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09「これが恋と言わずして」


「ひいいいっ!?」


 とうとう堪えきれずにもじゃ頭が悲鳴をあげる。

 落ちた首が彼の足元にごろりと転がり出たのだ。

 彼は一度その場から逃げ出そうとする素振りを見せたが、結局すでに物言わなくなった彼女の視線から逃れるように身をよじるのみだった。


 先ほどのダメージが残っているためか。

 それとも下手に動こうものなら次にそうなるのは自分なのだと確信していたのか、それは定かでない。


 俺にとっても、そんなことはどうでもよかった。

 また首が飛んだ。自分のせいで。

 その事実だけが俺の思考を埋め尽くしていたのだから。


「メイファン……」


 初めて彼女の名前を口にする。

 彼女と出会ったのは数分前、言葉も二つ三つ交わしたのみ。

 なにより、彼女は明確に俺たちの敵であった。

 しかし、それでもやはり、思わずにはいられない。

 殺すほどのことだったのか――と。


「ふむ、彼女のロールを拝借したせいでしょうか? 妙に思考が冴え渡っています……面白いですね、ロールというのは」


 鵜渡路が再び赤く染まった剣を指でなぞりながら言った。

 見ると、いつの間にか“複製”の祝福(ギフト)で三人に分裂していたはずの鵜渡路が一人に戻っている。

 そして、本人は気付いているのかいないのか、薄暗い路地の中で彼女の全身が淡く発光していた。


「八伏お兄様! 短い間ですが、私色々なロールを拝借するにつれて、ロールのことが少しずつ分かってきたんですよ!」


 そして彼女は、こちらを見るなりあどけない少女のように語り始める。


「ロールを得ると特殊な技能――祝福(ギフト)を手に入れるほか、ロールに応じた様々な能力が向上し、更には自分が何を為すために生まれた存在なのか知覚できるのです! 天命とはよく言ったものですね!」


「……なんで」


「それと、ロールには序列があるのですが、序列に関係なく得てして強制力のような力が働きます! すなわちロールに応じた振る舞いを自然と……」


「なんで……殺したんだ……?」


 俺はおそるおそる問いかける。

 途端、鵜渡路はぴたりと口をつぐみ、あたりを静寂が包み込んだ。

 ――マズイことを聞いてしまったか。

 どっと脂汗がにじみ出る。


 しかし彼女は「何を分かり切ったことを」とでも言いたげに、からからと笑った。


「最近その質問ばかりされる気がします。言ったでしょう? 彼女は八伏お兄様を殺そうとしました」


 ……違う、そういうことじゃない。


 これ以上突っ込むべきではないと本能が警告している。

 もじゃ頭も、震える眼で「やめろ、これ以上刺激するな」と訴えかけてきていた。

 しかし、それ以上に大きな“彼女と言葉を交わさなければならない”という使命感が、俺を突き動かした。


「違う……俺が聞いているのはどうしてお前が殺せるのかってことだよ」


「? 言っている意味が分かりませんよお兄様」


「……どうして、そんなに簡単に人を殺せるんだ」


「どうして?」


 鵜渡路はそれでもこちらの言葉の意図が分からない、とでも言いたげに、指をあてて首を傾げた。

 そしてしばらく考え込んだのち、さも当たり前のように


「――八伏お兄様のためですもの、それ以上の理由があるんでしょうか?」


 俺は彼女の中にある得体のしれない何かに、そこはかとない恐怖を感じた。

 いったい、何がそこまで彼女を突き動かす?

 何を信じていれば、人の首を刎ねた直後もそのように微笑むことができるのだ?


「……そうですね、改めてこんなことを口にするのはいささか恥ずかしいのですが」


 そう言って、鵜渡路は一歩こちらへ歩み出る。

 身体が強張り、後ずさることも叶わない。

 一歩、また一歩。

 ふいに歩みは止まって、気付くと彼女の顔が目の前にあった。


 白くきめ細かい肌、長いまつげ、整った顔かたち。

 その美しさとくればもはや一個の芸術品の域であり、それゆえに、恐ろしい。


「――私は、八伏お兄様に恋をしています」


 甘い吐息が頬にかかる。

 彼女の頬は上気しており、その蠱惑的なさまに、俺は生まれて初めて魂の抜けるような感覚を覚えた。


 彼女は腑抜けになった俺の手を取り、自らの豊かな双丘へと導く。

 柔らかい、熱い。

 もはや自分が感じている物なのが恐怖なのか、それとも内から湧き出る破滅的な情欲なのか、何もわからない。


「……分かりますか? この胸に宿る膨大な熱が。この熱量をもってすれば、世俗の倫理観などすぐに燃え尽きてしまいます。お兄様が望むのならどんなものでも捧げます、なんにでもなります、たとえ私の全てを捨ててでも――これが恋と言わず、なんというのでしょうか」


「本当に、それだけのことをしたのか、俺が……」


「ええ、それはもう、お兄様は私が生きる意味を与えてくれました」


 ――知らない。そんなことは知らない!


 瞬間的に思考が冷却され、我に返る。

 俺はほとんど反射的に、彼女の手を払いのけた。

 そうしなければ、俺と言う人間そのものが彼女に取り込まれてしまうような、そんな予感がしたからだ。


「……やはり、まだ足りないのですね」


 彼女はひどく悲しそうに顔を歪めて言う。


「まあ、今回は八伏お兄様の危機を感じ取って、居ても立ってもいられず駆けつけてしまっただけのことです。今はまだ、その時ではありません」


 そこまで言って、鵜渡路はもじゃ頭へ目をやった。

 もじゃ頭はさながら蛇に睨まれた蛙のように、全身を硬直させる。


「……本来ならばあなたも首を刎ねるところですが、八伏お兄様はこの土地に不慣れで、現地のガイドも必要でしょう」


「が、ガイド……?」


「ええ、それ以上でもそれ以下でもありません、もしも八伏お兄様を粗末に扱ったり、あまつさえ妙な気を起こしたりしたら……分かりますね?」


「わ、分かりましたっっ!!」


「いい返事ですね」


 鵜渡路は血に濡れた大剣を担いで、こちらへ一度微笑みかける。

 それはやはり彫像じみた完璧な笑顔で――ある種の危うさを感じさせるものだった。


「ではご機嫌よう八伏お兄様、慣れない気候で体調を崩すことがあるやもしれません、くれぐれもご自愛ください、私にはやることがありますので、また近いうちに」


 そう言い残して、鵜渡路は路地裏から姿を消した。


 薄暗い路地裏に残されたのは、二つの首と、もじゃ頭と、俺だけ。

 場を包む緊張が霧散し、俺はその場にへたり込んだ。

 もじゃ頭もまた茫然自失としている。


 そんな中、俺は視界の隅でちらちらと光を反射するソレを発見した。

 ソレはメイファンの亡骸、その手の内に収まっている。


 これは……ペンダント?


 何かを思ったわけではない、きっと未だ夢見心地だったのだろう。

 俺はペンダントを拾い上げた。

 見たことのない真紅の宝石に革紐が通してある。

 これは……ルビー? いや、違う……もっと別な……


 ――その時、遠くから怒号が響いた。

 きっと鵜渡路が兵士たちに見つかったのだろう。

 あれだけ物々しい、それも血濡れの得物をぶら下げて往来を歩いていれば、当然の結果である。


 なんにせよ、これは好機だ。


「……今のうちに逃げるぞ、もじゃ頭」


 鵜渡路が兵士たちの注意を引き付けている今なら、この街から逃げ出すことも可能だろう。

 俺には分からないことだらけだが――まず、生き残るのが先決だ。

 こんなところでうじうじ悩んでいても仕方がない。

 全部、後で考える。


 そう思っての発言だったが、もじゃ頭が後に続かない。

 どうしたのかと様子を窺ってみれば、彼は今にも泣きだしそうなくしゃくしゃの顔でこちらを見つめている。


「こ、腰が抜けて……」


「……背中貸してやる」


 俺は拾い上げたペンダントを一度スーツの内ポケットにしまって、その場にしゃがみこんだ。


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