第15話 図書室の団欒
私とシロは図書室の奥の窓際のソファに腰掛けていた。
手入れが行き届いているアンティークな背の低い机。落ち着きのある赤い刺繍が施された二人がけのソファ。ふかふかして座り心地がいい。
中庭を見下ろせる窓の外には小さな世界樹が下校する生徒たちを見送るように佇んでいた。
「シロ様……これは……?」
私は目の前に積み上げられた本の山についてシロに尋ねた。シロはにこにこと嬉しそうな表情を浮かべている。
「私のオススメですっ」
「確かにオススメを伺いましたが……」
手前に置かれた本を手に取る。これはさっきシロが隠そうとしていた『100人の王子』の第1巻。その隣に置かれているのは『俺の執事が可愛い件』。他にも『執事と領主』やら『爛れた主従関係』とか。
どれも表紙にはイケメンがこちらを見てニヒルな笑いを浮かべている。うへぇ、と私は思わず苦笑いを浮かべそうになったが、シロの熱い視線の前にそれはできなかった。仲良くなる作戦の途中であるのを忘れてはいけない、と私は笑顔を取り繕いながら手に取った本の表紙をめくった。
口絵には長身の執事が小柄な令嬢を押し倒していた。私はそっと本を閉じると、顔を上げて周囲を見回してしまった。なんで王族貴族が通う魔法学園の図書室にこんな本が置いてあるの?
シロは先ほど手にした『100人の王子』の2巻に没頭している。……この図書委員が先生に内緒で仕入れたとしか考えられないわね。まったく。
私はまたちらりと表紙をめくった。
公共の場で読むには落ち着かない内容だけど、一応他の生徒は周辺には見当たらない。なるほど、だからここに連れてきたのね。私は妙に得心した。
もしかしたら、この孤立した読書スペースも隣に座っている図書委員が職権を乱用して設けたのではなかろうかと勘ぐってしまう。奥ゆかしく見えて行動力があるのかもしれない。
まあ、とりあえず今は一緒の時間を過ごしましょう。そうすれば自然と距離も縮まるでしょう。私は静かに次のページを開いた。
「──というわけなんですっ」
「そ、そうですね。私もそう思いますわ」
シロは拳を固めて本の内容について熱く語ってくれた。内容といってもほとんど物語ではなく、どのキャラクターとキャラクターの組み合わせが最高なんだとか、一押しのキャラクターは誰だとか終始そういう感じだけど。
「……なので私はこのラインハルト様が一番素敵だなって……」
シロはそういうと先ほど私が言い当てたキャラクターの挿絵を開きながら目を輝かせた。ラインハルトは騎士の家系に生まれた嫡男で、誠実で真面目、だけど少しおっちょこちょいなキャラクターだ。仕事ができて強いなんて、如何にも女子が好きそうだと半ば呆れていたが、「私もですわ」とそんな心の内はおくびにも出さず同意した。
「アリーナ様はどなたがお気に召しましたか?」
「私? そうね……私はメイドのジェーンが気に入ったわね。調度品を壊して主人に怒られるシーンがとても可愛らしくて……この半泣きの描写が特に素敵です。不覚にも胸が高鳴ってしまいましたわ」
「あの……ジェーンはモブキャラでしかも女性なのですが……」
「え? まあそうですけど、よくないです?」
「そ、そうですね」
シロはどこかぎこちない笑顔を浮かべて頷いた。
ん? 何か変なこと言ったかしら?
というか、ついつい普通に自分の気に入ったキャラクターの話をしてしまった。まぁでも、あんまり細かいところを気にしてもしょうがないか。それよりもシロについてもう少し色々聞いておこう。
「シロさんはいつ頃からこういう本を読まれているのですか?」
「えっ、いつ頃かな……生まれた時から?」
私は、真顔で冗談を言うシロにくすりと笑顔を返した。絵本の代わりにBLを読んで育ったのだとしたら、なんと罪深い親だろうか。真顔のシロを見る限り、少なくともかなり昔からハマっているのが窺い知ることができる。
頬杖をつく私を気にすることなく、彼女は言葉を続けた。
「もしかしたら……生まれる前から好きだったのかもしれません」
「……」
どんだけだ。と思わず半眼で彼女を眺めてしまった。その視線に気がついたのか慌てた様子で取り繕うように言い訳を始めた。
「あ、ごめんなさいっ! たまに昔のことを思い出しちゃって、変なことを言っちゃうんですよ。気にしないでください」
「ふふふ、可愛らしいと思いますわ」
「もー、アリーナ様ってば」
照れるシロの頬に赤みがさす。
いつの間にそんな時間が経ったのか、窓から差し込む夕陽の光が図書室をオレンジ色に染め始めていた。ふと、窓の外を眺めてみると、小さな世界樹の奥に覗く遠景の空が紺色を帯びている。夜が訪れようとしている。
団欒を楽しんだ私たちは借りていた本を片付けると、それぞれ読み途中だった本の借り出し手続きを終えて図書室を出た。良かったらまた一緒に本の話がしたいと告げると、シロは嬉しそうに「いつも放課後は図書室にいるので是非」と答えてくれた。シロは図書室の戸締りがあるというので私は一人、校舎を後にした。
中庭に出るとすでにあたりは暗く、街灯が歩道を照らしていた。私は寮に向かって歩き始めた。心地よい風が頬を撫でる。歩道に沿うように植えられた花の香りが鼻につく。優しくて甘い紫色を思わせるラベンダーの香り。
そういえば私の屋敷の庭にもラベンダーが植えられていた。ふと、実家にいた頃のことを思い出した。巻き戻った今からしたら1ヶ月も経っていないが、魔法学園の寮に住むようになってから実質、約一年が経つ。もはや少し懐かしく、どこか遠くの思い出のように感じられる。
ミシェルに会う前の私は──ゲーム『祝福の鐘』の記憶を思い出す前の私は──絵に描いたような性格の悪い女だった。邪魔する者に容赦せず、地位の低いものを見下し、世界の中心が自分であることを疑いもしなかった。
今思うとだいぶ痛々しいが、私はそんな遠くもない自分の恥ずかしい過去を、ラベンダーの甘い香りに包まれた夜の歩道を歩きながら思い返していた。
それは5歳の頃──、自分が歪んだと思える起源の記憶。
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