3.最強のお飾りの妻になる努力
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「お嬢様、昨夜は寝付けませんでしたか?」
「えっ?」
「クマが酷いですし、お肌もカサカサですし、目も充血しています」
「それは、最悪のコンディションね……」
侍女のマリーが言う通りで、昨晩アディリアは眠れなかった。目を閉じると、昨日の光景が瞼の裏に蘇るからだ。枕に向かって声にならない声を叫び続け、気がつけば朝日が昇っていた。
「今日は特にご予定はありませんが、どうされますか?」
「朝食の前に、兄様の部屋に行くわ。お願いしたいことがあるの。朝食後は、姉様の所に向かうからよろしくね」
アディリアの言葉を受けたマリーは準備を始める。おそらくフェリーナの好きなお菓子の調達に向かってくれたはずだ。
アディリアは兄の部屋の扉をノックし、「アディリアです」と言って、もちろん返事を待った。さすがに学習した、勝手に扉を開けたりしない。
暫くすると兄であるエリオット自ら扉を開けて、「リアが私を訪ねてくるなんて珍しいな」と凛々しい笑顔を見せてくれた。
相変わらずエリオットの部屋は本と資料で溢れている。建国以来の秀才と呼ばれたエリオットは、本来であれば数学の研究者になりたかった。
しかし、そこは由緒あるフォワダム侯爵家の嫡男。夢は趣味にとどめ、後を継ぐべく財務大臣(父親)の補佐官をしている。
エリオットが『数学の謎』と呼ぶ何かを解くための走り書きを手に取ったが、アディリアにはさっぱりわからずメモを机に戻した。
「兄様にお願いがあります」
「俺に? 本当に珍しいな。お願いはルカーシュにしないと、機嫌を損ねるぞ?」
「お兄様が適任なの。私、今更だけど、勉強をしようと思うの」
「リアが勉強? 何の?」
「目標としては、ロイズデン王立学院を首席で卒業できる程度の学問を身に付け……」
話し途中のアディリアの目の前に、机の上に置かれていた本や書類が雪崩れてきた。アディリアの言葉に驚いたエリオットが、ジェンガのような塔にぶつかってしまったからだ。
エリオットは自分が雪崩を起こしたことには気づかずに、アディリアがおかしくなったのではと心配して顔を覗き込んでいる。当然の反応だろう。
アディリアの勉強と言えば、もっぱら試験の前の一夜漬けだ。それもルカーシュが素晴らしい予想問題を作り、つきっきりで教えてくれて平均ギリギリだ。
そんな『勉強なんて私には必要ないの!』と言い切ってきたアディリアが、事もあろうにフェリーナでさえ成し遂げられなかった首席卒業をすると言っているのだ。エリオットからすれば、アディリアのご乱心としか思えないほど、正気の沙汰ではない。
顔面を蒼白にしたエリオットが、アディリアの真意を測りかねているのも当然の反応だ。
「頭は狂ってません。私は真面目にお願いしているの」
アディリアはできる限りの真剣な表情を向けるが、今まで積み重ねてきた愚行のせいでエリオットからの信頼はすこぶる低い。
「兄様も知っての通り、馬鹿でマナーもなっていない私は、ロレドスタ侯爵夫人に相応しくない。このままいくと、病気療養と偽って領地に閉じ込められると思うの。でも、それでは余計に事態をこじらせ、ルカ様の足を引っ張るだけよね? 私なりに力をつけて、ロレドスタ侯爵夫人として恥ずかしくない振る舞いができるようになりたい。私が存在する意味を失いたくない!」
アディリアの力説に目を丸くしたエリオットは、深く息を吐き出した。
「遂にリアも、今までルカーシュにどんな仕打ちを受けてきたのか、知ってしまったのだな……」
急に疲れた顔を向けるエリオットに、アディリアは小さくうなずいた。
(兄様も知っていたのか……。教えて、はくれないか。昨日までの私は、ルカ様の婚約者として浮かれ切っていたものね。それに、夢を諦めた兄様が、私の夢を壊したりできないよね……。家の関係もあるし)
「知ったのに、婚約破棄をしないのか?」
「まだ、分からない……。正直に言って、今はまだ現実を受け止めきれてない……。なんだけど、知ってしまった今も、私は馬鹿だから、ルカ様を慕う気持ちは変わらないんだ」
「あれを知って、慕うって……。理解できない! 今までの分だって取り返しがつかないのに、これからもあいつに人生を支配されるということなんだぞ!」
きつい見た目に反して穏やかな性格のエリオットが、顔を歪めて声を荒げた。これが普通の反応だ。
「本当にまだ気持ちの整理がついていないのだけど、ルカ様の側を離れたくない。だって、こんな事情をフォローできるのは私しかいない。私が少しでも賢くなって、隙を与えなければ何とかなると思う。お願いします、兄様、必死に頑張るから私を助けて!」
「……リア、頭を上げなさい」
エリオットの手が肩に置かれた。アディリアは、祈る思いでゆっくりと顔を上げる。恐る恐る見たエリオットは、当然苦悶の表情だ。
「俺としては、今すぐにでも婚約を解消して欲しい。でも、リアの人生だから、リアの意見も尊重したい。あいつに嫁ぐのであれば、リアの言う通り『隙を見せない』ことが一番重要だ。だから俺の持つ力の全てを使って、勉強を教えよう」
アディリアは喜びのあまり「兄様、ありがとう」とエリオットめがけて飛び付いた。苦しそうに顔を歪めたエリオットは、一つ条件を出した。
「婚約解消も視野に入れるんだ。リアは猪突猛進で、周りが見えなくなる。ルカーシュを助けられるのは、本当にリアだけなのか? この状況にリアは耐えられるのか? リアが側にいることで、事態を悪化させないか? リアには厳しい話だが、もっとよく考えてみて欲しい」
エリオットの言う通りだ。納得したアディリアは静かにうなずいた。
(兄様の言う通りで、ルカ様の秘密を守りお飾りの妻になれるのは自分だけだと思うのは、言い訳なんだよね。本当は今まで通り側にいたいだけ。だけど、この『今まで通り』というのが、既に無理な話なんだよ……。
だって、私は知ってしまった。ルカ様が第四王子を愛していて、私を愛する日は永遠に訪れないことを。中途半端な妹として好きというポジションで、この先死ぬまで愛し合う二人を守っていけるのだろうか?
分からない。
でも私が立派な淑女になれば、ルカ様の目が私に向くかもしれない。
いや、ないな。向かない。私ってば夢見すぎ。
だって、第四王子と私はかけ離れている。
キリッとした切れ長の青い瞳が象徴となっている、芸術的に整ったクールな顔立ち。あの冷たい表情から、自分にだけ甘い表情になるのがきっとルカ様の心をくすぐるのよね。背の高いルカ様と変わらないか、もしかしたらもっと大きいかもしれない身長。ムキムキという訳ではないけど、程よく鍛えられた身体、割れた腹筋。
で、私は?
エメラルドグリーンの丸く垂れた大きい目に低くはない鼻に小さくふっくらした唇。明らかに美人よりは可愛い寄りだし、クールより癒しの成分が強い。いつも馬鹿みたいに笑っているから、見た目通りの可愛いだけの馬鹿でギャップはゼロ。ルカ様の頭一個分は小さい身体。出る所は出てるから胸は大きいけど、もちろん筋肉ではなく脂肪の塊。
正反対じゃん、私……。ルカ様の理想と、真逆じゃないか!
チーターとか獰猛な大型ネコ科動物を連想する人に対して、私は自衛もできない小動物ですよ……。比べちゃ駄目なやつだよ!
もう考えたくない。もう少し傷が癒えるまで今はまだ、蓋をさせていただきます!)
「で? 兄様との勉強ははかどっているの?」
隙のない賢い淑女になると決めたアディリアは、毎日のように姉の嫁ぎ先であるエミネス家に通いながら日々勉強とマナーの習得に明け暮れた。おかげで一カ月以上あった春休みも、もう終わろうとしている。
今日は珍しくフェリーナがフォワダム家に里帰りし、慣れ親しんだテラスで姉妹がお茶を飲んでいる。鮮やかに黄色い花を咲かせたミモザが満開で、緑と黄色のコントラストが二人のお気に入りなのだ。
「今までが今までだから……、覚えることが多くて大変。大変なんだけど驚いたことに、私は勉強が嫌いではなかったみたいで苦じゃなかった。むしろ、分からない問題が解けるようになるって、すごい爽快感があって病みつきになってる! 今までは苦手と思い込んでたんだね。苦手なことからは逃げる癖がついてて、気が付かなかった」
「……。それ、自慢できる話じゃないわよ」
「すみません……」
アディリアの発言に苦い顔を浮かべながらも、フェリーナはどこか嬉しそうだ。
「お茶のマナーは大分まともになってきたから、お茶会でも恥をかくことはないと思うわ」
喜んで満面の笑みを向けるアディリアに、フェリーナは容赦ない。
「こんなの学院に入る前にできていて当たり前なのよ?」
返す言葉のないアディリアは、ガックリと肩を落とす。上げたり下げたり落差が激しい。
「そういえば、ルカーシュとは会っているの?」
フェリーナの言葉に手が震え、紅茶がソーサーにはねてしまう。この一カ月、なるべくルカーシュのことは考えないようにしてきたのだ。
「ルカ様は仕事が忙しくて、春休みになってからは一度も会っていないの」
「そう、旦那様もルカーシュの仕事量は尋常じゃないと言っていたわ。サフォーク国の第四王子が一年間だけロイズデン王立学院に留学してくるそうよ。その準備でルカーシュは大忙しみたいね」
ルカーシュは本当に忙しかったのかと、アディリアはホッとしてしまう。
「しかも王子はルカーシュにベッタリで、住むのも王城ではなくロレドスタ家がいいと駄々を捏ねたって話よ。だから、ロレドスタ家も大騒ぎで準備中よ。リアもあの扉は、第四王子のいる一年間は封印しなさい」
「……はい」
(一年なんて言わず、一生封印します)
「何よ、暗いわね。ルカーシュと会えなくて寂しいってこと? 家が隣とはいえ、今までの会う頻度が異常だったのよ。学生同士ではなく、相手は働いているのだから、これくらい当然よ」
「うん、そうだよね。今までが恵まれすぎてた。ルカ様に会えなくて不貞腐れたりしないよ」
「そうなの? 珍しいわね……」
フェリーナはキョトンと驚いている。今までのアディリアとルカーシュは、例え短い時間であっても三日と開けずに顔を合わせていた。一カ月も顔さえ見れないとなれば、アディリアは天地を揺るがすほど大騒ぎしたはずだ。
(隣に王子がやってくる? 初耳だよ! 二人の愛の巣を毎日見て暮らせってこと? それだけで私はこんなにも動揺していますけど、結婚したら毎日こんな気持ちで暮らすのよね……)
「貴族の男性は、愛人を作る人が多いと聞きます。もしエミネス伯爵が外に恋人を作ったら、姉様はどう我慢する?」
「貴方……。可愛い顔して、とんでもないこと聞いてくるわね……」
音も無くカップをソーサーに置いたフェリーナは、「どうしますか? ではなく、どう我慢? 具体的ね」と呟いた。
「我慢しないわ。もちろん猛抗議よ。そして、その相手の女性と比べて、私に何が足りないのか聞き出すわ。二人の問題だから、私だって努力が必要だものね」
「なるほど。なら、その、相手が、あの……えっと……」
「何よ? もう十分失礼で聞きづらいこと言っているのだから、今更でしょう? はっきりしなさい!」
フェリーナの言葉に後押しされたアディリアは、真っ直ぐに姉の目を見つめた。
「はい! そのお相手が、男性だった場合はどうする?」
「……………………?」
絶句するフェリーナに気づかず、アディリアは真剣に質問を続ける。
「いくら相手の好みに自分を合わせようとしても、性別が違うと、どうにもならないことが多いよね?」
テーブルの上に身を乗り出してくるアディリアの頭を、フェリーナは扇子でパカンと叩いた。頭を押さえて「痛い!」と言いながら、アディリアは身を引いた。
「リア、貴方、一体どういう本を読んでいるのですか! すぐに捨てなさい! 今すぐに!」
本ではないのだが……と思ったが、アディリアは素直に「はい」と言って座り直した。一般的には浮気相手といえば、女性なのだから仕方がない。これが通常の反応なのだ。
「ねぇ、リア。急に今更淑女になるとか勉強を始めるとか、貴方どうしたの? 何かあったの? ルカーシュも心配しているわ」
「ルカ様が?」
「ええ、相変わらず馬鹿みたいにね。『リアからの手紙の文字が綺麗で、いつもみたいな勢いがない。綺麗に書こうとし過ぎているのではないか?』って旦那様(同僚)に言ってくるそうよ。いつもみたいに毎回手紙を返していないの?」
「いえ、毎回返してるんだけど。今までが一日三通とか四通とか書いていて、迷惑しかかけてなかったと気付いたから……」
「そんなに!」
目を見張ったフェリーナは「いや、でも、それくらいの方がルカーシュは嬉しいのよね」と小声で呟いた。
読んでいただき、ありがとうございました。
まだ続きますので、読んでいただければ嬉しいです。