直に言って下さって、ありがとうございます。父からも、ロレドスタ家経由で伝わるだろうとは言われていたのです。全部自分で蒔いた種ですから……」
(あぁ、でも、私がアーロンと仲がよさそうだから嫉妬しちゃったなんて、可愛い話だよね。ちゃんと話してみたら、とってもいい子だもの。辛そうなエルシーナ様は可哀相で見るのが辛いけど、アーロンの嫁になったらもっと酷い地獄を見ることになるからね。ここは心を鬼にしないと)
「エルシーナ様は公爵家ですから、やっぱりそれ以上の家に嫁ぎたいのですか?」
「わたくしは、そのようなことは考えていません。貴族の娘ですから、親の決めた相手に嫁ぐことに不満はありません。ただ、サイラス家の家族よりも長い時間を共にするのですから、お互いに信頼し合える関係を作れるといいなとは思います。夢を見過ぎですが……」
(あぁぁぁぁ、駄目だ、アーロンじゃ駄目だ! 絶対に、駄目だ!)
「アディリア様が羨ましいです」
「えっ? わたくしが?」
「そんなに目を見開いて、声を裏返らせて驚くことですか? 貴族の娘が、相思相愛の相手に嫁げるなんて奇跡ですよ」
「……。あぁ、そう、ですよね……?」
「父が申しておりました。昨日、ルカーシュ様は一言も発しなかったけれど、終始射殺されるような視線を向けられたと。『いくらお前が横槍を入れようと、あれは無理だ』ときつく言われました。アディリア様は、本当に愛されているのですね、羨ましい」
「……ありが、とう、ございます……?」
(愛されているのは、アーロンだけどね……)
読んでいただき、ありがとうございました。
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