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35「GAME OVER」


 ぐらりと視界が揺らぎ、もはや立っていることすらままならない。

 俺は力なく膝をついた。


 憤怒か、悲哀か、絶望か。

 光も届かぬ世界の果てにて、胸の内で様々な感情が渦巻く。

 込み上げてきた胃酸が、食道を焼いた。


 痛い、苦しい、熱い、寒い、白い、痛い、痛い、痛い……


 もはや何がなんだか分からない。

 自身が今どこに居るのかさえ分からなくなってくる。

 なにせここは世界の果てだ。


 感じるのは彼女の息遣い。

 彼女の匂い。

 彼女の笑い声。


「うふふふ、やっと二人きり(・・・・)ですね、八伏お兄様」


 ……ああ、そりゃあそうだろうさ。

 なんせ今此処には、俺とお前しかいないんだ。


 皆、消えてしまった。

 イオネも、ペルナートも、町の皆も、世界ごと綺麗さっぱり。


「ああ、泣かないでください八伏お兄様、変革に痛みはつきものと言いますでしょう、一時のまやかしですよ、すぐに忘れられます」


 見上げると、そこにはこちらを誘うように両手を差し伸べ、慈悲深き女神のごとし微笑をたたえる鵜渡路舞の姿。

 その時、俺は見た。

 彼女の胸の中で躍動する、新たな“世界”の様相が。


 鵜渡路舞は女神に――いや、世界そのものになってしまったのだ。


「――さあ怖がることはありません、私の(世界)にいらっしゃいませ、ここはまさしくお兄様にとってのユートピア、八伏お兄様には永遠の快楽をお約束いたしましょう」


 それはどこまでも甘く、心を蕩かすような誘惑であった。

 苦しみのない世界――ああ、確かにそれは理想郷だ。


 生きることとは、苦痛である。

 どうにもならない現実でもがき苦しみ、自分が何者なのか、何を為すべきなのかも分からない内に、死ぬ。

 繰り返し、繰り返し、解脱が成るまで続く、無限の懲罰。


 一方で彼女は俺を必要としてくれている。俺の生き方を定義してくれる。

 そんな人生があったとしたら、どんなに楽だろう。


 ……俺は、ゆっくりと手を伸ばす。


「そう、そうです……お兄様はもうこれ以上辛い目に遭う必要はないのです、さあ、ようこそ……」


 ……更に手を伸ばす。


 もう俺に守るべきものはないんだ。

 皆、皆、消えてしまった。

 というか俺、結構頑張っただろ? ゼロからスタートした割には結構いい線までいってただろ?


 でも、これで全部終わりだ。

 だって守るべきものがないなら仕方がない。

 何もないなら、仕方がない。


 ――この世界に来た直後の俺ならば、そう考えていただろう。


「……え?」


 俺は鵜渡路の頬に手を添え、そして正面から彼女を見据える。

 鵜渡路舞はここにきて、その完璧な微笑に綻びを見せた。


「な、なんですか、お兄様、その目……」


 俺の瞳に宿るのは、怒りでも憎しみでも、まして諦めでもない。

 そのいずれかであったとしたら、鵜渡路舞はなんの問題もなく、その感情ごと俺を飲み込み、蕩かしていたはずだ。

 だが、そのいずれでもない。

 俺が彼女に向ける感情は――憐みだ。


「……可哀想だよ、お前が」


「っ!」


 鵜渡路が咄嗟に飛びのいた。

 俺は地に落ちた黄金の剣を拾い上げ、そして立ち上がる。

 構えた剣は、黄金色の輝きをもって、世界の果てを照らし上げていた。


「可哀想……? 今、私に向かって可哀想と言ったのですかお兄様……? ――何故です!!」


 彼女を中心にして、世界が揺らぐ。


「私は全てを手に入れました! 全て、全て全て全て! お兄様以外の全てが、私の(世界)にあるのです! それなのにどうして可哀想などと!!」


「可哀想だよ、だってお前は河野舞だった頃と何一つ変わっちゃいない」


「っ……!?」


 鵜渡路舞の顔が歪む。

 そこに女神の微笑は一片たりとも残ってはいない。


「確かに俺には何もないさ、でも、そんな何もない俺に大事なモノを託してくれたヤツが、あの世界には確かにいたんだ」


「だからどうしたと言うのです!? 全て、全て消えてなくなりました! そんなものはもうどこにも……!」


「――あるよ、此処に、俺が覚えてる」


 そう言って、俺は黄金の剣を構える。

 ……悪いけど、俺はお前と一つにはなれない。

 皆が、俺に託してくれたから。

 たとえ世界の果てまで至ったとしても、消えない思いを。


 それになにより、俺の中にはウノちゃんとの記憶がある。

 だから俺は、君を女神と認めるわけにも、まして化け物と蔑むわけにもいかない。


「――鵜渡路舞、俺にとってお前は未だ取るに足らない女子高生だ、俺は大人で、お前のお兄様だからな、お前を叱りつける義務がある」


「八伏お兄様っ……! どうして、どうしてそんな意地悪を……! 私はこんなに頑張った、頑張りましたのに……!」


 鵜渡路舞から発せられる気が、更に爆発的に膨れ上がる。

 それこそ世界を覆いつくすほどの勢いで。


 しかし、俺は退かない。

 不敵に笑い、そしてあの時のように提案するのだ。


「ゲームをしようぜ、あの時みたいに」


「ゲーム……?」


「ああ、そうとも、ルールは簡単に――どうしても俺が欲しいってんなら、お前の全力をもって俺を屈服させてみろ」


 しばしの静寂。

 そして鵜渡路が笑う。

 くふふ、と心底楽しそうに。


「……なぁんだ、やっぱりお兄様は意地悪です、要するに見せてほしいんですね、最初からそう言ってくださればいいのに、いえ、まったく……」


 鵜渡路は純白の大剣を構え、そして世界の果てに突き立てた。

 これにより、鵜渡路を中心に世界が再構築され始める。

 無が、塗り替えられる。

 彼女が今までに溜め込んだ全てが、新たな世界を構築する――


「――いいですとも! ゲーム、ゲームです! 世界の命運をかけたRPGを始めましょう! 魔王ハチブセ様!!」


 そして鵜渡路舞による、鵜渡路舞の新世界が此処に現出する。

 鵜渡路の姿は消え――今、見上げんばかりの巨大な城門が、俺の前に立ちはだかっていた。

 門は開かれている。

 大きく開いた門の向こう側には町があり、そして町の中心には巨大な城がそびえたっている。


 見覚えがあった。

 ここは俺の始まりの地、王都ガイアールを模倣した都市だ。


「……変なところで凝り性なんだからな」


 俺はそう呟いて門をくぐる。

 それと同時に、町の中から数人の女性が現れた。


 赤褐色の甲冑で全身を固め、その細い腕からは考えられないほどに巨大な戦斧を掲げる女戦士。

 黒いローブで全身をすっぽり覆い、樫の杖を携えた女魔法使い。

 獣の皮をなめして作った軽装を身にまとう、弓を構えた女狩人。

 騎士、武道家、槍使い、神官、商人。


 多種多様なロール持ちが、魔王である俺を打倒せんと襲い掛かってくる。

 彼女らは全て――鵜渡路舞であった。

 そういうことだ、そういうことなのだ。


 魔王たる俺が相手取るのは世界そのもの。

 すなわち彼女の取り込んだ三万五千六百のロール。

 三万六千五百の鵜渡路舞が、俺の敵なのである。


「――行くぞ鵜渡路!!」


 俺は黄金の剣を構え、城下町を駆ける。

 狩人(鵜渡路舞)が、こちらへ弓を放ってくる。

 俺はこれを一刀で斬り伏せ、そして肉薄した戦士(鵜渡路舞)の戦斧を弾き飛ばし、返す刀で斬り捨てる。

 戦士(鵜渡路舞)が改変の波に巻き込まれて、一輪の花と化す。


 魔法使い(鵜渡路舞)が樫の杖を振るって、こちらに火球を飛ばしてくる。

 俺は空間を引きはがし、この際に生じた大幅な改変によって飛来した火球を飲み込む。

 更に大きく踏み込んで、一気に三人の鵜渡路舞を切り伏せた。


 大通りを沿うように、花畑が出来上がる。

 それでも怒涛のように押し寄せてくる鵜渡路舞を斬って、斬って、斬り捨てる。


 自然と涙がこぼれる。

 それがなんの涙か、今の俺には分からない。


 絶え間のない攻撃が俺の身体を傷つける。

 痛みが、疲労が、熱をもって俺に警告してくる。


 だが――関係ない!


「うおおおおおおおおおおおおお!!」


 俺は痛みを誤魔化すように、雄たけびを上げて城下町を駆けた。

 更に、更に早く。

 “愛の勇者”鵜渡路舞が待つ、玉座の間へと――!


 俺は高く飛翔し、一直線に城を目指す。

 その時、視界の外から巨大な首枷をしてボロ衣をまとった鵜渡路舞が飛び出してきた。

 マズイ! あれは――!


「くっ!」


 俺は咄嗟に黄金の剣の腹で、防御の姿勢をとる。

 凄まじい掌底が黄金の剣を打ち据え、剣を伝い、特殊な気の流れのようなものが俺の全身へと伝播した。

 内臓が傷つき、喀血する。

 しかし――


「――邪魔すんな! 俺が会いたいのはお前じゃねえんだ!」


 俺は首枷の鵜渡路に剣を突き立て、そして、空中で更に加速。

 さながら流星のごとし勢いをもって城壁へと激突し、玉座の間へと直通する大穴を開けた。

 そしてこの鵜渡路も、風に舞う花びらとなって、消える。


「あら、お早いお着きでしたね、魔王ハチブセ様」


 そして、玉座の間にて彼女と対面した。

 数十の騎士(鵜渡路舞)たちに守られ、そして二人の勇者(鵜渡路舞)を従える、彼女。

 玉座に腰をかけた愛の勇者――鵜渡路舞と。


「……悪いなせっかちで、色々とショートカットさせてもらった」


不正(チート)行為は困りますね、もちろん私が、ではなくお兄様が、という意味ですが」


 感覚で分かる。

 今まさに玉座の間へ三万を超える鵜渡路たちが集結しつつある。

 その中には当然、六騎士のロールを持った鵜渡路もいる。


「見事に詰みましたね、これにてゲームオーバーでございます」


「……いや、まだ分からないぜ」


「強がりですね、そんなにボロボロで、ラスボスに勝てるとでも?」


 騎士たちが臨戦態勢に移り、二人の勇者もまた一方はねじくれた槍を、そしてもう一方は槌を構える。

 完全に包囲された。


「さて、お兄様、最後に何か今回のゲームでの反省点はありますか?」


 玉座に腰かけた鵜渡路舞は、自らの勝利を確信して柔らかな微笑を浮かべる。

 事実、勝敗はすでに決していた。

 たとえ魔王のロールとはいえ、これだけの鵜渡路舞を相手取って勝てるはずもない。


 しかし、俺はこれに対して、はは、と短く笑って答えた。


「反省、ね……そりゃあやっぱり再会の場面かな」


「……なんですって?」


「久しぶりに再会したんだ、挨拶もほどほどに、昔話に花を咲かせて、他愛もない雑談をしてみたりさ、そうすればもうちょっとマシになったんじゃないかって、つくづく思うよ」


「お兄様、何を言っているのですか?」


 鵜渡路舞が訝しげに問いかけてくる。

 俺はこれに答える代わりに、剣を捨てた。


「やっぱり俺たち、出会いからやり直すべきだと思うんだ」


「だからお兄様! いったい何を!」


 鵜渡路舞が声を荒げる。

 ああ、まだ分からないのか。

 やっぱりお前は俺にとっちゃまだまだ取るに足らない、一人の女子高生だよ。


 勝敗はすでに決している。だからこそお前の敗因を教えてやろう。

 それは、魔“王”である俺をここに侵入させてしまったことだ。


 俺はゆっくりと口を開き、そして――命令する。


「――理の勇者よ! 魔王の首を刎ねろ!」


「なっ!?」


 魔王の祝福(ギフト)“勅令”発動。

 これにより、ねじくれた槍を構えた理の勇者(鵜渡路舞)は、身体の自由を奪われる。

 俺の発した言葉には同じ“王”のロールを持つ者以外、逆らうことはできない。

 つまり理の勇者(鵜渡路舞)でさえ、それは例外ではないのだ。


「ま、まさか八伏お兄様! あなたは――くっ!?」


 ここで鵜渡路は俺の目的を察したらしく、玉座を蹴って、こちらへ飛び掛かってくる。

 その純白の大剣で俺の“魔王”のロールを奪おうと。

 ……でも、一足遅かったな。


「や、やめてくださいお兄様! それだけは、それだけは! 私の努力を、愛を、全部、全部なかったことにするなんて――!!」


「――悪いなウノちゃん、今回も俺の勝ちだ」


 次の瞬間、理の勇者が振るった槍の切っ先が、俺の首を見事に断ち切った。

 そして、発動する。

 魔王のロールに与えられた祝福(ギフト)、“コンティニュー”。

 その効果は“勇者に殺害された際、時間を巻き戻す”――


 ……言い忘れていたことがある。

 俺はお前とは一つにならないし、一人きりの世界も救わない。そんな残酷な二択ははなから眼中にないんだ。

 俺は、皆がいる世界を救う。

 そして俺が救いたい世界には、当然のことながら鵜渡路舞――お前も含まれているんだ。


「お兄様ああああああああああああ!!!!」


 鵜渡路の絶叫が響き渡り、直後、世界は逆行を開始した。


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