5.学友との諍い
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アディリアの学院生活は、アーロンによってぶち壊された。
「王都に美味しいチョコレートを出す店があると聞いたのだが、店の名前は分かるか?」
今日もいつものように、当然と言う顔でアディリアの隣に座るアーロン。もちろん、アディリアの返事もいつも通り冷たい。
「さぁ? わたくしには分かり兼ねます」
「何だ? リアはチョコレートが嫌いか?」
「アーロン様がチョコレート好きとは驚きました」
「俺ではない。ルカが毎日『疲れた。甘いものが食べたい』と言うのだ。以前にサフォーク国のチョコをレートやったら喜んでいたから、この国のチョコレートをプレゼントしてやろうと思ってな」
「……」
(呪われろ!)
勝手に隣に座ってはルカーシュとの幸せな小話を投下してくるアーロンに、アディリアは毎日イライラしっ放しだ。
いつの間にか『リア』と呼ばれていることに猛烈と抗議したが、「王族ではない気安い生活を送りたい」と堅苦しい王族生活について長々と語られた。長い話を聞くのが面倒で、なし崩し的にそのままになってしまった。おまけに『アーロン様』と呼ぶことも、なし崩し的に強要された。
(甘いものが食べたいか……。会えない時はお菓子を焼いてルカ様に差し入れしたな。もう遠い昔のように思えるよ……)
「次の休み当たり、ルカーシュと一緒に街に出て選ぶのもいいな。リアも連れて行ってやってもいいぞ」
「結構です!」
「いいのか? 俺が来てから、全然会えていないだろう? 以前は出仕前に顔を見せに行っていたそうだが、今は俺が寝かせないからな! 朝にリアと会う時間が作れないんだ。ルカも申し訳ないとは思っているんだぞ。でも、こればっかりは……」
アディリアは無言で席を立った。
新学期が始まって約一カ月、春休みの期間を合わせると約二カ月、ルカーシュとアディリアは顔さえ合わせていない。こんなことは初めてで、以前のアディリアなら発狂して職場に乗り込んでいるだろう。
しかし今は昔のように無邪気にじゃれついて他愛もない話ができる気がしない。会ったところで何の話をすればいいのか分からないし、自分に会うことでルカーシュに気まずい思いをさせるのも申し訳ない。
何よりアディリアは、ルカーシュに対して暴言を吐いてしまいそうな自分が怖かった。
それに、ルカーシュの日常は、アーロンによって事細かに情報を与えられている。出仕前に少しの間顔を合わせるより、よっぽどルカーシュの動向を把握できている。悔しいけど……。
アディリアは気が付いていなかった。
アディリアにとっては、本妻対 愛人の戦いを繰り広げていたに過ぎないが、それが周りからは仲睦まじく見えていることを……。
アディリアは思う。人間、ついていない時期ってあるんだと。
アディリアにとっては、ここ最近が正しくそうだ。これからの人生、これ以上のどん底がないことを祈る。
「ちょっと、聞いているのですか?」
遠い目になりため息をつきかけたアディリアを、怒りで顔を紅潮させた令嬢が怒鳴りつける。高い声がキンキンと頭の中に響き、くらくらしてしまう。
目の前に立つエルシーナ・サイラス公爵令嬢は、特別クラスの同級生だ。過去二年の間で挨拶以外の言葉を交わした記憶はない。
アディリアのことをよく思ってはいないが、今日のように責め立ててきたことはなかった。ましてやこんなに目立つ教室の中で、一方的に叱責するなんて……。誇り高い公爵家の人間としては有り得ないはずだ。
一体どういうつもりなのだろう? とアディリアだって裏を疑ってしまうほどの暴挙と言っても過言ではない。
最悪なことに教室のど真ん中で、アディリアとエルシーナは向かい合っている。クラスメイト達は興味津々で、一言も聞き漏らすものかと周りを取り囲んでいる状況だ。
久しぶりにアディリアが人前に晒されているのを見て、嬉々とした表情の令嬢も多い。この噂が広まるのは止められない。
「貴方はもっと自分を恥じるべきです。成績も悪く、マナーもなっていない貴方のような方が、家名だけで特別クラスにいることが間違いなのです! そんな貴方がルカーシュ様の婚約者だなんて、本当に嘆かわしい。愚かなまま努力もせずに、ルカーシュ様の妻の座を手にするなんて。貴方のような恥知らずは、ルカーシュ様の婚約者に相応しくない!」
いつもは公爵令嬢らしく落ち着いているエルシーナが、蜂蜜色の瞳を血走らせて怒鳴る姿は異様だ。自分の何がこんなにもエルシーナを激昂させてしまったのか分からない。進級してから、一言も話していないと思う。
エルシーナの言う通りアディリアは成績も悪くマナーもなっていない愚か者だが、それは今に始まったことではない。なぜ今更?
「貴方が無能なのは許せないけど、政略結婚なのだから仕方がないと我慢していました。ですが、何ですか? アーロン殿下にまで色目を使って……。知識や教養がないからって色仕掛けで迫るなんて! 貴方には貴族としての矜持はないの? 婚約者であるルカーシュ様が不憫だわ!」
(理由はアーロンか……。あの野郎、どこまでも私を追い詰めてくるな)
授業について行くのがやっとの学力で周りから馬鹿にされている上に、ルカーシュの婚約者として令嬢達から妬まれているアディリアには元々友達はいない。
新学期初日にやり合ってから、アーロンはやたらとアディリアに纏わりついている。やけに親し気に声をかけてきて、無視しているのに一人でルカーシュのことを話し続けるのだ。一言で言うと、嫌がらせだ。
そんなアーロンが引っ付いてくるお陰で余計に孤独になったアディリアは、常にアーロンと行動を共にしているような構図になってしまったのだ。
エルシーナはそれが気に入らないのだろうが、アディリアだって望んでアーロンと一緒にいる訳ではない。だが、それを分かってくれというのも無理な話だ。
「貴方がいくら愚かで馬鹿な女であっても婚約しているのだから仕方ないと、わたくしはルカーシュ様を諦めたのに……。貴方みたいなふしだらな女はルカーシュ様に相応しくないわ!」
(確かに私は自他ともに認める馬鹿だけど、こんな公衆の面前で正式な婚約者を貶めたら、サイラス公爵家に泥を塗ることになる。気づいて! エルシーナ様! 今一番愚か者なのは、エルシーナ様ですよ!)
「その件でしたら、外で話しませんか?」
「わたくしは貴方みたいにはしたない真似をしておりませんので、コソコソ外に行く必要はございません!」
そう言ってエルシーナは、廊下を指したアディリアの手を叩き落とした。
「貴方なんかよりよっぽど、わたくしや他のご令嬢の方がルカーシュ様に相応しいですわ! こんなにもみっともない真似をしてルカーシュ様の名誉に泥を塗ったのだから、自分から婚約解消を願い出るべきよ!」
エルシーナは癖のある少し暗めのブロンドを右手で後ろに払い、勝ち誇った顔で胸を張った。アーモンド形の蜂蜜色の瞳には自信がみなぎっている。
(エルシーナ様は女性にしては背が高くスレンダーな体型よ。私に比べれば男性らしいと言える。
でも、女なんだよね。残念ながら、男ではない。それではルカ様の気は引けないんだよ。アーロンには勝てないんだよ。
美人で優秀な公爵令嬢なんだから、お飾りの妻を目指したら駄目だって。ここは、何としても諦めてもらわないと! ルカ様に恋する仲間として、彼女には普通に幸せを掴んでもらいたい。ルカ様に惹かれる気持ちは分かるけど、深入りはご法度なんだよ!)
「そうですね。きっとわたくしよりもエルシーナ様の方が、ルカ様に相応しいのだと思います」
「そう思うなら、さっさと身を引きな……」
「ですが、エルシーナ様もご存じのように、わたくしも貴族の端くれです。政略結婚は貴族の義務です。相応しくないから婚約解消などと騒ぐことは許されません。今後はエルシーナ様や皆様に不快な思いをさせないよう、ルカーシュ様に相応しい(お飾りの)妻になれるよう努力いたします。己の未熟さを気づくために、わたくしにご指導いただきまして、本当にありがとうございました」
一気にそう言い終えたアディリアは、『気が付いて!』と願いを込めてゆっくりと頭を下げる。
エルシーナの行動は、令嬢同士の嫉妬で済まされる範疇を超えていた。もみ消すにも観客が多すぎる。
興奮していたエルシーナもそのことに気が付いたのか「分かれば良いわ」と言うと、誰とも目を合わせず教室を出て行った。
(対アーロンで用意していた婚約破棄阻止のコメントがこんな所で役に立つとは……。姉様の言う通り『備えあれば憂いなし』でした。
エルシーナもルカ様が本当に好きなんだろうけど、彼女の健全な未来のために絶対に諦めさせなくては! でもねぇ、ルカ様に優しい言葉をかけられたら、大抵の女性は惚れてしまうってことが、本人は分かっていないんだろうな。私が女の子に親切にして恋心を抱かれるなんて微塵も思わないのと同じ心理ってことよね? 罪深いわ、ルカ様……。)
「リアもなかなか大変だな」
これまた罪深い男の登場だ。
「アーロン様が側にいると勘違いされるので、離れて下さい。今まで見ていたなら、分かりますよね?」
「八つ当たりか? 愛情不足の女は怖いな。いつもそんなに眉間の皺を刻んでいたら、そのまま皺になるぞ」
「アーロン様が現れるまでは、いつも笑顔で心穏やかに過ごしておりました」
「あぁ、ルカから聞いてる。自分では何も考える気がない能天気馬鹿だろ?」
(自分では何も考える気がない能天気馬鹿? そんな風に思われていたんだ。気づかなかったな……。
私が何をしても「可愛い」とルカ様が褒めてくれるから、そんな風に思われているとは考えもしなかった。
でも、まぁ、本当に私が可愛くて甘やかしていたんじゃないものね。罪悪感からだもの。そりゃ、馬鹿は馬鹿にしか見えないはずだ……)
血の気の引いた顔で「ははは、その通りですね……」と、アディリアは自嘲気味に笑った。
アーロンはハッとした顔をするが、時すでに遅しだ。傷ついたアディリアは悲しそうな愛想笑いを浮かべている。
さすがにアーロンもまずいと思ったのか、話題を変える。
「何故あの女を庇ったのだ? 公爵家の方が格上と言えど、あの女の態度は失礼極まりなかったぞ」
自分のことのように顔を顰めるアーロンに「お前が言うか?」と言ってやりたかったが、アディリアは言葉を飲み込んだ。アーロンは本当に自分のことは棚に上げがちだ。
「わたくしが馬鹿ではなく、もっと賢い淑女であったなら、彼女も婚約者の座を奪い取れるなんて愚かな考えは持たなかったはずです。今日のエルシーナ様の行動は、ルカ様の婚約者として努力を怠ったわたくしにも責任があります」
「……リアは、本当に馬鹿だな」
「アーロン様に『馬鹿』と言われると本当に腹が立つので、止めてもらえますか」
馬鹿にする時とは違い複雑な表情を見せたアーロンに対して、アディリアはピシャリと言ってやった。
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