4.愛人との諍い
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「……そういう訳で、知っての通りサフォーク国のアーロン・サフォーク第四王子殿下が本日から卒業までの一年間一緒に学ばれることになった……」
目の前で教師が言っていることが、アディリアには受け入れ難い。この事態にアディリアの頭は真っ白だ。
アーロンが留学してくることは、この前フェリーナに聞いて知っていた。知っていたのだから、考えるまでもなく、自分達がクラスメイトになると分かったはずだ。だが、アディリアはアーロンのことなんて、一秒も考えたくなかったのだ。
グレシア国で最も格式高く優秀な者が集まるのは、ここロイズデン王立学院だ。そして、ロイズデン王立学院には各学年に一つ、高位貴族や学業優秀者が集まる特別クラスがある。アディリアもこの特別クラスの生徒だ。もちろん、高位貴族として。成績で考えれば全く引っかかりもしない。
ならば、歳が同じアーロンと同じクラスになるのは必然。そのことを全く考慮しなかったアディリアは、今ピンチに陥っていた。
事もあろうに、アーロンはアディリアの隣の席に座っているのだ。
席は自由だ。だからといって、わざわざ恋人の婚約者の隣に座るのは、一体どんな意図があるのかと汗が止まらない。
ひんやりとした空気をまとったアーロンが、威圧感を発しながら立ち上がった。
「アーロン・サフォークです。学院内は身分の上下はないと聞いています。私も一生徒として学ぶつもりで来ているので、下手な気遣いをしないで接してもらえることを望みます」
笑顔もなく座ったアーロンに、教室中の令嬢達が見とれている。
(「駄目だよ、みんな。この人は、貴方達は恋愛対象じゃないの、目を覚まして!」そう叫びたい……)
「学院の案内を誰かに……」
そう言った教師は明らかに動揺している。きっと案内役は学園長か誰かの予定だったはずだ。
アーロンに遠回しに特別扱いするなと言われてしまえば、生徒の中から選ばざるを得ない。それだって誰でもいい訳ではない。成績優秀と言えど平民ではマナーが不安だ。かといって目をギラギラさせた令嬢達の中から誰かを選んだら暴動になりかねない。
教師が令息の中から無難そうな者を見繕っていると、アーロンが「隣の生徒で構わない」と言い出した。
アーロンの隣に座っているのは、残念ながらアディリアのみだ。
教養・マナー・一般常識の何を取っても誰より劣る、家名だけで特別クラスにいるアディリアだ。教師の顔色も曇るを通り越して、真っ黒だ。明らかに絶望している。
アディリアは「無理だ!」と目で訴え、教師も「分かっている」と目でサインを送り合う。二人の間では視線で会話が成立しているのに、アーロンはそれをものともしない。
さも当然だと言わんばかりに、アーロンは冷たく言い放つ。
「ここは特別クラス。二年も通っている自分の学院の説明をできない者などいないでしょう」
教師は叫びたかっただろう、「いるんだよ!」と……。しかし、言える訳もなく、肩を落とした。
「それでは、フォワダムさん。くれぐれも、くれぐれも、よろしくお願いしますね……」
さっきまでは味方だったはずの教師が力のない声を吐き出し、刺客のような厳しい視線をアディリアに向けた。
「ここが中庭です。先程ご案内した食堂やカフェテリアの他、この中庭で昼食を取る者も多いです。食堂やカフェテリアのメニューは朝に注文しておけば、ランチボックスにしてもらえますよ」
学院は広い。教室棟の他に、研究室などの入った施設棟、ダンスや音楽の音楽堂、夜会を開けるような広い舞踏会場、図書館、食堂やカフェなどが入るサロン、サロンとは別に独立したカフェテリアもあり、施設だけでも案内するのが大変だ。
今日が新学期初日で式典だけだったので、アディリアはさっさと案内を終わらせるため愛想笑いを貼り付け続けている。フェリーナに淑女教育を受けていたことが幸いして、大きなミスなく無難に案内を終えることができた。
(私に案内役を任せる不安で倒れそうな先生に渡された案内ルートのおかげで、ルートにも無駄がなかった。ありがとう、先生。私、やり切ったよ!)
「これで全ての案内が終わりましたので、わたくしはこれで失礼させていただきます。アーロン殿下の貴重なお時間を頂きまして、ありがとうございました」
フェリーナ仕込みの完璧な淑女の礼を見せて、さっさと帰るはずが、前に進まない。当然だ、アーロンがアディリアの右腕を握っているのだから。
「全てご案内致しましたが、他に何かございますか?」
「何かあるのはお前だろう?」
アーロンは冷たい青い目をアディリアに向ける。
「アーロン殿下、この構図はどう見ても誤解を招きますので、手を離していただけますか? 偶然にも帰り道が同じですから、お話は馬車でうかがいます」
アディリアの対応にアーロンは目を丸くして「聞いていた話と違うな」と呟き、手を離してくれた。
無言で馬車に乗り込んだ二人が向かい合って座ると、馬車は静かに動き出した。
アディリアは混乱していた。
アーロンが言っていた『何かあるのはお前だろう』の意味が分からないのだ。
(あの決定的な状況を見せつけられた私が、一体何を言えばいいの? それも第四王子相手に……。『この、泥棒猫!』とか? 言えるわけない……)
アディリアが頭を悩ませていると、向かいに座るアーロンが座席にもたれて長い足を組んだ。その状態でアディリアの遥か上から、冷たく見下ろしてくる。馬車から押し出されそうな圧迫感だ。
「婚約破棄をしないのか?」
「!……」
あまりにも馬鹿にしたアーロンの物言いに、縮こまり固まっていたアディリアの背中がスッと伸びる。
「アーロン殿下は、わたくしに婚約破棄をさせたいのですか?」
「その通りだ。ルカの両親には私が証言をして、お前の主張が通るように手を貸す。だからお前が責められることはない。安心しろ」
(え? なに? その感謝しろと言わんばかりの態度。馬鹿じゃないの?)
フェリーナ仕込みの淑女の笑顔を貼り付けるが、目が全く笑っていない。可愛らしいアディリアの怒りに満ちた笑顔は迫力満点だ。
「そのような身に余るお気遣いは不要です。婚約破棄は致しませんので」
眉間に皺を寄せ「理解できない」と言いたげな表情を向けるアーロンを、アディリアは渾身の力で睨みつけた。
「なぜだ? ルカから馬鹿だとは聞いていたが、あの状況を見ても俺とルカの関係が分からないのか?」
「馬鹿ですけど、お二人が恋人同士なのは分かりました」
「分かっているのに、どうして婚約破棄しない? 結婚さえすればルカが自分に戻ると思っているのか? 俺達にとって結婚は意味をなさない。立場上の義務だから、決められた相手と仮初めの結婚をするだけだ。ルカと俺は愛し合う道を選んだ。この先も絶対に関係を断つことはない。お前がルカに愛されることはないんだぞ」
(あの濃密な空気の中にいる二人を見たら、私がルカ様に愛される未来はないと分かる。でもさ、それを他人に、ましてや恋敵に言われるのは辛いし、腹が立つ!)
「そんなこと、分かっています!」
「分かっているなら、なぜ婚約破棄しない? ルカが言う以上の馬鹿か? 自分の将来を考えろ!」
「馬鹿でも分かります。私はルカ様から愛されない、お飾りの妻になるのでしょう!」
「分かっているじゃないか。俺達のために誰かが不幸になるのを、俺は望まない。お前だって、そんなものにはなりたくないだろう?」
アーロンの独りよがりで自分勝手な物言いに、アディリアの怒りは限界だ。
「ルカ様はロレドスタ侯爵家の嫡男です。私が婚約破棄をしたら、別の令嬢が『そんなもの』になるのです! 殿下が望まなくても、貴方達は必ず誰かを不幸にするのです! 私に自分以外の犠牲者を作れと仰るのですか!」
アーロンは右手で自分の口を押さえて「そうだな、お前の言う通りだ。俺達は離れられないのだから、犠牲が必要だ……」と声を絞り出した。
「だが、世の中には様々な理由で望んで犠牲になりたい者が存在する。金が欲しい者、地位が欲しい者、名声が欲しい者がな。俺は犠牲にするなら、そういうお互いの利害関係が一致した者の方が安心できる」
アディリアの怒りが限界を突破した。さっきとは比べ物にならない激しい怒りが大きな渦となって、アディリアの中を暴れ回る。
何もできないアディリアが人に誇れることと言えば、ルカーシュを想う心だ。ルカーシュの一番ではなくなっても、ルカーシュから愛されることがなくても、ルカーシュを想う気持ちだけは誰にも負けない。
アーロンの発言は、アディリアのその想いを貶めた。
アディリアのルカーシュへの想いは、利害関係に劣ると。褒美をもらえない無償の愛は信用に値しないから不要だと吐き捨てられたのだ。
抑えよう、抑えようと制服の白いスカートを握り締めるが、血管が浮き出してくるだけで怒りは抑えられない。我慢の限界も超えた……。
「馬鹿な私はペラペラ喋りそうで信用できないと?」
アディリアの声とは思えない、怒りに揺れる低い嘆きだ。
さすがのアーロンもアディリアの迸る怒りに気づき、焦った表情を見せるが、遅かった……。
「大好きなルカ様の名誉を傷つけるような真似を、私がする訳ないじゃない! 死んでも秘密を守るつもりで、お飾りの妻になると言っているのよ。私の覚悟を汲んで欲しいわ!」
静かに怒りを吐き出すアディリアに、アーロンは圧倒されて呆然と目を見開いている。小動物のようなアディリアが、怒りに任せて言い返してくるとは予想外だったのだろう。
怒り心頭のアディリアは付き合い切れないと、窓の外を眺めることに決めた。
「……悪かった」
謝罪を受けると思っていなかったアディリアは、目玉が転げ落ちてもおかしくないくらい目を見開いて、渋い顔をするアーロンを見た。
信じられないというアディリアの視線を浴びながら、アーロンは「アディリアを信じていない訳ではない」と言った。
「ルカはアディリアを妹のように思い、大事にしている。それだけにアディリアを犠牲にすることに、罪悪感を抱いてしまう。利害関係だけのお飾りの妻の方が、ルカは気が楽になれると思うんだ。あいつはあれで、優しい奴だからな。妹のようなアディリアの人生をふいにさせた上に、愛してあげられないとなれば、自分を責めて苦しむだろう?」
「……」
アディリアに返す言葉はなかった。自分がお飾りの妻になることを、ルカーシュがどう思うかなんて考えていなかった。自分がルカーシュの役に立つのだと躍起になっていたが、それは自己満足でしかないことを知った。
「確かに私が横で物欲しそうに見ている中で、いちゃいちゃするのは気まずいでしょうね」
「そう思うだろ?」
「それでも、お飾りでも、ルカ様の横に立つ権利を他の人に渡したくないです」
(ルカ様の婚約者になれて、天にも昇る気持ちだった。毎日幸せだった。でも、辛いことがなかった訳じゃない。罪悪感は私にだってある……。それでも、好きなんだよ。離れたくないんだよ!)
「そこまでしてルカを苦しめたいの? えっ、復讐? 怖い!」
「そんな、つもり、は……」
「そんなつもりないって言えるか? 『自分の人生を棒に振ってでも貴方を守るから側にいさせて!』なんて言う悲劇のヒロインぶった女に一生付きまとわれるんだぞ。復讐じゃなかったら何? ホラー?」
アーロンの言葉が胸に突き刺さったアディリアはガックリと肩を落とす。
「それに、俺はもっと良い嫁ぎ先を紹介できるよ」
「……殿下の思う良いって何ですか? 私はルカ様のことがずっと好きなのです。ルカ様以上はありません」
「お前が大好きなルカは、お前が側にいたんじゃ幸せになれないんだよ。いい加減に理解しろよ!」
「その言葉は、殿下にも言えることですよね? ルカ様と殿下がお互いに愛し合っていても、幸せにはなれませんよね? 殿下こそ身を引いたらどうですか?」
アーロンの動きがギクリと止まり、両手で顔を覆った。アディリアもさすがに言い過ぎたと思い、眉を寄せる。
「俺達の関係は、犠牲にするものも、犠牲になるものも多い。そんなこと今まで、何度も考えたに決まっている。でも、俺達は離れられないんだ」
苦しそうに声を絞り出すアーロンに、アディリアはもう何も言えなかった。アーロンも馬車がロレドスタ邸に着くまで何も言わなかった。気まずい沈黙だけが二人の間に漂っていた。
馬車を降りる直前に、アーロンはアディリアを振り返った。
「さっき言った嫁ぎ先だけど、俺の兄だ。サフォーク国第二王子、ロスリー・サフォーク。三つ年上で、自分のことはいつも後回しで、大事なものを人に譲ってしまう優しい人だ。兄がいなければサフォーク国は回らないと言われるほど優秀な人だ。もちろん見た目も申し分ない。考えてみて欲しい」
そう言ったアーロンは、アディリアの返事も聞かずに馬車を飛び降りた。
アーロンが玄関アプローチを歩いている途中で玄関の扉が開き、ルカーシュが飛び出してくるのが見えた。アーロンはルカーシュの腰に手を回すと、さっさと屋敷の中に入ってしまった。
ルカーシュに向かって手を振りかけた自分の右手が、急に滑稽なものに見えてしまう。
「アーロンの奴、イチャイチャしているところ見せつけないように、気を遣ってくれたのかな? ははははは、ルカ様、仕事で帰りが遅いから会いに行けないって嘘じゃん。家にいるんだ。手紙は嘘ばっかりだな……」
虚しい声がアディリアから漏れた。
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