08「A.マイマイ」
「……それは理の勇者の祝福“複製”だナ、愛の勇者サマ」
三人の鵜渡路は、いずれもその問いには答えない。
答える必要などない、と言わんばかりに女神のごとき微笑を浮かべている。
うち一人は純白の大剣をメイファンの首筋に突き付けながら。
メイファンはここにきて醜く命乞いをするでもなく、全てを知った風な顔で笑みを浮かべた。
「ひとつ聞いてもいいカ、愛の勇者」
「はい、なんでしょう」
「何故王やその配下だけでなく、他の勇者まで殺しタ?」
「八伏お兄様を殺そうとしたからです、ね、お兄様」
そう言って鵜渡路はこちらに微笑みかけてくる。
俺はというと腰を抜かしてしまっていて、ぎこちのない愛想笑いを返すことしかできない。
一方でメイファンはこちらを一瞥すると、また一つ何かに納得したかのように鼻で笑った。
「その理屈はおかしいナ、聖騎士のロールだけでなく人王のロールすら手に入れたオマエに、ヤツらを殺さず無力化することなんて容易だったろウ、少なくとも皆殺しにする必要はなかっタ」
メイファンのまるで直接現場を見ていたかのような物言いに、俺は思わず舌を巻いてしまう。
彼女は先ほどの数十秒かそこらの戦闘を見ただけで、玉座の間で何が起きたのかを理解してしまったのだ。
「何故、殺しタ?」
メイファンは再び問いを投げる。
しかしこれを受けて鵜渡路は、可愛らしく小首を傾げながら
「逆に、殺さない必要があるのですか?」
――戦慄した。
殺さない必要があるのか、だって?
その言い方は、すなわち彼女の中では殺人という行為が選択肢の一つとして存在するということに他ならないじゃないか――
「ナハハ、オマエもう狂ってるヨ、とんだ愛の勇者がいたもんダ」
「八伏お兄様の前でそういうことを言わないでください、私、怒りますよ?」
純白の大剣が、路地裏に差し込む僅かな光を反射して煌めく。
誰もが確信していた。
まもなくメイファンの身体は首と胴体に二分される。
あの褐色肌の少女のように、枝から果実をもぎとるような、そんな気軽さで。
呆気なく、いとも容易く、その命を絶たれる。
そんな状況下で、俺は声をあげずにいられなかった。
「……鵜渡路、ソイツは殺さないでくれ」
鵜渡路だけでない、その場の全員が驚いたようにこちらへ振り返った。
「……何故です?」
鵜渡路が聞き返してくる。
何故、って……決まっているだろう。
「俺のためにやってくれているんだったら、大丈夫だ。別に俺はソイツを殺したいとは思っていない、見逃してやってくれ」
「ば、バカ野郎! お前!」
ここにきて、もじゃ頭が声を荒げた。
「せっかくあのイカレ野郎を殺してくれるって言ってるんだ! 見逃すなんてしてみろ! 一体どんな報復があるか……」
と、ここまで言ったところで彼の言葉は遮られる。
別の鵜渡路の投げ放った大剣が、まるでダーツか何かのように飛んで行って、もじゃ頭の直上に深々と突き刺さったのだ。
「ヒィッ!?」
「……今、せっかく八伏お兄様が私とお話ししてくださっているのです、少し静かにしていただけませんか?」
「は、はははははいっ!!」
もじゃ頭は咄嗟に両手で口を覆う。
覆うというよりは、無理やり押さえつけるに近い。
ただの呼吸音でさえ彼女の癇に障るのではないのかと、文字通り必死で息を殺していた。
「さて」
改めて、鵜渡路はこちらに向き直る。
「ごめんなさい八伏お兄様、私が至らぬばかりに少々語弊があったようです、何故、とは彼女を殺さない理由のことではありません」
「……え?」
違うのか? 話の流れ的に完全にそうだったろう?
困惑していると、鵜渡路は俺の困り顔がよほどおかしかったらしく、くすりと笑ってこう答えた。
「――鵜渡路なんて、何故そんなにもかしこまった呼び方なのです! おかしいですね八伏お兄様ったら! 昔はもっと可愛らしい名前で呼んでくれたじゃないですか!」
からから笑う鵜渡路を前に、俺は狐につままれたような心地だ。
「よ、呼び方? 今そんなの関係ないじゃ……」
「――ああ、そうです!」
通算三度目になる、彼女が何か思いついた時の「ああ」
俺は本能的に嫌なものを感じ取る。
そして、こういった時の嫌な予感というのは、大方的中するのが常だ。
「ゲームをしましょう! あの時のように! ルールは簡単に、八伏お兄様が私につけてくださったあだ名を呼んでいただければ、八伏お兄様の言うことをなんでも一つ聞いて差し上げます! チャンスは一回!」
「なっ……!?」
俺は思わず声にならない叫びを上げてしまった。
俺は彼女のこと自体記憶にないどころか、面識があるかどうかすら定かでないのに、あだ名だって?
そんなの、分かるはずが……
「ち、ちなみに外した場合は」
どうなるのか、そう続けようとしてやめた。
彼女の屈託のない笑みを見れば分かりきったことだ。
端的に、メイファンの首が飛ぶ。
「八伏お兄様には簡単すぎる問題かもしれませんが、一応ゲームですので10秒の制限時間を設けましょう! では、スタート!」
「っ……!」
話し合いでどうにかなるような相手でないことは重々承知している。
彼女がそうすると言えば、事実そうなるのだ。
俺は喉元まで出かけた抗議の言葉を飲み込んで、まず必死で思考を巡らせた。
あだ名、あだ名、あだ名――!
彼女の言葉の通りなら、彼女にあだ名をつけたのは過去の俺! ならば導き出せないはずがない!
彼女の名前は鵜渡路舞! 俺だったらいったいどんなあだ名を!?
「残り、9秒です」
無慈悲なカウントダウンが始まった。
焦りが熱を持って脳みその底を焦がす。
落ち着け、あだ名なんてそれほど多いもんじゃない!
鵜渡路舞、ウノトロマイ!
ウノちゃん!? トロちゃん!?
いや、名字の方をもじるなんてそんな安直な真似するか! いじるとすれば普通名前の方だろう!
舞、マイ、まい、舞!!
「あと、7秒」
頭の中で必死に繰り返してみても、変わらずカウントは進む。
考えろ、考えろ!
「まい」の二文字から出来るあだ名なんて、それこそ限られているじゃないか!
焦れば焦るほど思考は白濁し、霧がかかっていく。右も左も分からなくなる。
「……ハチブセ、といったナ」
そして、そんな深い霧の中で声がした。
この鼻にかかったような特徴的な声は、他でもない。
今はただ処刑を待つ身となったメイファンが、こちらへ語りかけてきているのだ。
「少し、話をするゾ」
「見て分からねえか!? 今、お前を助けるために無い知恵絞ってんだろ!? 気が散るから話しかけるなよ!」
「そーかヨ、じゃあ勝手に喋るからナ」
メイファンは今まさに命の灯火を握りつぶされようとしているにも関わらず、飄々と言う。
その余裕がやけに腹立たしく――
「――ハチブセ、ワタシはな、この世界が好きダ」
しかし、そんな腹立たしさはメイファンの突然の告白によって吹き飛んでしまう。
「歪んではいるがナ、慣れればどうということはなイ、住めば都という言葉もあるだろウ?」
「チャイナ博士、いったいなにを……」
「試練は存在すル、しかし耐えられないほどではなイ、幸福は存在すル、しかし満ち足りるほどではなイ、全ては一部でしかないのダ、分かるかハチブセ」
「わ、分かんねえよ! もう喋るな! 気が散るだろ!!」
「誰も全知全能の神など求めてはいないということサ、ロール持たずのハチブセくん」
「なっ!?」
思わず言葉を失ってしまう。
メイファンは、そこまで分かって――
ふいに、彼女はこちらを見やり、まるで憑き物が落ちたように柔らかな笑みを浮かべ、言った。
「――世界を救うことができるのは勇者でも魔王でもない、オマエだけダ、ハチブセ」
「残り、2秒」
瞬間的に頭の中が真っ白に染め上げられる。
なにがなんだか分からない。
気がつくと、口が動いていた。
「マイマイ!! 鵜渡路舞のあだ名はマイマ……」
言い終えるよりも早く、俺の顔面を生暖かいものが濡らす。
そして、首が落ちる。
もじゃ頭が言葉にならない悲鳴をあげ、一方で彼女はあどけない少女のように笑った。
「――正解は、ウノちゃん、です! でも、そのあだ名も可愛らしいので気に入りました! 次からはそう呼んでくださっても結構ですよ、八伏お兄様?」
俺は過去の自身の安直さを呪った。
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