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上意討ち十兵衛  作者: 工藤 かずや
1/10

一 お妙

十兵衛は白刃が怖かった!

道場での竹刀稽古でかつて負けたことはなかったが、

まだ真剣勝負をしたことがない。


だから、諍いや争いで勝負になるのを避けて来た。

いや、本音を言えば真剣で立ち会うのが恐ろしかったのだ。

それはそうだろう。


真剣勝負が好きなどと言うやつがいるわけがない。

だが、上から命じられ、真剣で斬り合いをせざるを得なくなる時きっとが来る。

よくて右腕を落とし、悪くすると命をなくす。


だが、俺にそんなことがあっても、まだまだ遠い先のことだと思っていた。

今はまだ修行中の身だ。

仮にあっても道場主の本間先生がきっと守ってくれる。


俺は本間道場では筆頭師範代で、四天王の一人と言われている。

その日、同じく師範代の武本と三本勝負をした。

最初の二本を面と胴で俺が取り、最後の一本を小手で武本が取った。


それを見ていた道場主の本間頼母に呼ばれた。

奥の居室へ行くと、城からの使者として二名の武士が来ていた。

俺が座ると、上座で立ち上がった使者の一人が

懐から書状を出して広げた。


「御上意である」

俺の顔色が変わった。

「田所源太夫に不届きな所業これあり、よって討つことを命ずる」


上意討ちだ!!

硬直して動かない俺に、本間が背後で叱責した。

「お受けせんか!」


思わず俺は平伏した。

なぜ反射的に頭を下げたのか。

今もわからない。


俺はお城でお納戸役を勤めている。

ことの是非に限らず、命令されるのが習性になっていた。

「神妙である。お上はお主に期待しておる」


ついに来た!恐れていたものがついに来たのだ!

その日、どうやって家へ戻ったか覚えていない。

ただ新参町を歩いていた時、思いがけない人が前に立った。


いいなづけのお妙である。

お妙は互いの家が許した仲で、

いずれ十兵衛が道場を注いだ時、祝言を挙げることになっていた。


お妙は頭を下げた。

「ご城代より上意討ちを命じられたとのこと、

首尾よく相手を討ち果たしてください」

すでに上意討ちのことを、お妙は知っていた。


十兵衛は暗い顔をして無言で歩いた。

「十兵衛様の腕を持ってすれば、必ずや・・・!」


「俺は斬られる!この上意討ち、結果はわかっておる」

お妙は素早く十兵衛の手を握り、

定禅寺への脇道へ入った。

「そんなことを仰ってはいけません。

あなたは本間道場四天王の筆頭ではありませんか」


「上意討ちは三日後の早朝行われる。

それまでにそなたに別れを告げようと思っていた」

「なりませぬ!」


語気を強めてお妙は言った。

「私も幼い頃より父から

佐分利流小太刀の手ほどきを受けて参りました」


十兵衛は驚いて妙を見た。

こんな話は初めて聞く。

お妙が小太刀を!


「多少、武芸のことは心得ておるつもりです。

田所様は秀でた一刀流の遣い手ですが、

あなたの方が腕は優っている。必ず勝ちまする!」


なんの根拠もない励ましである。

お妙だからこそ言ってくれる言葉だった。

「あなた様が勝ちましたなら、

いえ、勝つに決まっておりまするが、その時は

二人だけで祝言を挙げましょう」


お妙は懸命に俺を力づけてくれようとしている。

「あなた様がお戻りになったら、

妙は身も心もあなた様のものとなりまする」


二人だけで境内を歩きながら、お妙はつないだ手を

力を込めて握りしめてくれた。

それに応えてやりたいが、今の俺では無理だ!


前方から、墓参の帰りらしい三人の町人がやって来る。

「十兵衛様、きっとですよ!必ず、必ず約束して下さい!」

それだけ言うと、十兵衛の手を離して脇道へ入って行った。


十兵衛は三人の町人とすれ違い、

寺の墓地を抜けて家へ向かった。

多分、これがお妙と会う最後かもしれないと思った。


屋敷へ戻ると部屋の行燈もつけず、

庭に向かって座っていた。

「兄上、お食事ですよ」


妹の志乃の声で我に返った。

志乃はお妙と同い年である

二日後に何もかも終わる!


大きく吐息を吐いた。

「食いたくない!」

それだけ言うのがやっとだった。


田所源太夫はお馬廻り役で、一刀流の遣い手で知られていた。

彼にどんな失策があったかわからない。

ご城代から上意討ちの命令が出た以上は、やるしかない。


負けるに決まっている斬り合いを!

試し斬りや抜刀は普段からやっているが、

真剣を持った相手と立ち会うのは初めてだ。


とても今の俺には無理だ!

考えるだけでも、体がすくむ。

真剣勝負歴戦の田所に、勝てるはずがない。


田所源太夫は城中で度々見かける。

上背があり、物腰の柔らかな男だ。

その彼に何があって上意討ちを受けるのか。


そんなことを詮索したところで仕方がない。

十兵衛は暗い庭をじっと見つめていた。

逃れる方法はなかった。


閉門を言いつかっているであろう田所の屋敷へ行って、立ち会うだけだ。

俺は大きく絶望の吐息を吐いた。

「若、御城中で何があったのですか」


背後の廊下で中間の角蔵の声がした。

角蔵は中間と言っても、親の代から家にいる家族同様の男だ。

かつてない異様な十兵衛の様子にやって来たのだ。


自分が恐怖に恐れおののいているのが分かったのだろう。

いや、もう上意討ちを命じられたことを、噂で耳にしたのかも知れない。

十兵衛は何も答えられなかった。


角蔵は種火で行灯に明かりを入れた。

気がつけば着替えもせず、城中への出仕姿のままで十兵衛は座っていた。

もう何刻そうしていたのだろう。


脇に大刀が置かれていた。

「旦那様にご相談なされませ」

言われて、父のことをすっかり忘れていたのに気づいた。


父軍兵衛は新陰流の免許取りである。

無論、若い頃には真剣勝負の経験も何度かある。

十兵衛も免許取りだが、名目だけだ。


竹刀なら誰にも負けない自信があったが、据え物斬りとはわけが違う。

立ち会う前から田所に敗れていた。

膝に置いた両手が小刻みに震える。


普段道場で門弟たちに教える自分の言葉が虚しかった。

そうだ、父がいた!

十兵衛は藁にもすがる思いで角蔵に言った。


「父はお部屋か」

「はい、十兵衛様のことを、お気にかけておいでで」

大刀を刀架けに置き部屋を出た。


話を聞いたところで、父が助太刀をしてくれるわけではない。

そんなことをしたら、城中で物笑いになる。

自分のみでなく、有村一族が前代未聞の大恥をかく。


背負いきれない巨大なものが、自分の背にのしかかっている。

十兵衛はひしひしとそれを感じた。

逃げることも立ち会うこともできず、進退窮まっていた。


切腹しろと言われる方が、まだましだった。

田所に私怨があるなら、怒りに目がくらんで立ち会うことも出来た。

が、多分破れるだろう。


それでは上意討ちの役を果たしていない。

城中では以後冷笑を持って、有村一族を見るだろう、

冷静に立ち会って田所を討ち取ることが、自分には課せられていた。


父の居室の前の廊下に座った。

「父上、十兵衛です」

部屋からはただ一言、

「入れ!」

の言葉が聞こえた。


十兵衛は居室へ入って襖を閉めた。

「近くへ来い」

文机に座していた軍兵衛は言った。


「上意討ちを仰せつかったとか」

「はい」

「して、相手は!」


父は相手の名も、当然耳に言っている。

それを敢えて、自分の口から言わせたいのだろう。

「田所源太夫殿」


「うむ、して覚悟は」

十兵衛は初めて本音を父に吐露した。

「怖くて怖くて、居ても立ってもいられませぬ!」


「うむ、初めての真剣勝負で、それが当たり前」

初めて軍兵衛は、十兵衛を振り向いて座り直した。

「自信満々などと申す方が危うい!」


十兵衛は恐怖の思いを初めて父にぶつけた。

「怖くて生きた心地が致しませぬ!できるものなら、このまま家を出奔し!」

「逃げようとか!」


それが十兵衛の本音だった。

心のありのままを、父にだけは告げて置きたかった。

意地も誇りもなかった。


軍兵衛はじっと十兵衛の目を見据えた。

「わしにも覚えがある。田所を斬る!と言う一念で、ひるむ心に打ち勝て!

お前にはそれだけの剣の技量がある」


震える声で十兵衛は言った。

「それでも、恐怖する心をどうしても抑えられません!」

それは十兵衛の心の叫びだった。


じっと十兵衛を見て居た父は言った。

「分かった。では、角蔵に助太刀させる」

十兵衛は驚いたように軍兵衛を見た。


「角蔵を、ですか」

「やつは一度として屋敷内で見せたことはないが、実は院勢流杖術の名手!」

「しかし・・・」


「一族ではなく、下僕を上意討ちに加担させることはよくあること」

十兵衛は唇を噛んだ。

父の思っても見なかった言葉だった。


「角蔵は必ずや、田所を討ち取る機会を作ってくれよう」

十兵衛は暗然と父を見つめた。

それでどのような戦いになるのか。


最後に父が言った。

「忘れるでない。真剣勝負は後の先だ!

冷静にこれを見切れば必ずや勝てる」


追い詰められて居ながら、十兵衛は返事ができなかった。








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