第1話 銀華祭
加筆修正しました。(2019/8/17 12:00)
鐘の音が鳴り響く。
からん……からん……と、《銀華祭》を祝福する時計塔の鐘の音。
私は校舎の屋上から、銀華祭を楽しむ人たちを眺めていた。
魔法学園では時計塔に注いで、2番目に高い建造物である。
まあ、そこからでも学園を一望することは叶わない。
学園の中心に佇む《小さな世界樹》と呼ばれる、名前の割には大きくて主張の激しい大樹が視界を妨げているから。
生徒たちの笑い声が校庭から聞こえてくる。
小さく息を吐くと、白く霞んで霧散した。
「まるで日本の高校の学園祭……いや、クリスマスね」
「ここでしたか、アリーナ」
「アラン様」
校内と屋上を繋ぐドアから長身の男性が姿を現した。
第3王子アラン。
短めに整えた美しい金髪。安心させる柔らかな瞳。誰とでも平等に接することができる人当たりの良い性格。しかも、王族でお金も権力も持っている。まさにパーフェクト美男子。
「きれいですね」
「……はっ?」
隣にまできた彼が私の目を見て囁くように言った。
「銀華祭。みんな輝いてます。頑張って準備した甲斐がありました」
「え、ええ……そうね。うん。みんな輝いてるわー……キラッキラね」
少し天然なのよね……アランは。
気を取り直して、校庭を見た。
学生たちがはしゃいでいる。
「……たしかに。ゲーム画面越しに見た銀華祭よりもずっときれい」
「えっ、なんです? よく聞こえませんでした」
「なんでもないです」
思わずこぼれ落ちた言葉に口を塞いだ。
そう、私はこの《銀華祭》をすでに見たことがある。
前世で遊んだゲームの世界──《祝福の鐘》で。
どういうわけか、私には前世の記憶がある。
この魔法学園の《小さな世界樹》を見た瞬間、つまり4月の入学式の日。
唐突に日本で過ごした前世の記憶が蘇ったのだ。
その時の私の狼狽ぶりは、不審者と同じだったと思う。
まあ、西洋ファンタジー世界とはまるで異なる日本の文化の知識と経験が急に蘇ったのだから、錯乱して当然よね……。
でも、そのあと気がついたの。
この魔法学園が《祝福の鐘》という乙女ゲームとそっくりだということに。
確信に至るまでに必要な時間は──とても短かった。
主人公と同じ名前と外見の人物。
次々と現れる攻略対象のイケメンたち。
そして……鏡に映る悪役令嬢の姿。
まさかこの私が、主人公の恋路を幾度も阻んだ憎き悪役令嬢だったとは。
正直、これが一番驚いた。
私は性格が悪いことを自覚している。
あの子のことをよく知らないまま会っていたら、ゲーム中の悪役令嬢と同じことをしたかもしれない。それくらいには捻じ曲がっている。
でも、100時間以上も一緒にいた主人公を嫌いになれるわけもなく──。
「そういえば、ミシェルがあなたを探していました」
「それを早くいえ──いってください」
「ごめん」
危うく王族に無礼な口をきくところだった。
アランなら笑って許してくれるだろうけど。
「時計塔の前にいましたよ」
「ありがとうございます」
小走りで階段を駆け下りた。
◇
はあっ! はあっ! はあっ!
全速力で時計塔の前まで走ってきた。
息を整えながら、周囲を見回す。
大勢の生徒たちとお店、路上パフォーマンスをする生徒に観客たち。
そこに見覚えのある小柄な少女の姿があった。
「あ、アリーナ!」
「……あら、ミシェル。偶然ね」
腹に力を入れて乱れた呼吸を無理やり整えた。
優雅に銀華祭を楽しんでます、という感じの涼しげな表情を浮かべる。
『人間やればなんとかなる』、フレイム侯爵家の家訓である。
人混みを掻き分けて、私に駆け寄ってくる。
彼女こそが《祝福の鐘》の主人公、ミシェル・フローラ。
ぱっちりした大きな瞳。柔らかな金髪のセミロング。
今日は少し肌寒いから、制服の上に水色のコートを羽織っている。
ちょっと、ペンギンみたいで愛らしい。
「ね、一緒に見てまわろ!」
「……仕方ないわね。いいわよ。暇だし」
やったあああ! デートイベントだあああ!!
ミシェルは私の右手に、彼女の左手をそっと絡めてくる。
すべすべした肌の感触が妙に艶かしい。
柔らかな彼女の香りが鼻腔を擽る。
どうしよう……ひょっとして、これは誘われているのでは?
今夜はクリスマス……じゃない銀華祭だし。
ゲームは確かR-15指定だったから、そこまでは案外いけるのかしら?
……R-15ってどこまでいけるんだろ。
ハグまで? それともチューもOKなのかしら?
「きれい」
「……え? ああ、銀華祭ね」
アランで学習していた私は、周囲で賑わう学生たちを見てそう返した。
ミシェルは大きな瞳で私を見つめると、
「ううん、アリーナが。とってもきれい」
「──!」
見てるかアラン! この溢れ出るヒロイン力!
これは私もいい感じに返さなければ女が廃る──!
「あ、ああの、み、ミシェルも、その……き、きき」
「……あ。見て。アリーナ。世界樹が」
私が言葉に言い淀んでいると《小さな世界樹》が淡い光を放っていた。
その光はまるで──柔らかな銀色。
ああ……だから銀華祭なのか。
「……アリーナ。これあげる」
「?」
ミシェルはそういうと、コートのポケットからブレスレットを取り出した。
銀色のシックな装い。
今日のために用意してくれたのだろうか。
「いつも一緒にいてくれて、ありがと。アリーナと出会えて私、とても幸せ」
ミシェルはそう言うと、柔らかな笑みを浮かべた。
このセリフ……この状況……何処かで見た覚えがある。
……思い出した。
最初に《祝福の鐘》をクリアした時に見たノーマルエンデイングだ。
乙女ゲームの流儀を理解していなかった私は、どのイケメンも攻略できなくて、悪役令嬢と友情が芽生えるノーマルエンディングにたどり着いたんだ。
思わず言葉に詰まる。
何か伝えたいけれど、この気持ちをどう言葉にしていいのかわからない。
それでも何か伝えようと、口を開いた瞬間──。
「……つまらない」
背後から聞こえた少女の声に、私は思わず振り向いた。
そこには銀髪の少女が、黒い板のような物を持って俯いていた。
彼女が持っている黒い板のようなものには、絵が貼られている。
……黒い板? いや、違う。あれはまさか……そんな……ありえない。
あれはポータブルゲーム機だ。
絵に見えたのは、ノーマルエンディングのスチル。
「やっぱり最初は……アランって人がいいのかな。チョロそうだし」
画面はエンディングを迎えている。
スタッフスクロールが上から下へと高速に流れていく。
そこには春の入学式。夏の花火大会。秋の学園祭──。
みんなと過ごした思い出が、色あせたスライドショーのように流れて、消えた。
「今度こそ──」
そう言う彼女の指がボタンへ伸びた──、
◇
「あれ、ここは……? ミシェル……?」
気がつくと私は、時計塔の前にひとりで佇んでいた。
周囲にいた大勢の人たちは陽炎のように消えている。
眼前にそびえる小さな世界樹も光っていない。
曇っていた空は快晴で、そこには青空が澄み渡っていた。
喉が急激に渇きを覚える。
先ほどまでミシェルと繋がっていた、右手が小さく震えた。
周囲を見回した私は時計塔の近くに置かれた立て札に気がついて──凍りついた。
そこには、こう書かれていた。
『入学式の会場はこの先』
「……どういうこと?」
頬を伝う汗が地面に吸い込まれるように、私の疑問も風の音に溶けて消えた。
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