第2話 大食堂と天然王子
加筆修正しました。(2019/8/17 14:30)
魔法学園の敷地は広い。
中央に佇む《小さな世界樹》を中心に東京ドームくらいの広さがある。
校舎と時計塔が位置するのは西側。
入学式はその北側に位置する大聖堂で行われた。
駆け足でたどり着いた大聖堂の扉を勢いよく開ける。
そこには生徒たちが誰もいなかった──。
きょろきょろと周囲を見回す。
中央の奥には創造神を称える石像と、パイプオルガン。
感謝祭で聖歌隊が祈りを捧げる際に演奏で使っていたやつだ。
「忘れ物ですか?」
「ひっ!」
心臓が口から飛び出そうになった。
背後を振り返ると、シスターが心配そうな表情を浮かべていた。
「授業は明日からです。今日はもう大食堂で食事をいただいたら明日に備えなさい」
「……」
「大食堂はここを出て右手にあります。まあ、今の時間帯は混んでると思いますが……」
「……なるほど、ありがとうございます」
シスターのおかげで状況が少し理解できた。
今はきっと、入学式が終わって昼食の時間だ。
私は深く息を吐いて安堵した。
世界から私を残して人が消えたのではないかと、変な錯覚を覚えていた。
シスターと会話したことで、少し落ち着くことができた。
まだ状況が飲み込めきれていないけれど、ちょっとはマシになれた気がする。
危うくパニックを起こすところだった。
「……大丈夫? 顔色悪いわよ」
「大丈夫です。今朝から何も食べてなくて……ふふふ」
「そう。無理は体よくないわ。自重しなさい」
「ありがとうございます」
ふらつく足取りで、大聖堂を後にした。
とりあえず……一人でいるのは精神衛生上好ましくない。
お腹が減っているのは本当だし、大食堂に向かってみよう。
私は舗装された歩道をふらふらと歩き始めた。
◇
大聖堂と校舎のちょうど中間地点。
そこには、生徒が100名ほど座れる広さの大食堂がある。
そこで大勢の生徒たちが食事を楽しんでいた。
まるで誰もいなかったのが嘘のような人混み。
そういえば、私が初めて入学式を終えて食堂に来た時もこんな感じだった。
大食堂には多くのテーブルが用意されているわけだが、そのほとんどが埋まっている。
その状況でもまだ注文で悩んでいる学生も散見した。
その中に見慣れた姿があった。
金髪の小柄な少女──間違いない、ミシェルだ。
私は駆け出して、抱きしめたくなる衝動をグッと抑えて隣に立った。
……うーん、と顎に手を当てながら悩んでいる。
ミシェルは意外と優柔不断で、こういう時はだいたい私が選んだものを「私もそれで!」と乗っかっていた。その様子に荒んだ心が温かくなる。が、これから私は死ぬかもしれない。心を強く持たなければ……間違いなく死ぬ。
「ミシェル」
私はミシェルに声を掛けた。
「……え? 誰?」
鈍器で頭を殴られたような衝撃。
わかっていた。わかってたけど──辛い。
もし最初に会話を交わしたのがミシェルだったら、わたしはこの場で膝から崩れ落ちていたに違いない。原因はわからないが、本当に入学式のあった4月に戻っているとしたら、ミシェルのこの反応は当然予想できる。だから予想していた……が、ダメ。泣きそう。
「……同じクラスになるアリーナ・フレイムよ。クラス分け見てないの? 明日からよろしくね」
「ご、ごめんなさい! わたしはその、ミシェル・フローラと申します。あわわわ」
「慌てないで。顔合わせは明日からだから、わからなくて当然よ」
「で、でも。フレイム様は」
「アリーナでいいわ」
慌てるミシェルを横目に凛とした表情で答えた。
いくら今のミシェルが私と初対面だとしても、ミシェルにそんな他人行儀な呼び方をされたら、その度に私の心がズタズタのボロ雑巾になってしまう。廃人確定だ。
「アリーナ様は……」
「アリーナでいいわ」
「アリーナさんは……」
「アリーナ」
「……」
「……」
「アリーナはクラスメイトの名前と顔を全員覚えてるの?」
「まあね」
よし! 押し通した。
これでなんとか廃人は免れることができる。
ついでに言えば、ミシェルとアラン以外のクラスメイトの名前なんて覚えていない。
顔もジャガイモやかぼちゃくらいの認識だ。それで充分でしょ。
「メニューに悩んでいるなら、ペペロンチーノがおすすめよ。きっとあなたの口に合うわ」
「……たしかに美味しそう……かも」
じゅるりと口を拭うミシェル。かわいい。
まあ、間違いなくミシェルの口に合う。
だって最初の頃はそればかり食べてたし。
「ありがとう、アリーナ!」
「どういたしまして。それじゃ私行くわね」
「うん、また明日!」
私は軽く手を振ると、ミシェルは早速注文に向かった。
その後ろ姿を見送ると、私は大食堂を外に出て、テラスに隣接されているベンチに腰を下ろした。
そして顔を伏せて大きく溜息を吐き出すと、心の中で絶望した。
──忘れられてる。
銀華祭でミシェルがくれた言葉が脳裏に浮かぶ。
『いつも一緒にいてくれて、ありがと。アリーナと出会えて私、とても幸せ』
二人で過ごした8ヶ月の思い出が全て消えている。
そんなの受け入れられない、心が壊れてしまいそう。
花火が打ち上がる夜空を一緒に見上げた記憶も。
初めての学校行事のお祭りにはしゃいだ学園祭の記憶も。
図書室で期末試験の勉強に励んだ記憶も。
全部なかったことにされている。
ミシェルはいい子だ。また仲良くなれるだろう。
でもそれとこれとはまったく別の話だ。
私は……もしかしたら夢でも見ていたのだろうか。
長い長い白昼夢。
前世の記憶を思い出してから、頭がおかしくなってしまったのだろうか。
うっ……ぐすっ……。
私はいつの間にか、人知れず小さく泣いていた。
俯きながら両手で顔を覆いながら。
瞳から零れ落ちた涙が、指の隙間から地面に零れ落ちる。
私はハンカチを取り出そうとポケットに手を入れた。
すると、手に金属のひんやりとした感触が伝わった。
「……これ……」
ポケットから取り出したそれは、ブレスレットだった。
銀華祭でミシェルがくれたブレスレット。
間違いない。間違えるはずがない。
ミシェルからのプレゼントを私が見間違えるわけがない。
あれは白昼夢なんかじゃない。
──何かあったんだ、銀華祭のあの夜に。
何かわからないけれど、確かに私とミシェルの思い出は実在したんだ。
このブレスレットがその証拠だ。
私はそのブレスレットを左の手首にはめる。
そして何が起きたのか、突き止めることを心に誓った。
◇
でも……その前に、ちょっと……もう限界かも知れない。
私の左手首に光るブレスレットは目標を与えてくれた。
が、それとこれとは話が別。体にまったく力が入らない。
いっそこのままベンチで横になれたらどんなに楽なことか……。
でも入学式のあった昼のベンチで昼寝なんかしていたら、間違いなく噂になる。
「フレイム侯爵のご令嬢が昼間からベンチでお昼寝してましたわ」「あらあらはしたない」「お里が知れるわね」とか噂されたら──だめ。相手を殺してしまうに違いない。そしたらミシェルに怖がれて……間接的に私も死ぬ。バッドエンド。
「大丈夫ですか?」
「……ん」
そう言って優しく誰かが優しく私の背中を撫でてくれた。
暖かくて大きい──男性の手だ。心地いい。
私の体調が少し落ち着くまで、彼は辛抱強く私の背中を撫でてくれた。
ほんの数分だったと思うけれど、ちょっと落ち着いてきた私は顔を上げた。
「ありがとうございます。アラン様。少し楽になりました……」
「よかった。……あれ、どこかでお会いしましたか?」
「いえ。ただ……存じておりました」
「そうですか」
そういうとアランは小さく頷いた。
彼は王族。第3王子だ。
知っている人も大勢いるので、気にしないだろう。
「顔色優れませんね。医務室までお連れします」
「……ありがとうございます」
少し良くなったとはいえ、一度横になりたかった。
医務室はすぐそばの校舎の中にある。
そこで休んでから、この先のことを考えよう。
「失礼します」
「……えっ? ち、ちょっとアラン様!?」
アランは私の背中と膝裏に腕を通すと、私を抱きかかえた。
いわゆる、お姫様抱っこだ。うあああ!
「あ、歩けますっ! 自分で歩けますからっ!」
「大丈夫。すぐ着きますから」
ダメだあ! アランは人の話を聞かないタイプだ!
こうなったらもう降ろしてもらえない。
そして今の私に抵抗できる体力があれば、こんなことには──!
食事をしているテラスの生徒たちや、ベンチで団欒を楽しんでいた生徒たちの視線が集まる。ヒソヒソ、ヒソヒソ……。これだったらベンチで寝てた方が百倍マシよ! 降ろしなさい!! 今すぐ私を降ろしてえええ!!
ジタバタする私を苦しんでいるのと勘違いしたのか。
「大丈夫ですか? すぐに医務室にお連れしますね」
ちがーうっ!!
舗装された歩道を足早に進むアラン。
途中すれ違う生徒の視線に、私はうつむいて耐えることしかできなかった。
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