10.サイラス家のお茶会②
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ガゼボに着き、隣同士でベンチに座ったロスリーに「一つずつ確認したいんだけど、いいかな?」と聞かれたアディアはこくりとうなずいた。
「アーロンはエルシーナ嬢を不幸にするって、どういうこと?」
(今更何を寝ぼけたこと言っているのだろうか! 王族としては機密情報だろうけど、私はガッツリ当事者なんだから、この期に及んで取り繕われても困る)
アディリアは愛くるしい顔を渋面で満たして、ロスリーに訴える。
「ご存じの通りです。アーロン殿下には愛する方がいらっしゃいます。結婚してもその方と別れる気はなく、その方が最愛なのだと、アーロン殿下ご本人からお聞きしています」
ロスリーは目を見開いて「嘘だろ?」と、声とも息とも言えない音を出す。
「別れると聞いていたし、人の道に反している。王族としての務めを軽く考えすぎだ……」
ロスリーは二人が別れたと信じ、王族として貴族として役目をまっとうすると思っていたのだろう。ロスリーのこの反応に、アディリアはホッとした。『この人なら、きっと分かってくれる』と思い、俄然やる気も増す。
家族達は二人の仲を黙認して、アディリアで体裁を整えようとしていた。アディリアも婚約者は自分で望んだことだし、ルカーシュの隣にいられるならそれで構わないと思っていた。二人のあんな姿を目の当たりにして、自分が入り込む余地がないと思い知ったから……。
でも、二人を非難したい気持ちは、ずっとアディリアの心の中に燻ぶっていた。
ロスリーはアディリアのその気持ちに、触れてくれた。
「アーロン殿下にも、もちろんお相手にも、別れる気はありません。アーロン殿下は、お相手を一番大事に考えておりますので、利害関係だけのお飾りの妻を望まれています」
「……信じられない……。あいつは要領の良い奴だったはずなのに……。あっ、アディリアの話を疑っている訳ではない。ただ、驚いてしまって……」
「ロスリー殿下のお気持ちは分かります。わたくしも二人の関係を目の当たりにしなければ、受け入れられなかったと思います」
アディリアの言葉にロスリーは息をのみ、手で口元を覆った。浮気自体が有り得ないが、婚約者に浮気現場を見られるなどあってはならないことだ。
「……見たのか?」
「はい、この目で、裸で抱き合う二人を見ました……」
「だから、グレシア国に留学したがったのか……。留学を許すのではなかった。ルカーシュには何度も頼んだのに! 私の落ち度だ……」
悔しそうに下唇を噛むロスリーの顔は青白い。
「この件は、しっかりアーロンと話し合う。少し時間をくれるか?」
ロスリーは王族だ、無理矢理にでもアーロンとエルシーナを結婚させようとするだろう。別れる別れないで揉めてグズグズしていたら、手遅れになってしまう。
「ありがとうございます。ですが、わたくしは愛し合う二人を引き裂きたい訳ではありません。エルシーナ様が傷つく前に助けたいだけなのです」
「二人が別れれば、アーロンとエルシーナ嬢が結婚しても問題ないのでは?」
(私だって二人と話し合った。でも二人に別れる気は、一切ないんだよ……)
「ご存知の通りアーロン殿下達の愛は、倫理に反します。でも、それさえも乗り越えて結ばれた二人だからこそ、離れることは難しいかと……。エルシーナ様は愛情深い方ですので、アーロン殿下が望む利害関係だけの妻には当てはまりません。私はエルシーナ様には幸せになって欲しいのです。どうか、二人の縁談は白紙に……」
人差し指と中指で眉間を押さえたロスリーは、動揺を吐き出すように深くため息をついた。
「……分かった。だが、やはり、アーロンとも話し合わなくてはいけないし、少し時間が欲しい。エルシーナ嬢の悪いようにはしないと、約束する」
「わたくしは、ロスリー殿下を信じます。よろしくお願いします」
ロスリーとは出会って間もないが、真面目で誠実な人物だと確信できる。アーロンとルカーシュの関係という信じられない話も受け止めて、正しく対応してくれている。信頼できる人だ。
困惑顔から不安げな表情になったロスリーは、アディリアと向き合うように身体を斜めにしてベンチに座り直した。
心から心配そうに揺れるブルーグレーの瞳が、アディリアを捉える。
「アディリアは、辛いのか? ルカーシュのせいか?」
自分のことを気にかけてくれる人がいるとは思っていなかったので、アディリアは驚いてしまった。
当たり前のことを聞かれただけなのに、凍てつかせることで守ってきたアディリアの本音が解かされてしまう。ポロポロポロポロ涙が止まらなくなって、アディリア本人もロスリーも驚いた顔でお互いを見つめ合った。
アーロンとルカーシュの関係を知っている人に、自分の気持ちを聞いて欲しいと思っていた。しかし、二国を揺るがすトップシークレットだ、知っているのは家族だけ。家族に話して余計な心配をかけたり、ロレドスタ家との関係を悪くする態度は取れないので我慢するしかなかった。
アディリアはずっと、本心を押さえつけてきた。辛いと話しても良い相手がいるのだと分かり、様々な思いが溢れ出てしまうのは仕方のない話だ。
泣きじゃくり続けて、自分のハンカチでは足りなくなったアディリアに、ロスリーは自分のハンカチを貸してくれた。
黙ってハンカチを借りたアディリアは、驚いてロスリーを見上げる。
「ハンカチで気が付いた? 俺とアディリアは初対面ではないんだよ?」
ロスリーがはにかみながら、驚きの事実を告げる。
(明らかに子供が刺したヨレヨレの刺繍がされたハンカチ。ロレドスタ家の家紋を刺繍したんだけど、フェリーナの刺繍とは天と地の差があって、自分の未熟さが恥ずかしくてルカーシュに渡せなかったハンカチだ。
ロスリーと会ったのはいつだ? ハンカチに刺したへったくそな刺繍の様子からして、十歳前後に出会っているのは分かるけど……)
「指に薔薇の棘が刺さった俺にハンカチを渡して、アディリアはこう言ったんだ。『そんなに何でも譲っていたら、欲しいものは一つも手に入らない!』と」
その言葉でロレドスタ家の薔薇園と、ハンカチと、今より幼いのロスリーが、アディリアの頭の中に浮かび上がる。
八年前に第二王子と第三王子と第四王子がロレドスタ家に遊びに来ていた。そこにフォワダム家の三人も招かれて、総勢七名で庭で遊んでいた。その日は、ロスリーの十三歳を祝う誕生会でもあった。本来であれば二週間後だけれど、三日後にはサフォーク国に帰るから先にお祝いをしたのだ。
豪華な誕生ケーキには、素朴なクッキープレートがのっていた。ケーキは豪華なのに、プレートは随分と地味だなとアディリアは思った。だが、それはサフォーク国の王妃がロスリーのために焼いたクッキーだった。
ロレドスタ夫人にそう教えらえたロスリーは嬉しそうに、クッキーを手に取ろうとした。しかし、そのクッキーは、『母上が焼いたクッキー』が欲しいと騒ぐ第三王子と第四王子が横から掻っ攫った。
第三第四の二人が大喧嘩で取り合ったクッキーは、すでに半分の大きさになっていた。それでも第二王子は『母上が焼いたクッキー』が欲しくて、物欲しそうに見つめていた。
だが大事なクッキーは、癇癪を起した第四王子によって絡まり合う蔓薔薇の中に投げ入れられた。
慌てて取りに行ったロスリーが、奥に入ってしまったクッキーを取る際に棘で指を傷つけてしまった。たまたま蔓薔薇の側にいたアディリアが、出来損ない刺繍付きのハンカチを渡したという訳だ。
アディリアが『そんなに何でも譲っていたら、欲しいものは一つも手に入らない』と言ったのには、理由がある。
自分が欲しい物を弟達が取り合っているのに、何もせずに見守るしかできない姿が、自分と重なったからだ。
当時のアディリアは両親から甘やかされていなかったし、ルカーシュの婚約者でもなかった。兄と姉と平等に扱われており、優秀で両親から褒められる兄と姉に比べて何もできない自分に劣等感を抱いていた。
その頃にはとっくにルカーシュのことが大好きだったが、誰がどう見てもルカーシュの婚約者は優秀なフェリーナだと周囲もアディリアも思っていた。
アディリアにとっては、両親の関心も、ルカーシュも手にできない、不甲斐無い自分にイライラする毎日だった。
そんな苦しい時期だったからこそ、自分と同じ諦めた目をしたロスリーに、偉そうなことを言ってしまったのだ。言ってしまった後で、自分みたいな者が何を言っているのだ? という恥ずかしさから記憶から消し去った。いくら十歳の子供と言えど、第二王子相手に限度を超えている。間違いなく黒歴史だ……。
思い出した過去が酷すぎる……。
アディリアは血の気が引きすぎて、指先が痺れるほどだ。冷汗だけが背中を伝い、あまりの冷たさにビクリと震える。
「……。その頃の私は心が荒んでいて……、偉そうなことを言って申し訳ありませんでした。できれば、忘れて頂きたいです」
アディリアの謝罪に、ロスリーは「信じられない」と言わんばかりに目を丸くする。
「どうして? 俺はアディリアの言葉のおかげで目が覚めたんだ。絶対に忘れたりできない大切な言葉だ」
「いや、馬鹿な子供の戯言ですから、殿下のような立派な方に大切にしていただく必要はないかと……」
何としても忘れて欲しい。もしうっかり誰かの耳にでも入ったら、恥ずかしくて外を歩けないレベルだ。苦悶の表情のアディリアに対し、ロスリーはスッキリ晴れやかな顔をしている。
「俺には四つ年上の兄がいる。兄の母は兄の出産時に亡くなったから、俺達三人と兄では母親が違う。爵位の低い兄の母の家と比べてロレドスタ家は、サフォーク国にもグレシア国にも影響力のある家だ。そのせいで俺を担ぎ上げて王太子にしようと動く勢力に、当時の俺は頭を悩ませていた。俺は兄が好きだし尊敬しているから、兄を蹴落として自分が王太子になろうなんて野心はない。だが、権力に群がる連中からすれば、俺の気持ちなど関係ない」
今のところ他国と戦争もしていないし、平和な日々が続いている。だからこそ、国内の権力争いは激しさを増していく。少しでも権力を得ようとする貴族連中に、母親の違う兄弟は格好の獲物だっただろう。
「そんな連中に野心がないことをアピールするために、俺は何事にも無関心を装うことにした。そんなことを続ける内に、いつの間にか俺は何でも諦める癖がついていた」
サフォークの四兄弟にそんな衝撃の事実があるとは、もちろんアディリアは知らなかった。
(そんな苦労人に、あんな暴言を吐いたなんて……。消え去りたい……。)
「そんなバツが悪い顔するな。アディリアの言葉のおかげで、俺は何でも諦めるようになっていた自分に気が付けたんだ。それからは、本当に欲しいものだけには、絶対に手を伸ばそうと決めた」
力強い言葉に反して、ロスリーは泣き出しそうな情けない表情だ。
「そう決意したのに、本当に欲しい人は、俺ではない別の人と婚約してしまった」
(例の想い人のことね……。ルカ様と婚約している私は、一緒にいられるのだから、まだましなのだろうか?)
「だけど、そのアディリアをルカーシュが苦しめるのなら、俺はもう諦めたりしないよ?」
「……………………」
アディリアはロスリーの言葉を反芻する。何度も検証する。
(ん? 何て?
『だけど、そのアディリアをルカーシュが苦しめるのなら、俺はもう諦めたりしないよ?』って、誰が、誰を、諦めない?
この流れは、自惚れではなく、ロスリー殿下の想い人は、私ってこと、よね?)
自分が置かれた状況に全く頭が追い付かず、呆然とするしかできないアディリアの下に、アーロンとエルシーナが現れた。本来であればキャッキャする二人の間に割って入らなくてはいけないのに、今のアディリアはそれどころではない。アディリアの気持ちを汲んでくれたロスリーが、間に入ってくれたのが救いだ。
その後も四人で話をしたような気もするが、何を話したかはさっぱり憶えていない。
帰り際にニッコリと微笑んでくれたロスリーに、笑顔を返せなかったことは覚えているが……。
読んでいただいて、ありがとうございました。
あと三話で完結予定です。
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