13.最愛の妻を目指します!
読んでいただければ嬉しいです。
これで完結です。
うなだれるアディリアの前にルカーシュが駆け寄ってきた。「ごめん、リア。ごめん」と言うと、さっきと同じように両膝をつき、力を失ったアディリアの両手を握った。
「俺がリアにした仕打ちは、リアが俺無しでは生きていけないように甘やかしたことなんだ。リアの優秀さを知られたら、またロスリーが動くかもしれない。だから、勉強もマナーもほどほどになるよう誘導した。俺に頼るしかない環境を作り上げて、俺だけに依存させようとしたんだ!」
「それ、さっきも聞きました……。意味が分からない。何なの?」
(だって、勉強やマナーを放り投げたのは、私の意思だよ? 私が姉様と比較されるのが怖くて逃げたんだよ?)
五カ月にも渡ってアディリアを悩ませ続けたアーロンとルカーシュの関係は嘘だった。
ルカーシュはアディリアを自分に依存させようとしていたと言う。
アディリアの脳内は混乱どころか爆発寸前で、何を信じればいいのか何が起きているのか分からない。
この大騒ぎを気にすることなく眠ったフィラー(大物)を乳母に預けたフェリーナが、ルカーシュに「手を離せ」という視線を送る。ルカーシュが渋々手を離したのを見届けると、アディリアの気持ちを落ち着かせようと髪を優しく撫でる。
「器の小さいルカーシュのせいで、リアは何も知らずにいたのよね。混乱して当然よ。ちゃんと全部話すから、安心して」
大混乱の中にいるアディリアにとって、フェリーナは救世主だ。縋る思いで何度もうなずいた。
「リアはルカーシュの婚約者は私の予定だったと思っているけど、それは絶対にないわ!」
フェリーナがそう言うと、アディリアの視界の端でルカーシュが激しく同意している。
「ルカーシュは……、いや、あのロリコン野郎は、周りが引くぐらいアディリアが好きで、結婚相手はアディリアしか考えていなかったの」
「なっ! 俺だってあの頃は幼かった。純粋な初恋と呼んでくれ!」
ロリコン疑惑をきっぱり否定するルカーシュに、フェリーナは「あんたの初恋は、生まれたばかりのリアでしょ?」と衝撃の事実を告げる。
「……赤ちゃん、好き?」
アディリアの言葉にフィラーの乳母がびくりと反応して、ルカーシュの視界にフィラーが入らないよう背を向けた。
「断じて赤ちゃん全般ではない! リアだからだ、リアが可愛すぎたからだ! リアが生まれてきてからずっと、リアだけに恋している。今日より明日のリアをもっと好きになる。今まで毎日そうだから、間違いない!」
そう自信満々に語るルカーシュを、フェリーナは「引くわぁ」と冷めた目で見た。そしてリアへの想いを滔々と語り始めるルカーシュを慣れた様子で止めると、強引に元の話に引き戻してくれた。
「ルカーシュはすぐにでもリアとの婚約を望んだけど、お父様は小さい内から婚約者を決めてしまうことに抵抗があった。特に娘は嫁いだら、嫁ぎ先の家の中でしか生きられない。だから、嫁ぐまでは交友を広げて、広い世界を見て欲しいと思っていたのよね?」
フェリーナの言葉に、バーナードが微笑んでうなずく。
「フェリーナの言う通りだ。ルカーシュと婚約するにしても、リアが自分の決断に責任を持てる年齢になるまで許すつもりはなかった」
そう言ったバーナードは、自分を恥じるように顔を歪めた。
「だが、リアがロスリー殿下に見初められた。私は焦ったよ。先代のロレドスタ侯爵が王家に嫁がせた娘に会えず、悲しんでいる姿を見てきたからね……」
確かに王族に嫁ぐとなれば、里帰りなどできない。ましてや王妃だ。二度と家に帰れないと分かって送り出したはずだ。それでも、いくら覚悟を持って送り出したのであっても、自分の娘に会えないのは辛いことだ。
「そんな時にリアが、『ルカ様の婚約者になりたい』と言ってきた」
アディリアがこの世で一番大事なものを欲した言葉だ。そして同時にアディリアを苦しませる言葉にもなった。
「フェリーナと自分を比べては、リアはいつも自信なさそうに遠慮していた。そんなリアが、初めて自分から望んだ。リアをサフォーク国に嫁がせたくなかった私は、喜んで婚約を結ばせたよ。『これはリアが自分で望んだこと』だと自分の免罪符にしてね……。ルカーシュの言葉に惑わされたのではない。私がリアを側に置きたかったのだ」
アディリアはルカーシュが好きで、側にいたくて、誰にも奪われたくなくて、婚約者になることを望んだ。だから、自分の父親の罪悪感に満ちた顔を見るまで、気が付かなかった。その願いの裏で、バーナードやルカーシュやロスリーが苦しんでいたとは思ってもいなかった。
「ルカーシュは、自分にリアを依存させるために甘やかしたと言うけど。それは結果論だ。最初はアディリアの選択肢を奪ってしまった罪悪感から逃れたくて、必要以上に大事にしてしまったんだと思う。私と妻がそうだったから分かる」
そう言われたルカーシュは、その言葉を認めるように目を見開いて言葉に詰まる。
「……確かに最初は王子妃になる未来を奪ったことに罪悪感があった。でも、すぐに自分のエゴに切り替わった。リアが優秀だと知られて他の奴等の目に留まるのが許せない。優秀なリアが外の世界に目を向けることが怖い。だから、リアの可能性を奪い続けた。マナーも勉強も何もできなくして、俺だけを頼って欲しかった。ずっと俺の腕の中で俺だけを見ていて欲しかった。俺がリアを独り占めにするためにしたことだ」
「そんなことしなくても、元々私はルカ様しか見えていないのに……そんな無意味なことをして傷ついていたのなら、教えてくれれば良かったのに」
そう言って不貞腐れるアディリアにルカーシュは困った顔を向けた。
「エリオットにリアは俺がしたことに気づいたと言われた時に、自分の気持ちを伝えて受け入れてもらえたと思ったんだ……」
「えっ? あの時……?」
――『お願いだ、リア、俺を軽蔑しないで。俺を嫌いにならないで。確かに自分勝手な行動だったと思う。俺のせいでリアが周りからどう見られるかなんて考えず、自分の幸せしか考えていなかった。でも、それでも、これから先もずっと、俺の隣にはリアがいてくれないと困るんだ! お願いだよ、リア、今まで通り側にいて!』――
(これは、アーロンとの幸せしか考えてなかったのを許せって話じゃないのよね。ルカ様が私を依存させようとして、私を甘やかしたことを言っているのよね……)
――『ですが、ルカーシュ様の……、その人を愛する気持ちが本物だということは、良く存じ上げております。これからは、二人の愛を守れるよう、わたくしもその一翼を担えるよう努力いたします……』――
(じゃあ、これは……? 『ルカ様が私を愛しているのは知っている。二人で愛を育みましょう』的なことを……、そんなとんでもないことを言ったと思われてたの? 痛い、私が痛い、痛すぎる。過去を消したい!)
「見事に、すれ違っていましたね……」
「……そう、みたいだね……」
気まずい顔で向き合った二人は、正反対ともいえる行き違いに思わず笑いだしてしまう。
この五カ月間、真っ直ぐに見れなかったルカーシュの目を素直に見つめることができる。凍てついていたアディリアの心が、じんわりと温まる。
だが、アディリアはこれで終わりというわけにはいかない。巻き込んでしまった人がいる。きちんと決着をつけなくてはならない。
アディリアはロスリーに視線を合わせる。
「ロスリー殿下、八年前に『そんなに何でも譲っていたら、欲しいものは一つも手に入らない』と言ったのは、殿下に言ったのではなく、私自身に言いました。あの頃の私は、ルカ様の婚約者は優秀な姉がなるものだと思い込んでいました。何をしても姉には敵わない私にとって、ルカ様は手の届かない存在だった。もう自分の想いは諦めるしかないんだと自棄になっていた……。だから、あの時、諦めた顔をした殿下を見て、まるで鏡に映る自分を見ているようで苛々したのです。それで、つい暴言を吐きました。私の勝手で振り回してしまって、申し訳ございません」
頭を下げるアディリアに、ロスリーは静かに首を振る。
「……謝らなくていい。前も言ったけど、俺はリアの言葉で救われた。リアにとっては暴言でも、俺にとっては救いの言葉だ。それは永遠に変わらない。それよりも、アーロンの暴走で、リアに辛い思いをさせた。その上、私までリアの辛さに付け入ろうとした。本当に申し訳ない」
ロスリーに非はない。アディリアがアーロンの策略にはまってしまっただけだ。被害者と言えるロスリーに頭を下げられ、アディリアの顔が青くなる。
「ロスリー殿下は全く悪くありません。悪いのは……」
アディリアは持てる恨みの念を全て込めた視線をアーロンに送る。
視線を受けたアーロンは首をすくめ、視線を逸らす。
それを見たロスリーはクスリと苦笑すると、「そうだな、全てアーロンが悪い。二度とこんな真似をしないよう、私が責任をもって反省させる」と言って、アーロンのすくめたはずの首根っこを掴んだ。
「この度は愚弟が、両家には弁解の余地もないほど迷惑をかけた。愚弟に代わって、私からお詫びする。フォワダム侯爵、アディリアへの婚約の申し込みは取り下げる。混乱させて申し訳なかった」
「いいえ、私共こそ、ロスリー殿下には不快な思いをさせて申し訳ございません。今後の流れを詰めたいと思いますので、サロンでお茶でもいかがですか?」
「いただこう」
皆がゾロゾロ屋敷に向けて歩き出した。
ロスリーに掴まれたままのアーロンが「助けて」というような悲壮な顔を向けてきたが、アディリアは笑顔で手をひらひらと振ってやった。コッテリ絞られるがいい。
フェリーナは席を立つ前に「ちゃんと話し合いなさい」と言って、チラリとルカーシュを見た。
二人だけが残された庭は、さっきまでの騒ぎが嘘のように静かだ。
揉めている間に日差しが強くなっていて、ルカーシュが立っている場所は直射日光が照りつけている。日陰のテーブル席に座っているアディリアは、さっきまでフェリーナが座っていた椅子に座らないかと勧めた。
「俺もリアにちゃんと謝罪したい。アーロンが来てから、リアの様子がおかしいのは気が付いていたんだ。それなのに忙しさと、リアと親しげなアーロンに嫉妬して、確認しなかった。本当に申し訳ない」
アディリアの目の前に立ったルカーシュが深々と頭を下げる。
「頭を上げて下さい、ルカ様。ルカ様は悪くないのです。座って話をしませんか?」
アディリアに笑顔を向けられたルカーシュは、ホッとした顔で椅子に座った。
「リアの笑顔が俺に向けられることは、もうないのかと思ってた……」
「私も同じようなことを思っていました……」
何となく探り合いで始まった話し合いは、二人の目が合うなり笑い出してしまったことで、いつも通りの二人に戻っていた。
「アーロンと恋人同士と思われていたとは思いもしなかったよ」
「それは! でも、あの濃密な甘い雰囲気の中、裸の二人がベッドの上で抱き合っていたのです。誰が見ても勘違いするほど、絵になっていました! それも、アーロンの腰に手を回してしがみ付いていたのは、ルカ様でしたからね!」
「えぇー、気持ち悪い。あのベッド、捨てた方がいいな。すぐ捨てよう!」
「そんな、もったいない」
「じゃあ、リアは、あのベッドで寝られる?」
「絶対に嫌です!」
「早っ! すぐ捨てる。すぐ新しいのに変えるから、今度はリアに抱きつくよ」
「……そういう話ではないのですが……」
揶揄われているのだと分かっていても、恥ずかしくて顔が真っ赤になってしまう。そんなアディリアを、ルカーシュは愛おしそうに見つめる。
「俺は最初からリアと結婚することしか考えていなかったよ。もし、もし仮に、リアと結婚できないのだったら、俺は誰とも結婚しない。リアが好きで、リアを手に入れるためなら何でもした。ロスリーの恋心だって、リアを手に入れるために利用した。卑怯なことをしたと思うけど、後悔はしてない。でも、そのせいでリアを巻き込んで傷つけたのは申し訳ないと思っている」
堂々と想いを伝えていたルカーシュが、最期だけ苦しそうに顔を歪めシュンとしてしまった。
「私は、今回のことは、悪いことだけではなかったと思っています」
(かといって、アーロンに感謝したりしませんけどね! 怒ってますけどね!)
「私もルカ様に罪悪感を抱いていました。姉様に敵うことは何一つないのに、ルカ様の婚約者を望んだからです。本来であれば、ルカ様の隣には完璧な淑女である姉様がいたはずです。でも、実際は馬鹿で足を引っ張るだけの私……。ルカ様に相応しく努力しようと思いました。でも、どんなに頑張っても、きっと姉様には敵わない。そんな無様な姿をルカ様に見られたくなかったし、自分でも見たくなかった」
ルカーシュの婚約者になってから、アディリアはずっと周囲の令嬢達に妬まれてきた。彼女達の言葉の数々は剣となり弓となり、アディリアの心に傷を残した。その心の傷が呪いとなり、アディリアの中でずくずくと膿んでいった。
そのせいでアディリアは、必要以上に自分を卑下したり、ルカーシュとの関係を不安に思う傾向が強い。
「今回のことでルカ様も私も、二人の婚約に関して罪悪感を持ってたと知れました。ルカ様の本心が聞けて、嬉しかったです。それに知れたからこそ、ルカ様の持つ罪悪感は違うと否定できます。ルカ様のことが大好きで、婚約を望んだのは私です。王子妃に憧れなんてないです。今も昔も私が望むのは、ずっとルカ様と一緒にいることです。それに、甘やかされたと思っていません。私が甘えていたのです」
ずっとルカーシュの妻に憧れていたのだ、王子妃には一度たりとも憧れたことがない。
「俺もリアの罪悪感を否定するよ。リアが俺の婚約者を望んでくれて、一番幸せなのは俺だから。でも、今までは努力するのが怖かったのに、今回は勉強もマナーを頑張ったよね?」
「お飾りの妻に、完璧な姉様は相応しくありません。何もできない私だからこそ選ばれたのだと思ったら、肩の力が抜けました。誰に押し付けられるわけでもなく、ルカ様の幸せを守るために頑張ればいいと思ったら、自然とやる気も湧きました」
フェリーナや他の令嬢達より自分がルカーシュの婚約者に相応しいことを証明する。そのために努力するのであれば、力が及ばなかった場合は自分が身を引かないといけないと思うほどに、アディリアは追い詰められていた。
今回は、ただ純粋にルカーシュのためだけに頑張れば良かった。競う相手もいないし、自分が頑張った分だけルカーシュの幸せが守られる。アディリアにとっては、頑張る理由が重要だったのだ。
ルカーシュは感嘆のため息を漏らす。
「リアを依存させたかったのは、俺にリアを繋ぎ止める自信がないからなんだ。リアが今まで以上に素敵な女性になってしまうと、俺は心配で仕方がないよ」
「心配無用です。私はルカ様しか目に入りませんから」
アディリアが自分の瞳を指差して断言すると、ルカーシュは力が抜けて笑い出した。
ルカーシュとしては、アディリアが他の男の視界に入るのも許せない。
でも、アディリアは自分が愛されないと思っても、ルカーシュの幸せのために自分の殻を破ってくれた。愛されないのに、隣にいたいと望んでくれた。ならば自分も自信がないなどと言っていないで、もっとアディリアを信頼して大事にしたい。アディリアの笑顔を、幸せを、ルカーシュだって守りたい。
でも、すれ違いは怖いので、卒業と同時にさっさと結婚しようと心に決めていた。
「俺の婚約者はリアだよ。世間が何を言っても、相応しいのはリアだけ。俺からの条件を出していいなら、一つだけ。『ずっと俺を好きでいてくれること』難しい?」
「息をするより簡単です!」
真顔で即答するアディリアに、ルカーシュの目元も緩くなる。
「リア、愛しているよ。俺を選んでくれる?」
「もちろんです! 私も、ルカ様を……愛しています」
『お飾りの妻』から『未来の愛妻』に昇格したアディリアは、目標通りに学院を首席で卒業した。首席の座よりも何より、アーロンの悔しがる姿を見れたことがアディリアの心を晴れやかにした。
アディリアがルカーシュに相応しくないと言う者は、もう誰もいない。
二人は仲睦まじく、それは周りが見ていられないほどだ。アディリアの予定通り、誰にも入り込む隙を与えない幸せな夫婦になった。
ただ、予定と違ったのは、それが見せかけではなく、真実だということだ。
「リア、どうしたの?」
「あぁ、そうですね。少しぼんやりしてしまいました」
ルカーシュは青い瞳の男の子を肩から降ろすと、フワフワしたオレンジ色の髪を撫でる。
「父様は母様とお話があるから、ロイはお祖父様とお祖母様と一緒に遊んでて」
「わかった! まってるから、すぐにきてね」
ロイはそう言って、アディリアの大きくなったお腹を優しく撫でる。安心したようにニッコリ微笑んで薔薇園へ駆け出して行った。
今年もロレドスタ家の薔薇園は満開で、フォワダム家も交えてお茶会中だ。
アディリアの隣に座ったルカーシュも、大きくなった妻のお腹を愛おしそうに撫でる。
「側に来る度にルカが私のお腹を撫でるから、ロイも真似してお腹を撫でるの」
アディリアが華やかな笑顔を向けると、ルカーシュが眩しそうに微笑む。
「昔を思い出してた?」
「ルカは私のことは何でもお見通しですね。お飾りの妻になり損ねたと思ってました」
アディリアが悪戯っぽく微笑むと、ルカーシュは可笑しそうに笑う。
「それは、残念だったね。リアは俺の最愛の妻以外にはなれないからね」
かつてアディリアがぼんやり思い描いていた幸せな風景が目の前に広がっている。隣では、最愛の旦那様が微笑んでくれている。
「ルカ、私、幸せです」
ルカーシュはアディリアを抱き寄せると、「俺も幸せ。リア、俺を選んでくれて、ありがとう」と囁いた。
初夏の爽やかな風がテラスを吹き抜け、薔薇の甘い香りを運んでくる。薔薇園からロイが大きく手を振っているのが見える。
手を振り返したルカーシュが、「行こうか?」とアディリアの手を取る。
この先もずっとルカーシュと共に薔薇を愛でる幸せを感じながら、アディリアは最愛の旦那様の手を取った。
おわり
読んでいただきありがとうございました。
完結しました。
お付き合いいただき、ありがとうございました。